自然こそ、自然科学が放棄してきたものなのでしょう。それをアッチ系とは思わない。自然はそうそう定義できないですよ。数学なんて最も自然から遠いはずなのにね。私は子供の頃に遠山啓や銀林浩の影響を受けたせいか、自然⊃物理学(単位あり)⊃数学(単位なし)のイメージができあがっていました。抽象度ははっきりしていて、それらがイコールだなんて考えようもない。
>新興宗教じみて
互いに言葉の上で盛り上がってカルトになるのは避けたい。それだけです。他意は無い。気を悪くされたならすみません。
>宇宙論
の宇宙って狭苦しいです。数式の中に人や物を詰め込んでどうする。それだったら映画「コンタクト」を観ることを奨める。“Do you think there’re people on other planets ?” “If it is just us, it seems like an awful waste of space.”
>オブジェクト指向 「物と事にわける」という考え方の一歩手前
まさにそうです。『「継承」と「包含」』はわざわざ難しい説明をしている。IS_Aは「~という属性を持っている」HAS_Aは「~という機能がある」程度のことです。その属性(=変数)と機能(=内外の変数を変えるもの)が互いに関連し合ってプログラムを動かす。これがE-Mの関係に似ていると思った。X IS_A~とX HAS_A~でXを表現し、Xが定義される。言語構造からして、Xそのものの直接的な定義はできません。静的なISだけ、動的なHASだけではプログラムは動かない。作動対象の無い機能は無く、参照/格納されることもない変数は何の意味も無い。
>絶対量ならば、フリーエネルギーも重力制御もありません
これは言いよう。絶対量かどうかはともかく、その量り方がわからないだけ、とは弧電磁気理論にもあった。
こんなのがありました。技術と化学の賜物。いったい何を見ているんでしょうね。
ttps://www.youtube.com/watch?v=Ok4rqTCt4KE
とか書いていて重大な問題に気付いた。いくら都市部に住んでるからとはいえ、コンクリートの住宅がひしめいているとはいえ、周りにあるのは物質なのに私は自然を少しも感じていない。かろうじて空、風、少々の木と花、鳥の鳴き声がする。それ以外も自然のはずなのに。脳化社会の病人だ。
こんばんは。はじめまして。
単極誘導に、興味があり、このサイトをみつけました。
単極誘導の原理について、様々な方が研究しているようで、ローレンツ力が~ というような解説をよく見かけます。しかし、私的にはそれは違うなぁ・・・と感じています。おそらくまだ未発見の原理によるものと思っています。
というのも、面白い動画を見たからです。5年程前にみつけたんですけど、まだ、残ってるようです。 Big homo polar motor と検索するとすぐにみつかります。
磁石の下にぶら下げた円錐に電極を接触すると回転するというもの。
特徴的なのは、その重さです。通電を止めても、慣性でかなり長く回転するのですが、その後おそらく極性を変えてるのかな?途中から通電してないにも関わらず、
反転を始めるんです。一度見てみるといいと思うのですが。
掲示板に書こうとしたものを、記事の方へのせてしまいました。
削除していただいて構いません。
いつも参考になる資料をありがとうございます。
実験からの考察により、ファラデーが発見した単極誘導の現象は、原子力の一種だろうと考えています。
その基本は渦です。ここからの発想がなければ、先へ進めないと確信しています。
以下の動画を、12分50秒付近からご視聴ください
https://www.youtube.com/watch?v=3xn_0irmhUg&t=1297s
興味深いです。何枚かのスクリーンショットを撮りました。最近、米国防総省は「科学の定義を変える」ようです。自然科学(時間空間と言う模型)に重力制御はありませんから。
毎回、興味深く拝読しております。
すいません、大気圧について、貴殿の認識がどのようなものか
ご教示願いますよう、よろしくお願いいたします。
普通に古典力学、流体力学でよいように思いますけれども、ジェット気流貿易風だけは理解できずにいます。
日本には伊勢や出雲を筆頭におびただしい数の神社・神宮・大社があります。岡潔も毎年伊勢神宮に参拝していました。彼の晩年の作品「春雨の曲」は現在の人々には到底受け入れられないような内容になっています。彼が数学を捨て探し求めていたものを考えると自ずと日本人・日本語の起源や宇宙人や神々・創造主にたどり着くと思います。「春雨の曲」は未完で結論も書き直しがあったりして曖昧なところが多いですが晩年の岡の思想信条を知るには欠かせない存在だと思います。渦と気の粒、力場と磁場、アストラル(非物質)と物質、重力(渦場の向心力)と光(磁場振動)、心(顕在意識)+霊(潜在意識)+魂(肉体を包む力学焦点内包生体電磁場)+体(物質的肉体)=人間生命の主要構成要素。心・霊が天(地球渦磁場圏)にあり、魂・体が地上。心と魂、霊と体が天地で結ばれて人間生命は成立しています。
「春雨の曲」で検索すると第7稿くらいまで書かれたとのことです。この第7稿で思い出すのが、岡潔は最晩年に唯識について第7稿まで原稿を書いていたとの話を聞きました。その題名が春雨の曲だったのでしょうか。だとすると、とある方から聴いたこととして「唯識論には繰り返しが現れるので、考えないことになっている。」とのことです。私は、最晩年の岡潔は唯識に嵌まっていると感じていましたので、ある方からの「繰り返し」で納得した記憶があります。というのも、岡潔自身、本当の「わかる」は、「理解や物の理ではない。」とし、これを情だと言いながら、唯識に嵌まったと感じたからです。唯識論の行き着く先は単なる抽象です。これはとても危険です。心の仕組みと働きは、階層ではありません。「わかる」の語源は「わける」です。人は、わけることによりわかっているのではありません。繰り返しを避ける。これを肝に銘じなければなりません。抽象に嵌まると自身、あたかも神(GOD)に成ったように錯覚するからです。(人によるようですが。)
>神々・創造主にたどり着く
正しくもあり、誤りでもあります。川下を結果、河上を原因として、河上に向かうのは非常に困難です。しかし、突き詰めると「人とは何か」という疑問に行き当たります。これは源流です。源流に行き着けば、川を下るのは比較的容易です。それで、ヒトの核となる部分が「わかる」と言う「働き」です。古来、この働きを神仏としてきました。しかし、漢字や他の言語で言い表しても、核となる部分を言い表すことは難しいです。歴史的には、ヲシテの「カミ」に漢字の神が覆い被さってきました。その上に国家神道が載りました。戦後は神道となりましたが、日本語を話す日本人の骨格は「カミ」のままです。これを故田中英道氏は「日本人は神を信じない。これを自然道という。」と言いました。この神とはGODです。ですから、自然道の内においては、神社もお寺もお参りするに何の疑問も持ちません。つまり、殆どの日本人は無宗教だと言います。しかし、無宗教ではあっても、自然道とでも言う信仰はあるのです。ですから、日本人には宗教という受け皿は不要なのです。神、創造主と表現するのは西洋的です。アワウタは、「在る」も「アルファであり、オメガ」もBuddhaも覚も情も気も「キ」も「ナサケヱダ、アワレヱダ」も含んでいます。漢字で魂、神、霊、顕在、潜在と表現した時点でダメです。
ついでながら、カミ、キミ、オミ、タミは、主従関係ではありません。それぞれの仕組みや役割を示しているに過ぎません。神、君、臣、民ではダメなのです。
ご返信・ご承認ありがとうございます。私は岡潔の思想信条に興味を持ち最晩年の「春雨の曲」にたどり着きました。その内容に疑問を持ちながらも心の底であたため宇宙生命論(日諸賢一)に出会ったときに疑問が氷解した。
自我の本体が霊(磁気静帯)です。肉体死と共に心(力気動帯)は消滅します。やがて魂(生体電磁場)も消滅し、最後に残るのが霊そのものです。これが地球渦磁場圏の特定位置に物理的に存在します。霊にはアカシックレコードが存在し輪廻転生の対象になります。われわれ人間は惑星地球の渦磁場生命体であり水の惑星の高等磁気生命体です。
渦運動(回転運動)が引き起こす映像的な世界が運動宇宙としての自然界の姿です。運動が停止すると気の粒に還元します。この世は虚無の実相(運動による仮の世界=鏡の中の世界)というのが真実のようです。
はっきり記します。貴方の考察はほぼ無駄です。行き着く先は抽象です。私自身気づいた切っ掛けはホツマツタヱにある「ヰクラムワタヲ ネコヱワケ フソヨニカヨヒ ヨソヤコヱ」です。これは日本語の基礎です。ホツマの文字は表音表意です。この仕組みが如何に凄いかがおわかりにならない内は、貴方の努力は無駄になります。貴方のお書きになる文章も言葉もすべてここから来ています。間違いないです。もし、春雨の曲が唯識をテーマにしていたのならば、春雨の曲は無駄です。言葉は物と事の繰り返しです。「複雑で緻密であれば優れている」というのは、まったくの誤解です。人は物事を言葉でわかっているのではありません。
「この世は虚無の実相(運動による仮の世界=鏡の中の世界)」が「自然は映像」と言うのであれば、正しいと思いますが、それだけでは不足です。書籍やネットにある言葉を書き連ねても本当にはたどり着けません。ただの繰り返しだからです。記憶、知識、意識、情報は繰り返しです。しかも中今を含まない過去です。本質は中今にのみあります。
ついでながら、日月神示には3分(3%)とあります。「言葉でわかっているのでは無い。」簡単なのに難しいです。
ヒフミヨイマワリテメクル
ムナヤコトアウノスヘシレ
カタチサキソラニモロケセ
ユヱヌオヲハエツヰネホン
追伸 スパムに入っていたコメントを承認しました。
お久しぶりです。毎回興味深く拝読しております。
原子の周りを飛ぶ電子についてなのですが、実際には波と粒子ということで
3次元と4次元が内在していると最近思うようになりました。
二重スリット実験で、粒子と波が観測できるというのは、2つの次元が
あるからなのではと思った次第です。
毎回、鋭い考察に感嘆しており、私自身も残りの人生を個人的な
研究に費やしたいと考えております。
ありがとうございます。
>3次元と4次元が内在している
ある科学者の言うことには、「電子と光子は一つの実体の異なる面」だとのことです。しかも自然は映像です。
液晶に例えます。画素をまとめて眺める。これが映像です。対して、画素は3原色の明暗を表すに過ぎません。で、量子力学は、映像で言えば、原子未満の振る舞いです。素粒子と言いながら、波(孤立波:ソリトン)であり、素粒子は(事:動き:波)に過ぎません。つまり、素粒子は物ではありません。映像はというと「原子をまとめて眺めた」状態を言います。原子の小さな領域の量子力学と、映像としての我々を含む現象とは、直接の関係はないかも知れません。画素と映像とは何の関係もありません。量子論と古典物理がつながらないのは、そう言った理由です。量子力学は、ある程度利用できる様ですが、最後は理論が複雑になりすぎて誰にも意味がわからなくなります。事の複雑さには限度がないからです。量子論には論理の終端があります。これを抽象と言います。
それで、弧理論では、別の次元軸(基軸)は、原子の近傍において丸められていると考えています。つまり、4つめの次元は3次元にある原子近傍に折りたたまれているようです。takuminさんの言葉に近いですが、違いもあります。
>粒子と波が観測できる
両方とも実験的事実ながら、今述べたように物(粒子)と事(波)として観測できるのは、物と事が別の次元軸にある(何か)の異なる面に過ぎないからです。
ある科学者「地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。」
このように、波動関数として扱ったとしても、正解には至らないはずです。過度な抽象化は心を病みます。数学を含む言葉は繰り返しです。「自然は映像」という仕組みを考えるのは、複雑になりすぎる繰り返しを避ける意味もあります。お病気になりたくありませんから。
>私自身も残りの人生を個人的な研究に費やしたい
お互い様です。どうも、専門家には立場や制限があり、正解にたどり着けないとわかってきました。私も、「完全な部外者である」という立ち位置から、制限無く研究を続けます。
ご返信ありがとうございます。言葉の定義とそれが意味するところを具体的に表現して厳密さを確保されている姿勢に感銘しました。私と考え方の違うところは、神々(元人間の成仏霊=意識体)や創造主というものを念頭に置かない自然科学(宇宙真理)の探求、そんな風に読みました。
陰陽哲理とは、流転(時間は一方向)・優化/劣化(必ず優劣が生じる)・因果律(原因があって結果が現れる)です。この大前提のもとに、目の前の景色を俯瞰しています。もちろん、目に見えない存在(現段階では観測不可・潜象=アストラル世界・形而上・本質)を意識して目に見える存在(観測可能・現象=物質世界・形而下・形質)を俯瞰するという意味です。
宇宙原初に何が起こったか?
宇宙は誰が創造したか?
その目的は?
ご返信ありがとうございます。言葉の定義とそれが意味するところを具体的に表現して厳密さを確保されている姿勢に感銘しました。私と考え方の違うところは、神々(元人間の成仏霊=意識体)や創造主というものを念頭に置かない自然科学(宇宙真理)の探求、そんな風に読みました。
陰陽哲理とは、流転(時間は一方向)・優化/劣化(必ず優劣が生じる)・因果律(原因があって結果が現れる)です。この大前提のもとに、目の前の景色を俯瞰しています。もちろん、目に見えない存在(現段階では観測不可・潜象=アストラル世界・形而上・本質)を意識して目に見える存在(観測可能・現象=物質世界・形而下・形質)を俯瞰するという意味です。
宇宙原初に何が起こったか?
宇宙は誰が創造したか?
その目的は?
大宇宙は一つの有限な大きさの器(閉じた世界)で、創造主によって気の粒(最小単位)を容器の中心で圧縮爆発させて開闢した(いわゆるビックバン)。この爆発によって、四方八方に力線が走り渦が誕生した。力学原理の根本は、水平場(赤道面)の力線の四角運動からそれぞれの対角線が交わる中点から垂直場(正8面体構造)が発生する。これがやがて回転による球体構造を持って、渦(流)の階層構造を造り出す。力学骨格が先行してこの土台を形成するが、観測不可能なので力場の存在を科学は見失っている。渦場は、力場が先行してそのあとから磁場が形成される。これは、渦場=渦力場+渦磁場の二重構造を意味します。
要するに、渦と気の粒から出発して、銀河天体から素粒子までを矛盾なく(フラクタル)説明し、そこに創造主や神々の介入があって優秀な生命(人間意識)を誕生させ育てる一大物語が宇宙そのものであり、ビックバン開闢を繰り返して現在に至り、乙女座銀河団の中の天の川銀河系に属する太陽系の地球人類が存在しているという理解です。
神々や創造主とは、宗教や信仰の対象ではなく、歴然と人間社会(さらに個々人)に介入する外部存在だと認識しています。現代科学も医学も、現象のみを扱っており、潜象の部分を知らないがために原因と結果を転倒しています。重力場(力場・渦場の向心力)が先にあって、物質(電磁気的観測可能量)はあとから生じるということを知らないからです。
電流とは、電子が流れているのではなく、電子は配列しているだけでその中心を電子磁束流が貫いているのが宇宙真理です。核子磁束流も原子磁束流(水素原子磁束流=生体電流の正体)も分子磁束流(例えば、水の六員環による水分子磁束流)も自転地球のコア磁場磁束流(地磁気の正体)も自転天体も自転銀河もその中心を貫く磁束流が存在します。
電子・陽電子も陽子・中性子も渦場を伴った存在です。この渦場という発想が消えているのが現代科学です。だから、素粒子から天体・銀河に至るまで渦構造(フラクタル)だと理解できないのです。素粒子(非物質・アストラル)を量子などとごまかして量子力学を築いて宇宙真理から逸脱した功罪は大きいです。ニュートンもアインシュタインもシュレーディンガーも誤った理解で自然科学(宇宙真理)の発展を歪めてきたというのが正直なところでしょうか。
陰陽哲理に基づく基礎科学の再構築を目指しています
ニュートンの万有引力も
アインシュタインの一般相対性理論も
質量が先で重力が後から発生すると考えている
ここに大きな誤りがある
重力(場)が先にあって質量(物質)は後から発生する
宇宙空間を真空空間として何もないと仮定するから
物質の起源も重力の起源もわからなくなる
渦場と気の粒が本質
岡潔「(自然科学者の)時間空間は簡単な模型であって、自然そのものではない。」と言います。
当サイトでも時間とは何か、空間とは何かを示しています。右検索欄から「境界空間」「時間」「重力」などで検索頂くと過去記事が出てきます。ご参考まで。
自然科学には、幾つか問題があります。
1.物と事(動き:運動)の区別が無い。物には量、事には質がある。数には種類があって、物の量にかかる数と事の質にかかる数がある。これの区別が無い。
2.事:動き:運動はあるが、「働き」が無い。数学を含む言葉は「中今」を含まない。中今とは未来と過去の間。だから、数式は中今を含まない過去に過ぎない。
ですから、自然科学において、初期条件、初期値を入れねばなりません。初期条件を求めてビッグバン宇宙論になりましたが、意味がありませんし、わかりません。
「わかる」という働きによって、物がわかり、事がわかり、物と事が揃って初めて言葉で言えます。言葉は中今を含みません。気づきは中今にのみあります。ですから、自然科学には発見や創造の仕組みはありません。それで、中今から、物と事は”繰り返し”ながら、過去(の記憶)となりますので、物と事の2つが揃わねば、知識意識になりません。
物と事を母音子音に割り当てたのが言葉です。ですから、言葉は繰り返しです。
ここで、(わかる)の順を示します。
1.物が”わかる”:中今。
2.動き(事)が「わかる」
3.物と事が(わかる)→これを母音と子音に割り当てる(これが言葉)
4.物と事の意味が(わかる)
5.物と事の価値が(わかる)
6.物と事を意識して(わかる)
ここで、物と事は繰り返しなので、意味も価値も意識もすぐに反転します。世界の混乱の原因はこれです。事は過去の積み重ねです。ですから、事の複雑さに際限はありません。その行き着く先が抽象です。過度な抽象化によって、人類は滅びます。
銀河人さんの目指す基礎科学は、このようなところから出発するかと思います。まず、(わかる)とは何かです。その上で、物と事がどのように現れるかです。それから、物の量と事の質を区別しつつ、数で表します。このような順序かと思います。
最初に1.の”わかる”という働きが無ければ、一切は存在しません。岡潔はこれを「情」としました。あるいは「気」「覚」とも言います。これの原因は決してわかりません。物と事が揃わない何かは、意味も価値も決してわかりませんし、意識も出来ません。岡潔は「意識を通す。意識を通さない。」として区別しました。
このような過程を経て「質量重力空間時間渦」の意味と価値を意識して(わかり)ます。弧理論においては、気を別の次元軸に求めています。これを基軸あるいは気軸と呼びます。
ご返信ありがとうございます。言葉の定義とそれが意味するところを具体的に表現して厳密さを確保されている姿勢に感銘しました。私と考え方の違うところは、神々(元人間の成仏霊=意識体)や創造主というものを念頭に置かない自然科学(宇宙真理)の探求、そんな風に読みました。
陰陽哲理とは、流転(時間は一方向)・優化/劣化(必ず優劣が生じる)・因果律(原因があって結果が現れる)です。この大前提のもとに、目の前の景色を俯瞰しています。もちろん、目に見えない存在(現段階では観測不可・潜象=アストラル世界・形而上・本質)を意識して目に見える存在(観測可能・現象=物質世界・形而下・形質)を俯瞰するという意味です。
宇宙原初に何が起こったか?
宇宙は誰が創造したか?
その目的は?
大宇宙は一つの有限な大きさの器(閉じた世界)で、創造主によって気の粒(最小単位)を容器の中心で圧縮爆発させて開闢した(いわゆるビックバン)。この爆発によって、四方八方に力線が走り渦が誕生した。力学原理の根本は、水平場(赤道面)の力線の四角運動からそれぞれの対角線が交わる中点から垂直場(正8面体構造)が発生する。これがやがて回転による球体構造を持って、渦(流)の階層構造を造り出す。力学骨格が先行してこの土台を形成するが、観測不可能なので力場の存在を科学は見失っている。渦場は、力場が先行してそのあとから磁場が形成される。これは、渦場=渦力場+渦磁場の二重構造を意味します。
要するに、渦と気の粒から出発して、銀河天体から素粒子までを矛盾なく(フラクタル)説明し、そこに創造主や神々の介入があって優秀な生命(人間意識)を誕生させ育てる一大物語が宇宙そのものであり、ビックバン開闢を繰り返して現在に至り、乙女座銀河団の中の天の川銀河系に属する太陽系の地球人類が存在しているという理解です。
神々や創造主とは、宗教や信仰の対象ではなく、歴然と人間社会(さらに個々人)に介入する外部存在だと認識しています。現代科学も医学も、現象のみを扱っており、潜象の部分を知らないがために原因と結果を転倒しています。重力場(力場・渦場の向心力)が先にあって、物質(電磁気的観測可能量)はあとから生じるということを知らないからです。
電流とは、電子が流れているのではなく、電子は配列しているだけでその中心を電子磁束流が貫いているのが宇宙真理です。核子磁束流も原子磁束流(水素原子磁束流=生体電流の正体)も分子磁束流(例えば、水の六員環による水分子磁束流)も自転地球のコア磁場磁束流(地磁気の正体)も自転天体も自転銀河もその中心を貫く磁束流が存在します。
電子・陽電子も陽子・中性子も渦場を伴った存在です。この渦場という発想が消えているのが現代科学です。だから、素粒子から天体・銀河に至るまで渦構造(フラクタル)だと理解できないのです。素粒子(非物質・アストラル)を量子などとごまかして量子力学を築いて宇宙真理から逸脱した功罪は大きいです。ニュートンもアインシュタインもシュレーディンガーも誤った理解で自然科学(宇宙真理)の発展を歪めてきたというのが正直なところでしょうか。
大宇宙は一つの有限な大きさの器(閉じた世界)で、創造主によって気の粒(最小単位)を容器の中心で圧縮爆発させて開闢した(いわゆるビックバン)。この爆発によって、四方八方に力線が走り渦が誕生した。力学原理の根本は、水平場(赤道面)の力線の四角運動からそれぞれの対角線が交わる中点から垂直場(正8面体構造)が発生する。これがやがて回転による球体構造を持って、渦(流)の階層構造を造り出す。力学骨格が先行してこの土台を形成するが、観測不可能なので力場の存在を科学は見失っている。渦場は、力場が先行してそのあとから磁場が形成される。これは、渦場=渦力場+渦磁場の二重構造を意味します。
要するに、渦と気の粒から出発して、銀河天体から素粒子までを矛盾なく(フラクタル)説明し、そこに創造主や神々の介入があって優秀な生命(人間意識)を誕生させ育てる一大物語が宇宙そのものであり、ビックバン開闢を繰り返して現在に至り、乙女座銀河団の中の天の川銀河系に属する太陽系の地球人類が存在しているという理解です。
神々や創造主とは、宗教や信仰の対象ではなく、歴然と人間社会(さらに個々人)に介入する外部存在だと認識しています。現代科学も医学も、現象のみを扱っており、潜象の部分を知らないがために原因と結果を転倒しています。重力場(力場・渦場の向心力)が先にあって、物質(電磁気的観測可能量)はあとから生じるということを知らないからです。
電流とは、電子が流れているのではなく、電子は配列しているだけでその中心を電子磁束流が貫いているのが宇宙真理です。核子磁束流も原子磁束流(水素原子磁束流=生体電流の正体)も分子磁束流(例えば、水の六員環による水分子磁束流)も自転地球のコア磁場磁束流(地磁気の正体)も自転天体も自転銀河もその中心を貫く磁束流が存在します。
電子・陽電子も陽子・中性子も渦場を伴った存在です。この渦場という発想が消えているのが現代科学です。だから、素粒子から天体・銀河に至るまで渦構造(フラクタル)だと理解できないのです。素粒子(非物質・アストラル)を量子などとごまかして量子力学を築いて宇宙真理から逸脱した功罪は大きいです。ニュートンもアインシュタインもシュレーディンガーも誤った理解で自然科学(宇宙真理)の発展を歪めてきたというのが正直なところでしょうか。
すべての物事(森羅万象)には道理が伴います。この道理(陰陽哲理)がさっぱりわからず空想・幻想・捏造しているのが現代科学であり医学です。生まれてくる道理、死んでゆく道理、この世界で生きている道理、宇宙真理を探究するためにも創造主や神々の介入という視点に立って宇宙の始まりから考察することが必須だと思います。
陰陽哲理とは、流転(時間は一方向)・優化/劣化(必ず優劣が生じる)・因果律(原因があって結果が現れる)です。この大前提のもとに、目の前の景色を俯瞰しています。もちろん、目に見えない存在(現段階では観測不可・潜象=アストラル世界・形而上・本質)を意識して目に見える存在(観測可能・現象=物質世界・形而下・形質)を俯瞰するという意味です。
追記
https://x.com/2023DEC22/status/1899958048497820019
歴史を振り返ると「根源にあるのは、言葉で言えない何か」であると偉人の多くは考えてきました。言葉で言えない何かを懸命に言い表そうとした結果、「Buddha、仏、気(キ)、ナサケヱダ、情、覚、ソウルマインド」などと表現しました。ちょっと違いますが、「如来」もその内です。現在の人々の受け皿となり得る表現にしなければ、単なる言葉遊び(抽象化)に過ぎなくなります。何故ならば、言葉は繰り返しに過ぎないからです。難しい言葉を使えば人を煙に巻くことは出来ますが、受け皿にはなりません。かつ、過度な抽象化(複雑化)は危険です。とりわけ、話す人自身が言葉に酔い、意味がわからなくなるからです。
高等教育を受けた超富裕層が、何故か悪魔崇拝小児性愛人身売買をするのは、大脳皮質が複雑化に耐えられなくなったからと考えます。頭は良いのに生物としての欲求がそのまま表に出てきた爬虫類のようです。しかも、幾らでもお金があるから、何でも出来ます。
はじめまして。突然のコメント、ご容赦ください。岡潔思想研究会のHPが見れなくなっていることに本日気づきました。検索して、こちらのサイトにたどり着きました。横山賢二さんが開設したHPの内容復元について、何かその後情報があるでしょうか? ありましたら、ぜひ共有させてください。
貴殿の研究姿勢(自然科学の探求)に非常な熱意を感じました。誤った現代科学や現代医学の修正がどこまで可能か、ほぼ絶望に近い地球人類の未来ですが、日本人として生まれた意味をかみしめながら日々精進したいと思います。
銀河人さま。ありがとうございます。3月の時点でHPが落ちており、心配していました。いつ頃復旧するか気にしておりましたが、現時点でも復旧していません。そこで横山会長へ連絡申し上げましたところ、「各方面から問い合わせがある。近日中に復旧するので、待って頂きたい。」とのことでした。
とりあえず、https://archive.org/ のWayBackMachine の欄に”http://www.okakiyoshi-ken.jp/”を入れますと2月17日時点でのコピーがありますので、そちらでお読みください。
なお、全文は、横山会長によります「岡潔講演録解説」が出版されていますので、お買い求めください。
https://www.amazon.co.jp/%E5%B2%A1%E6%BD%94%E8%AC%9B%E6%BC%94%E9%8C%B2%E8%A7%A3%E8%AA%AC-%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E8%B3%A2%E4%BA%8C/dp/B0F28W68VY/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&sr=8-1
また、復旧が遅れるようならば、当サイトにおいて、引用させて頂いた講演録10数カ所をWayBackMachineよりダウンロードして、コピーを置かせて頂くことも検討しています。
Φさま、お忙しい中、ご対応頂きありがとうございます。
HPが横山氏の意図で閉鎖されたものと理解していましたが、どうも、そうではなさそうですね。HPのサーバー運営会社に何かトラブルがあったのでしょうか?
