G・アダムスキーによる宇宙哲学とネガにある紡錘図形が同一であること

これまでの考察により、次の5つは同一のことを示していると考えます。

  1. 大本や日月神示にある○+点=ス(身魂)
  2. ヲシテ文献にある ○+点=ア アモト アウワ タマシヰ 縄文哲学
  3. 聖書ヤハウェ 在りて在りたる者 αでありω →無始無終 無辺
  4. 宇宙哲学 宇宙の意識(因)と結果(物質は結果である) 想念
  5. 弧理論(Ark Theory)の考え方 E-M軸平面 物質科学モデル

1.大本教と日月神示では自動書記により数字あるいは記号で書かれた文字に「○+チョン」があります。これを「ス」と読みます。 日月神示では「○」が身体であり、点が魂であるとしています。現代は身体である「○」だけがあり「魂」が無い状態であって、○に点を入れる必要があるとされています。これを身魂といいます。

2.ヲシテ文献には、五七調の「アワのウタ」があります。特に文字「ア」の形が○+点であって、アで始まる用例が非常に多いです。(アメ、アマ、アモト、アウワなど) ○に点の「ア」を漢字で示すならば宇宙と表現してよいと思います。

3.聖書に登場するヤハウェは、自らを「在りて在りたる者」あるいは「αでありω」としています。他とは異なる表現ですけれど、言い換えるならば無始無終かつ無辺とでも表現できます。

4.G・アダムスキーによれば宇宙哲学では、まず宇宙の意識があり、それが全ての原因である。この「因」から物質ができ人が出来ているといいます。物質は結果であり、人は結果だということです。 そして、宇宙の意識(因)から2つのマインドができます。ソウルマインドとセンスマインドです。ソウルマインドが心の本体で、センスマインドが五感にある「感覚器官の心」です。 (因)と2つのマインドを「想念」が結んでいます。 当然のこと物質は結果ですので、原子単位で想念は「在る」ということになります。ちょっと受け入れがたいですけれど理論的にはそうなります。

5.弧理論(Ark Theory)は、G・アダムスキーが残したネガフィルムにあった

図32ネガ

縦軸が「時間を含まない真のエネルギー」を示すE軸 横軸は3次元物理空間を示すM軸

図1

紡錘図形を解釈したものであって、異星人の文明の根幹となる物質科学を「弧=Ark」と名付けた上で、仮説の理論としたものです。 弧理論の考え方をもって考察を進めてきました。

弧理論ではE軸上の実体がM軸上に投影されることにより全ての物質が現れるとしています。

物質(結果)に実体(原因)

図2

「物質はエネルギー[ML^2T^(-2)]にも転換するし、逆にもなるというが本当は一つの実体の異なる面に過ぎない」

ダニエル・フライがコンタクトした異星人アラン(ある科学者)の言葉です。つまり実体が原因で物質は質量mをもって「位置」が決まるのです。

 

本題です。管理人は、以前から4の宇宙哲学の概略は承知していました。 図1が電磁気現象の一端を含んでいるらしいと気付いて、図1を物理モデルと仮定して研究していた頃に「3の聖書」と何らかの関係があると踏んでいました。やがて1の日月とも関連があるらしいと気づき、さらに歴史を調べて辿り着いたのが2のヲシテ文献でした。そこに書かれていたのが1にある○+点であったのは少々驚きでした。

でも、ヲシテ文献は江戸時代に写本が伝えられ当時の国学者が研究していた訳ですし、出口氏や岡本氏がヲシテ文献のことを知っていたとしてもおかしくありません。

そしてヲシテ文献にある縄文哲学がG・アダムスキーによる宇宙哲学とほぼ同じものだと確信したと同時に、今まで宇宙哲学はあくまで哲学であって、物理科学モデルである紡錘図形とは何の関係もないものだと思い込んでいたものが、突然「同じものだ」と確信したのです。 これには本当に驚きました。

所謂、アダムスキー信者は宇宙哲学の勉強に熱心ですけれど、ネガにある紡錘図形や足跡は、関係ないものとして「興味はあるけれど」無視してきたようです。 (過去に解析の努力はなされています。)

ここで言いたいのは、宇宙哲学で大事な意味を持つ「想念」が、弧理論の考え方の基本形である図2において考えるならば、物理現象である可能性があるということです。

時間を含まない真のエネルギー値をもっているE軸上にある実体がM軸上にある身体の神経繊維を構成する原子に作用し、電子に運動を促すということです。

20140421運動の状態

図3

つまり、神経繊維に生理的な電流が流れるということです。

E軸はM軸に直交していますので

20140516直交するE軸

図4

の様に4つの3次元空間に分けられます。 E軸はM軸上にいる我々には「位置」を特定することはできません。ですから、もし想念が物理現象であるならば、想念はA→BあるいはB→Aへ「伝搬」するのではなくて、AとBに「生じる」ということになります。想念は「波」ですらないかも知れません。

ということは、想念は無辺であるかもということです。唯一の例外は、x-y平面内において回転する物体があれば、回転軸であるz軸方向にE軸が重なるため、想念は回転体に対してz軸方向への偏り(指向性)があるかも知れないということです。

上記のある科学者は、次のようなことを述べています。

現代は物質科学だけが進んでいる。基礎となるのは精神科学と社会科学である。基礎がいつまでも用意されなければ文明は崩壊する。文明を樹木に例えるならば、現代は一つの枝を幹に代えている。正しい選択は幹の分岐点まで降りて、再び登り始めることだ。 そうすると、まず精神科学と社会科学が出てくる。その後に物質科学がくる。 また、3つの科学に明確な仕切りはない。

数学者岡潔の述べたように、「自然科学は間違っている」と思います。少なくとも現代の物理学は近似です。 やっと分岐点まで降りてくることができたと同時に、「精神科学と社会科学」=「縄文哲学と宇宙哲学を融合した哲学」から物質科学(弧理論)の芽が出てきたということです。

現在の所、縄文哲学と宇宙哲学の2つを比較検討しています。これが難しいです。  1.~5.について考えるに付け、これまで3000年から4000年くらいの計画で行われてきたと理解していましたけれど、縄文哲学を考慮すると少なくとも6000年くらいに渡る長期計画の一端であったことが分かります。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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