貴重な岡先生の資料をこのHPでまた再読できることを願っています。「2つの心」や「情緒」の捉え方に共感しています。
どうもご担当での不具合のようです。
「2つの心」
「幼な児の世界:情緒」あたりでしょうか。
ありがとうございます。そのあたりです。
お久しぶりです。
今月号の「ムー」の最新サイエンスリポートの記事を
お手数ですが、読んでみてください。
「無限誘導回路」という話に興味が湧くと思います。
電磁気学だそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=zEtf7z-6JPM&ab_channel=CaptainATChannel
上記は、無限誘導回路とは関係ありません。
面白いですね。
特に電磁気のイメージは思ってたのと似ていました。
久しぶりに書き込みます。
五井野正氏をこ存じでしょうか?。
お久しぶりです。知りませんでした。少し検索しました。
ムー帝国の真実・金星人の歴史・旧太陽・木星(弥勒神)の謎 一念三千論で解く宇宙生命の秘密 単行本(ソフトカバー) – 2016/12/13
ttps://ekizo.mandarake.co.jp/auction/item/itemInfoJa.html?index=614588
ttps://ekizo.mandarake.co.jp/auction/item/itemInfoJa.html?index=307907
かなり昔から活動されているようですね。精力的な印象を受けます。
プロフィールを見ると肩書きが多い人です。本の概要からもわかります。
気になるのは2点です。「ニュートン物理学に支配された地球は、科学的にも宇宙の中で孤立している!」
「重力に惑わされて、磁力の利用が支配者によってできない仕組み」
概ね同意です。
自然科学(電磁気学)は19世紀に歪めらて成立しました。(非対称な部分を削除した。)以後、重力と電磁気現象との関係に気づけませんでした。
重力は、電磁気現象にある非対称性と関係があります。米軍は一部気づいているようです。自然科学を捨てて、最初から見直すべきです。
自然科学には”動き:運動、時間、速度、加速度、躍度”はあるが、”働き”はありません。また、物と事の区別もありません。
基礎は大事でして、何を基礎とするかはそれぞれです。
ある話によりますと、彼は成人する前に、相対性理論とニュートンの矛盾について解明され、ある時にこの世の真理を理解したそうです。
ということで、彼の周辺には時の総理も助言やなにかしらの相談をしていたとか。
ttps://www.youtube.com/watch?v=ybdmagfqfUs
俯瞰してものを観る。これが難しいのは、俯瞰先の情報基盤が何なのかさえ認知できないことにある。しかし、気付きはもっと奥深いところからやってくるように感じる。
>俯瞰して
前提が違います。別途記事にします。
「発見・創造、ひらめきの過程」
ちょっと視点が入り組んでいます。所詮、言葉です。
この場合の俯瞰とは、動画主が言う歴史を振り返ってのことで、俯瞰先の情報基盤とはテキスト化された思想のこと。つまり、世界革命行動計画25ヶ条のこと。言葉にされたそれを知らなければ、今世界中で起きている心身を切り刻むような出来事の発端が何なのかを知る由も無いこと。そして、狂気の伝染性。今尚それを忠実に実行している者達が居ること。外のない内である社会をこねくり回すことに躍起になっている。一方で、何故そのような思想が生まれたのかに疑問を持つ。そう”気付く”。すると別の観点が見えてくる。初代ロスチャイルドとは何者なのか?すなわち、その人を理解し、提唱内容を分解し、その上で狂気に伝染しないでいられるか。
私が言うところのテレパシー、あるいは岡やΦさんが言うところの感情能力は、この突破口となるか。創造の源泉こそがこの提唱内容を生み出したのではないか。私はこの提唱内容が受け付けられない。でも、何故そう毛嫌いするのかもわかっていない。これも伝染された狂気なのでは、と疑っている。
>所詮、言葉
それは身も蓋もない。
>狂気の伝染性
これがどこから来るのか、何なのかわかりません。以下は、これまでに一度たりとも書いたことがないことです。
「この狂気を私は邪悪と感じます。この邪悪は2010年代の半ば頃に地上から居なくなったとされているようです。私もそう感じます。これからはこのような邪悪に感染しないと安心しています。」
邪悪と書くとスターウォーズのダークサイドと茶化されますし、とても書ける内容ではありません。ネットが普及し、情報の囲い込みは不可能となり、彼らの目論見は(たぶん)実現しません。彼らとて有能でしょうが、万能ではありません。彼らは「外のない内」を知らないはずです。だから、(自らの意識として)自らを神と思えてしまうと考えています。
>創造の源泉
それこそわかりません。これまでの考察からすると、現象(物と事)は結果であり差分です。心の仕組みであるタマとシヰは相反する部分がありそうです。絶対というのは存在せず、すべては相対的です。(これが如来の仕組み)つまり、良心と邪悪も相対的です。すると誰でも感染し得ます。それ故、創造もあり得ます。希望と絶望も同じです。
>何故そう毛嫌いする
ヲシテ文献にココロバ(良心)があります。誰にも教わらない良心がそうさせると考えると深く考える必要はないように思います。
>狂気
ただ、2つの心(タマ+シヰ)の乖離により病みます。相対的ですから、中庸でよいようです。「知」に偏り過ぎを抽象と言いますが、抽象は心の乖離につながります。
例えば、ドローン爆撃はほぼゲーム(抽象)です。心が痛みませんが心を病みます。
政治家や高官(ネオコン、シオニスト、グローバリスト)は殺人という現実から遠い立場だから簡単に戦争したがる。過度な抽象化は「人の劣化」につながります。
当該行動計画も高度に抽象です。殺人を何とも思っていなければ出来ない計画です。まとめると、彼らは邪悪で病んでいます。考え方が不健康。
アラン「(人類の発達を木の枝に例えて)思わぬほど水平に発達してしまう。まず、先端から退化のプログラムによって弱くなる。然るべき基礎を用意しないと君たちの文明は終わる」
この「水平に発達」を抽象化による退化と解釈しています。人類は既に退化の過程に入っています。自らを神に置いている宇宙論は抽象です。すべてが「心を病む」に向かっています。
過去記事「数学の難問に挑むと何故心を病むか」くらいから、このテーマについて考え続けてきました。
ttps://www.arktheory.com/wp-ark/?p=66438
>邪悪に感染しない
そう?2020年から顕著にメディアウイルスへの感染が窺えるようになりましたけど。未だに11波だ、騒げ!とやっている。
確かに書ける内容では無いね。邪悪は邪悪だ。底が無い。有能だが、万能ではない邪悪というのはあらゆる方面の実行者が初代ロスチャイルドほど思慮が足りてないからだと思う。
オリンピックの数々の不手際、弥助問題とか。一方でハリウッド作で人気のSHOGUNや来春映画になるベルばらも物議を醸すだろう。本当の文化侵略は日本こそがやっているのかもしれない。だが、それを侵略と呼ぶかどうか。
>誰にも教わらない良心がそうさせる
それは良いことを聞いた。
>現実から遠い立場
カツ丼や唐揚げを食べる時に、豚や鶏の屠殺を思い浮かべるか?という残酷な問いを思い出す。誠に都合良く、自然の摂理を言葉で書き換えてしまう。程度の差はあれ、誰もがやっている。人間は真実を扱えるようになるか。
>文化侵略
エンターテイメントは大なり小なり色が付いている。そのつもりで観ないと。
自分の核となるものを自己とすると、自己(タマ)には良心がある。これをココロバと言う。
>真実を扱える
その為に弧理論をやっている。ヲシテや仏教、アランなどから自然界は映像だとわかる。投影による映像という仕組みによって物と事が現れる。物と事が揃って意味がある。価値がわかる。
物が希薄な考え方を抽象という。「投影の仕組み」により真実が扱える。
単に「物と事がわかればよい※1」というのと違う。
世にある主義主張、思想信条、気候変動から多元宇宙論、ビッグバン宇宙論、超ひも理論、あるいは、多様性・公平性・包括性、LGBTQ、諸々、すべて「※1で物が希薄な状態(抽象)」の範囲でしかない。抽象の果てに(意味と価値がわからなくて)心を病む。
「自然は映像」と考える以外に※1を超える手立てはない。
物と事は繰り返し、だから数学を含む言葉も繰り返し。病む原因は言葉の仕組みにある。
ttps://www.youtube.com/watch?v=IWxCIll4x2k&ab_channel=%E3%81%88%E3%81%AC%E8%A3%BD%E4%BD%9C%E6%89%80%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%2FN-10factorychannel
ほぉ。プラズマの形状が面白い。プラズマボールの変形。特注してまではできないです。
ttps://www.youtube.com/watch?v=dfma-V5i39c
単極モーターは、地球の運動エネルギーを利用して
回転しているということは、考えられますか?。
別です。回転運動する物体は、全て回転軸方向に「基軸」が重なります。仮に地軸と単極モーターの回転軸が平行ならば、2つの回転体は、基軸を共有することになります。この基軸を共有するという考え方は、私の弧電磁気論に書いたことです。つまり、母船は二軸で、一つの軸は出発地の地球の回転軸を共有し、もう一つは目的地の惑星の回転軸と共有します。そうして、地球からは反発を受け、目的地からは引力を受けます。これが惑星間航行の原理です。ただし、単極誘導の現象の「回る」とその他の回転運動「回す」は本質的に異なる種類の加速度です。
鋭い考察というより、ドンピシャそれなのですが、出発地の反発から目的地に引っ張られて瞬時に星間飛行を行う、という答えは独自の考察からでしょうか?。
いいえ。段階を踏んでます。元は清家さんの「正逆裏対偶」という考えです。清家さんは反重力と言わずに逆重力と呼んでいました。それから(2013~2015頃の)単極誘導の実験を通じて、「区別できないが加速度には種類がある」と気づきました。つまり、磁石は重力に逆らって鉄を引きつけます。電磁力・核力・重力はそれぞれ”力”とは言うものの、異なる力です。異なる力通しで、加減算できるのは何故ですか?それは加速度に種類があるからと考える以外に説明できません。それで、重力にも種類があることの合理性が出てきます。つまり、清家さんの考えに一理あるとなります。
そして、アランは、惑星間を直線では飛行しないと述べています。つまり、惑星間で「極」のようなものがあって、湾曲して目的地へ向かう。この話から、宇宙には天気図のようなものがあって、等圧線に沿って航行すると考えます。以下に、順を追って過去記事を貼ります。
ttps://www.arktheory.com/wp-ark/?p=1234
ttps://www.arktheory.com/wp-ark/?p=67004
ttps://www.arktheory.com/wp-ark/?p=71451
ttps://www.arktheory.com/wp-ark/?p=74966
ttps://www.arktheory.com/wp-ark/?p=74773
それと平行して、アランの言葉、「Difference Accumulator」がヒントになります。つまり、彼らの宇宙船は「何かと何かの差分を累積している(エネルギーを得ている)」とのことです。逆に言えば、ヒトがわかる物と事は、何かと何かの差分の結果に過ぎません。それは、紡錘図形の2つの中心と符合します。宇宙の中心が2つあれば、その境目に3次元空間が出来ます。(VRゴーグルと同じです)そこから、境界空間の模型ができます。
紡錘図形はヲシテ文献にある「カミ」と符合します。カミとは「アとワはつながり、ウをもたらし、ウよりヒトを生じさせる」「ヒトハアノモノ」宇宙の中心をアとワにしました。物と事はウです。渦のウです。
現象は差分です。これならば、空間と物と事を模型で示せます。そうなるとフリーエネルギーも重力制御も論理的に可能です。
ttps://www.arktheory.com/wp-ark/?p=73991
電磁気現象と重力はどこかでつながっています。
ttps://www.arktheory.com/wp-ark/?p=72529
でなければ、このようなことになりません。
電磁気学は成立過程において、4分の1くらいに削られました。自然科学は19世紀の途中から逸れて現在に至ります。
いつも興味深く拝見しております。
バーグの記事に井出治氏の「実は信じないと動かない」という意味ありげな
言葉ですが、あのハチソン効果についても、見学した軍関係者が、彼がいなければ
現象を再現できない、という話と一致しているような気がします。
>彼がいなければ
井出さんのお話は、半信半疑です。しかし、アランは「3つの科学は互いにラップする」と言いました。精神科学と物質科学の重なりがあるならば、そういう話もあり得るかと考えます。例えば、高野さんは、UFOには操縦桿はない。彼らは想念で操縦している」と話されます。弧理論による原子模型(紡錘図形)は、1個の原子に対して2つの宇宙の中心が対応しています。物質で出来た何もかもが中心と深く結びついています。このことを考えると、仕組みとしてあり得る話かも知れません。私たちが知らない(信じない)だけです。
ttps://www.youtube.com/watch?v=86QKOEYu53Q
!
Tubeで「ファンタスティック・プラネット」公開されています。あと1週間かな。
内容は人間を問う、形容しがたい何か。フランス映画はこういう芸術作品が面白い。
特にフランスの哲学要素は日本人も学ぶところがある。日本人は日々忙しくさせられているからね。
鬱とかの評価があるそうで。正直に言えば、どこか不健康。気味悪。お病気。
そんな上辺の評価はこの作品の本質じゃないですね
映画は前評判ではなく感性で観るもの
とはいえ、It’s not for you でしたか
そう感性です。病。
> 二重反転、三重反転
しきりは銅板だったかな。水銀とは導電率その他が違っている。近接作用とすると素材-物性の違いが反転を生む?遠隔作用とすると何処と何処の関係性なのか?”接する”って難しい。MとMが接するのではなく、MとEが接するのもアリかな、と考えてしまう。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/重力を説明する古典力学的理論
何かに似ていると思ったら渦動説でした。渦動一元論なんてのも読んだ。意味わからんかったけど。弧理論はさらに違う。
こうして見ると、どれも”説”なんですね。デカルトが1600年代。ニュートン力学も言葉で縮退し過ぎて間違っていそうです。エーテルや軸性エネルギー流の方がまだ本質を突いてそう。その意味ではヲシテ文献(縄文時代)の方が分があると考える。
弧理論の核「自然は映像」→仏教者山崎弁栄「自然は心があるために映写される映像」、ヲシテ文献「アとワによる映像」、アラン「別の次元軸からの投影による映像」
自然、映像という言葉を使っていませんが、どの資料も「自然は映像」だと示しています。特にヲシテ文献とG・アダムスキー&ダニエルフライの資料は、内容が同じです。
このように弧理論は、私個人の思い込みではありません。歴史的な各資料が同じことを示しているという事実が重要です。
その上で、映像に本質がないとわかります。近接作用はあり得ないことも当然です。例えば、貴方が動画を撮って保存したとします。HD内のトラックとセクターに磁気のbit(二値)として配置されます。PCのHDにあるデータを液晶に同期しながら配置したのが動画であって、PCにもHDにも液晶にも動画の本質はありません。動画を見た人の中にあります。しかも、人の脳も時系列列に沿う処理が行われるだけです。これはAIと同じです。脳もAIもPCも処理系であって、映像が「わかる」という本質は映像である脳にもPCにもAIにもHDにもありません。
「わかる」の本質は投影元にあると考えざるを得ないとの結論に至ります。これが岡潔の情であり、善導大師の覚にあたります。しかし、岡潔の頭頂葉にははないと結論できます。
>何処と何処の関係
同様に、「接する」という関係は、M軸(映像)と基軸との関係が繰り返されることによって成り立っていると考えるしかないと思います。これを因果といいます。「時は過ぎゆく」という性質はここから来ます。
>MとEが接する
私の考えと同じです。これが界面空間の仮説です。「アとワはつながり、ウをもたらし」のアとワの境界(界面)にウ(物と事)がもたらされます。界面空間の模型が理解しやすいです。
>弧理論はさらに違う
最初から気にしていたのは、アワとウズでした。ウについて、最近気づいたのは、ウ(渦)は、位置があってかつ運動している。つまり、渦は物であり事(動き)でもあるということです。とても興味深いです。渦は発散トーラスを組あせた楕円双極を想起します。
そして、アワが宇宙の大規模構造を示しているらしいことです。あまりにも一致しすぎです。
動画「渦とサイホン」や1円玉とアルミホイルをつかった「引力と斥力」さらにはgifにした「二層型の逆さ渦」「二層型の泡」などの模型が理解を助けます。
>エーテルや軸性エネルギー流
それだと、空間が何であるかを示さねば、エーテルやエネルギー流が理解できません。
上記の通り、基軸にすべて(映像:空間・物・事)の原因があるとして、科学せねば始まりません。第一、物と事は互いに規定し合って成り立つ繰り返しです。ですから「わける」行為によって「わかり切る」ことは決して、絶対にありません。行き着く先は抽象です。だから、自然は映像と考える以外にないのです。
>ヲシテ文献(縄文時代)の方が分がある
その通りです。過去記事に書いたとおり、アランの祖先がヲシテの時代から我々を支援してきたと考えます。それほどにヲシテ文献の核は、アランと言葉と同じです。アランは現象が差分だと示しています。ヲシテ文献で「ウはアとワの差分」だと示しています。ここまで似ていたら、起源は同じと判断してよいと感じます。
長々と解説いただいて誠に申し訳ないのですが、おそらく通じているのは1ppm程度としておきます。稀な分野の話で人がわかり合えるのは(人が球体と仮想して)点に過ぎないでしょう。直感に従ってコメントを書いています。時にピンポイントで相手にささる表現(身体的、言語的)をしてしまうのは私の悪い癖です。それでいろいろ失敗してきた。理解度はこんなものです。
> 自然は映像
動物が空間を移動するから、視覚に頼っているから、その発想が生まれたのでは。盲目の人には通じない科学なんでしょうか。
金沢氏のページを改めて読み始めました。体系化されていないので時系列に沿って。
ttps://hokakebune.wordpress.com/2010/11/02/
図3から。心窓に映る映像であるなら、外界事象の原因が投影元になる。そうならば納得できる。通常、大抵の人は映像というと視覚に映ったものやヴァーチャルなものを想像します。サンプリングされ、映像という言語で意味が縮退された何かです。しかし本当のことはサンプリングされない”それ以上”。自然は映像(IS_Aの関係)。自然の属性の1つが映像であって、映像=自然とはならない。
> MとE
ここでのEは弧電磁気理論での、まだ見ぬエネルギー値、の意味でした。ヲシテ文献のことはわからない。その上さらに自然が映像だと言われると、渦動一元論にある潜象(物事の背後にあるもの、現象と対になる)のようにアッチ系の話かと思った。E軸を基軸・氣軸に変えたのは、わからんものをわからんものに置き換えた/押し込めたように見える。勿論そうではないでしょうが。(解説は不要です。私のわからない部分を表明したに過ぎません)
> 空間が何であるか
厳密な定義の必要性はあるのだろうか?先に書いたように、盲目の人の捉える空間は表現が違っているはずです。ある哲学者の考え方を真似て「それは皆が空間と考えるものだ」とでも言っておきましょう。時代・社会・流行などでヒトの物事の捉え方は変わりゆく。その捉え方がメジャーかマイナーかの違いでしかない。Abstractされた科学は元々マイナーなように感じる。ヒトの興味がどこにあるのか、本屋に行くと痛烈に感じます。科学<(電験などの)技術資格 現象が差分
これもわからない。+-があるとして、現象として表出しないのがゼロなのか。2惑星の運動の件を思い出す。でも、世にあるのは現象だけですよ?
最後の方がコピーミスしたようです。制限があるようです。
科学<(電験などの)技術資格 現象が差分
これもわからない。+-があるとして、現象として表出しないのがゼロなのか。2惑星の運動の件を思い出す。でも、世にあるのは現象だけですよ?
>おそらく通じているのは1ppm程度
全く問題ありません。こちらにメリットは2つあり、感謝してます。
岡潔の意訳「自然科学はAの科学Bの科学Cの科学を集めたもの。かようなものは単なる思想に過ぎず学問ですらない。思想の洪水を止めるべき。」アランの意訳「進歩し続けたいなら、分岐点まで降りて、再び登れ。」
1.返事を書きながら私の考えを整理できます。2.当サイトの考えを百か千人にひとりくらいわかっていただけます。
分岐点まで降りた結果、自然科学に基礎がないとわかりました。当サイトの考えを公式に出す場はありません。それどころか、私はヲシテ文献、岡潔、仏教、物理学、電磁気学など参考にしている資料のいずれについても「部外者」です。
しかし、例えば、A1,A2,orB1,B2,orC2,C3などなどの科学、技術の専門家が何かを語った場合、論理や議論の行き着く先は繰り返しになることがわかっています。これらの議論は精密・緻密ではあっても抽象です。
例として、この前見たエッシャーの「円の極限」の”図”が円に「接する」部分です。図が理論的に正則分割であり、確か。いくらでも分割できる。だけれども図には描けない「接する」部分、これが抽象です。円付近において、”図の意味”はありません。
ttps://www.az-art.net/view/item/001000003236
私は「神学論争、水掛け論、抽象、言葉遊び」を警戒しています。抽象は意味がなく不毛だからです。
>盲目の人には通じない
いえ。G・アダムスキは、五感を一つずつ消して、さらに触覚のtouchを取り除いて残る部分が「わかる」の本質だとしました。これが何処から来ているのかが問題です。「わけるによりわかる」は本質ではありません。これを岡潔は情と言い、善導大師は覚と名付けました。あるいは気づくの(キ)です。脳を模したAIが発達し、脳にもAIにもこの「わかる」の本質はないことがわかりました。どう見ても脳にもAIにも発見・創造はありません。
わける」により残るのは常にブラックボックスです。この条件により状態を変化させる素子(ブラックボックス)を重ねて脳やAIが作られます。脳はM軸内でのみの働きです。
>サンプリングされない”それ以上”
同意。時系列で書きます。「物がわかる」これが唯一の現在。「事がわかる:動きがわかる」その後「物と事がわかる」これに音韻を割り付けて、物と事に意味づけ出来る。これが言葉。それで価値がわかる。やっと意識を通してわかる。「それ以上」の物と事が揃わない何かは、意識を通さない。つまり、「わからない」まとめると「知識・意識は過去」
例として、「時報は過ぎてからしか知り得ない」思想信条主義主張は「価値がわかる」以後なので過去。
岡潔意訳「すべてを覆っているが、それより外へは一切出ていない」これを「外のない内」と言います。
>アッチ系の話
前述の通り、論理ではない部分に何かあるという結論を得るには長々と書かねばなりません。そして、詳しくすればするほど、何が何だかわからなくなる。つまりは抽象へ陥る危険が常にあります。おまけに「自然科学の他」などとの説明が必要。だから、難しいです。要は自然科学が放棄した部分を言います。だから、アッチ系と区別できない。
>解説は不要
図3が適切には思えません。物と事をわけて、その上で”それ以上”を説明できるようにすると「何に疑問を抱いている」のかをわかってもらえるかもという期待がもてます。養老氏「肺は位置がある。呼吸というと場所がない」
>厳密な定義の必要性
あります。どこまで唯物・還元で押しても、何もわからないことが判明しています。
>時代・社会・流行など
いえ。だから、ヲシテ文献、仏教、アランは皆、時代・空間を超えて同じものを示しているという事実が大事です。逆に言えば、自然科学は今だけです。
>+-がある
難しいです。ASCIIコードに似ています。空spaceは(hex20),無はnull(hex00),0は(hex30)と名付けているようなものです。文字や記号で「わからない何か」を言い表すしかない。だから、先人は皆、四苦八苦していた。詳しくすれば、もっとわからない。でも「わからないx」を発見・創造するには、言葉(知識・意識)よりもっと前(現在)でなければならない。これは言葉ではない。
>世にあるのは現象だけ
確かに。「空間・真空・無とは何か」です。
どうやら禁止文字があるらしい。
>禁止文字
セキュリティに引っかかることはないようです。禁止文字は設定していますが、該当していません。何故か不明です。というか、このような長いお話をwordpressのコメント欄でするに無理がありそうです。
技術資格<i ~ほにゃらら~ >現象が差分、の記号英字を半角で書いてhtmlタグと認識されたようです。記号や英数字を半角で書くのは癖ですね。返信がインデント全角4文字なのが縦長になる原因で、もっとチャットっぽく使うもののようですね。
「
(インデント避けての返信)
今度は京都で地震か。中央構造線でも破壊したいのかな。農業基本法改正案で自給率を無くし、日本人はいなくなり、割譲され、日本という地名だけが残る。能登地震もロシアとの海底ケーブルを切断する為の人工的なものだと推測する人も居る。そんな現実。
>全く問題ありません
そう言っていただけると感謝。無形のものを扱う場合、互いの言葉による思考誘導が起きないかに注意が必要です。新興宗教じみてくるから。しかし、表現がうまいといえるほど日本語に精通していません。
「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」世界中の人が一日沈黙する日を設けるのはどうかな。口頭での伝達禁止、メールネットSNS禁止、TVラジオ禁止、あらゆる会話の禁止。世界が変わると思う。何で戦争してるんだろう?何で政治してるんだろう?何で仕事してるんだろう?何で生きているんだろう? あらゆる何で?を超えて語り得ぬものに想いを馳せる、ということには、ならないか。ならないだろうな。
>行き着く先は繰り返し
確かに。行き着く先がビッグバン(爆発オチ)やマルチバース(夢オチ)だと興醒め。子供にもわかるエンディングじゃないとね。そうして確実に生きていることの意味を現実と結びつけたい。日本で自○者が多い理由もわかり切っている。人を救わない学問なんて捨てちまえ、とさえ。「学問とは貧乏人の暇つぶし(by立川談志)」とはよくいったものだ。
>精密・緻密ではあっても抽象
技術は特に精度で適用範囲が決まっています。ジェットコースターを造るのにニュートン力学や流体力学が有効なように程度の問題です。そして精度の追求はせいぜい性能向上にしか寄与しない。それ以上でも以下でもない。科学は、今の宇宙論などは適用範囲が無制限です。だからおかしくなる。蝶の羽ばたき1回でさえ説明できないし、またそれに気付いていない。
>意識
これの捉え方が違うようだ。意識を通していない時系列”それ以前”がイメージできない。”意識・意識する”が現在ではないのか。要約すると言葉を扱う我々・ヒトは”今を生きてない”ことになる。
>養老氏「肺は位置がある。呼吸というと場所がない」
オブジェクト指向でいうところのHAS_Aの関係さえ成り立たない。”X HAS_A 呼吸 function”のXが定義できない。このXを知りたいということですものね。ただ、Xを表現するためのfunctionとも言える。オブジェクト指向の混乱しがちなところで、機能が先に来て、だからXが定義される。(伝わらんかも)
>同じものを示している
理解できる。が、簡単なことに気付かないのは社会の為せる業なのか。今や空間というと11次元とかメタバースです。4次元というと大抵の人は不可思議なイメージを持つのは奇妙なこと。日々十数次元(単位)を扱う技術者でさえ、科学の話になるとオカルトの域になる。技術-科学-現実-自然が完全にバラバラです。かろうじて繋ぎ止めているのがお金-経済という逆説的な話。教育の問題だと思う。あとは言語・伝達の問題かな。
>差分
差分しか現出しない世界では、それを絶対量としか認識できないはず。数直線での+-方向付けする前段階での差分を意味している。これは確かにうまく言えない。いったい何を持って差分としたのか?ここで解説がヲシテ文献に入る為、まずわからない。
>京都で地震
こちらも少し揺れました。
>新興宗教じみて
難しいです。岡潔講演「数学の使えない世界」があります。これを知って、岡潔が何を伝えたいかわかりました。ほとんどの人はわからないです。それは、定義ではないからです。ある動画において理論物理の野村泰紀氏は、1時間ほど無数にあるという宇宙論を語った後「宇宙とは、時間とは何か定義しなければ始まらない」と述べています。岡潔が伝えたかったものは、言葉で言えないから「定義」ではないです。
岡潔も私も言葉で言えない何かを四苦八苦して伝えようと努力しています。岡潔も私も宗教家ではありません。ですから、宗教家のように説得はしません。それでも普通に考えて、アッチ系、あるいは宗教じみて見えます。それは、その「何か」を自然科学が放置・放棄・あるいは無視してきたからです。岡潔や当サイトの話がオカルト心霊アッチ系として一緒くたに見える理由です。以前、茂木健一郎の講演を聴きました。質疑の際に「(無意識のうちに起きる)寝返りは(随意筋を使って)どうして起きるか」と質問したら、わからないとのことでした。逆に茂木氏より何の研究をしているか聴かれたのですが、答えたくなくて詰まっていたら、アッチ系ですかと言われました。貴方と同じです。
>沈黙しなければ
w。沈黙すらもnull。
>語り得ぬものに想いを馳せる
自然科学には発見・創造の仕組みがありません。G・アダムスキーは弛緩と関心と言いました。岡潔のそれと同じです。発見・創造を定義して実行できれば何の問題もないはず。
>マルチバース(夢オチ)
そうです。マルチバースという理論(情報:事)にかかる媒体(物)は、科学者の脳内にある生理的電流(電子と動き)に過ぎません。理論に対応する物(無数の宇宙)がない。これを抽象と言います。大栗氏の背景に全情報が蓄えられているというのも同じです。
スコラは奴隷の上に居る市民の暇つぶし。現在の市民(sheeple)は奴隷。
>”意識・意識する”が現在ではないのか
違います。知識・意識は最後です。
1.物がわかり2.事(動き)がわかる。3.物と事を音韻に割り付けて、意味づける。これが言葉。4.だから物事の価値がわかる。最後に5.意識を通してわかる。6.言葉は互いに規定する繰り返しだから、価値はすぐに反転する。例えば、全然は否定のはずが、「全然いいです。」と反転します。
1.のみが現在で、2.~は過去です。だから、時報は過ぎてからしかわかりません。時間は過去です。ある動画での養老氏の意訳「法的に問題になることで誤解しかねない話。脳と筋肉に電極をつけて調べると、筋肉の動作が先で、0.5秒くらい後に脳が働く」と述べています。だけれども、犯罪は犯人の責任であることに変わりません。
物と事が揃わねば、言葉で言えません。知識・意識はその後です。この物と事が揃わない世界があるとの主張がわかりにくいです。その境界が抽象です。
要は、自然科学は過去で、現在を含みません。だから、発見・創造がどのようなものなのかさっぱりわかっていません。コードを書いても発見・創造ができないのはよくおわかりのはず。岡潔は発見・創造の過程を述べています。とても稀です。
ttp://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-18-27.html
ttp://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-15-10.html
>オブジェクト指向
これ自体よくわかっていません。「機能が先」はもっとわからない。FORTRANとAccess(SQL)の簡単なのまでです。ただ、『is-a関係とhas-a関係:プログラミングの「継承」と「包含」』を見ると、「物と事にわける」という考え方の一歩手前のような感じがします。ただ、歴史上、核心に迫ると必ず、無視か攻撃、歪められます。
>11次元とかメタ 不可思議なイメージ 技術-科学-現実-自然が完全にバラ
完全に同意。ただ、弧理論の「別の次元軸」を実在かどうかわかりません。実在という言葉を自分の言葉として使ったことはありません。基軸の存在を確かめるのが目的の一つです。
>絶対量としか
そうです。しかし、傍証と考えることはあります。サイト内に「傍証」を含む記事は4件あります。私にはアランの言葉は当たっていると思えます。すべての現象の原因を空間の場や素なる領域に求めるのは無理があります。そもそも自然が映像でないなら「接するとは何か」の疑問など起きないように思います。近接作用で十分です。要は、空間とは何かです。空や無はnullや0と同じです。絶対量ならば、フリーエネルギーも重力制御ありません。心の仕組みと働き、物と事の研究など不要です。岡潔「一部は映像と云ってよい。」
http://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-futatsuno03.html
自然こそ、自然科学が放棄してきたものなのでしょう。それをアッチ系とは思わない。自然はそうそう定義できないですよ。数学なんて最も自然から遠いはずなのにね。私は子供の頃に遠山啓や銀林浩の影響を受けたせいか、自然⊃物理学(単位あり)⊃数学(単位なし)のイメージができあがっていました。抽象度ははっきりしていて、それらがイコールだなんて考えようもない。
>新興宗教じみて
互いに言葉の上で盛り上がってカルトになるのは避けたい。それだけです。他意は無い。気を悪くされたならすみません。
>宇宙論
の宇宙って狭苦しいです。数式の中に人や物を詰め込んでどうする。それだったら映画「コンタクト」を観ることを奨める。“Do you think there’re people on other planets ?” “If it is just us, it seems like an awful waste of space.”
>オブジェクト指向 「物と事にわける」という考え方の一歩手前
まさにそうです。『「継承」と「包含」』はわざわざ難しい説明をしている。IS_Aは「~という属性を持っている」HAS_Aは「~という機能がある」程度のことです。その属性(=変数)と機能(=内外の変数を変えるもの)が互いに関連し合ってプログラムを動かす。これがE-Mの関係に似ていると思った。X IS_A~とX HAS_A~でXを表現し、Xが定義される。言語構造からして、Xそのものの直接的な定義はできません。静的なISだけ、動的なHASだけではプログラムは動かない。作動対象の無い機能は無く、参照/格納されることもない変数は何の意味も無い。
>絶対量ならば、フリーエネルギーも重力制御もありません
これは言いよう。絶対量かどうかはともかく、その量り方がわからないだけ、とは弧電磁気理論にもあった。
こんなのがありました。技術と化学の賜物。いったい何を見ているんでしょうね。
ttps://www.youtube.com/watch?v=Ok4rqTCt4KE
とか書いていて重大な問題に気付いた。いくら都市部に住んでるからとはいえ、コンクリートの住宅がひしめいているとはいえ、周りにあるのは物質なのに私は自然を少しも感じていない。かろうじて空、風、少々の木と花、鳥の鳴き声がする。それ以外も自然のはずなのに。脳化社会の病人だ。
>自然科学が放棄してきた
一番無視してきたのは人(心)です。彼らが考える自然と身体はわかっても、学問としての科学は始まってもいない。ともすると、賢い彼らは自己を神の位置に置いてしまう。自己を置き去りにしたから。
>数学なんて最も自然から遠い
同意。20世紀初頭、多数の素粒子群がみつかり、それらを整理するに単独で取り出せないクオークを創造した。そこから抽象である数学と現象を扱う物理の垣根がなくなった。つまり、数学で合理的であれば無数の宇宙もOKw。既に記事で指摘したとおり、電磁波・放射線を使って、相手の質量はわからない。そこに誤魔化しがある。ピアノの音を聴いて、ピアノの質量を求める。これが電磁波でも同じ。
>物理学(単位あり)⊃数学(単位なし)
ここが最大の問題です。量は無いのに単位があるお金。物と事の区別がない。遡るとアランの指摘したE=mc^2に行き着く。問題の根幹は相対論。
>数式の中に人や物を詰め込
考えている自己は放置して知らん顔です。
>E-Mの関係に似ている Xそのものの直接的な定義はでき 何の意味も無い
面白い。しかし、わからない。たぶんゲーデルエッシャーバッハにもあったかも。「(ある)様子」と「(これこれ)という働き」?わからない。
意味づけ出来て、初めて価値がわかる。清家氏は虚数軸を考えていました。その軸は実在するかどうかわからない。しかし、絶対値はわかる。それが差分。だから、基軸(旧E)は虚数軸だと考えてきた。だから、12進数が大事。時間の代わりに投影角を用いれば、あらゆる物性(物と事)がわかるはず。わかるのは絶対値。この考えは、理論物理の11次元(数学的に整合)と同程度に妄想。
>量り方がわからない
今もどうすればよいかわからない。アランの云うとおり、差分を積算する方法を見つけるしかない。differential accumulatorとは何なのか。発散トーラスを組み合わせた楕円双極のバランスを崩すということはわかっている。発想の基点は、二重反転、三重反転。運動の本質は「回る」にあり、「回す」ではない。
>何を見ている
岡潔の言葉にあったとおり、透過しない映像だと考える。物(陽子中性子電子)の最小部分。これより小さな領域は事(確率波)。かなり昔、IBMが世界最小の文字を書いた話を思い出す。
ttps://www.jst.go.jp/kisoken/presto/complete/ryousi/topics/topics20-11-2.pdf
>私は自然を少しも感じていない
田舎在住。雪が降った朝、晴れた山並みの美しさは例えようもない。何年か前、沈む夕日が雲間から放射状に光って見えた。手前に広がる湖とともに見た光景は、今も脳裏に焼き付いている。価値とはそんなものです。
>誤魔化し
ある動画を思い出した。CT値=40では1兆倍、人工衛星軌道から地表のベンツのマークを探すとキュウリの断面がヒットする話。それでベンツの車が見つかったと看做すのだ。簡単には反証できない、しかし実証もできない。後はメディアの力に依って、信仰ではない信じる力に依って結果が変わる。世界で神道が流行っているそうです。創始者も教義も教典も無いのはウケが良さそう。支配要素が無く、完全に個人の感性に委ねられるからです。メディアのニュースは全く信用ならないから、それくらいが丁度良い。
>虚数軸
強電分野や電磁気学で使うそれは便利だからでしょうね。実際には多次元行列、テンソルで表記できると聞いたことがある。真偽のほどは不明。学生時代は複素函数論が得意だったけど、もう完全に忘れている。複素数表現でなければいけないとしたら、技術とこんなに結びつくはずがない、物理で何らかの副作用が出ると思う。検索するとwikiに面白い説明が出てくる。還元不能とな。数を扱う学問で何故か?いや数学範囲ならばあり得そうだが、物理範囲ならば多次元の実数表記に変換できるものかもしれません。
学生の頃、軍事衛星は顔や靴紐がわかると云われていた。ホントかどうか。
>支配要素が無く
田中英道のいう自然道。一神教(二元論)は科学を発達させるが、既にお役御免。次の段階。
>便利だから
そう、閉じ込めも都合がよい。
>テンソル
電磁気学を表せるとは聞いたことない。テンソルで思い出すのは、勉強不足だったこと。
>技術とこんなに
世に絶対というのはほとんどない。不思議なことに温度には絶対がある。アランとネガの紡錘図形から現象は差分だとわかる。だけれども温度だけが絶対というのは不可解。G・アダムスキーによれば、宇宙船内が寒いときには、特別な暖房機が必要とのこと。
>物理範囲ならば多次元の実数表記に変換
一番わからないのはヒトの心(自己)。わからないもの(ブラックボックス)を「わけることにりわかる」それで、残るのは、常にブラックボックス。
条件式や半導体は「条件により状態を変えるブラックボックス」脳という神経系もブラックボックスの組み合わせ。都合、脳も脳を模したAIにも自己の本体はない。では、自己はどこから来るのか。何処にあるのか。脳もAIも物理範囲。確かに、意識は身体の範囲内にある。しかし、意識は位置を選ばず思いを馳せることができる。では意識とは何か?
>自己はどこから 意識とは何か?
言葉と意識の順序が(私とは)逆なので、何とも。
もしそれ(意識)が脳や身体の一機能とするなら、それを使って答えは出ないだろうし。より前段階の言葉以前に問うのが良いか、あるいは前提か質問設定に無理がある。
>脳や身体の一機能
処理系としてみると脳と脳を模したAIは同じ機能しか持っていない。結論的には、脳に意識を生じる働きはない。肉体はあくまで処理系でしかない。どうも意識はシヰの表れであるようだ。
>質問設定に無理
ピノキオを例に記事にしたように、ヒトとは何かをわかろうとすること自体とても不思議。それでもわかろうと努力することが大事。
言葉が先で意識が後となると、外国の方と身体を使ったボディランゲージや運動で、あるいは音楽などで意思や気持ちが通じる現象をどう考えるのか。また、対象が赤ん坊の場合はどうか。
岡潔の意訳「情知意の順」
>赤ん坊の場合
岡潔はそれを「情」と言った。「幼児は情緒が大事」。情、ヲシテ文献にあるナサケヱダに同じ。ただし、岡潔は頭頂葉と言ったが、そこにあると断定できない。
先の養老氏のはなしと同じ。意識より身体が先の例がスポーツ。知識は記憶なので媒体としての肉体が必要だが、肉体にはそれ以上の働きがある。
昔聞いた話。バレーボールはレシーブ・トス・アタックの繰り返し。試合中、監督のサインが見えない場合もメンバーは即、フォーメーションを変えることができる。当たり前だが、練習は知識を学び・意識して繰り返し、無駄のない形へもっていく。試合では意識は後。意識は最後。
記事に書いたとおり、条件式・Tr/FET・脳細胞はブラックボックス。ブラックボックスの組み合わせ(ネットワーク)による脳やAIは、処理はできるが、意識はない。では、ヒトの何処にあるかが問題。
記事の通り、還元主義で脳・AIはわかるし・出来るが、ブラックボックスは必ず残る。還元主義に限界がある。ブラックボックスを含む記事は42個ある。2つ示す。
ttps://www.arktheory.com/wp-ark/?p=5720
ttps://www.arktheory.com/wp-ark/?p=66488
岡潔とヲシテ文献を比較して、一対一に対応するものと、しないものがある。シヰ(生命維持の欲)と意識は対応しているようだ。つまり、意識を通して思想信条主義主張があるが、いずれも欲の延長に過ぎない。
池田満氏は、シヰは地上にあると説明している。
ttps://www.youtube.com/watch?v=rTIIN_jO7mc&ab_channel=ooharae
さっぱりわからん。気持ちが通じる現象という至極一般的な事を尋ねたつもりだった。
おわかりいただけなくても全く問題無い。考えを整理するに役立っています。
>現象 至極一般的な事
そのとおり。その仕組みがどこからどのように来ているかを2015年ころより考察してる。アランはフライとのコンタクトに増幅器を使ったとしている。暗に意識は物理現象として扱えることを示唆している。
心の本体である自己、並びにその働きの結果である意識は、脳と脳を模したAIにはない。まして、発見・創造(気づかされる:他力)の仕組みはM軸にはない。考察を総合すると発見・創造は、アランの言う別の次元軸にあるとの結論に至る。これまでに、基軸・気軸(旧E軸)が本当にあるという記述をしたことはない。しかし、本当に基軸は存在するとしなければ、合理的な説明ができないという結論に達する。数学で示される抽象的な次元軸ではなく、実際にあるとしか考えられない。
実は気にしていることがある。随分前、井出氏と電話でパルストランスについて、話していて確か「本当に信じていないと出ないことがある」と言われた。半信半疑ながら、何かあるらしいことはわかっていた。同じくバシル・バン・デン・バーグの「非学理的な発見」も同種の何かかも知れない。
同じテーマを扱っておられて関心があります。私のテーマは数学否定の上に立っていますので紹介させていただきます
「飛ぶ矢が飛ばないゼノンの謎」 これは次の事を述べています
*数かず1-2-3は数のシステム「数全体」に含まれる。だから数1-2-3は存在する。 したがって飛ぶ矢は飛ぶ
*独立した数(すう)1,2,3はいずれも数のシステム「数全体」に含まれない。だから数1、2,3は存在しない。したがって飛ぶ 矢は飛ばない。
【真理多にして1】。これは、私たち日本人の先祖縄文人が、いまか1万5千年前に発見した数のシステムです。驚きませんか?1万5千年前です。なのに、現在の日本人一億人に尋ねても、知っている人は皆無なのです。
説明させていただきます。どういうことかと言いますと、≪私たちの宇宙は中性子のエネルギーだけで出来ている(私が執筆した資料『電子の系統の遺伝子中性子の発見と、コロナワクチン開発への応用』興味を持って頂けたら送らせていただきます)。だから、私たちの周りは、中性子のエネルギーで出来たものばかりだ。村も家も、生きた人も死んだ人もすべてが中性子のエネルギーだけで出来ている。だから、もしある母親が昨年死なせた我が子に会いたいと思えば、名前を呼ぶだけで、すぐ近くの多にして1が、「ハイお母さん」と、目の前に現れてくれるという次第です。万物が、あなたを中心とした同心円の中心に常在している、と考えればよくわかります。
今月は(もはや先先月となりましたが)、お盆の月ですので、少し時間をいただきまして、お盆と三月の雛節句の始まりで、一例を話させていただきます。
縄文時代は今よりもずっと気候が不安定で、生活が苦しく、生まれた子が女の子だと知ると、母親が早速わが子の鼻と口と耳を塞ぎ、死なせることがしばしば起きたのです。しかし母親は、決して死なせた我が子のことを忘れることがなかったのです。彼女は、毎年、死なせた我が子が一歳大きくなるごとに、我が子の成長に合わせた鼻と口と耳を土器で作り、糸を通して、片時も肌から離すことがなかったのです。そして、三月の雛節句と八月のお盆に家に呼び寄せ、成長した娘と一緒に「明かりを灯けましょぼんぼりに」と歌って我が子と互いの薄幸を慰め合い、傍らに置いた誓いと願いの縄文で埋めつくした水甕から、白酒を汲んでやって
今度≪この地上の天国≫を去って≪定めの天上の天国≫に登ったら、どんなことが起きてもあなたを離すことはないわと、固く抱きしめてやったのです。(『電子の系統の遺伝子中性子の発見と、コロナワクチンの開発』補遺最終の文を参照下さい。)
●土偶、遮光土器は、縄文人が「神に誓って」と言うときに多用する【絵文字】のひとつで、天国に常在する万人共通の真理【多にして1】に誓う人間の姿を暗喩しています。
●【多にして1中性子のエネルギーが万物万人にもたらす特殊な感情についても、同じ資料に執筆しています。
ありがとうございます。ほとんど意味がわかりません。当サイトの右側に書いたとおり、幾つかの資料を参考に考察を進めています。各資料には、共通点が多いです。ほぼ同じ内容を異なる表現にしているとさえ思えます。各資料の書き手の人種(異星人を含む)・言語・時代はまったく異なります。日月神示に至っては人間ですらありません。決して単独で解釈しているわけではありません。これが普遍性でしょう。
例えば、岡潔は人に心が2つあると指摘しました。ヲシテ文献にもタマとシヰの2つあるとあります。ヲシテ文献の方が岡潔より詳しいです。
岡潔は「(”わかる”というのには2つある。)”わかる”というと理解とか物の理というが、全然理解じゃない。」と述べています。心は2つあるとわかるのが最初です。人に心が2つあるとわかることが出発点です。
そういう意味で当サイトの内容は、宗教・神学、信仰、哲学・思想、信条、主義、主張ではなく、議論や論争ですらありません。心の仕組みと働きがわかると自然とは何かという疑問に答えが見いだせるはずという考えで進めています。
当サイトの記事で「真理」や「正義」という言葉を使ったことがありません。人によって感じ方が異なってしまう、いわゆる”手垢の付いた”言葉は使わずに、できるだけ平易な言葉で説明します。難しいことを易しく言うように心がけています。
エネルギーという言葉は物理学の定義と弧理論のそれとは異なります。何がどのように違うかも検討済みです。また中性子に働く強弱の相互作用を否定していません。しかし、理論と実験値があえばそれでよいとも思いません。実験の値は差分だろうと考えます。観測する立場が異なれば、異なる運動を観るからです。絶対値はないとの考えです。
それと自然が映像ならば、物理学の近接作用はあり得ませんし、物と事をごちゃ混ぜにしていて、力を近接作用で統合するというのは、どうにも筋が悪いです。どう見ても自然科学は間違っています。
岡潔「少なくとも(素粒子の)一部は映像といってよい。」として、自然が映像だということを否定していません。弧理論は映像の仕組みを説明します。
φ様
初めまして、eddy(仮名)と申します。
お金に関する記事を中心に参考にさせていただいてます。
経緯的にはこれまで生きてきた中で感じてきた違和感があって(これは言語化できるものと言語化は出来ないけど頭の中でモヤモヤしてブレーキがかかる何か)岡潔先生→φ様と繋がりました。
お金に関してはお金に価値があると刷り込まれてる時点でもう相手が用意したテーブルの上です。
支配層(通貨を絶対としたい権威や誰か)は存在します。支配層は文字通り支配ですから、それらを管理できる管理者はいません。
思うがままです、人の命や次世代のことなんて全く持って考えてないです。
史実からも法律改正からも法廷(事件)からも”気付く”ことは沢山あります。
まさに繰り返しの中です。
気になる要素やネタなんて何でもいいとさえ思うくらい話違うよ〜って思うこと沢山ありますし、調べ込んでくとやはり重要な要素に決まって行き着きますよね。お金や時間などなど
本当の悪魔は人だと思ってますし、人類の敵は人類、この構図何とか出来ないのかなとずっと想い続けて生きています。
思惑が入ったものは怖いです。
関心を示してくれる人は本当にいません。大筋、歪みまくったお金や時間の渦に飲まれています。
他のコアな方々と違って一貫性のないコメントですみません。
サイト記事は全てに目を通しきれておりませんし、これからも参考にさせていただきます。
楽しみの一つになりました。
ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
まるっと同意です。
ずっと自然科学は胡散臭いと感じてきました。岡潔を知ってから何が本当かをずっと考えてきました。過去に株やFXを調べて、FXを実際にやったことがあります。結局、お金と時間が問題だとの結論に至りました。
自然科学は、パトロンの意向に従って歪んできたことがわかっています。
どなたも、己の立場があり、立場に沿った意見しか言えない状況です。皆信じたいものを信じているに過ぎないのです。パトロンは皆に信じざるを得ない何かを提供しているに過ぎません。
現代は、ある種信仰の時代と感じます。
最近、気付いたこと。曖昧さがない言語がベストなら、言語は世界で一つであってしかるべきです。しかし、実際は100以上の言語があり、かつ様々な宗教があります。曖昧さがないプログラム言語でさえ、何十とあります。
そして、宗教が最大の争いの原因となって、お金がそれを助長しています。
なぜ、多言語で他宗教なのかです。岡潔の情と言葉の関係について考えています。
このブログの説明内に気になる説明があったので。
原子核構造モデルはいまのモデルは間違っています。原子核は陽子と核内電子で構成されています。つまり核内電子は陽子間の接着剤みたいな感じです。電子軌道は原子核内電子軌道から外殻電子軌道に接続されているかもしれません。
論文を書いているので興味があったら送ります。
今存在する物理学の標準的な理論を信じすぎてはいけません。一番大切な原子核理論が間違っているのだから。
コメントありがとうございます。
>信じすぎてはいけません。
同意です。岡潔が云ったように、自然科学には基礎がありません。時間は量ではありません。時間は物と事の内、事の質です。また、空間とは何かについて説明はないようです。空間は自明でなくて、最近出した境界空間という仮説でいろいろうまく説明できそうです。
余談です。実のところ、脳内で抽象へ飛躍できる人しか理論物理学者という職につけないと感じます。極端な抽象化は、人が生活する世界とは断絶していると思います。数学の難問に挑むと心を病む人が出てくるのは大脳皮質の衰弱につながるからのようです。第1の心は循環ですから当然です。ある科学者曰く、真実はいつも簡単で理解が容易だとのことです。第2の心でわかるのは極簡単な具体だからです。第2の心は現在で、第1の心は過去です。人は2つの心があって、初めて時の中に住めます。
いくつか記事を読ませて頂きましたが大変興味深い内容でした。
単極誘導について
磁石を固定して円板を回転すると誘導電流が流れる。
円板を固定して磁石を回転すると誘導電流は流れない。
磁石と円板を一緒に回転すると誘導電流が流れる。
地球が単極誘導とするならばマントルは磁石になりえる物質なのか?
遠くない未来にフリーエネルギーが開発され世の中が正しい方向へ向かう事を願っています
更新これからも楽しみにしております
ありがとうございます。同じ電流が生じるに、異なる現象らしいです。単極誘導の現象は、磁場あるいは磁界と関係ないと感じます。空間が持つ本質的な回転運動です。直接観測にかからない別のポテンシャルが原因ではないかと感じます。これを楕円双極(楕円磁場)と呼んでいます。磁石の重心位置に近いほど強いので原子核との相互作用と考えます。これは実験を通して得た仮説です。そう考えると地球が単極誘導と関係あるとの仮説にジェット気流とオーロラを交えて考えるには、別の見方(楕円双極)が必要かと思います。
>フリーエネルギーが開発
ニコラ・テスラは回転運動こそが宇宙の本質だとの意味の言葉を述べたとされますが、遺された資料(主にコロラドスプリングスノート)に単極誘導に関する記録はありません。死語、FBIが押収したとされる部分が非公開で存在するのではないかと推測しています。先頃、FBIにて公開された(テスラは金星から来たという)3件の資料をサイトで確認しましたが、1950年頃のニュースレターや新聞の切り抜きばかりで意味のないものでした。
参考に右検索欄にて「単極誘導 重力」で関連記事をお読みください。内、重要な記事は、2020年5月19日「重力と電磁力 との類似点について」、2018年9月10日「重力の 加速度 は遠心力と区別できない。重力は回転運動と深い関係にあるはず。相対性理論では納得できない。」、2018年6月29日「楕円磁場による 重力理論」あたりです。
単極誘導の現象が磁石の重心位置を中心とする楕円双極(ポテンシャル)にあると考えると
「磁石を固定して円板を回転すると誘導電流が流れる。円板を固定して磁石を回転すると誘導電流は流れない。磁石と円板を一緒に回転すると誘導電流が流れる。」という疑問に意味がないとわかります。
(トム・ベアデンの手紙を参考に)歴史を見ると電磁気学成立過程において、単極誘導の現象をないがしろにしようとした結果、この矛盾を生じたとともに、区別は付かないが幾種類か存在する加速度について考慮する可能性を排除したのだと思います。ベクトル表記は加速度の種類を区別できません。20世紀初頭に原子核が発見されたときに電磁気学は修正されるはずでした。修正されずに量子力学と相対論に分岐したまま交わることなく120年が経過しました。
電磁誘導は「回す」で、単極誘導は「回る」です。「回す」の代表が加速器LHCです。「回る」の代表がマグネトロンです。LHCは考えられないほど効率が悪いです。人類史上最悪です。マグネトロン>>>LHC。マグネトロンと同じ仕組みを半導体にて実現すると凄く効率のよい何かが出来そうに思います。何か想像できませんが。この点において注目しているのが熱電対です。まだわからな過ぎて考えるに至っていません。熱電対と単極誘導を組み合わせることで飛躍的に効率を上げられるはずだと考えています。ただ、位相が違うし、熱の伝導と電子の運動の違いがあり苦戦しています。
トム・ベアデンが指摘した「ヘヴィサイドが発見した回転性電磁エネルギー流」は、単極誘導に関係するとにらんでいます。そして、この種の実験は材料がたやすく入手できる現代においては、仕組みさえわかれば比較的簡単に実現できるだろうと考えています。量子力学の観点を持っていては絶対にこの発想は出てきません。
研究における言語表現について。戦時中の外国語禁止ではないけれど、
黒い穴、大爆発など、日本語にしたら、日本での研究は止まるような気がします。ブラックホール、ビッグバンだから”何かありそう”になる。最先端科学は実はファンタジー文学だと言ったら、顔赤くして怒る人は居るだろうな。ビッグバン(爆発オチ)、多次元解釈(夢オチ)とするとさらに怒られそうであります。
科学におけるレトリックはどこまで許容されるのだろう。言語は自分さえ騙せるのです。しかるに自然はレトリックを使わない。言葉で言い尽くせるものでもない。
強く意識するのは、日本語が堅牢であること。漢字仮名外来語と混じる中で本質はずっと変わらない。一時母音は8つあったけれど、最後は5つに戻った。堅牢さの元はヲシテにある。記紀に無いことは確か。どうも英語圏の行き着く先は魔法。でも日本に来るとコスプレやアニメになってしまう。基本「面白がる」。何でも飲み込むのに似ても似つかぬものにしてしまう。日本人の日本人たるところは日本語にあることは確か。しかし、その元になるのは何かよくわからない。一つ思い当たるのは「カミ」。外国の如何なるモノであろうと(カミの)仕組みの内と解釈するならば「面白がれる」。そこに宗教が入る余地はない。神も仏も何でもありの理由は、日本語の堅牢さにあるように思う。これは日本教に通じる。神も仏も人間の側の都合による。面白ければよいというのは、如何にも節操がない。一方おどろおどろしい魔法に稚拙さを感じる。錬金術も魔法に近い。錬金術の延長に自然科学がある。
ヲシテのヨソヤコヱ(48音図表)を眺めていると無茶苦茶システマティックに感じる。極めて人工的。何でだろう。ttp://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/page22.htm ここに魔法は微塵も無い。
フィボナッチ数列、好きです
研究職の方ですか?
ありがとうございます。フリーでやってます。9年目です。数学が出来なくて困っています。4つめの次元軸(E軸)を想定した上で、時間を用いずに質量と運動P_(物理学でいうエネルギー)を表したいです。物性をE軸からの投影角θであらわすことになるので、12進が便利なはずです。ぎーぎまんさんは、12進の加減乗除はできますか。私は五つ玉のそろばんを使う方法しか思いつきません。
お金はありません。逆に紐付きではないので(人を傷つけなければ)何をやってもOKです。
funny
日本語があまり出来ません
しかし勉強したい
ありがとうございます。ウイジェットにあるgoogle翻訳を使ってください。読みやすくなります。(Widgets)Please use google translation.It will be easier to read.
久々に良いサイトを見つけたなと思いました
これからも研究頑張ってください
ありがとうございます。自然=「自然科学」だと思っている内は、次へ行けないと気付く人が段々と増えているようです。
岡潔は自然科学者の考える自然を「物質的自然」と名付けました。では岡潔の考えていただろう「自然」とはどのようなものだったのか。どうも「精神的自然」という言葉に気付きました。岡自身が言ったかどうかわかりません。けれども自然=全部だとするならば、2つを合わせたようなものではないかと考えます。ある人は云います。「~~なんて、非科学的でインチキだ。」このような態度は自然科学が「全部」ではないことを自ら認めているのと同じです。
>視点が余分な次元軸を想定しなければあり得ない図
冷たい視点ですが、世界情勢とか考えると、人間は世界には余分な存在なんだと認識されていないかと思う。ここはどこ、私は誰?の状態。誰でも子供の頃には周囲の環境や自然があって、地面があって、青空や曇り空や星空があることを知っていて、そこにいる私、その”私から始まる”ものの見方がある。ビッグバンの図を見ると、”私”の不在を感じてどうにも居心地が悪い。
>人間の都合 あまりに強引
これは簡単には通じない感覚だとは思う。そも、その計測結果をもって、電磁力の方が強いから、弱い重力を御しきれると思ってはいないでしょう。それはわかる。これら4つの力への分類は人間がやったことで、自然は全てを同時に使っているかもしれない。
2つの円環フェライト磁石を重ねて反発させる。弾かれるので柱に通しておく。この実験で上の磁石が浮いているのは、磁石の反発力と重力が釣り合っているからと”説明”される。私はこれさえも疑問だったりします。それぞれの力の単位が[N]で、それを加算したのだな、と。でも加算できる根拠はどこにもない。なぜ磁石の力だけで、重力だけで説明が成立しないのか。ここに後天的な思考の心理遺伝が、自分の感覚を通して得ていない誤解があるのだと考えます。そして、書籍を読むと、さらに複雑な理論が展開されていく。人間の都合が随所にあり、心理遺伝は強化される。暗黒物質がない銀河を発見したとか、地球の何人が理解しているかわからないようなものがニュースになるのは、押し付けがましく感じませんか。必要なのは誰にでもできる、”私”から始まる科学でしょう。
Φさんの別の次元軸、真のエネルギー値も言わんとすることはわかります。金澤氏の最近のブログも読んでみるといいです。何人かのブログやニュースを追っていると、面白いことに、一切連絡を取り合っていないのに、同時期に似た思考形跡を辿っていることがわかります。
>”私から始まる” 居心地が悪い
同感。私は孤立系と呼んでいます。西洋的”神”の視点です。岡潔の第1の心です。恐らくそこから抜け出せない。彼らには、最初に入れ物としての空間がある。そこから抜け出せない。開放系のことを「外のない内」と一発で云える人が日本人なのは当然と思います。
>自然は全てを同時に
だから”在る”です。「分ける」を否定はしません。分けるによって「分かる」も必要です。アランの云う社会科学は一言で云えば「分かつ」です。分けて与えるです。縄文哲学の「ロノヲシテ」でもあります。
>4つの力への分類 人間の都合
同意。寺田寅彦を読んで、力というものは人の便宜だと感じます。原因は空間には無いようにも思います。最近、2つの核力は複数の発散トーラスの合算の結果だと考えるようになりました。いずれの核力も距離の7乗に逆比例する発散トーラスの組み合わせによる「差分」だろうということです。
>押し付けがましく
自然科学を「群盲象を評す」に例えました。各個あるいは各組織が自分の理論と実験結果を押しつけがましく騒がしく主張していると感じます。各々が正しいけれども、誰も正解ではないと感じます。何より誰も全体を把握していません。
>一切連絡を
否、連絡なくても影響し合っているかも。適切と思われる仮説の元に進めるしかないと考えます。
最近、文字や図形によって思考を進めるに困難を感じています。自然科学(物理学)が枝を逸れて発達した原因は電磁気学だと判断しました。相対論が事情をややこしくしています。
>文字や図形によって思考を進めるに困難
感覚を大切にするのは良いこと。無限に思えることでも、外に出すとそれっぽっちのことになってしまうから。カウンセリング技術でポジティブな言葉で脳を騙すのがあるけど、本質は逆なんじゃないかと思いました。言語化して上書きを繰り返すのは疲れます。言語化前の想いを育てる。そういう訓練を受けた記憶があまりないです。小学生時に作文が得意な人が必ずいますよね。書く前に、何を書くのかわかっていたのだと思う。
坂本賢三の「わかれ」の論理で崇徳院の歌が取り上げられていて、これがものの見方として忘れていたことに気づきました。かつて一つであったものが、わかれ、そして再び一つになる。理解と認識の方法、あるいは磁気も。
金澤氏の影響か、電磁波とは何がどのようになっているのか理解していないと思ってしまいました。理論に矛盾があるとして、考え得る最大のものは「伝わらない」こと。まさかね。
ttps://blog.goo.ne.jp/murokuni/e/65294184cf0dfd027f92befef7906d83
—「光と同じ速度で走ってみたとしたら、光はどんなふうに見えるのか」
ttp://www7b.biglobe.ne.jp/~kubota-takashi/maxvsein.html
—物体の運動を記述する力学と、電磁気学における光の伝播を同じものとして、特殊相対性理論をつくりました
>言語化
岡潔は「情知意」の順に働くと云いました。言語化は最後の「意」です。過去記事に{私的に「(五感を通さない)こういった刺激」が「言語(理論)」につながっているらしい}ことを書きました。その「過程」の存在に気付いたのは研究を始めて3年目くらいだったと記憶しています。そういう過程が縄文哲学の「トノヲシテ」に近いものと認識しています。日月神示に頻出する「気(キ)付く」です。その過程は私的すぎて説明しにくいです。その過程に従って研究していますので、ブログ記事は取り扱いテーマも時系列順もばらばらです。
自然科学の問題点が古典電磁気学の成立過程にあるとわかるずっと前に、単極誘導モーターの実験を繰り返したのは偶然ではないと考えます。
>電磁波とは何がどのようになっているのか
同意です。アランは「(科学者が)電子は確率波をもつ粒子だということによって正当化させようとしている」と述べています。この点について。弧理論の考え方における「波」というものをどう扱うかについて何年も悩みました。今でもよくわかりません。一つ結論めいた言い方としては次になります。
投影角が90度の電子は質量と位置をもって現れる。(観測者に対して静止) 投影角が浅くなるにつれて質量は空間で次元を失い見えにくくなる。投影角がゼロの時が問題。これを質量か見えない「波」だと結論しました。これが電磁波です。(だから光子の質量はゼロというより計測できない) でも媒質はあるのか?という疑問はあります。光速度不変は怪しいです。むしろ別の次元軸があるはずと考える方が合理的です。(孤立系循環論【分けてもわからない】から抜け出せる) 媒質は無いのでは?「位置をもって現れる」これが空間だと考えます。空間が先ではないと考えます。孫悟空と手のひらに例えて、何度か記事にしています。
>過程は私的すぎて説明しにくい
そういうものだと思う。普段注目しないだけで、皆わかっていることがある。他の惑星では体系化して社会基盤にしているのでしょう。
>媒質 光速度不変は怪しい
ある系において一定、が妥当でしょう。後者サイトのキャラクター・マクスウェルが言うように速度は変化する。自己進行波とは何かは説明はされていないし、通信でそれに情報を載せて・降ろす具体的な物理は解明されていないかも、と妄想する。自己進行波であり続けたり、速度を変えたりする、それを支えるものがある。媒質が有限だといつ決めたのか? 同時に内在する無限性が無ければ自己進行波は成り立たないのではないか。
孫悟空が遙かな距離を駆けて、自らの神性に出会う話だと、今気付きました。
>体系化して社会基盤にしている
そう思います。最近アランの言葉はとてもよく練られたものだと強く感じます。我々の知らない概念を知っている言葉に置き換えて述べているので、変に思うだけで、非常に理知的だと感じます。我々のことを我々より知っています。少なくともダニエル・フライに向けていません。数十年後よりもっと未来に向けて話しています。
>媒質
ほんとに難しいです。弧理論の考え方を理解してから「波」とは何かずっと考えてきました。最近まで記事にも出来ませんでした。直近の記事で「光と併走すると光は電子に見える」だとろうとしました。では波の媒質は?と問われても答えられません。ToM氏の論文(真空中は電磁波は電磁波として伝わらない?)が気になります。電磁波について云えば媒質は関係ないように思えます。空間が先にあると思うから問題になっているように思います。これは一般相対論の「空間が曲がる」という考えにもつながります。空間が一様でないから光が曲がる?理解できません。空間の何が曲がるのか。
>孫悟空が遙かな距離を駆けて
何度も書きました。宇宙は距離ではなくて投影角だと考えます。宇宙を入れ物だと考えている内は解答が得られないように思います。遠いと思うから諦めが先に立つ。古代インドの人も地平面が曲がっていると気付いていました。ただどの方向にも曲率は同じなので自分が世界の中心だと考えざるをえなかったようです。現代のビッグバン理論も地球が宇宙の中心だと考えざるを得ない状態です。これはどう見ても変です。一つ次元を上げねば解決しないと感じます。突き詰めるとあらゆることが「映像」だという考えを推しているように見えます。
神の数式はあのような表現でしたか。4つの力を同じ形式にしようとして、結局は加減算で式化しているのは、いかにもセンスが無い。それにこれではテレパシーや念動力が表現できない。宇宙動かす、結びつける力の表現は数式では難しい。
>そういう人は群れることはない
適正密度があると思います。巨大な果実が1つではなく、離れた位置に沢山実る。テレパシーや気付きの理論として考えると、S/N比が必要だから。静かでないと宇宙に溢れる通信が自身に響かない。だから音声や表記での言語伝達の方が、今は未だ適切です。でないと良くも悪くも混ざる。
地球ではまず、宇宙船の無い宇宙文明になることが望まれます。ところが一般に広まっている技術は人を仮想世界に閉じ込めるものが多い。その行き着く先は本や映画やゲームなどで、過去に文明が滅びた理由とそれを乗り越える人々の物語として希望と共に描かれる。
以前フランスに行った時のこと。路面電車の乗り方がわからなかったのを美人母子に助けてもらいました。言葉は全くわからない。でも言っていることはわかる。そんなささやかなことで、ここにはまた来れる。そう思いました。
少なくとも銃が向けられる場所に行こうとは思わない。希望を持ち、夢を見る方法を忘れているとしても、地球人は特に絶望しているわけでもない。生きていることそのものへの恐怖がある。その象徴が銃なんじゃないだろうか。
「生まれながら」の心理遺伝は夢野久作のドグラ・マグラを読んでみることを奨めます。
標準理論には重力は入っていないと存じます。
>テレパシーや念動力が表現できない
まったくです。宇宙を表すとしながら、自己は除外しています。
>離れた位置に沢山実る
なるほど。
>宇宙船の無い宇宙文明
なるほど。その次が永久宇宙船でしょう。
>恐怖がある
最近結構本気で、一神教から出ているような気がしています。
>心理遺伝は夢野久作のドグラ・マグラ
ご紹介ありがとうございます。早速本を購入、手に持ち頁を繰ると「お病気」だと感じます。岡潔にもお病気を感じますけれども岡潔の言葉は、易しい単語と文体です。岡潔の場合は、岡潔にとっての前提があって、説明があるのですが、説明したいこと以外で当然帰結することは省略します。字面は読みやすいのですけれども、飲み込めません。これは天才故のようです。最小限の言葉で誰でも同じ結論に至るようにしか説明しません。凡凡人である私は「自然科学の時間空間、五感でわかるもの、西洋人の唯物主義」の短い文章だけで3年余り考えてきました。(主に時間について) 岡潔は狂気の向こう側に普遍があって安心できます。
岡潔と違って自然の全体が映像だと仮説しています。すると現象の全ては結果です。ならば遺伝子さえも結果ですから、その元となる仕組みを探さねば本当のところはわからないと考えます。薬がなぜ効くのかわからないままでは仕方ありません。
2015年頃まで単極誘導の実験をやって、それから何をやってきたかというと3つの科学の内精神科学と社会科学です。ことに社会科学(想念の横の経路:岡潔の云う第1の心のこと)は、2月までの記事で核心部分は出たと感じます。精神科学はほぼ手つかずですが、ヲシテ文献を参考にすれば前へ進めそうです。物質科学はその後か、並行になろうかと思います。道のりは長いです。
>標準理論には重力は入っていない
あっても加算するだけでしょう。加算記号が形骸化している。
>一神教
輪廻転生の有無を考えたと思います。一神教が縦、多神教が横。あるいは西洋思想と東洋思想で縦横。一神教には神と悪魔という2つで構成されるバイアス、舞台装置がある。銃や「いいね」は狂気のボタンで、そこから逸脱できる道具になる。ところが東洋では輪廻や因果応報があるから、その道具は通用しない。
>「お病気」
正当な感覚かと。「読破した者は必ず一度は精神に異常を来たす」と評される奇書。あくまでエンターテイメント、小説だから、全体の仕掛けがわかれば面白いですよ。私は純粋に面白いと思いました。同程度に狂っていると自覚できる。夢野本人が「これを書くために生きてきた」というだけあります。世界の縁を歩く人が世の正常に合わせる必要なんて無い。
>あっても加算するだけ
全く違います。ttp://p.booklog.jp/book/81900/page/2087885 重力はほかの3つと異なって遙かに弱く、性質が違いすぎます。重力を一般相対論で説明していますが、相対論と量子力学は頗る相性が悪く、恐らく統一できないでしょう。アランはE=mc^2について正確に述べているに対して、重力は電磁気力の一種だと説明して、相対論による重力理論を完全に無視しています。コンタクトにおいて個人名まで出すのですから余程の意味があると考えてきました。つまり、アランは1.エネルギーの誤解2.重力の理解 この2点においてアインシュタインはミスリードだったと指摘したと考えます。今日の物理学の大問題の分岐点は相対論にあると考えます。遡れば電磁気学の発達もトム・ベアデンの指摘の通りだと思います。アランはアインシュタインを物理学者や科学者と云わず、思索者と云いました。これが全てです。
ttps://www.youtube.com/watch?v=UTV1oqJ2Ro8
重力は「質量と運動に関係ない」と見ます。一円玉の質量に比較して表面張力による引力と斥力は格段に小さいです。このように考えます。
>銃や「いいね」は狂気のボタン
完全同意です。チェスより将棋。当ブログもボタンを配置していますが、見た目がカラフルだから貼ってみただけです。
>あくまでエンターテイメント
理解します。云いたいのは作品ではなくて、作者が病んでいるのではないかと云いたかった。岡潔のエピソードを観るに、お病気だと感じてきました。2月に岡潔を主人公とするドラマがありました。番組を観て実際の人となりも確かにそうだったろうと感じました。
>世の正常に合わせる必要なんて無い
理解します。ただ、世界が精密、正確、緻密、難解な論理の極致にあるはずだ、というのは解せません。もっと基本的なことがおろそかだと感じます。そして基本的なことは誰でも理解できます。ニュートン以前から引力はありました。
>全く違います
ざっと読みました。観測できない質量ゼロの何かが振動していると言われても何が何だか。
>重力はほかの3つと異なって遙かに弱く、性質が違いすぎます
うーん、強い弱いというのは人間の都合なんですよね。ひょっとしたら思考形式も心理遺伝するのかもしれません。
アインシュタインはメディアが取り上げて流行らせました。日本では科学に興味が無い人でも名前を知っている。海外では大して注目されていないという話もあります。仕掛け人の意図があるはずです。他の事を隠すために、ある事を広めるのは報道の常識です。
遥かに弱いというのは私にはヒントです。樹木は地表から天へと雷の形状で生長していく。光と水と栄養素、それらを運ぶのに重力は適しているように感じます。燃やす力でなく、これからは育む力への理解が必要になる。電磁気の毛細管現象を思いついたのはそのあたりです。
>作者が病んでいるのではないか
もちろん病んでますよ。夢野は博覧強記だったようで、それが内にある根源的な疑問、どろどろとした吐き出したい思いに火をつけて、あのように表現したのでしょう。エリートキツネとお金の関係で示されているのと同じこと。環境因子は遺伝する。適合しない人は当然病む。大人が答えられない子供の疑問ってやつですね。自分か世界か狂っているのはどっちかと子供時分に悩む。けれど、誰もそのことを他人と共有しない、できない。素朴な疑問こそ残酷だからです。抑圧された世界は十分に狂気的です。だから向き合う人はそれまでとは全く別の答えに辿り着く。岡潔も自らの知的好奇心に忠実だったのかな。ならば狂っていて、病んでいてしかるべき。そう思います。
>何が何だか。
量子力学と相対論はほぼ同時期です。それから100年近く経っても統合できないという事実は重いです。自然科学はどう考えても孤立系です。良い例がttps://rika-net.com/contents/cp0320a/contents/rekishi/answer14/index.html ビッグバンの図です。視点が余分な次元軸を想定しなければあり得ない図です。問題は次です。
自然科学は、1)物質と運動から → 時間を作る → 時間を用いた数学で「物質と運動」を(フィードバックして)説明しようとしている。これは循環論です。 次に、相対論です。杉岡氏のttp://www5b.biglobe.ne.jp/sugi_m/page254.htm「相対論物理学者に捧ぐ4」によれば、『「光の伝播法則の上に時間の概念を樹立し・・」という意味は、簡単にいえば「真空中の光速度cを用いて時間を定義する」という意味』です。 前述に習えば2)物質と運動から → 時間を作る → 時間を光速度に置き換える → 光速度を用いた数学で「空間と時間並びに重力」を説明しようとしている。1)も2)も詰まるところ孤立系で循環論です。しかも量子力学を基礎とした(極微の)素粒子物理学と(極大の)宇宙(空間時間重力)を説明しようとする相対論では循環の過程が異なります。どう考えても「(神の数式に重力を)加えればよい」とはなりません。加えられる訳がありません。そして苦し紛れに宇宙は点から始まったと説明しているのですから、古代インドの宇宙観にある「ヘビが己の尻尾を噛む」のと何ら変わっていないのです。今も何千年前も少しも変わっていないのです。
>人間の都合なんです
あまりに強引です。「原子からクオークへ:JSトレフィル著(株)培風館」p229表15によれば(強い力1、電磁力137分の1、弱い力10^(-5)、重力【万有引力】6×10^(-39) とあります。重力は極端に弱いです。各々の到達距離も違いすぎます。
>アインシュタインはメディアが取り上げて流行らせました。
全同意。「七つの科学事件ファイル―科学論争の顛末」に詳しいです。実験も社会的要因に引きずられてきたことがわかります。
>岡潔も自らの知的好奇心に忠実だったのかな。ならば狂っていて、病んでいてしかるべき。
一昨年まで、物や事は”分ける”ことにより【分かる】と思ってきました。でも違いました。最近、数学も「分ける」から発することに気付きました。つまり分けることによっても分からない自然の部分について数学を用いて挑むことで病むのだと思います。 岡潔は、年を重ねる内に狂気から抜け出したと感じます。つまり、「分けることにより分かると思っている」世界から「数学の使えない世界」に気付き、移ったのです。だから狂気から脱した。そう思います。だから安心なのです。狂気のままであれば云っていることの意味は分からないはずです。緻密で精密かつ難解な理論が必ずしも高尚ではないこともあります。
結論として、どう考えても別の次元軸を考えざるを得ません。別の次元軸からの投影による映像だと考えます。岡潔によって山崎弁栄上人のことを分かり易く解説されたのは、有り難いことです。
現在の科学は17世紀の科学革命に端を発していますが、科学が進む過程で、いくつかの間違いを内部に抱え込んでいます。アリはたどって来た幹を見ることができません。しかし人間は歴史を振り返ることで間違いがどこから入り込んだかを見ることができます。
ニュートンの万有引力は、宇宙と地上の引力を同じとしましたが間違いでした。宇宙には斥力があって、当時の天文家は惑星がなぜぶつからないかを考えていました。また引力はモノに備わる性質と考えましたが、それを証明したといわれているキャベンディッシュの実験は反磁性体による力を重力と間違えていました。ファラデーの実験をマクスウェルが数式化するとき、力線の処理を誤り、電気力線が途中で中和するとしてしまいました。
これらの道具的理性に繰り込まれた間違いが、相対性理論、量子力学、素粒子科学の根本に組み込まれています。私たちは、17世紀に戻って、やり直すのではなく、組み込まれた間違いを、慎重に取り除くことで、科学の進む方向を修正できると思います。
現在わかっている確実なことは、陽子、電子、ファラデーの法則です。空間を最初から考慮することはまだできません。近接作用、遠隔作用がわからないからです。
幾つかは同意です。トーマス・ビーデン博士からエネルギー先端研究局(ARPA-E)長官宛の書簡にあるとおり、電磁気学は成立の過程で歪められているようです。ttp://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1820905.html いつも引用しているある科学者は、(文明という樹の)枝の分岐点まで戻るよう促しています。何をどのように見直すかが問題です。これまでに、何がどう間違っているかの概略はわかっています。どの方向に行けばよいかも大凡わかっています。トム・ベアデンは何がどう歪められたかを具体的には指摘していませんが、実験の経験から単極誘導の現象を矮小化、あるいは意図して消し去ろうとしたように思います。
>現在わかっている確実なことは、陽子、電子、ファラデーの法則
概ね同意です。空間は映像であり、投影元は2箇所のようです。どうも遠隔作用であるようです。単極誘導モーターの実験から、電磁力を媒介しているのが光子というのでは単極誘導モーターに生じる力の説明が難しいです。ttp://www7b.biglobe.ne.jp/~kochan/workshop/labortry/principl.htm にある式V=-∫∂B/∂t・dS+∫(ν×B)・dLの右辺の2項目が怪しいです。簡単に云えば、電磁誘導と単極誘導とは似ているけど(経験からして)別の現象のように感じます。この感想は、私の2013年から2015年頃までの実験によります。
地表の重力がEMドライブと同じ電磁質量である説明を試みました。
ttp://zao.jp/index.php?blog=12&p=389&more=1&c=1&tb=1&pb=1
電磁質量が高度を増すにつれ電気引力に代わり、宇宙空間に引き継がれていく、じつに精妙な仕組みです。質量が重力を生む、なんていう単純な仕組みではありません。
ありがとうございます。抽象的でなく受け入れやすい考えですね。私の考えと異なります。現象を現象で説明しようとする試みは、いずれ進めなくなると考えます。その意味で当サイトは唯物主義ではありません。
いろいろ調べていくと別の次元軸を考えざるを得なくなります。見るからに自然は複雑です。複雑すぎる現象を分類という手法で進めるには限界があります。専門家は我々に「君たちの頭では、この高度で抽象的な私の理論はわかるまい」と考えているように思えます。そこに権威と地位があります。
>質量が重力を生む
同意です。これまでの考察により重力は物質が持つ「真のエネルギー値(※この言葉には注意が必要です。)」によることがわかっています。真のエネルギー値は物質の回転により決まるようです。重力は電磁気的な作用(回転運動)の一種らしいです。でも古典電磁気とも量子電磁気とも異なります。
太陽系らせんの動画は数年前に見たけど、間違いでしょう。綺麗な映像だけど。
星系の階層構造を無くして考えるのは、重力など無いと言っているようなもの。
ボイジャーのスイングバイ航法は綿密に計算されていました。火星探査機も基本は同じ。
ここにほぼ書いてある。ttps://anond.hatelabo.jp/20140830230307
地球のスイングバイをじっさいに計算した研究者とメールでやり取りしたことがありますが、斥力としか思えない力があったそうです。
重力の斥力項や3乗反比例などは何かの資料にあったような。
ただ、引力だけ・斥力だけでは星系は成立しないので、
仕組みを理解させることなく、計算は可能な数式モデルは厄介に感じます。
WordPressはコメント返信のネストに制限があるようです。返信エディットができてしまうので、表示とは設定が異なるかもしれません。
太陽系らせんの動画は数年前に見たけど、間違いでしょう。映像は綺麗。
ボイジャーのスイングバイ航法は綿密に計算されていました。火星探査機も基本は同じ。
ここにほぼ書いてある。ttps://anond.hatelabo.jp/20140830230307
コメントが書き込めなくなっていたので、改めて、書いています。
>>電子は遠心力で地殻付近まで来て
>というのは理解できません。電流路は閉じてなけ
どうぞ、こちらをお読みください。
ttp://zao.jp/index.php?blog=12&p=340&more=1&c=1&tb=1&pb=1
地球内部には重力は及んでおらず、空洞です。遠心力が膨張する岩石を地表に運んでいます。電子も遠心力で外側に運ばれます。
ファラデーモーターですが、反動とする部分は不要です。環太平洋火山帯のマグマには、かなりの力が働いているため、弓状に曲がったりしている部分が多数あります。
ttp://zao.jp/index.php?blog=12&p=359&more=1&c=1&tb=1&pb=1
興味深い資料ありがとうございます。重力は電磁気現象と関係があると考える人は多いようです。私も同感ですが、まだよく分かりません。ヒントはあります。
>地球内部には重力は及んでおら
云われるようなこともあるかも知れません。ただ、重力について、私の考えと異なります。ttps://www.youtube.com/watch?v=UTV1oqJ2Ro8 例えば、動画のようなものと考えます。物質的自然を水面に置き換えると重力は表面張力が原因で生じると考えてよさそうです。物質的自然に直交する次元軸を考えれば、動画のような引力斥力の説明がつきます。
>電子も遠心力で外側
そのような事が起きうるのでしょうか。よくわかりません。
>反動とする部分は不要です。
いいえ、実験によれば、反作用は必ず電極が受けています。地球がファラデーモーターであるならば、電極に相当する部分があり、そこが反作用を受けているはずです。反作用が無い運動はフリーエネルギー装置です。そのような仕組みを求めてはいますが、私は地球にその仕組みを見いだしていません。ただ、貴方と同じ「地球がファラデーモーター」だろうと考えます。
2つめのブログにある「地球の自転は過去の衝突によって起きた回転の慣性によるといわれている。しかし、大気、海水、潮汐力の抵抗などからみても、慣性だけでは説明できない。」は、全同意です。しかもジェット気流は自転の方向と同じです。皆なぜ不思議に思わないのでしょうか。
重力については、宇宙空間と地表とではちがうメカニズムと考えています。惑星に働く重力は電気引力・斥力です。地表では、地殻に大量の電子があるため、電離層との間に30万ボルトの電位差が生じています。いっぽうで大気は弱いプラスに帯電しています。また地表の物質は弱く電子分極しています。これらと、電位差との間に生じる電気引力が地表の重力だと考えています。斥力がないのは、大気のプラスのせいです。
地球がファラデーモーターの件ですが、太陽の自転を見れば、ローレンツ力で回転している力が赤道部から極にかけて、自転速度の差として現れています。太陽の自転でも、反動を受け止めている部分はありません。強いて言えば、太陽を貫く電流が反動を受け止めています。
地球の場合も、太陽の自転と同じローレンツ力で公転しており、螺旋を描いて、太陽とともに秒速200kmで突進しています。地球の自転も、公転に伴う螺旋運動の一部です。太陽系を貫いている電流によるローレンツ力が自転の元のエネルギーです。反動を受け止めているのは、磁場を介して、太陽と同じ電流だといえます。
ttps://youtu.be/0jHsq36_NTU
とりあえず、最後の動画は間違い。映像は綺麗だけど。階層構造を混ぜて考えている。
ボイジャーのスイングバイ航法は綿密な計算の基に成り立った。
だいたいここに書いてある。ttps://anond.hatelabo.jp/20140830230307
重力が電磁気に関係するだろうことは同意です。でも同じだとは思えません。到達距離は似ていますが現れ方など諸々の性質が違います。似ても別物です。
>太陽を貫く電流が反動を受け止めて
マクスウェル方程式から力学的な様子が読み取れませんでした。そこで、作用反作用をどこがどのように受けているかを幾つかの実験で確かめました。地球がファラデーモーターというならば、実験と同じでなければなりません。異なる点があるなら、それはどこでどういう理由かを示すべきです。違うならば、それはファラデーモーターではありません。
>反動を受け止めているのは、磁場を介して、太陽と同じ電流だといえます。
理解できません。
ニュートンが観た「樹からリンゴが落ちる」のと、惑星探査機「はやぶさ」が帰還できたのは同じ法則だからです。単極誘導の現象もより普遍的な現象の一局面だというなら理解できるかも知れません。その際は異なる点と理由を示さねばなりません。
私は井出治氏のトランスのコイル内において発散トーラスがなぜ正方向の電子の流れを作るのか?5年ほども考えています。発散トーラスが示す力学的性質がわからないからです。仮説は仮説に過ぎません。実験で確かめねば意味はありません。因みに発散トーラスの形状は単極誘導の形状にとても似ています。別の言い方をするとモノポールと云ってよいでしょう。ttps://sketchfab.com/models/3abcf66812cd4b7790ad84cde832026d
EMドライブをご存知だと思いますが、密閉した金属チャンバーの中にマイクロ波を照射すると、口径の大きな面に対して推力が働くというものです。
ttp://zao.jp/index.php?blog=12&p=369&more=1&c=1&tb=1&pb=1
EMドライブはさまざまな原理が予想されていますが、私の予想では電磁質量が関係していると思います。ニュートン力学では、質量は物に最初からある性質ですが、これは違うかもしれません。
ttp://zao.jp/index.php?blog=12&p=354&more=1&c=1&tb=1&pb=1
質量が電磁気による現象だとすると、作用反作用がなくても、物質は動きます。銀河の回転、太陽系の運動を見ていると、質量は電磁気によるものだと感じています。
幾つかEMドライブの動画を観て、ttps://www.arktheory.com/wp-ark/?p=4160 の記事を書きました。結論は「わかりません」です。現時点での可能性は2つです。1.作用反作用が無い現象があるかも。2.作用反作用は成り立つが同時に余分な次元軸からエネルギーの流入が見込めるシステムができるかも。(この発想は開放系の理論を意味します。その結果の一つがEMドライブと考える)
EMドライブが本当だとしても直ぐに普遍的なものに拡張して考えることはできません。誰もが認めざるを得ない本質的な事柄を得て「その一局面としてEMドライブが認識される」と説明するならば理解が得られると思います。
ja7tdoさんは、多くの現象を電磁気現象で理解しようとされているように見受けられますが、本質から逸れているように感じます。電磁気現象とは何かという説明が必要です。
面白いですね。
四十八音図表は言語よりも図形として見える。
もの凄くシステマチックです。とてもこの発想は一朝一夕には出てこないと思います。日本語は何でも略して云います。ポケモンなどなど、外来語でもなんでも飲み込んでしまいます。この日本語の節操のなさは、言語の成り立ちから来ているように感じます。
英国のTVでトップ・ギアというのがあります。その番組で自動車用語を紹介していましたけれど、アルファベット3文字の用語を並べてましたが、よく知っているもの以外は意味不明です。
ttp://www.g-kawada.com/library/yougo/alpha.html
FR,FF,ETC、CDI、CVCCなどなど。PCの拡張子も3文字で、すぐに一杯になって混乱しました。
その点、日本語だと五七調に略しても通じやすいです。そういう特性を辿って行くと、ヲシテ文献に辿り着くのではないかと思います。
池田氏他の研究者は、資料を読み込んで読み込んで気付かれたものだと思います。
化学と数学ですよね。
「たす」の逆向きが「ひく」でないのが、左側の絵を見ると納得する。
サピア=ウォーフの仮説は当たっているんでしょうね。
日常話している日本語がどのくらい通じているか不安になってきたwww
>サピア=ウォーフの仮説
知りませんでした。自身の持つ言語の持つ特性の内に思考している以上、別から見ると制限はあるように思います。アマゾンの少数民族ピダハンの言語には時制がないといいます。だからといって我々から見て彼らが時の中に住まない訳ではありません。
だから我々自身が時間とお金に縛られているのは言語が持つ特性故に仕方ないのかも知れません。日本語はとても(概念や観念を)包含する範囲が広いと感じています。逆に云えば私の嫌いな「言葉遊び」が過ぎるともいえます。節操がないともいえます。
思うに、語り部が伝説などを話す時、再生されて今になるからなのかな、と。「むかしむかし、あるところ」は聴いている人には”今ここ”になる。民俗学つながりで、壺=うつぼ舟でしょう。SFや伝記ものによく出てきます。
>壺=うつぼ舟
そういえば、うつろ舟の記事を書いたことがありますね。ttp://www.yaji-kita.com/ufo-1.html
あれは実際に起きたことだと思います。
いつも参考になる記事をありがとうございます。
地球の場合は、環太平洋火山帯のマグマをコアとしたファラデーモーターだと思いますが、水星の自転は静電モーターではないでしょうか? 回転方向は同じです。
ちなみに金星のスーパーローテーションも大気の+による静電モーターだと考えています。
ありがとうございます。
>静電モーター
ありかも知れませんけれども、私が考えるのはもっと根本的なことに由来するだろうということです。電磁気学は明らかに電子の挙動のみにかかる学問です。陽子が持つプラス電荷と電子の電荷との関係や中性子がなぜ電荷を持たないかなどの部分がはっきりしません。クオークが持つという分数の電荷など意味がわかりません。岡潔が云うように、最後は人の五感でわかるものでなければなりません。静電モーターもその一つですが、どうでしょう。量子力学・素粒子物理学は明らかに岡潔の言葉に合致しません。物理学は、人の感覚から抽象化した数学モデルへと乖離したままです。100年余りに渡って、逸れてしまったです。陽子の電荷と電子の電荷との関係について理解を深める方が先ではないかと考えます。
金星の超回転を最近知りました。私としては金星内部に多層で単極モーターがあるのではとも考えますが、今のところわかりません。いずれにしても、大気の動きは自転の抵抗でしかないのならば、積極的に自転を促す機構を考えるべきだと思います。
研究の方向としては、抽象化ではなくて、人の頭の中で容易に想像できる仕組みであるべきだと考えます。
静電モーターも単極モーターもその電源が何かということが重要です。エネルギーなるものの根本がわからねば先へ進めないと感じます。力などどこにも存在しないのに、全てが静止できない現実を理解しようということです。
電源は2つあります。太陽風による電流とマントルの相転移による電子の供給です。後者はいわば電池です。ですから寿命があります。
>太陽風
これはそうだと思います。では太陽のエネルギー源はというと、核融合という話しに納得していません。弧理論の考え方では、E軸上の実体からだと思われます。大規模(アワ:泡)構造がそれです。渦を作るものは皆E軸と関係してきます。自然科学ではわからないことはブラックボックスとして扱います。分けることにより分かると思い込んでいるからです。その姿勢だと究極、何が何だかわからなくなると考えています。別の次元軸を考えるのには、それなりに根拠やメリットがあります。
>マントルの相転移 寿命
調べてもよくわかりません。ただ、何かが接するところに事象が起きることは実験の経験から感じます。電触なんかが良い例です。そういえば、いつも引用するある科学者が「熱電対の効率はかなり良い」と述べています。案外、熱電対を利用したエネルギー源は利用価値があるのかも知れません。マントルの相転移も関係してるかも知れません。
ja7tdoさんの考え方は独特ですね。面白いです。
太陽のエネルギーは、ハンネス・アルヴェーンが主張するように星間物質の電流だと思います。
地球のマントルは、SiO4ですが、これが相転移してSiO2になるとき、大量の電子を放出します。電子は遠心力で地殻付近まで来て、たまります。これが環太平洋火山帯のマグマの帯に流れると、ファラデーモーターとなって回転するわけです。
電池というのはマントルのカンラン石です。
>ハンネス・アルヴェーン
wikiによるとユニークな学者ですね。
話しは逸れます。太陽も含めて「根源的なエネルギー源は何か」と考え続けています。紡錘図形の解析からはM軸内に「力の源」は無くて、やはりE軸上に原因があると考えざるを得ません。人10^(0)mから見て極小10^(-20)mの世界も、極大の世界10^(20)mも「動かざるを得ない」仕組みがE軸上にあると考えます。「動かざるを得ない」=【M軸は曲がっている】と考えています。イコール空間にはある種の緊張があると考えます。水平線の遠くに浮かぶヨットの帆先が見えるのは地球が丸いからです。平面を空間に拡張した考えです。
>相転移してSiO2になるとき、大量の電子を放出
ネット上に「岩石の破壊誘起電磁気現象発生機構の解明」というのがあります。ただ、
>電子は遠心力で地殻付近まで来て
というのは理解できません。電流路は閉じてなければなりません。また、空間にはモーターの反作用を受ける固定点がありませんから、ファラデーモーターも私が作った同軸二重反転型である必要があります。内核、外核、マントルが内部で二重反転あるいは三重反転していれば、内核・外核の反作用で地殻は自ら回転することができます。
>地上に降り注ぐ赤外線は上空で生じる
電子レンジです。太陽が発振して、惑星が共振する。
>sme.pdf
雲が同じ高さになるのは惑星の粗密波の影響でしょう。太陽光線は様々な周波数が混在した縦横複合波ではないだろうか。原子間距離が保たれるのも、粗密波の共鳴で成立すると考えます。
太陽を光源として惑星は鏡、惑星を光源としてその表面の原子や生物は鏡。それぞれが鏡・レンズ・プリズムになる。太陽が全てを照らし、互いが互いを照らす万華鏡構造。仏教みたい。曼荼羅が時空構造の表現という説はこれだと感じます。
>電子レンジです。
なるほど。太陽から「何を媒介にして」地球付近まで来ているのかわかりません。
>縦横複合波
縦波があるのかどうかわかりません。
>原子間距離が保たれるのも、粗密波の共鳴で成立する
それはわかります。近頃、「物質的自然はすべて映像だ」というのは納得してますが、岡潔が云った「自然は存在ではない」に結構惹かれます。
>鏡・レンズ・プリズム
それはG・アダムスキーがブラウン管に例えたのに似ていますね。
>曼荼羅が時空構造
ただ、自身、既に時間など存在しないと納得してます。数学を使うにしても時間を用いていてはダメだと考えます。
>何を媒介にして
そういえばエーテルの提案と否定の経緯を知らないです。
>ブラウン管に例えた
影響は受けているでしょう。大きなものが小さなものを産み出すからです。
>時間など存在しない
E-M変換に時間は関係していない。
夜空を見上げ星Aから星Bを見る時、その視線の速度は光より速い? 子供の頃に親から出された問題です。
>自然は存在ではない
これは「安定してみえるのは位置だけであって、内容は刹那に変わっているのかもしれない。」にかかってますね。
植物が緑色なのは「植物は緑色が嫌いだから」(光合成吸収しない)という話を思い出しました。
>E-M変換に時間は関係していない
時間は運動から作るのですから、すべてをE-M軸内で考えます。
>視線の速度は光より速い
未だに、2箇所における同時とは何かわかりません。相対論はインチキ臭い。
>位置だけ
弧理論の考え方の基本は、「質量と位置を持って(映像として)現れる」でした。位置と位置の隔たりを距離、位置の移動が運動、運動から時間を作る。いろいろ考えた結果、岡潔が投げかけた疑問について「運動は時間に比例して起きる」とわかりました。ただし、運動(と時間)は感覚が質量を捉えられる範囲にしか適用できません。「質量と運動は一つの実体の異なる面=映像」ですから、「全部運動状態」では質量は測定不能になります。「全部運動状態」とは「波」のことです。
>植物が緑色なのは「植物は緑色が嫌いだから」(光合成吸収しない)
なるほど面白いですね。光合成に緑(の波長)は不要だと云うこと。 貴方の云われるように光(波)に色があるわけではありません。感覚器官は波を捉えているのではなくて、波が感覚器官を構成する原子の内の電子をはじき飛ばすことにより生理的電気(運動)になります。波は遠隔で運動を引き起こします。波を量子化して光子と呼んでいますが、ムリがあります。最近は、「遠隔作用」でよいのじゃないかと思います。
全部運動状態が波だという考えには合理性があります。出発点は「一つの実体の異なる面=(多面性を持つ)映像」です。電子の全部運動状態は、電磁波だと考えます。例えば、観測者に対して宇宙船が光速で運動中だと、宇宙船の質量は観測できなくて、感覚器官ではわからない「波」であるはずです。何も障害無く光速で移動できる。まるでワープです。このワープは弧電磁気論のP62に示した図41(4)です。執筆当時からみて今もそれほど理解は深まっていませんが、概ね正しいと思います。図41(4)の解釈は足跡が示す最大のポイントです。足跡図は、宇宙の仕組みとそれを利用した惑星間航行の原理図です。
>2箇所における同時
ビリヤードで2つの玉の真ん中に打つ。
これはおそらく誰かの想念を拾っているんでしょうけれども。こんな風に考えます。
過去2(t=-2)→過去1(t=-1)→今(t=0)
“記憶+今”をこのように表すと、軌跡は3点を通る最小次数モデルで2次表現になる。軌跡が曲がっているとそこに”力が働いた”と認識する。しかし、人間の時間刻みを原子に適用していいのか。原子の端から端までの情報伝達時間が有限とすると、群としては、それらは近傍原子間で連鎖していくので、級数的・指数的表現にならないか。
質点と場の発想で二乗逆比例や三乗逆比例とあるのは、人間の時間刻みによる平均化を意味してはいないか。質点と力(矢印)の考え方は、隣り合う質点同士の関係を完全に無視している。
要素間で相互作用しない媒質、というのはおかしな定義です。
また、”力が働いた”を”外から”と考えるのもどうなのか。宇宙の外は無いからです。
>2つの玉の真ん中に打つ
なるほど、この場合時間は関係ない。
>”力が働いた”と認識
寺田寅彦の云うように、力は便宜だと考えると納得します。曰く紡錘図形(のM軸上)に「力の起源」は読み取れません。E軸上の複数の実体同士にある性質の「違い」によって、投影された映像である物質間に運動P_が生じます。そうとしか読めません。例えば、事象Aの原因は事象Bです。さらに遡り事象Bの原因はCなのですが、どこまでも遡れます。孤立系であればそれでよいのですが、開放系においてはM軸上に(力の)原因を求めることはできません。なぜ加速度が生じるかの原因を求めねば終わりがないことになります。その原因がE軸上の実体にあると考えます。
>原子の端から端までの情報伝達時間が有限
いや、説明に時間を用いることによりムリがあるように感じます。やはり力は存在せず、最近は遠隔作用だと思うようになりました。電子の波は光子のようです。電子が全部運動P_状態にあるとき、M軸上において電子の質量は不定です。これが電磁波だと考えます。だから電子の波が光子だということです。この光子のことを「力を媒介する」と呼んでいるのではないかと思います。 他に、陽子中性子の「波あるいは波に近い粒子」も核力を媒介する粒子として誤認しているかも知れません。
>級数的・指数的表現
なるほど。
>人間の時間刻み
同上
>”力が働いた” 宇宙の外は無いから
同意です。上記の通り。
ところで、今、素粒子群の弧理論から観た仕訳を考えています。6種のE軸上の実体から基本粒子が出来て、それ以外の素粒子群はこの6種からの投影による映像群だということです。これだとE-M軸平面上での投影角によりかなりの数の素粒子群が説明(仕訳=3の倍数)できそうです。それに上記の通り、力の粒子は素粒子群の一つという説明になります。
>>原子の端から端までの情報伝達時間が有限
>説明に時間を用いることによりムリがある
どちらかというと、大きさがあることへの言及です。
方位磁針はそれぞれの極が地磁気の極に引かれて回転する。中央には力がかかっていないように見える。で、惑星上の原子とは、惑星の磁気が撚れて渦を描き、局所回転している単位じゃないかという仮説。その周囲を電子、中心を原子核として観測する。
電気単極はある大きさの基で想定され、磁気双極は元々大きさを想定されていない。単極・双極の発想起源はなんだろうと思う次第。
>大きさがあることへの言及
なるほど。電子が真球に限りなく近いといっても、極めて条件を突き詰めた結果であって、他の実験では波でもあります。条件によっては大きさがある。
>仮説
プランク長を思い出します。(私は)どちらかというと、全ての原因をE軸上の実体に求めようと思考してます。
>単極・双極の発想起源はなんだろうと思う次第。
実際のところ、どこからでしょうか。弧理論の考え方だと、実体がM軸に直交して現れたら単極で質量を持つし、平行ならば双極です。質量が見えない状態が波です。紡錘図形はとんでもなく圧縮され詰め込まれています。投影という仕組みからくる多面性とも理解できます。
実体-投影はイデア論に似てます。それに人間原理のよう。wikipwdiaの”重力を説明する古典力学的理論”を見ると、いくつかに分類される、同じことを考える人が沢山居ます。その中でも原子という考え方は数千年間採用され続けている。
原子は有効な見方と思う。ただ、西洋的な発想では素粒子?はそれ自体で完結していて、素粒子が完全・完璧な機能を持ち、その集合が群として動くだけなのか。そう疑問が出てくる。全体の中で機能する個、個が組み合わさって機能する全体、その表現がうまくないように感じる。否、そうではなく、全体と個に能動的・自発的な機能があるだろう。これは納得。東洋人はこれで通じる。
子供が一斉に走り出す現象があります。それまで話していたわけでもなく、号令がかかったわけでもない。突然に、整然と。大人になると忘れてしまうあの感覚に答えはあると感じます。東洋医学、古武術、能、易や禅など、東洋思想の”静中の動” “動中の静” “不動”で示される。ameblo.jp/ronjanzensin/entry-11564106681.html mac-miyata.jugem.jp/?eid=380
もともと原子はそれより細かく砕かれることは想定されていなかった。陽子と電子に分けて考えるようになった経緯があるはずですが、講義の記憶がない。教科書にそう載っていただけ。この電気分極の意味はなんでしょうね。よく引用されている水素の基底状態の絵。あれも電子雲ではなく、電気(+-)が組み合わさった絵でないとおかしい。それでなくても、静電気学にあった静電誘導や誘電分極という分布の不均一が、電磁気学では時間平均した一様な確率分布としてしまっていることに作為を感じるのであるが。しかしスピン工学などでは再度、素粒子の局所的不均一と伝搬の話になっている。空間の電磁気的弾性については何重にもややこしい理論がある。
>人が存在するのにもっと積極的な何か源が必要
毎世代ゼロから、数千年分学んでから、考えねばならないとしたら面倒な話です。直接知をどう得るかですね。単純に自分が何を感じるか。それに注目することが突破口となるのだが、後付けの外部情報がさも自分であるかのように錯覚していることが多いから、うまく疑う方法、すなわち、うまく信じる方法を我々は教育されていないのだと思う。それ以前に食える餅が必要で、そこそこ有効な生きていく術がゴロゴロしている。 ※2017/11/2投稿されたものをバックアップファイルより再掲したものです。管理人
イデア論を存じませんでした。投影による映像という考えの発端は「電気磁気が一つの何かだろうし、それが紡錘図形のヒゲの部分ではないか」というものでした、2010年から相当の期間をようしましたけれど、アランの言葉をヒントに、山崎弁栄から岡潔、さらにはヲシテ文献のカミの定義とフトマニの解釈などが「投影-映像」という解釈に合致するようだということがわかりました。進む方向は概ねOKだということがわかって安心しています。
>素粒子?はそれ自体で完結
私には、そう見えません。80年代頃に、知識DBと推論エンジンが出来ればAIは実現できるとされた時期がありました。でも無理でした。現在AIはニューロンを模したネットワークにより実現されつつあります。物や事の本質は「素」なるものにはなくて、素と素が互いに定義し合う内にあるように感じます。この考えは、素が映像であるという解釈を後押ししているように思うのです。
>大人になると忘れてしまうあの感覚
そうです。この感覚には種類が2つあるというのが私の主張です。想念の縦の経路と横の経路です。岡潔の第2の心と第1の心(私という心)に相当します。タマ+シヰとも同じです。「五感で分かる」を外へ一歩踏み出すことは大事なのですが、言葉は悪いですが「ミソもくそも一緒くた」になってしまいます。G・アダムスキーが云った「こっくりさんとブードゥー教をやってはいけない」の意味がここにあります。Star Warsでいうdark sideみたいなものです。
>毎世代ゼロから、数千年分学んでから、考えねばならないとしたら面倒な話
まったくです。それ故、生まれ変わりがあると考えた方が合理的です。双六を毎回最初からというのは無駄です。
>直接知をどう得るか
これが想念の縦の経路です。これを精神科学といいます。シラスウシハクのシラスの元であるシルは「知る」であって、現代人に分かり易いのが「気(キ)付く」です。気付くには入力が無い。出力のみのニューロンが存在するのではと考えます。そのトリガーが想念の縦の経路によるものだと考えます。想念は生理的な電気現象を伴うように思います。情報とエネルギー(ここでは運動P_)には密接な関係があります。 面白いことに知るや気付くに現在形はありません。過去形のみです。喜怒哀楽を示す嬉しい悲しい楽しい腹立たしいの「シヰ」には現在形があります。気付くはタマに近いものがあります。気付くは極めて静的です。喜怒哀楽とはまったく違います。喜怒哀楽は五感によるからです。
>さも自分であるかのように錯覚
全同意です。人をブラックボックスだとすると、五感からの全入力のごく一部を出力しているだけで、新規性のある出力をできる人はほんの一握りです。大抵の人はコラージュと同じで切り貼りしているだけです。
>食える餅が必要
あまりに厳しい現実があります。このような研究にスポンサーが必要ですけれども、あると道を違えてしまう。
>>素粒子?はそれ自体で完結 >私には、そう見えません。
はい、見えません。素粒子追究がそう見えたのです。フーリエ級数を知っている人たちが原子を様々な周波数の総体と考えないのは何故なのか。色鉛筆に色の名前を付けるのと同じなのに。
基本要素のatom、その後の4元素や5元素、今の周期律表。一貫して科学者は「ここに何かある」として丸を描く。極めて単純な思考形式。まるで冗談のようだが、これが基の発想に違いない。ちなみに数学者は「蟻が1体」と小さな円を1つ、「象が1体」と大きな円を1つ描き、「合わせて2体」と言う。大きさが違うと指摘すると、今度は面積を計算し始める。冗談のような本当の話。粒子や波への分化前の、この丸をああだこうだとしているわけです。この丸が閉鎖系だとすると宇宙はバラバラなので、開放系と見るべきでしょう。
>想念は生理的な電気現象
調べてしまった無駄知識。 haradatakeaki.blog130.fc2.com/blog-entry-8.html ヒトは開放系で、内部で循環しているものと内外の送受信は同経路で混在している。全てが接続された時に電球が光る。
>五感からの全入力
よく理解されていないんですよね。入力があることさえ忘れることがある。感覚入力を常に内部滞留しているものと照合・検証し、変換・出力する。ところが後付けの言語や環境情報も溜まっているから、無意味なものと掛け合わせると出力がゼロになる。自分が何処の誰なのか悩む人は多く居ると思う。言ったら笑われますが。そうして、個性の演出の為に皆が同じツールを使う社会ができあがる。
自分の中である程度強いイメージになったものを探すと、ほぼ同じものが見つかります。周囲にその想念・情報が流れていて、いつのまにか拾っている。図面を通して宇宙のことを考えていると、自分にプログラムできるようになるみたいです。必要な情報は勝手に届きます。私はアダムスキー本の哲学部分はなるべく読まないのですが、結局図面を通して同じことがわかります。
次のザル、素粒子の流れ、光のギア構造、などはかなりイイ線で、これもほぼ勝手に見つかりました。 ch.nicovideo.jp/usagiowo/blomaga/ar917622 と ar1024084 スカリーの本にもエーテルカバーとあるし、ギア構造の発想はかなり昔からある。夜空に見える星が今現在のものというのはとても面白いです。私が20年前に聞いた話はつい2年前の研究で明らかにされていました。
私は原子を見たことがない。なのになぜ、それがあるものとしているのか。
当初、原子はそれより細かく砕けない基本要素として考えられた。陽子と電子に分けて考えるようになった経緯があるはずですが講義の記憶がない。教科書にそう載っていただけ。一般人が捉えている原子は教科書イメージがほとんどでしょう。この電気分極の意味はなんでしょうね。なぜ中央が+で周囲が-なのか。このモデルは妥当なのかどうか。よく引用されている水素の基底状態の絵。あれも電子雲ではなく電気(+-)が組み合わさった絵のはずです。
静電気学では静電誘導や誘電分極という分布の不均一、化学でも分子の構造説明では平衡の為の不均一がある。電磁気学では時間平均した一様な確率分布としている。そして先端のスピン工学では再度、素粒子の局所的不均一と伝搬の話になっている。
電磁気学はマクロな動作の記述になっている。だから電磁波を使う通信工学は発展した。マクロ-ミクロ間の断絶があるから、電動機・発電機は加工と制御の精度を上げる以外の変化はなく、マクロの電磁誘導のままだ。原子力連動にはなっていない。
葉序は植物の生存戦略とも云われます。簡単-複雑は見方次第なのかもしれない。 http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/skondo/saibokogaku/categories/scientific%20columns/fibonacchi.htm
ある基準を定めると現象は非線形に記述されるのではないか。メタ的にそんなことを思いました。距離と時間を等間隔に刻むとすると、力は必ず非線形になります。これはマクロな見方です。しかしミクロでは、フィボナッチ数列のように単純な近接伝搬なのではないか。
波と粒子の性質があるとすれば、空間が昔で言うところの「エーテル」で満たされているのでわないだろうか。
これまでによれば、空間は2つの源からの投影によるようです。2つの投影による6つの緊張が平衡状態にあるのが空間です。だから2つの目と耳を持ち、立体を認識できると考えます。 過去にエーテル・真空エネルギー・零点エネルギー・暗黒エネルギーやディラックの海などと呼ばれるものは、何らかの緊張状態を意味していると理解しています。平衡状態にならなかった差分だけが物質となっていると考えます。ですから物質である人が宇宙の何処に行ってもそこは空間です。孫悟空がお釈迦様の掌から出られない例えに似ています。
弧理論の考え方によれば、E軸上の実体が投影されることによって、質量を持つ物質が位置を伴って現れます。位置と位置の変化が運動です。運動の一つの形態が波です。波がもとで絶縁体を隔てて電子が現れます(トンネル効果)。電子の位置を究極まで決める実験により電子が真球だとわかります。では電子とは何なのか?球なのか、波なのか、隔てて現れるけど、物質だし。電荷を持って運動すると周囲に磁場を持つ。
結局、電子とは何なのか、理解に苦しみます。でも電子が映像だとすると理解は容易になります。「電子は多面性を持つ映像だ」ということです。多面性とは状態の違いです。状態とは球であったり波であったりということです。でも電子に個性はありません。映像を構成する画素だからです。
あの図は、何を、というより、どこを見るか?になると思う。原因となる力の働きは図には描かれず、その解き方に示される。大切なのは自分の感性を信じること。
今まで何年も同じイメージ図を描いていたらしく、1930-60年の資料にほぼ同じ原子・磁力線モデルがあるのを見つけました。その発明者の言葉から、戦争前後で失われたのは教育基盤と自尊心だと思った。栄養の巡らない枯れた世界を感じるのは当然のこと。大学の先生でもそうらしい http://www.st.keio.ac.jp/learning/1312.html 関係して運動が起きるにも関わらず、磁荷は無く磁力線も仮想線とするのは元の理論が致命的問題を抱えていることを示している。
斥力、あるいは引力だけを考えるのは、原子モデルのイメージが刷り込まれている可能性がある。中央が+で周囲が-ならば、近距離のそれらがより支配的に反応する。これを質点にすると計算上無限遠に対応する極が存在することにせねばならず、これが単極の誤解を生んでいると考えられる。電気は常に対で使う。起電器でも片方だけの生成はできない。分極しているだけだ。原子の+-も分極させ得る何かの方が根源になる。
単極誘導モータの磁石と円板が回転・静止になる4つの組み合わせは、磁気が光速度を超えた計測不可能な状態、電気は光速度以下のもの(計測可能)とすると、非対称に見える現象の説明が付く。もし、周囲が銅円板より導電率の高い気体ならば、気体の方が回る。どちらが回る場合でも、回らない側に原因となる何かは存在している。空間を記述する際、運動している側と静止している側に”原因となる何か”の同じ理屈があると考えます。
回らない側に”も”原因となる何かは存在している。
お示しいただいたリンク先を読んで感じるのは、テスラの「(電磁気学は)まるでフィクションのようだった」というのと寺田寅彦の云う「便宜」です。 人の感覚はいい加減だから人を排除しようとしたが、どうしても人の観念(力とか時間とか)を排除して理論を組み立てられなかったというのが歴史だったのではないだろうか。あるいはベアデンの云うように金融資本家の云うがまま、歪められた結果かも知れません。力の素粒子でも何か意味を成さないように感じます。もしかしたら物理現象の全てにおいて「匙はスプーン、スプーンは匙」があるかも知れません。最後は人の便宜に頼るしかない。本質は別に在る。
+-あるいはNSというのももっと高い対称性があるように感じてきました。でもよくわかりません。これも原因は別に在る。
私の場合、紡錘図形から読み取れる力は、E軸上においてのみです。M軸上には運動P_しかありません。M軸上においては因果の連続しか無く、真の原因はE軸にあると感じます。
>空間を記述する際、運動している側と静止している側に”原因となる何か”の同じ理屈がある
私の場合、E軸を起点に考えたいです。M軸(物質空間)上のすべては相対的です。観測者の立場によって(運動の)見え方が変わる。光速度不変も苦し紛れのように見えます。
人はどのように物事を推理し、理解するんでしょうね。万人に通じる共通点があれば、世代を超えた知識の伝達方法ができ、発展が約束されるでしょうに。
光速度を不変とするのは設定のひとつではないかな。金属中でも30万km/secになる? コアとコイルは連動して動くので、ここに磁気伝達要素があると仮定すると、それは磁石内外で同じ速度だろうか。
水が水蒸気になる時も分子移動速度はどう変わるのか。ムペンバ効果(湯が水より早く凍る)では熱伝達の仕方が違うのか。
気球は軽い気体が浮力を生むというが、対流圏では下の方が暖かい。ではなぜ浮く? 大気は高度により気温が上がったり下がったりする多層構造になっているらしい。
方位磁針の運動は磁気再結合ではないのか。
エネルギーと力の伝搬について、何か基本的なことがありそうです。
テスラの「フィクション」発言は、自身の理解に照らして「理論が実態の表面しか表せず、根幹を制御できない」ことに気付いていたと推測できます。実際311の震災でわかったように、今の交流送電は人間社会にとって極めて脆弱です。それに惑星電磁気環境に対抗する方式でもある。人の観念を埋め込んで(あるいは排除して)理論化することで、後の解釈で千変万化してしまう。人は人の中に金を見出そうとするから。私は金融が何かわかりませんが、金融家は人の特性をよく知っていると思う。
>どのように物事を推理し、理解する
岡潔は(不安定な素粒子について)「少なくとも、一部は映像と云ってよい」といいました。過去の考察によれば、安定な陽子は映像だと結論しましたし、電子の多面性も映像だとすれば理解が容易です。恐らく中性子も映像だと思われます。すると基本粒子(陽子中性子電子)はいずれも映像であって、謂わば画素(ピクセル)だということになります。ですから、国語辞書による匙はスプーン、スプーンは匙というのは正しいです。例えば「籠:かご」は、プラスチックや植物の蔓、竹籤などを編んだものです。籠など存在しません。プラスチックや植物も存在しません。有機物無機物も存在しません。必要なのは3つの基本粒子だけです。基本粒子(画素)には「状態の違い」はあれど、個性はありません。あっては画素になり得ないからです。結局、匙にも籠にもその本質はなく、基本粒子にも本質はないはずです。すべて(映像:動画)は画素の組み合わせに過ぎないからです。アランがなぜE軸上の「実体」と呼んだのか引っかかりを感じてきましたけれど、やっと納得しました。岡潔のいう五感でわかるものというのは画素の組み合わせによるものだと云えば納得できます。佐々木さんの疑問はすべて組み合わせの結果上のことです。「電気磁気現象が一つの何かからの投影」だという発想は、最初から「電磁気が映像だと考える」ことと等価だったのです。
恐らくギリシャにまで遡ることができるという要素還元論(アトムにあるという考え)は間違いです。物や事の本質は素粒子にはありません。
ついでながら、本居宣長の(物の哀れ)の考え方から縄文哲学のナサケエダ・アワレエダについて考察した結果、それぞれ現代の言葉で言えば「静止画と動画」だろうとしたのは、上記と合致します。これが微細な現象が離散的であることを認識できる根拠です。そして岡潔の「情」とナサケエダに通じるものがあるとするならば、岡潔の云った「大宇宙の本体は情である」だけでは不足すると考えます。もっと能動的で積極的な何かがなければ第2の心とともに第1の心の存在も理由がわかりません。人が存在するのにもっと積極的な何か源が必要だと感じます。
人が唯物主義であるならば、AIに置き換えることが可能です。チューリングテストを考えるとそう思えます。AIに気(キ)付く機能を持たせることは不可能です。想念の縦の経路(気付く)がAIとの違いだと考えます。それ以外はブラックボックスとしての人やAIに違いは無いと思われます。
>エネルギーと力の伝搬について、何か基本的なことがありそう
同意です。E軸上にしか「力」が見いだせません。
>金融家は人の特性をよく知っている
同感です。お金と時間について、私の感想「幽霊の正体見たり枯れ尾花」 どうも人は抽象的であることは高等だという観念を植え付けられているようです。本当は、より基礎的なことに気付けるかどうかで次へ進めるか決まると思います。ノーベル賞なんかもそういう道具に使われているようです。
追記 陽子は内部構造を持たない。衝突実験による崩壊ではなくて、消滅生成だと考えます。だから陽子は映像と考えます。単独で取り出せないクオークなど無意味です。
netflixで「未知との遭遇」スタン.ロマネク氏のドキュメンタリー映画が公開になっております。収録映像に、知的生命体から得られたワープと光速を超える方程式があります。番組でその方程式に関する意見を求められた科学者が、言葉を選びながら説明しています。
できることならΦさんの意見も拝聴したく思います。
ありがとうございます。netflix視聴はできませんけれど、何年か前に動画 ttps://www.youtube.com/watch?v=1Snck4fMP_A を見たことがあります。映画のtrailerを見ました。ttps://www.youtube.com/watch?v=poUb2mMEdB8 云われた数式らしきものは
これでしょうか?
UFOや宇宙人のお話は、昔からずっと混乱していて難しい問題です。 過去記事ネコの言葉にあるように、私は誰がいつどのように残した資料であっても他の資料と合理的に整合がとれているものだと感じれば該当部分を覚えておきます。逆に写真等どれだけ証拠とされる物があっても地球目線であったり過去の資料を意図して修正したものだったり、どこか胡散臭いものであったり、普遍性がなく有意だと思えない物であった場合は切り捨てます。この辺は難しいです。ビリーマイヤーなどはまるっきりくみ取る物がありません。時間の無駄です。
例えば「私はM78星雲から来た宇宙人だ」というのは地球目線です。そういう意味では、方程式?は体裁からして地球目線だと感じます。これまでの考察の結果からして、もしこの数式らしきものに時間の概念が含まれていれば、地球製だとわかります。これまで本当だと感じた資料は、いずれも「私自身深く考える」ための「考え方を示す(教育的)資料」が多かったです。(しかももの凄く濃縮されています。)直接的な「これが宇宙の真理だ、真実だ」のようなものは有意だと感じたことはありません。何かを気付かせる、考えを促す資料こそが大事です。逆に偉い学者の意見であったりしてもダメなことがあります。岡潔の言葉には「濃縮されている」という意味では同じ凄さを感じます。異星人がいるとすれば、彼らは天才です。そんな薄っぺらいものではありません。全yesでもないし、全noでもありません。部分部分を切り取って個別に判断すべきだと思います。後大事なこと。情報は量より質です。上質の情報は、見方が正しければ、深いし広がります。
グレイは計算された気持ち悪さがある。そう設計したという噂を聞いたことがある。子供が見たらトラウマ必至だ。ロボットでもそんなのわざわざ造るかねえ。
「数式を使わないで、日常生活用語で説明できなければ、その論理は疑わしい」
そうですが反論します。
ニュートン古典物理学は自然言語で書かれたニュートンのプリンキピアの数式版です。当時、数式が存在しなかったので内容を全て自然言語と図式で説明していたのです。
自然言語で書かれたニュートンのプリンキピアに対する反論はどうしますか。
「数式を使わないで、日常生活用語で説明できなければ、その論理は疑わしい」
との一言で一蹴出来ますか。
それとコメント欄を拝見したところ、
折角のコメントをΦさんは幾度と無視しているようです。
それは相手に対する無礼に当たります。
コメントには出来る限り返信して下さい。
8月21日の記事についてですが、貴殿は二重スリット実験について、どう思われますか。既出でしたら再度レス願えませんでしょうか。
弧理論の考え方に行き着いてからも「波」について、どう考えたらよいのか随分と悩みました。確か学生の時二重スリット実験とニュートンリングの観察をした記憶があります。 波であり粒子であることは実験的事実です。1900年代初頭、科学者たちはこれを理解するのに苦労したわけです。波動方程式について、水素原子の基底状態は手計算で解けることを習った記憶があります。
弧理論の考え方において、人の五感でわかるのは質量を持つ物質の運動と波により遠隔で引き起こされる物質の運動の2種だと考えます。 弧理論の考え方において、波として観測するのと粒子として観測するのは同じだと考えます。E軸からM軸へ向けての投影角が浅くなるにつれて質量は次元を失います。投影角が浅くなるにつれて波としての性質が強くなると理解します。E-M軸平面という投影の仕組みにおいては、粒子存在の確率密度と同じ結果になると考えます。
併せて、E-M軸平面からの投影という考え方は、極小の現象が離散的であることを構造として示せます。E=Mc^2ということの意味も理解できます。投影角により様々な素粒子が存在しうることも説明できます。素粒子が基本粒子(陽子中性子電子)3種の倍数になるということも説明できます。
かつて某氏に「弧電磁気論という空想理論には、仮説が多すぎる必要最小限であるべき」と云われました。それにしても私にとってメリットが多い仮説は魅力的です。そして、スピンやフレーバー、カラー、ストレンジなど心に描けない状態は先へ進むに障害です。量子もつれなどは実験等が進んでいるにもかかわらずほとんどの人は仕組みを理解できません。これは異常です。 弧理論の考え方は万華鏡に例えられます。観測的事実と本当の仕組みの間に相当の乖離があるように感じます。
何より岡潔が指摘したように自然科学の自明とする時間空間が怪しいというか成り立っていないものを放置するわけにいかないという心境です。
伝わるかどうか、意を尽くせませんけれども、補足を交えて。
一言では「粒子と波動性の二重性」に替えて「質量を持つ粒子は投影角により運動と波の性質を帯びる」となります。
>電子が核を周回しているとすると古典的に破綻
これはラザフォードからボーアの原子モデルになった頃のことですね。wikiの概要を読み返して電子のエネルギー準位やプランク定数などの講義があったのを思い出しました。
ラザフォード模型で電子が運動してエネルギーを失うとあるけど、そもそも電子単体では電磁気特性を持ち得ないはずです。原子核と対で定義されたわけで。対での説明が無いと不完全。その後、ボーアモデルは定在波やエネルギー準位、量子条件の話になっていく。それでも電子についての定義が多く、その時の原子核がどうなっているのかの話は無いらしい。問いの設定が途中からおかしくなっているからです。
定在波の部分を電子、波として観測できない内側を原子核と考えれば良いのではないか。存在しているものは全てが網目状につながっていて、網の目のことを原子と呼んでいる。網の要素は光である。と、考えていたら、これは弧理論の発散トーラスのことではないか。エネルギー準位や元素構成が離散的なのは、要素が構成できる組み合わせ、かつ、周囲との接続が可能な条件があるからではないだろうか。要素を光とすれば、当然、物質の運動は光速度を超えない。網目のことを物質としているのだから。
>そもそも電子単体では電磁気特性を持ち得ないはず
どうでしょう?アランの言葉「運動している電子は磁場を作り出す」でよいと感じます。逆に「観測者に対して静止する電子は電磁気的特性を持たない」と同じ意味になります。実際、静止した電子は存在しないと思います。キーワードは運動です。運動から時間を作る。運動により磁場が出来る。運動は相対的です。エネルギー[ML^2T^(-2)]も相対的です。
>定在波の部分を電子、波として観測できない内側を原子核と考えれば良いのではないか。
私としては「否」です。弧理論の考え方によれば、相対的な運動によって質量が見えなくなる(次元を失う=五感でわからなくなる)。その一形態が「波」です。波は遠隔で物質に運動を起こす。視覚もこれによる。「粒子であり波である」の本当の姿をE-M軸平面の投影角で理解したいです。
>発散トーラス
ご存知のこと、発散トーラスには加加速度が必要です。周回するときに生じるのは加速度までです。如何にして原子の回転の構造に加加速度が生じ得るのかまったくの謎です。これが解けなければ「原子を構成する電子に4つの発散トーラスが存在するだろう。放電には概ね4種あるはず。それの原因が弧Arkだ。」という記事にできません。
>エネルギー準位
自体を運動P_と理解しています。エネルギー準位がそもそも投影という仕組みによりますので離散的です。上記の通り光は電子の一形態(波)であるように考えています。このとき電子はM軸に平行に投影されて質量は不定です。同時に対応するE軸上の実体CがM軸上に現れているはずですが、投影角が90度ずれているので質量は不定です。結果、電子の一形態、「波」である光の質量もゼロになります。
突然ですが、弧理論の考え方によれば、E軸上の実体Aや実体Iはその斥力ゆえに、M軸に投影されて質量を観測できない暗黒Mや暗黒Eとなっていると考えています。この考えは弧電磁気論を書いた当時から変わっていません。すべての物質は暗黒Mや暗黒Eから斥力を受けているようです。(観測者から観て地球の)地平面が湾曲しているように、観測者を中心に空間も湾曲しているようです。これが膨張しているように観測される原因だと考えています。
電子単体に電磁気特性が定義されたわけではない、の方がより精確な表現になる。電子に電磁気的外力を与えた場合、原子核にも何らかの影響があってしかるべきですが。空間格子のように扱われるのはしっくりこない。
>観測者に対して静止する電子は電磁気的特性を持たない
観測者と同期して動いている電子(群)は電磁気特性を持つ? 地球は帯電している。しかし、通常私たちはそれを感じない。台風や雷雨の日には電磁気変動を身体で感じることがある。帯電とは何?が今の疑問です。
>相対的な運動
粒子を波に置き換えても同じになりませんか。運動を考える場合、視覚をベースとして、対象を粒子や物体と捉えることが多い。群速度の定在的なうなり部分を粒子として観測しているとしても矛盾は無い。
>発散トーラスには加加速度が必要
渦を巻く理由? 現行理論を1段階微分して表現したかのようにも読める。E軸と積分回転を定義したために、微分しないと合わなくなるからか。それは元を辿ると”前提”ではないのか?
>暗黒Mや暗黒E
一番わからないところ。暗黒**と暗黒ではない**とは区別ができるのかどうか。わからないことを2つに分けておくのは前提であり、それは思考のミスリードに繋がる。
静電気帯電はその例です。人間の神経はuAを伝達します。指先を近づけると帯電しているかどうかわかる。しかし、これは摩擦電気を起こして局所的に分布を変えた場合であって、身体周辺の大気が帯電していてもそれは検知しない。帯電と非帯電、2つの状態に2つの異なる定義を当てはめるとおかしなことになる。現行理論の4つの力もそんな感じでバラバラの定義になっていると思う。
>電子単体に電磁気特性が定義されたわけではない 空間格子のように
なるほど。空間自体が何なのかわからないです。とりあえず「投影により質量を持つ物体が位置を持つ」としています。この考え方によれば、空間は距離ではなくて角度がより本質的だとの結論です。
>粒子を波に置き換えて
繰り返しますが、五感でわかるのは物質の運動と波を通じて遠隔で引き起こされる運動だけだと考えます。波自体は五感でわからないという立場です。光そのものは五感で分からない。光が眼を構成する原子内の電子を振動させる。アンテナは電波を捉えたのではないということです。アンテナに起きた電流により、電波が来たとわかるということです。
>定在的なうなり部分を粒子として観測
ほぼ同じに感じます。
>渦を巻く理由?
加加速度は躍度のことです。渦がおきるのはE軸上の実体どおしの斥力がM軸上では接線方向に働くからという仮説です。それでもただの回転に躍度は生じない。
>一番わからない
同じくです。わからないなりにもなんとか考える。地表はとても広いのに閉じている。なら空間も同じと考えます。空間がもつ基本的性質だと理解する。孤立系を拡張しても開放系になり得ないことが理解できない。「投影により質量と位置を持つ」という最初から開放系でないと理解できないように感じます。その中で観測される暗黒~を理解したい。
>バラバラの定義になっている
全同意です。ttp://www.zaikei.co.jp/article/20110528/73112.html
過去記事にした「電子は完全な球」というのは矛盾しています。電子の電荷が空間的広がりをもつことになる?どうも訳が分からない。おそらく4つめの次元軸としてE軸を想定すると自分的にはかなりうまくいくと感じます。
ここでのやりとりは深淵に近いと感じます。超ひもで次元が足りないから指折り10次元にするというお話しよりも深いです。 実は当ブログでは初めて取り上げる言葉ですが、E-M軸平面は非ユークリッド幾何に近いと感じます。遠くの銀河がより早く遠ざかるように観測されるのはM軸が湾曲しているからかと思い始めています。同じく超微細な領域も湾曲しているのではないか?紡錘図形を眺めていて強く感じます。そのせい(空間の性質)で五感でわかる範囲が決まってくるという考えです。宇宙の中心は空間(M軸上)にはないということです。宇宙の中心は空間にはなくてE軸上に「2つ」あると考えます。宇宙における主たる力は斥力のはずです。それが元で渦ができる。大小渦だらけ。波は一定の役割は持っているでしょうけれど、本質から少しずれていると感じます。波は粒子の一形態。
アリストテレスの自然学に”時間は運動の数”と出てきます。二千数百年以上、磁気や重力などの問題が残っているわけです。
>電子は完全な球
あの記事はただの工学計測と読みました。LHC実験と同じです。可能な限り精確に陽子の正面衝突を起こすこと。対して、可能な限り電子に影響させずに減衰無しで光を通すこと。頭の良い金食い虫です。ラットの迷路実験と仕組みが同じ。科学者にも市場原理がある。
>電子の電荷が空間的広がりをもつことになる?
ヘンな質問です。こういう時は元の定義を疑うべきです。電子、電荷、空間はそれぞれ何か。以前、Φさんの自分の科学とは何か?というヒントから、五感で識っていることを言語化前まで遡ってみました。つまり電気・磁気・重力などの用語や定義を完全に忘れ、体感の記憶だけを思い出すことを試してみた。効果がありました。電磁気や重力に関して理解しているのは片手ほどでした。後付けの知識や言葉は、身体の感覚・記憶とズレがあるはずです。
>遠くの銀河がより早く遠ざかるように観測される
観測方法と計算に依る。地球光速度、太陽系光速度、銀河系光速度など違っていて当然と考える者としては、地球光速度だけを用いた場合は遠方ほど計算の歪みが出てくると予測します。誤差累積です。似ているのは ttp://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/kairo36.htm
>非ユークリッド幾何
重力は空間の歪みである、と同じ思考過程になってませんか。あまり自分をトリックにかけるのはおすすめしません。五感の感応範囲に上限下限がある方がまだわかりやすいです。
>深淵
自分の考え方が理解できていないと他人にはさっぱりの内容ですがね。少なくとも次元の数を数えることに注目する人たちは小学生より算数ができないと思う。次元の数には単位が無い。だから重要だと考えるんでしょう。よく訓練されている。私は答えの無い問いにこそ興味が持てる。
>”時間は運動の数”
面白いです。天体の運行に数を割り振ったのが時間です。でも位置に単位を附けて物理量としたのは納得できないと云うか、時間は物理量にできません。なんやかや云っても、今も昔も本当はわかっていないのだろうと思います。
>市場原理
確かに一面です。でも空間とは何か?考えません?疑問です。
>元の定義を疑う
過去記事で扱った「匙とスプーン」を思い出します。本当は何かわかっていないから、あれこれ定義する。それら知識(辞書)を持ってわかったつもりになる。
>誤差累積
本当に膨張しているのでしょうか?わからない。膨張しているのならば、宇宙の低密度領域の反対側がビックバンの中心方向ということになりそうです。
地球がビッグバンの中心である確率はゼロに近いです。ttp://www.cosmology.jp/whats-new/238 もっと極端に低密度領域が観測されてよいはず。
>重力は空間の歪みである、と同じ思考過程
いいえ、紡錘図形が原子の構造を示しているとともに宇宙の構造も決定していると解釈した上で至りました。「重力は空間の歪み」原因と結果が逆です。重力はE軸上の実体が持つ回転の結果により決まる原子が持つ真のEからくる表面張力のようなものと考えます。原子の回転を制御して真のEを変化出来れば質量とは無関係に重力を決定できます。CO2が先か温暖化が先かの問題に似ています。何か詐欺的です。
>五感の感応範囲に上限下限がある
投影角が90度でM軸と平行のとき波として観測される。(つまり光速度)このとき質量はM軸上で次元を失い測定不能です。結果、五感の範囲外になると考えます。偶然(五感の範囲外)と(空間の歪み)とが重なるのではなくて、その仕組みを意識してのことです。弧理論の考え方においては、重力は結果です。真のEが問題です。質量と真のEは異なる。極大極小の領域はいずれも投影角が浅くなると考えています。(観測者から対象が高速度で運動していることと同義)
>答えの無い問い
そうですね。権威のある有名な人ほど「わからないこと」を明示しません。そう振る舞います。私の考えが正しいかどうか自信はありませんけれども、正しいと思わねば続けられません。ただ、これまでに調べた範囲においては優れた資料には共通点が多いです。よく似た形をしています。おそらく分野が全く異なるこれらに共通するところの先に本当のことが入ってくると感じます。正解の近くに居るんだろうと感じます。二項対立に嵌ることなく続けます。
>位置に単位を附けて
運動方程式を位置pと時間tの3次微分(躍度)で表現しようとしてませんか。似たことを考えたことがあります。運動方程式F=m・dx^2/dt^2、力積F・Δt=m・(v2-v1) には観測者が居ないと感じ、力Fの意味がわからなくなった。力Fは質量mに関係するが、時間tは質量mではない観測者に依るのか、もしくは質量mこそが時間tを視るのか。観測者と力F、位置p、距離x、質量m、時間tの関係性が示しきれない。ゼノンの”飛んでる矢は止まっている”と形式は同じかもしれない。
>膨張している 地球がビッグバンの中心
一般人に見捨てられる科学などただの通説です。「だからどうした。今ここに居る私と何の関係がある?」科学者はこれに端的に答えられないと。新たな発見が、古くからある問いを忘れさせるようになってはいけない。
二項対立。ttps://blog.riywo.com/2008/06/21/015100/ 関心相関性は使える。
>元の定義を疑う
重度色弱があった身としては、子供の頃から否応なく”視ているものが異なる”ことを意識させられてきました。調べると、4色型色覚もあれば、可視光範囲が違う人もいる。オーラを視る人も視覚野に符号化オプションがある、程度のことでしょう。五感でさえ、その情報をうまく使えているとは言い難い。
電子、電荷、空間はそれぞれ異なるイメージがあります。そう教わって固定化した。それが問題。実験で電流を流した時に導線がブルッと震えると仰っていましたね。その感覚と理論の違いに意味があるのだと思います。感覚の方が情報量が多い。言語化以降はごまかせますから。普段忘れがちというだけで、感覚そのものの情報を視るのは誰でもやっています。
正確には、「東京は位置であって量ではないから位置(東京という位置)に単位を附けて物理量としたのは納得できない。これでは時間と同じ。」です。確かに式のままだと力の意味がわかりません。これまでの結果、少なくとも時間tは使えない。だが運動P_のままでは何もできません。アランは極力「現象は相対的である」という見方を示しているように感じます。位置・運動も、力も相対的。ブラウン運動のように合算した差分だけが力として観測できます。(真空E・ゼロ点E・暗黒Eもしくは弾性Eを意識してます。) これをE-M軸平面で考える必要があると思います。要は(E-M軸平面全体では成り立つけれど)M軸内で作用反作用が成り立たないことがあるはず、それを見つけたいということです。
>古くからある問いを忘れさせるようになってはいけない
同意です。ことに五感でわかる何かから離れ過ぎて抽象的な解釈は疑うべき。例えば双子の電子。量子理論の限界を示しているように思えます。現象はあるのに誰も納得できない。
>関心相関性
そのものを否定しません。「予め用意された二項対立に嵌らない」ということです。選択すべき道は見えるもの(示されたもの)以外にあるかも知れないと警戒すべきです。世の中どうも怪しい選択肢が多いようです。2大政党制でも何も変わらないと誰もが感じる。示された選択肢そのものを疑えということです。ことに宗教は紛争の種だと誰も否定できません。過去に書きました。
>言語化以降はごまかせます
そうです。国語辞書に匙はスプーン、スプーンは匙と書いてある。それでわかったように思ってしまう。ネコの言葉(知識があるからといってわかったつもりになるな)を取り上げたのは、そういうことです。
次元軸は運動の特徴を抽出する「向き・方向」であって量ではありません。次元軸をまとめて空間と云います。ですから空間が物理量かどうかわかりません。素粒子物理の行き着いた超ひもが10次元空間や11次元空間というのは、指折り数える児戯に等しい。更に先にある多元宇宙は妄想です。岡潔は「自然科学は画用紙のような簡単な模型。学問ですらない」と言いました。自然科学の時間も空間も抽象的な概念であって物理(もののことわり)に値しないかも知れません。考えるに、五感でわかる運動の自由度が3だから空間という概念に行き着いたのであって、宇宙が空間という入れ物の中にあるという考えは誤りです。 それにしても五感でわかる運動の自由度がなぜ3なのかわかりません。
また、五感でわからないが自由度を(E軸として)「1」あげようという発想は、質量を持つ物質とその運動P_の関係を「仮定する真のE」と(投影角で)結びつけることにより、合理的に理解できるという要請からであって、超ひものような(数学上の)抽象的な意味で次元が足りないから次元軸を足すのとは訳が違います。物理学者の井口和基氏は「物理学者は数学オタクで物理がよくわかっていない」と書かれています。(記事失念)
>運動の自由度がなぜ3なのか
自由度は1です。AとBの2者間で運動その他の現象が起きるわけで、その方向・極性に意味がある。XYZなどの3軸化は後で拡張したに過ぎません。(例:X-Y-Zの軸間パラメータをtとした)
ここは思考順が逆になると思う。例えば、電・磁・力の2つから残り1つを造るのではなく、要素に何かが起きると電・磁・力の3つが同時に発生すると考える。この3つの現象がそれぞれXYZの3軸に展開できる。
>自由度は1 後で拡張した
なるほど、前回コメント後、極座標を考えていました。これほど紡錘図形を考えてきて、宇宙の本質は距離ではなく角度だと主張してきたにもかかわらず「空間」というと3次元空間を思い浮かべていました。頭のかたさに驚きます。
孤立系→3次元空間→距離が重要→10進法 方や 開放系→角度による空間→角度が重要→12進法(2πではないところが肝です) で後者が今後の方向性だということです。時間は用いません。(近似だから) だから現状「力」が何かを紡錘図形から読み取れていません。
E-M軸平面において、作用反作用は成り立っているがM軸内では成り立たないことがあるだろう。E軸とM軸の間において成り立たない何かがあるだろうことは私の中では確定です。
また、角度の観点から回転運動が本質です。ことに単極誘導です。同軸多重反転モーターは反作用が相殺することがあります。単極誘導には何か見落としがあるはずというのも私の中では確定です。単極誘導として観測しているのは差分だけ。デファレンシャル・アキュムレーターがキーワード。単極誘導の何かで差分を累積できるはず。
余談ながら、3つの科学(精神 社会 物質)を等しく努力せよといっても、荷が重すぎ。
自由度というか、自然がそうなる必然性は1通り、説明も1通り。そこまで行かないと最上流ではないですよね。今更ながら、光・電気・磁気の範囲をDC~∞[Hz]の全てとしているのは仮説であることに気づきました。周波数が高すぎると包絡線がDCに見える。
起電器を入手したので他の素材調査してます。フランクリンモータは単極モータに似ている。
>3つの科学(精神 社会 物質)
東洋思想には基礎かつ到達点である、全体即部分・部分即全体があります。個人と社会・文明は同じものだと思います。行き過ぎたものも、オカルトチックなものも、結局は受け入れない。人体の細胞が60兆として、それがさらに原子で構成されています。それだけの数のセンサがある。統計ではない自分がここに居て、何を感じるか。基準が他に無い。
>DCに見える
あるような気がします。我々が知る電磁気現象は複数の「距離の7乗に逆比例する力」の重ね合わせにより起きているように感じます。差分が電磁気として認識される。仮説の通りなら、重ね合わせに同期すれば運動P_として取り出せるはず。
フランクリンモータは作ったことありません。起電器の集電板に静電気を与えるとモーターになるようです。2台あれば片方を回せるようです。起電器の起電圧が上がると回転が重くなりますね。静電気を放電しながら回るということです。
>基礎かつ到達点である、全体即部分・部分即全体
まるっと同意です。研究の過去を振り返ると、粘土細工を次第に形にしている感覚です。細部だけに拘ると全体がまとまらない。岡潔はたぶん(五感でわかる・わからない含めて)全体を学問・科学としたかったのではないかと思います。9月5日の記事で取り上げた岡潔の言葉に不安定な素粒子は「映像」だと述べていたことは驚きです。もの凄い直観です。私の感覚ではオカルトも新宗教の一種であるスピリチュアルも仕組みの内という感覚です。仕組みがわかればやがて、これはこれ、それはそれとして区分し排除される。何か訳のわからないものとして排除するのとは違います。
フランクリンモータは反対側をアースにすれば起電器1台です。電荷の移動経路ができればいい。地磁気の中で静電気の電荷移動により回るモータ、磁石影響下で動電気により回るモータ、電磁気の量や強度?以外に違いは無いように思えるのです。小中学生向けの静電気実験と高校以降の電磁気学にはミッシングリンクがある。
電磁誘導とローレンツ力の起電力をなぜ”本質的に異なる”としたのでしょうね。マクロとミクロの各階層における定義と、階層間のインタフェースを明確にすれば十分で、電子・電荷・電流などのモデルを改善すべきです。そこに量子論を使うのは筋が悪い。この学者はローレンツ力が運動・現象の言い換えであることに気づいていない。力があって運動が起きるのではなく、その運動を力と表現しただけだ。物理学の**力はほとんど運動を指す。それ以上遡って考えない。電磁誘導もブラックボックスだ。ややこしい表現に置き換えることが高度とは限らない。より上流に戻るための思索をせねば。
>地磁気の中で静電気の電荷移動により回るモータ
作ったことがないのでわからないのですが、フランクリンモータは地磁気は関係ないと思います。ADムーア静電気の話p129
>モデルを改善すべき 筋が悪い この学者はローレンツ力が運動・現象の言い換え 力があって運動が起きるのではなく、その運動を力と表現しただけ
同意です。丁度、寺田寅彦の「物理学と感覚」ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2342_13815.htmlに該当するところがありました。コピペ『今日のように非人間的に徹底したように見える物理学でもまだ徹底しない分子を捜せばいくらでも残っている。たとえば力という観念でも非人間的傾向を徹底させる立場から言えばなんらの具体的のものではなく、ただ「物質に加速度が生じた」という事を、これに「力が働いた」という言葉で象徴的に言いかえるに過ぎないが、普通この言葉が用いられる場合には何かそこに具体的な「力」というものがあるように了解されている。これは人間としてやみ難い傾向でまたそう考えるのが便宜である。』
正直言って紡錘図形から力とは何か読み取れません。あるのは運動P_だけ。力について、古典物理からの時間と同じく何か、とんでもない誤魔化しが入っているやも。「人間としてやみ難い傾向」を逆手にとられている?時間だってそうでしたから。
>より上流に 思索を
4つめの次元軸との関係を何とか理解できれば・・ヒントはあるはず、というよりやはり発散トーラスがカギ?
ムーアの本を買いました。今は簡単に探せますね、。
あれだけの文章に便宜というワードが8回も出てきました。人間だけの便宜では行き詰まるのかもしれない。感覚が粗雑とあったのは言語変換後のことでしょう。ヒトに知性があるのか?という問いから考えると、各部位や器官、細胞、原子にも確かに知性がある。通常これらは静かです。つまり、語り手の不足ではなく、聞き取れる耳の不足ということになる。
原因と結果の法則というのも、原因→結果と時間経過を示すものではなく、原因と結果は同時にそこに在るという方がしっくり来る。考え方を意図的にずらすわけですが、なぜその方が答えに近いと感じるのかはよくわからない。
以前こんな問題を考えた。川を下っている舟がある。川、舟、岸の3つにおいて現象はどのように記述できるか。舟は地球でもいいし、それぞれの可視・不可視は問わない。
>人間だけの便宜では行き詰まる
確かに。
>原子にも確かに知性がある
G・アダムスキーから長く離れた理由の一つです。
>聞き取れる耳の不足
同意です。世間は余りにも騒がしい。気(キ)付くためには静かでなければ。
>結果は同時にそこに在るという方がしっくり来る。
弧理論の考え方で分かっているのは、質量、位置、運動P_だけです。力と因果などが分かりません。頭ではE軸上に因があはずと理解しても、実感がわきません。因と結果はE軸とM軸を行ったり来たりする。寺田寅彦が言ったように、力は人の便宜だとすると何が何だか(原因と結果)分からなくなります。
>川、舟、岸の3つにおいて現象はどのように記述できるか
アランの説明に似ています。全ては相対的です。D・フライ本のp39後半からの「惑星の運動」の説明です。在るのは質量、位置、運動P_です。これが実体の投影角によって決まる。相対論は相対としながらどこか変。
大気の分子の数を調べると1cm^3あたり3×10^19個。その桁に驚き、電磁気学の質点-連続体のイメージと大きく違いました。感覚と一致しない例です。
>アダムスキーから長く離れた理由の一つ
初巻と宇宙船に関する記述しかまともに読んだことないのですが。同じ事は言ってるかもしれません。おそらく人間の知性だけを特別扱いしているという誤解がある。人間だけが観測者という誤解も。例えば、水素原子は明日も水素原子のままでしょう。動物の細胞や各器官、植物や岩石なども一瞬後に別物にはならない。そのもので在り続ける。そして何かしらのきっかけで変化していく。これは知性です。個々と同時に、互いの関係を、全体を成立させている。
先日、科学とは相関記述なのか、因果記述なのかと疑問を持ちました。相関記述とは物事の相関性の統計表現。でもメカニズムは違っているかもしれない。因果関係のごく一面なのかもしれない。この辺り、人間の知性には隙があるように感じます。
ムーアの本。フランクリンモータの項を読みました。地磁気が電磁誘導的に関係するのではなくて、電気風によって回るならば、その周囲は無風ということです。地磁気が惑星上の静電気を各位置に留めている。それが自転で一緒に回っている。起電器で静電気発生(励起?)できるのは、その位置に元々静電気(静まった状態)があるからで、周囲の静電気に比べて圧力差が出る。風はそれのみが存在するわけではない。
ヨットが進むのも、風が発生するからです。これを力で表現すると、風が単独で存在するかのように錯覚する。以降はその矢印だけでしか考えなくなってしまう。人の便宜が自然にとって変わる。風のことは矢印より帆の方がよく知っているにもかかわらず、だ。
ムーアは最終章で初めて静電気の定義に触れ、(認めない)と言っています。実に興味深いです。こういう本こそ基礎として浸透して欲しい。今は静電モータも実用レベルのようです。www.shinsei-motor.com/techno/
>これは知性です。個々と同時に、互いの関係を、全体を成立させている。
この点が納得できなかったです。想念って何なのか?M軸上で位置を持たない。だから全体。想念に縦横があると思いもよらなかった。
>相関記述なのか、因果記述なのか
匙はスプーン。スプーンは匙のこと。力とは便宜。紡錘図形から力が読み取れない。紡錘図形には運動しか示されていません。静止・速度・加速度・躍度がE-M軸平面での位相として表されています。それがM軸上では電磁気や渦(電子の原子核周辺での接線方向の斥力)となっています。あるいは躍度の結果が発散トーラスです。でも図形からは力と因果が読み取れません。図には90度(静止)が一箇所もありません。すべては運動です。これが斥力から生じています。図から宇宙にある主な力は斥力だと分かっています。図からはE軸とM軸間に働く斥力によって静止状態に戻ろうとするが故に加速すると読めます。もしかしたら我々が持つ「物体は放置すれば(摩擦により)静止したまま」という固定観念を逆転せねばならない。全ては運動して決して静止し得ないと。現に電子一個を閉じ込めて絶対ゼロにすることは困難です。在るのは相対的な運動だけ。そういう意味で力は便宜。
>周囲の静電気に比べて圧力差が出る
そうですね。無いのではなくて(マクロで)平衡状態に見えるだけということ。
>その矢印だけでしか考えなく
ベクトルは結果ですからね。本来、圧力差と原因を知りたいが為だったはず。
>実に興味深い
面白い本です。何故か1冊目を紛失し2冊目を持っています。1冊目はいつどこで買ったのか記憶にありません。若い頃、自作したくてもプレクシガラスが何のことかずっと分かっていませんでした。アクリルだと分かって「ドイツのメッサ-シュミット戦闘機のヘッドアップディスプレイに使われたというアクリルか」と納得したことを覚えています。高校の頃知人が趣味で集めた現物を持っていたのを見せてもらっていたからです。アクリルの開発は戦前です。
抽象的であれば、即高等であるという考えに同意できないです。実際にやってみるのが大事。ムーアを読んで思います。具体的・現物の内に生きています。現物が感覚で分からないものから来ているとの考えです。
>静電モータ
模型用のブラシレスに近いですね。電源がどうだか、RCに使えるレベルですね。でもケースを真空にというのは困難です。放電を避けたいので、最初不活性ガスを封入しているのかと思いきやでした。
先日ご紹介した本により、実験4-2の見方が変わるのではないかと思います。接触しない方が大きな動きになる。同じことを、異なる2つの現象で知っているような気がするのです。
ところで、安定して静電気発生させるにはどうしていますか。やはりヴァンデグラフ起電器でしょうか。
著者は電磁気学と電気工学、あるいは電気化学の間の隔たりがあり違和感を感じているようです。同感です。しかし読んでも著者の主張がよく理解できません。実験中に観られる放電にカギがあるようにも感じます。まだわかりません。
30年近く前に作ったディロッドJrは今でも動作します。ttp://www.kodenjiki.com/wp/?p=2053
>著者の主張
序文と0章が全てでしょう。1~2章にその詳細がある。序文「超伝導体、常伝導体、半導体及び静電気の挙動が一つの体系として説明することができる」これを言い切る電磁気学の本は無かった。静電気、真空管、半導体などを電子集合体の挙動として説明できている。ただ、問題もある。電子状態をイオン型・電荷型・波動型と提案しているが、明確でない。分類がその全てとは言い難い。現行の電磁気学はこれに回答できない。
>ディロッドJr
機械が安定ですか。買うことにします。
>電子状態をイオン型・電荷型・波動型と提案しているが、明確でない。
研究を始めてから今もよくわからないままです。いまのところ、五感で分かるを基準に、それ以外を弧理論の考え方にしています。
ネオントランスも使いますがとても危険です。
「時間」についての横やりです。大昔は日時計からでしょうか、一日には朝夕夜があって、一日とされていますが、太陽の運行を目に見える方法を示したのが日時計だと思います。ですが、おそらく多くの人は学校で教わるので、一日が24時間と知っているだけで、本当に正確な時間というのは存在しないものだと私自身も思います。各自の認識は違うと思いますが、時間とお金というものは似ているのではないでしょうか。紙切れに価値があるという教えがあって、それはすり込まれているにすぎません。よくビジネスマンの話で350mlのコーラを一万円で売るにはどうしたらいいか、というのがありますが、時間とお金もそういうものなのです。時間があるとすれば、先ほど申しましたように正確なものは人間にはわかり得ないものでしょう。宇宙の誕生は、今現在言われている年月の数億倍の時間がかかっているのかもしれないのです。それは時間が存在すればの話にすぎません。生きている生物すべての命がちがうように、時間というものは一律ではないと感じますし、それは人間固有のものであるか、それにとらわれるほど価値のあるものなのか疑問に思うのです。
お金に関して10年余り、時間に関しては4年くらい調べて考えてきました。面白いことに教育ではお金も時間も自明のこととしています。誰も本当のことを教えないのです。奇妙な世界です。裏を返せば、そうであらねば困る人が何処かに居るようです。
>とらわれるほど価値のあるものなのか疑問
お金について調べ始めたのは林輝太郎関連からです。林輝太郎からはお金の実際は理解できますが、仕組みの本質はわかりませんでした。仕組みはZeitgeistがわかりよいです。時間を疑問に感じた最初はアランが「私は時間のドレイにならない」と云ったことからです。次いで岡潔の言葉に出会いました。今はネットがあり便利です。
時間とお金。無価値のものに価値を見いだし、意味を与え、虚像を崇拝する。量子論が時間という概念が無意味だということを、知らしめたように。我々の宇宙は一瞬に今の姿が存在したのかもしれない。なぜなら、人間が視覚で認識することができるようになったから、認識するまでは、それはそこに存在してもないものだから。フリーエネルギーも目に見えなくとも、それは確かに存在する、ただ人類がそれを取り出す術を知らないから。
太陽の運動を時計に写像(射影)したものが日時計です。
あらゆる物事を数字に写像(射影)したものが
時間でありお金です。
Φさんは
エネルギー軸を質量軸に写像(射影)しています。
しかし日時計、時間、お金が写像(射影)に基づいているという事を理解していないので、
時間やお金が存在しないという結論に至っているのです。
教育でお金も時間も自明の事としているのは
その方が効率が良いからです。
教育を実行する際に
いつまでも基礎部分に拘っていたら
何も出来ません。
教育でお金や時間が自明の事でなければ困る人は
非常に多いです。大多数ではないでしょうか。
お金や時間から精神的に逃走している人は多いです。
それで充分です。わざわざ否定する事はありません。
写像(射影)が分かっていたら
時間やお金を必要以上に敵視するわけがありません。
蛍は自発的に青白い光を常温環境下で放ちます。
近代科学では青白い光は高温環境でしか出てこない事になっています。
近代科学では蛍の青白い光を説明出来ないのです。
光ですから透磁率、誘電率が関係している事が分かります。
近代科学では正の透磁率、正の誘電率しか存在しません。
とすると蛍の光を説明する為には負の透磁率、負の誘電率を
導入するしかない事になります。
テスラは負の透磁率、負の誘電率を知らなかったようです。
五感でわかる運動を用いて作られた「時間」は、
五感でわかる運動にしか適用できない。
ならばプラズマや放射線はどうなりますか。否定するのですか。
福島第一原発事故、チェルノブイリ原発事故を否定するのですか。
放射線治療、MRI、CTを否定するのですか。
そうするとRAPT氏と全く同じですね。
お金や時間から逃亡出来ない社会構造が問題であって、
お金や時間の存在を「どこにも存在しない幻想」だとして
否定出来るわけではありません。
「五感でわかる運動を用いて作られた「時間」は、五感でわかる運動にしか適用できない」「実際の時間は、日本標準時グループの業務により作られます。」と言いますが、時間=時計の元祖が日時計、水時計、砂時計、火時計である事を忘れています。
これらは日本標準時や国際時間と関係ありますか?無いでしょう?これらは射影という立派な数学的操作をしています。E軸からM軸への射影と同じですね。それと以前コメントしましたが無視されてしまいました。他人のコメントには出来る限りちゃんとコメントして下さい。
金澤氏の ttps://hokakebune.wordpress.com/2013/03/31/『静電界は磁界を伴う』の解説/ は氏の根幹部分であり、電荷についての表現は異なるものの、言わんとすることは先日紹介した本と同じようです。周回積分則について「電荷が回転したからといって、何も磁性を生み出す論理性など何処にも無い」と。また、誘導則のdivB=0から磁束の矢印が出入りするような表現が理解の妨げになるとしている。一方、かの本では磁場を発生しない電流構造、電荷状態もあるとしています。
磁力線それ自体には方向性はないので、方向が発生するような状態にし、さらに装置全体ではdivB=0となることが望ましいのでは。太陽風と惑星のように。単極誘導では磁力線が円板を完全に貫通するのでしょうか。というか、なぜ磁力線は貫通するのか。
取り出したいエネルギーが磁力線方向に前後に振動しているとすれば、波?に同期する装置は造れると思われます。これは電磁誘導と向きが違うから通常の計測器では観測できない。方向を発生させ、振動の片方を顕在化し、脈流のような状態とするには磁気状態を非対称にすることになる。
面白いです。印刷して読みました。幾つも幾つも感想があります。同意するところや難しいところ、突っ込み所など。特にファインマンの言葉は面白い。アランの「運動している電子は磁場を作り出す」と同じ意味にとりました。点電荷を想定しながら、スピン=磁場というのは昔から疑問でした。電子の電荷は空間に広がりがあることになります。電子が核を周回しているとすると古典的に破綻します。だから点電荷にしたのか?
近頃、アランが使った「実体」という言葉に引っ掛かっています。五感でわからないE軸の方を「実体」というのですから、何か特別な意味があるように感じます。金澤氏のエネルギーへの拘りもよく理解できますし、E軸の真のEとの関連を想起します。テスラが電磁気学の論文を読んでフィクションだと云ったのは合点がいきます。
>方向を発生させ、振動の片方を顕在化し、脈流のような状態とするには磁気状態を非対称にすることになる
だいぶ前から、度々書いたことがあります。五感で感じる現象世界は、E軸の実体が持つ複数の力を合成した「差分」だけだということです。例えていえば綱引きの綱が毎秒10cm右に動いているからといって、綱には僅かな力しか働いていないと考える人はいません。化学も原子力も「差分」に過ぎないと考えます。貴方の言われるように方向性を出して非対称にすることが出来れば途轍もないエネルギー[ML^2T^(-2)]が得られるだろうと考えます。
原子の構造も綱引きの結果同様「差分」だということです。
ただ、風に吹かれて進むヨットのどの部分が反作用になっているのか理解に苦しみます。反作用がないからこそフリーエネルギーですけど。
>ファインマンの言葉
送電でエネルギーを世界を支配できる、とも読めるし、電気と磁気を別に制御して時間的に組み合わせられる、とも読める。そんな穿った見方をする人はいないでしょうが。まあ、電気も磁気もひとつの力に起因する、というのが妥当でしょう。これは当たり前なんですけど。どうやら静電気や磁気が電子機器の障害とされる今現在では、それらは別物ではなくてはならないのでしょう。本当は逆というのはよくあることです。
>だから点電荷にしたのか?
点電荷として、対称系の方程式にしておけば、開放系の発想にはならないからでしょう。もやもやとした二重の世界像を見ることになる。一見高度な理論を展開しておけば、自分が理解できないからだと納得させられる。
Φさんの言っていることはよくわかる。私はちょっと考え方をずらしています。おそらくヨットに反作用なんてないんです。ヨットは何に対して運動として見えるのか。方位磁針が南北を向くように運動するとき、そこに反作用はあるのか。綱引きの綱が動いて見える時、その両端で引いている人が見えないとしたら?そこに作用反作用を適用すべきなのか。
>電気も磁気もひとつの力に起因
私も同意です。研究に入る切っ掛けがこれでした。アランとファインマンの言葉から磁場と真のEの間に密接な関係があるとわかりました。結果、アランの言うとおり磁場と重力場は関係があることになります。別途記事にする予定ですが、運動する電子が周囲に持つ磁場(発散トーラス=磁気単極:発散有:渦有)は4種あることを同時に説明せねばなりません。と同時に原子の構造が距離の7乗に逆比例する力によっているというのは、常識に反することも理解しています。
>別物ではなくてはならない
厄介者扱いであることは事実ながら、全て知りながら「文明の発達の方向付けを行った」と穿っています。
>方位磁針が南北を向く
実験経験から磁針の反作用は地球が受けているはずです。どうも長く紡錘図形について考えていますと、E-M軸平面全体においては作用反作用が成り立っているように感じます。M軸内だけに限ればヨットの様に成り立たないこともある。(漠としながらもそう感じます。)
こういうのも機能の現れです。
ttp://www.jst.go.jp/pr/announce/20100125/
何か奥深いものがあります。飛行機のサイドスラスト、ダウンスラストを思い出します。
火花放電、1mmの放電を得るために必要な電圧は1000Vと言われています。
これは直流での話し、交流、高周波になってくると必要電圧はぐっと下がります。
電池を使ってモーターを回すなどしても、火花放電をみることが出来ます。
電圧がすごく低いのに何故と思われるでしょう。
答えは共振です。共振によって瞬発的に、高周波、高電圧が発生しているのです。
火花放電は、ハッキリと目で確認出来る「プラズマ」です。
目でみることが出来ないプラズマもあります。
目で見えるか、見えないかの違いは、密度、または温度の違いによるもの。
ブラウン管の電子銃は電子を放出し、磁界によって電子の偏向させて・・・(Ry
この電子、やはりプラズマということです。
導体に電流が流れるのを、固体プラズマと呼ぶ方もいるようです。
>共振によって瞬発的に
この点が発散トーラスを考える起点になっています。
単極モーターに関しても、ベアリングモーター 同様に、接点に 高周波の高電圧が発生するので、この高周波の干渉によってプラズマが出来て、そのプラズマが、磁界により動くと思っています。プラズマ・・・漠然としたイメージがあるだけで、ハッキリとどういうモノという理解出来てはいません。
放電現象は難しいです。放電は4種類の発散トーラスが混合したものとの発想があります。近く記事にしたいと考えています。
こんばんは。
単極誘導モーターにとても似ているモノに、ベアリングモーターがあるのをご存知ですか?
こちらは磁石がないのに回転するようです。
存じております。ベアリングモーターを試したことはありません。中にはベアリングモーターを単極誘導モーターと同一視している記事があります。大電流を流しますので軸を含めた全体が磁化していることは想像できます。なぜ回るのかわかりませんけれど、単極誘導の現象がより本質的だと感じます。理由を探求するにベアリングモーターは複雑すぎだと思います。
ベアリングモーター。私の勝手な推測というか、仮説なんですけど。
クーロン力によるものと思っています。つまり静電モーターということです。
接点付近は微小な容量とインダクタンスと抵抗からなる回路となって、高周波、高電圧が発生するんですよね。
回路シミュを使ってみると様子がよくわかりますよ。
あれほどの電流が流れることを考えると静電モータと考えにくいのですが。むしろ単極誘導モータに近いと感じます。
時計のルーツは日時計、水時計、砂時計等ですよね。
日時計は太陽の光を地面の影に転換(射影)する装置です。
太陽や地球の運動のモデルですね。
水時計は水の流入を水面の高さの変化に転換(射影)する装置です。
地球の重力運動のモデルですね。
砂時計は砂の落下を砂の高さの変化に転換(射影)する装置です。
地球の重力運動のモデルですね。
ですから日時計、水時計、砂時計は
「運動」と別の「運動」を比較する装置ではありません。
1つめ。考え中です。
www.youtube.com/watch?v=vphIqOJ7yx4
2つめは本。
電磁気学と固体物理学―電気化学の新しい解釈による考察 飯田隆夫著
これは買いですよ。損はさせません。
Φさんの接点に関する疑問に光明が射すかもしれない。
wikipediaの”電磁気学の年表”からは、少なくとも我々はギルバート以前に戻る必要があるようです。それこそ古代ギリシャまで。このあたりは「磁力と重力の発見」山本義隆著に書いてあるので次に読んでみます。
動画を見ました。数年前に自作したはく検電器を使ってやってみました。どうも磁石を持つ手が帯電しているようです。磁石をもっても、持たなくてもはくが揺れます。実験は得てして白黒はっきり出ないものです。
本の紹介、ありがとうございます。注文しました。E-M軸への投影という性質を考えたとき、遠隔作用で良いのかも知れないと思うようになりました。物質は質量と位置を持って現れ、運動する。運動は波を生じ遠隔で他の物質に運動を促す。E-M軸にある実体の位相によって物質は波として現れる。これでよいように感じます。アランが近接作用にまったく触れなかったのは、そういうことだと理解します。
>ギルバート以前に戻る
同感です。ただ、長く紡錘図形を眺めていますと、図に古典電磁気学の部分は表記されていないことがわかります。歴史上、電磁気現象は誰でも気付くからだと考えます。最近の考察によれば、距離の7乗に逆比例する力(Ark)は全部で2×2×3=12種類考えられるようです。それらは互いに引力と斥力を持ち、全ては合成されます。その結果外部には「差分」のみ検出される。それが2つの核力であるようです。面白いことに12種類は(単独で取り出せない)クオークの数と同じです。クオークの世代は投影角によりますので、世代が増えることによりクオークが3の倍数で増えても問題はありません。
遠隔作用と近接作用は表現形式と適用範囲が違うだけなのでは。大学までの基礎物理で大きさを持たない質点と電磁場のような連続体が同時期に示され、その間を説明されることがないからだと思う。いずれにせよ伝搬、媒質、それと大きさのある空間の捉え方です。日常我々が感じなくても、この星は高速で自転・公転している。とすれば、重力とは遠隔なのか近接なのか?という問い自体にミスリードを含んでいる可能性があります。
そもそも、なぜ電・磁・力の2つからどうやって残り1つが”発生”?するのか、私はよくわらないんですね。工学としては理解していても。電気と磁気は互いに反応しない要素。それを時間方向に拡張することで電磁誘導や電磁力が出てきます。時間軸でしか記述できない力しか表現しておらず、空間的な事は触れられていない。で、ここに単極誘導と磁石の問題がある。磁石の吸引・反発は惑星電磁場環境下だからこそ起きるのかもしれないし、単極誘導の電気経路の開閉は磁気経路に影響を与えないはずがない。けれど、現行の基礎電磁気学では質点の発想とスタティックな活動の停止した空間が前提なので、答えが出ることはまずないでしょう。吸引・反発時に砂鉄の分布がなぜ変わるのか。たぶんそれが基礎。井出インバータなどは、雪崩現象が起きているときの磁力線分布の遷移がどこにどのように影響するのかが肝だと踏んでいます。
なるほど、同意するところが多いです。
>大きさを持たない質点と電磁場のような連続体が同時期に示され
確かに記憶しています。
>ミスリード
そうかも。
>時間軸でしか記述できない力
ここ何年も「時間」に拘ってきたのと同じ理由です。やはり存在する(五感でわかる)のは、質量を持つ物質とその運動、並びに「波が遠隔で運動を促す」というだけのように思えます。
投影というシステムにおいては近接遠隔に拘る必要がないのかも知れません。まともな神経の持ち主?には双子の電子は理解できません。投影というシステムなら理解可能だと考えます。
ニコラ・テスラ「18年も論文やレポートを読んだがフィクションのようだった」と「トム・ベアデンの手紙(金融資本家によって電磁気工学が歪められた)」は、実に重大なことを物語っていると思います。
>井出インバータなどは、雪崩現象が起きているときの磁力線分布
ここから発散トーラスが出てきました。まだわかりませんが、電子について云えば、4つの発散トーラスの合成による「差分」が電磁気現象かも知れないと考えています。
>質量を持つ物質と~
電磁気学応用の先端である無線通信工学は、なぜかその常識が電磁気学の基礎と矛盾があるように感じます。電磁気学では要素が粗密になることに触れていても、その媒質自体は活動がなく停止していなければならない。要素と媒質が同じものになっていない。いわば地動説なんです。
まあ、ご紹介した本を読んでみてください。私はやっと半導体を理解できましたよ。それにアダムスキーの本にある小惑星帯が真空管のグリッドの役割というのも。
逆だ。天動説です。だから運動と波は変換されないことになる。
表現がうまくなかったですね。
現象の軌跡を数式化したのが現行の科学で、どちらかというと工学的。計測・制御の範囲内では意図した動きになるけれど、質量を持つ物質やそれが相互作用する波の実際と一致していないはず。原子力問題はこれ。計算できることが真実だから、統合失調的に感じる。つまり、単位を持たない計算できる数そのものがこの思想の基礎になる。
あまりにも人工的に造られた二重展望の世界です。
>どちらかというと工学的
医療で云えば対症療法かと。効くから使うが、何故だかわからない。
>数そのものがこの思想の基礎
唯物主義を突き詰めていって、唯物主義を捨て去った原因はこれ。量の裏付けのない10進のお金というシステムに全てが引きずられていると感じます。誰も止められない。レミングの集団自殺を想起。何か悲しい。
>二重展望の世界
面白い表現ですね。統合失調より柔らかい表現。
>統合失調より柔らかい表現
二重展望はある音楽家の表現でして、かなりどぎついです。オーウェルの小説1984に出てくる二重思考(Double Think)などからきている。「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」
トランプ政権になって、この本が売り上げトップになったとか。
へえぇ! 面白い。いつも用いる「五感でわかる範囲:表1の左右両端」みたいです。こんなのを受け入れるのは私にはできません。
すみません。
井出治先生の論文集のコピーを私に販売して
いただけないでしょうか?
井出先生の所在が掴めないので。
大変お手数ですが、よろしくお願いします。
こちらから入手できると思います。お問い合わせください。
ttps://www.houjin.info/detail/5010005015665/
Φさんがお金や時間の概念から
精神的に物理的に逃亡すれば良いだけであって、
お金や時間の存在そのものを
頭から否定すべきではないのでは。
お金や時間は虚構、幻想ですが、
お金や時間という虚構、幻想が
人間の手によって造り出されていて
その虚構、幻想を信じている
大多数の人間が存在している事は事実です。
これらは「存在しない」で否定出来る事ではありません。
そうですね。霞を食う仙人になれればいいですね。 ロシアのエリートキツネ(ペットキツネ)の実験結果は人にも当てはまると考えています。
ttp://siberiandream.net/topic/pet.html
ttps://www.youtube.com/watch?v=_AtP7au_Q9w
ttps://www.youtube.com/watch?v=ZEOjlsUd7j8
問題は、生まれながらにお金に執着する人の割合が次第に上がることだと考えています。実験結果を人に当てはめるとそうなります。そして現実にそうなりつつあります。
ttp://www.huffingtonpost.jp/2017/01/15/eight-men-own-half-the-worlds-wealth_n_14194250.html
わずか8人の超大富豪が世界の富の半分を持っていることは余りにも異常です。けれども川田さんが言われるように誰も止めることができない状況です。地球を俯瞰的に観て最大の問題だと感じます。 現代は、10進数の形代(かたしろ)としてお金を大事に拝む信仰の時代です。
「10進法であるお金」と「角度や時間を表すに便利な12の倍数」の不整合がある限りこの文明は次へいけないだろうと感じています。この不整合により自然科学が近似になるようです。これが私の結論です。 恐らく、人の特性としてお金の桁が上がってもそれほど(五感の)満足感が得られないのでしょうね。お金の仕組みと特性を調べてわかってきたことです。カルトだから自分たちの意志で自分たちの未来を変えられないのです。
Φさんは外部観測に基づく時間と外部観測に基づく貨幣を否定しているのであって、内部観測に基づく「時」を肯定しているのでは?
船を岸から眺める人の「時間」と
船を岸から眺める人による「貨幣」を否定し、
川の中を船で動く人の「時」を肯定しているのでは?
ならば都会でも内部観測に基づく「時」に従って生活すれば、別に貨幣や時間を全否定しなくても良いと思います。
船を岸から眺める人達が
お金の仕組みと特性を作り出し、
10進数の形代(かたしろ)として
お金を大事に拝む信仰の時代の流れを
生み出していて、
生まれながらに
お金に執着しているのでしょうから。
疑問の答えになっていませんけれど。現実にお金無くして生活できませんし、年月日時分秒も利用しています。全否定は出来なくて、実生活において「距離を置きたい」ということです。
岡潔等々の資料からいろいろ考察した結果、人類は加速度的に自滅に向かっていると予測しました。その原因がお金と時間にあると考えています。巻き尾、甘噛みキツネの出現率と同じ曲線を辿っているように思えます。 誰も止められないながら、解決策を模索しています。そのための距離です。 正直な話、日本に生まれただけで丸儲け。貧乏かつ無タイトルながら条件が許せば最大の問題に突っ込んで行きたいというのが動機です。その結果、研究のために「距離を置く」です。紐付きの金が絡むときっとうまくいきません。
>疑問の答えになっていませんけれど。現実にお金無くして生活できませんし、年月日時分秒も利用しています。全否定は出来なくて、実生活において「距離を置きたい」ということです。
私は最初からそれを言っています。
それと時間tを否定して
時間tの無いエネルギーを提案する事は
不可能ですよね。
まず時間tの起源は
太陽の運動を地面に射影した日時計ですから
時間tの背景には太陽の運動があります。
また物理現象の過程を追跡する為には
時間tが必要です。
>岡潔等々の資料からいろいろ考察した結果、人類は加速度的に自滅に向かっていると予測しました。その原因がお金と時間にあると考えています。巻き尾、甘噛みキツネの出現率と同じ曲線を辿っているように思えます。
人類は恐ろしい速度で
エネルギーを浪費してますから
自滅して当たり前でしょう。
これは自明な事実です。
わざわざ岡潔やキツネを
持ち出すまでもありません。
>正直な話、日本に生まれただけで丸儲け。
まあそうでしょうね。
特に東京横浜埼玉周辺、大阪京都神戸周辺、福岡周辺、仙台周辺、札幌周辺に生まれ育った人は本当に丸儲けでしょうね。でもそういう人達の死後はどうなるんでしょうね。まあ私もある程度の大都市に住んでいますので人の事は言えませんが。
こんばんは。はじめまして。
単極誘導に、興味があり、このサイトをみつけました。
単極誘導の原理について、様々な方が研究しているようで、ローレンツ力が~ というような解説をよく見かけます。しかし、私的にはそれは違うなぁ・・・と感じています。おそらくまだ未発見の原理によるものと思っています。
というのも、面白い動画を見たからです。5年程前にみつけたんですけど、まだ、残ってるようです。 Big homo polar motor と検索するとすぐにみつかります。
磁石の下にぶら下げた円錐に電極を接触すると回転するというもの。
特徴的なのは、その重さです。通電を止めても、慣性でかなり長く回転するのですが、その後おそらく極性を変えてるのかな?途中から通電してないにも関わらず、
反転を始めるんです。一度見てみるといいと思うのですが。
動画を見ました。撮影のタイミングと目印のテープの位置との関係で逆転しているように見えるようです。電磁気学の中で単極誘導の扱いが何か変だと感じます。現象は如何にも微弱ではありますが、それにしても酷い扱いです。何か理由があるのかと勘ぐってしまいます。
因みに当方が考案した発散トーラスは片方しか生じませんので、いわば単極です。単極誘導の現象と相性が合いそうに感じます。
返信ありがとうございます。
正直、ちょっと驚きました。
私には、一度、停止して、
逆転しているようにしか見えないです。
何度、見てもやはり、同じです。
他の方にも見て頂きましたが、やはり逆転に見えるとのこと。
古い西部劇映画で、幌馬車の車輪のスポークが逆転しているように見えました。
トーラスモデルが答だとしたら、単極モーターは二重構造で、右回りと左回りの要素があり、反力は打ち消しあって差分の力だけが出力に転換できないだろうか。
takutakuさんが云われることも併せて考えてきました。今までの所、発散トーラスと単極誘導モーターとは、関係がありません。
(しいて云えば、モーターのブラシで起きる放電の内に発散トーラスはノイズとして含まれている可能性があります。放電を積極的に利用したモーターから得られる起電流を適当なフィルタにかければ単独で取り出せるかも知れません。おそらくEMAモーターは、そうやっているはずです。)
発散トーラスは電磁気現象の内に「加速度の時間変化=躍度」を考慮した際に得られる仮説の「場」です。ただLCR回路にパルスを入力するより、本質的な回転運動{加速度運動}である単極誘導モーターに工夫を加えることによりLCR回路より躍度を得やすいと考えています。単極誘導の現象は本質的に回転運動であり、地球上の如何なる機械装置とも異なる点が注目する点です。
ブラシ部分において剪断方向に力が生じているらしいことがとても魅力的で不思議です。
同軸二重反転型の面を湾曲するのはどうか。
出所はA・B・Jrの円盤特許です。
電気は抵抗の低い経路を通るので、単極性から、同じ導電率の空間を直進していく。
経路が3次元的に湾曲していれば、回転軸方向への要素に変換されると思われます。
>面を湾曲するのはどうか。
これまで曖昧にしか書かなかったのですけれど、「Z軸にE軸が重なる」というのは、Z軸方向にE軸上の真のエネルギー分布が重なるはずということです。逆に回転体の構造をZ軸に非対称にすればE軸上の真のエネルギー分布を変化させられ、それがZ軸上に現れるはずだという発想です。
ですから、同軸反転型の円板Aと円板BをZ軸方向に少しずらし、2つの円板をブラシでつなげれば、M軸上に何らかの変化が現れるのではと考えています。湾曲のアイディアよりもっと直接的な意味があります。そして、同軸型は反作用を相殺するはずですから、相殺することの物理的な意味を考える必要が出てきます。
今日、同軸二重反転型の単極誘導モーターを試してみました。2つの円板を支える2個の630ベアリングがネオジム磁石と干渉することがわかりました。2つの円板がスムーズに回転するように工夫が必要です。
時間の概念は、人が作り出した妄想のようであうように、時間を取り除けば、エネルギーは減少も増大もしないということのように思います。空間が見えない物質で満たされているとすれば、エネルギー保存則は補間され、空間からエネルギーを取り出すといことも、当然可能だと思っています。何かもやもやとしたものが晴れて、何かが見えそうな見えなさそうな。
>時間を取り除けば、
という発想そのものが時間を肯定しているように見えます。ある科学者と岡潔の言葉を注意して
読めば、「五感でわかる」のは、質量を持つ物質の運動だけだとわかります。音や光などの”波”は、離れたところの現象(物質の運動)を感覚器官に伝えると理解できます。コヒーラ検波器を取り上げた意図はここにあります。
もう一つ。当サイトではエネルギーという言葉を二つの意味で用いています。[ML^2T^(-2)]で表されるエネルギーとE軸上の実体が持つ真のエネルギーです。[ML^2T^(-2)]で表されるエネルギーをここでは運動P_と表現しています。
>空間が見えない物質で満たされている
違います。M軸に直交するE軸上の実体は、M軸に投影されて「物質」として現れると考えています。E軸上の実体のことをここでは、「位置を持たない真のエネルギー」と表現しています。どの方向にE軸が在るのかを我々は知ることができないという前提です。そして、回転体の回転軸方向(Z軸)にのみE軸は重なると考えています。
>エネルギー保存則
は、どうも経験則のようです。孤立系の学問では保存されるのは当然です。ただ孤立系をどこまで拡張しても開放系のモデルにはなり得ないと考えます。
>何かもやもやとしたものが晴れて
管理人も同じです。五感でわかるもの以外に何かあるはず、との疑問を持っていてもよいということを岡潔から学びました。もう少し続けて行けばよいと思います。
返信ありがとうございます。
ちょっと話がそれますが、昔は奇術、手品が大衆を魅了しました。固定観念や見方を変えることで、違う側面が現れる。
上のレスでE軸とZ軸が重なるという部分で思ったのですが
昨年、アメリカで10代の少年がテスラコイルで、空間の
電磁波を電力に変換したというような記事がありました。
2本のテスラコイル、その間にはアンテナのようなスプーンが
あるわけです。2本のテスラコイルの磁場が干渉するところに
スプーンがあり、それを機械的に調整、チューニングして電力に変換しているはずです。単極モーターも回転させるものに対して何かしらの、もう一つの動作を与えると変化するのかもしれません。グレイのスパーク放電や、電圧、周波数の調整とか。針金の置物があって正面から見ると2頭のキリンですが、真横から見ると一頭のゾウでした。正面から真横に移動するまでの調整がいるのかと。
過去に、フリーエネルギーは原理が示されねば皆に受け入れられないだろうと書きました。現代の科学のどこに欠陥があり、どうすればよいかを考えた上で研究するのがよいと考えます。テスラのことを調べると、一部電磁気学や数学主導の科学に批判的な言葉を述べています。いろんなタイプの自然エネルギーを利用できるそうですので、テスラコイルでの利用も「アリ」かも知れませんけれど、ハチソン効果と同じで、なかなか先に進めないように思います。回転運動にこそ本質があると直観しているのですが。
玉山様 コメントありがとうございます。お尋ねの件了解しました。メール等はあまり使われません。時間をとるとご迷惑と考えて、当方から電話するのは控えています。当方の知るFAX番号は今も使われているようですので、ご用件についてFAXします。FAXで連絡がつかないようでしたら携帯へ電話してみますのでしばらくお待ちくださいますようお願いします。
なお、玉山様のコメントを掲示板へ移動しました。ご了解ください。
(ファイ様)
質問させて下さい。
サイト上の動画についてです。
「引力と斥力」を説明する動画において、
アルミ箔を丸めたものを、「プラス極」とし
一円玉を「マイナス極」として、説明されていますが、この場合の極と言うのは、単純に電気的な極とは違うと思われますが、では、どのような極と考えればよいのでしょう?
田中義久様 ありがとうございます。
説明は「例え」です。動画の場合は「水の盛り上がり凸」を「プラス極」、「水のへこみ凹」を「マイナス極」と表現しました。水の表面張力の凹凸で引力と斥力が働くということの説明です。ですから、電気現象でも磁気現象でも、その他の現象でも凹凸のある現象であれば引力と斥力が働くことを水の表面張力という現象を用いて説明したものです。 動画は一つの模型なのです。
弧理論でいえば、物質のエネルギー状態によって物質が持つ凹もしくは凸が決定し、その結果が重力として現れていると考えられます。従って、物質のエネルギー状態を制御できれば地球から「斥力としての重力」を受けて浮上することが可能になると考えています。「極」という表現が誤解の元かと思います。「プラス極・マイナス極」→「プラス状態・マイナス状態」と読み替えて頂けるとわかりやすいかと思います。
因みに、管理人の文章や動画では上記のような「例え」を用いて説明することが多くあります。「渦とサイホン」の動画もフリーエネルギーの概念を水に働く力を用いて説明した「例え」です。ですから「渦とサイホン」の動画によって「水を用いたフリーエネルギー装置」ができる訳ではありません。
(ファイ様)
質問させて下さい。
「弧電磁気論」p50 図32 弧電双 各部の寸法
におきまして、寸法が7.6cとー7.2cの2つが表記されておりますが、この寸法は、どのようにして出されたものですか?
また、記号cの意味も教えてください。
田中義久様 ありがとうございます。 前提があります。
1.原図(紡錘図形)は一見フリーハンドで書かれているように見受けられますが、実はかなり正確に描かれたものらしい。
2.管理人は20年以上前に、紡錘図形が電磁気のことを示しているのではないかと考えていた。(p11の図5とp18の図7が根拠です。わかりにくいですがp50の図32に示した角度55度と示した短い線分が図5と図6のことです。)
3.1997年頃、エーテルエンジンを見学した際に、エーテルエンジンの動作を紡錘図形で説明できるのではないかと考えた。
そして、直接の考える切っ掛けは、ある科学者の言葉「距離の7乗に逆比例する力」の「7」が原図にある円弧の半径が大凡「7」であることと、同じであることに気づいたことです。 同時に「ローレンツ変換が時空間の中での一種の回転である」ということから、円弧が「3次元物理空間において電気と磁気が交換(回転)する様子を描いているのではないか」ということも考えました。ローレンツ変換の着想からも前提の3に結びつけた訳です。ですから、執筆当時は、紡錘図形の縦軸を速度と混同していた訳で、7.6c(光速度)あるいは-7.2cと書いた訳です。 当時「縦軸がエネルギー軸である」との考えを持っていましたけれど「ローレンツ変換からの着想を」引きずっていたことになります。今では相対論は誤りで、次元軸としての「時間」は存在しないらしいことが分かっています。ですから、7cの表記は誤りです。ここでは、「7」に意味があります。
紡錘図形の解析により、M軸→E軸へ、あるいはE軸→M軸へ「回転・積分」を伴って投影されることにより、M軸に「距離の7乗に逆比例する力」が現れることが分かってきました。その形状はレンズ状らしいです。第3起電力のエネルギー源について(考察)を参照下さい。
この「距離の7乗に逆比例する力」→この力場がなぜ紡錘図形において「半径7」で描かれるのか、まだ分かっていません。
4.2014年4月時点で、拙著弧電磁気論を振り返ってみると、紡錘図形の解釈は100点満点で30点~50点くらいだったと考えています。
しかしながら、紡錘図形の解釈の、概ねの方向は正しいのだと思います。でも、細部はかなり誤りがあります。申し訳ありませんけれど、ホームページや当ブログの内容を参考にしていただきますようお願い申し上げます。 一応、一定の成果が上がっていますのでお許し下さい。たとえば、弧理論からの「第3起電力の説明」や「弧理論の原子模型」から単極誘導現象の実験につながっています。
完成した教科書のような資料が出せればよいのですが、途上なのでお許し下さい。
追記:それと、p62の図41でも0.5cの表記が出てきます。これも誤りです。訂正します。重力は表面張力のようなもので、物体のエネルギーレベルが異なることで引力または斥力が働きます。これが重力です。図41は異なるエネルギーレベルの物体同士に力が働くことを図示しているのですから、「2つの物体の間に速度がある」と考えることも強ち間違いとも言えないのかも知れません。
Φ様、はじめまして。単極誘導モーターについて大変興味深い実験映像を公開していただきありがとうございます。
「単極誘導モーター実験8」の結果から1つ気になったのですが、「単極誘導モーター実験1」で円盤を2つの磁石で挟み込んだとき、円盤の磁界は小さくなると思われますが、このとき円盤はより高速に回転するのでしょうか?
もし実験が可能でしたらよろしくお願いいたします。
フラクタクル様 初めましてΦです。興味をお持ち頂きありがとうございます。管理人が実験で確かめたのは、単極誘導モーターに生じる力は、1 磁界あるいは磁束密度に関係がない 2 力は接点で生じている などです。
一連の実験をまとめたものが右側ブログロールにある弧理論(解説)サイトの「ファラデーの単極誘導モーターに生じる力の解析」です。動画を交えた詳しい説明がありますのでお読み頂けると幸いです。
「実験1で円盤2枚を挟み込んだとき磁界は小さくなる」ということについて、テスラメーターで磁極方向の磁束密度を計測したグラフが動画内にあります。グラフ1は絶対値で示していますが、テスラメーターではS極の値はマイナスで表示されます。生じる力が磁束密度に関係があるならば、実験8において、プラス接点が ア「N極付近にある場合」イ「中央にある場合」 ウ「S極付近にある場合」を比較すると、生じる力=回転トルクはどうなると予想されるでしょう。ア>イでしょうか。ア=イ>ウでしょうか。テスラメーターでS極の値がマイナスだから打ち消しあうことで ア=イ ウ=ゼロ なのでしょうか。それともア>イ<ウでしょうか。教科書に載っている数式通りならア=イ=ウなのでしょうね。 実験8の結果はア<イ>ウでした。接点を手でもって何度も行いましたが同じ結果になります。実験8-1も併せてご覧下さい。管理人はマクスウェル方程式で示される式には従っていない(回転トルクは磁束密度Bに比例しない)と考えますがいかがでしょうか。
(ファイ様) 1週間くらい前、図書館にて「弧電磁気論」を見つけて、さっそく借りて、5,6回読みまして、ようやく、記号に慣れ理解できるようになりました。このようなことをする人ならば、多分、ホーム・ページも開設してあるだろうと思い、今日、検索しましたところ、発見した次第です。アダムスキーによると、彼らは、時間も自由に操れるとのこと、ぜひ、光速c軸に時間軸を組み込まれて、重力だけではなく時間も自由に、操れる、「弧理論」に拡張してください。私のH・Pで時間軸の紹介をしております。ぜひ一度ご覧ください。「空間研究所 五次元空間」(検索)でご覧になれます。私も、アダムスキーUFO探究者の一人です。 今後とも、よろしくお願いいたします。先ずは、ご挨拶まで。
田中義久様 コメントありがとうございます。管理人のΦといいます。 当然のこと宇宙・自然の姿として「時間・空間」が存在すると最初は考えていましたが、いろいろ検討した結果、残念ながら時間という次元軸は存在しないようです。弧電磁気論を書いていたときには5次元と考えていましたけれど、現在は4次元だと思っています。複数の人が西洋思想の根幹である自然科学が間違いであることを指摘しており、特に「時間」が問題だと述べています。よく考えると「運動は時間から求め、時間は運動から求めている」ことに気づきます。運動は相対的なものです。ですからエネルギーも相対的なものです。たぶん時間も相対的なものなのかも知れません。右ブログロールの「自然科学から弧理論へ」を読まれることをお勧めします。 アダムスキーは精神面が強調されますけれど、科学理論→現象への過程が必要と考えています。第3起電力仮説を弧理論で説明し、ファラデーの単極誘導を弧理論で説明。その後実験を行うことで新たな知見を得つつあります。管理人にとって紡錘図形などの原資料は濃縮された科学技術です。頭の中では現実の物理現象に直結しています。少しずつ現実に定着しつつあると感じています。今後ともよろしくお願い申し上げます。
(ファイ様) 最初からいきなり「自分のサイトを見てください」などと、失礼なコメントを出してしまいました。お許しください。弧電磁気論を1週間前から読んでいたこともあり、(ファイ様)に親近感を覚え、昨日みたいなコメントになってしまいました。気を悪くしないで下さい。 重力に関して何か適当な理論はないものかと探していたところの出会いでした。これからは、弧理論に忠実に実験を行い、成功に導きたいと考えております。(ファイ様)は、理論と実験の2階建てのようでありますが、何卒宜しくご指導のほど、お願いいたします。 1日も早く、弧理論の理論と実験が完成され地球のエネルギー問題が解決する日が来ることを願ってやみません。これにより、(ファイ様)が心配なさっている戦争のない世の中が必ず生まれて来ると信じております。
田中義久様 Φです。親しみを感じていただき感謝しています。研究を始めて5年目に入り内容も広く深くなってきました。多くの方の目にとまることは光栄なことです。研究が生き残るかどうかは再現性にかかっていると思います。ある方により一部追試が行われて確認されているようです。有り難いことです。
管理人Φさま はじめまして。本日弧理論のHPを見つけて、感動と興奮で読み進めております! 「弧理論の入り口」の半分くらいまでと、6.電気磁気の配列をダウンロードして読んでおります。 このゲストブックに書き込む名誉ある第一号が私のようで、私なんかでよいのか、ちょっと迷いましたが、 このようなHPを開設していただいたお礼を申し上げたく、書き込ませていただきました! ありがとうございます!! 引力と斥力の実験動画がとてもわかりやすくて、さっそく自分でもやってみようと思います。 また、今週末からゆっくり、本文や他の実験も見させていただきます。 私の場合、ゆっくりと脳に負担をかけないように読まないと理解できませんので(^_^;) 私は電磁気学や電気回路について、ゆっくり独学している者なので、きっとわからないことも多いと思います。 その際はメールでご質問させていただいてもよろしいでしょうか? よろしくお願いいたします。
いなみ様へ 初めまして、管理人のΦといいます。 コメントありがとうございます。ゲストブックなので返信できません。お許し下さい。 独学は大変でしょうけれどお互い努力を続けましょう。通常の電磁気学とは趣が異なりますので戸惑われると思いますが、少しずつ慣れるとよいです。 ご質問があればメールにてお知らせ下されば結構かと思います。お返事を書くにはこちらも理解せねばなりませんので、ない頭で絞り出している内に、深みが出てきます。ありがたいことです。やはり一人では限界があります。 現状、何が問題かというのと、どうすればよいかを読み込んで頂けるとありがたいです。右のブログロール「自然科学から弧理論へ」は最初にお勧めします。まとまったレポートはHPに置いてますが、ブログでは補足的なことや、どういう考えで、どちらに向けて進もうとしているか等を書いていますので、併せてお読み下さいますと、全体の把握が楽かと存じます。今後ともよろしくお願い申し上げます。
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