先日、仏教の悟りとある科学者が言った完全な理解は同じだと書きました。
- 2025年12月22日 悟り と完全な理解
2つに加えてヲシテ文献にある「
ロのヲシテ」も同じです。以下の3つは同じで、弧理論による 社会科学 の基礎とも言えます。
- 悟り
- 完全な理解
- ロのヲシテ
ロのヲシテ
ホツマ辞典(p190)によれば、「
ロ は自分自身の自立を意味する。他人に幸せをもたらすためには、まず自分自身の自主独立の幸せがあってこそであるとする。」とあります。
ヒトがわかるのは物と事です。物と事は互いに規定し合う関係性によって意味づけ出来、価値がわかります。だから、物事を意識してわかるのです。
つまり、ヒトは物事を言葉でわかっているのではありません。
物事は関係性によってのみ意味を持ち得ますから、物事は必ず「対」となって現れます。例外はありません。
人間は、まず「こうだ」と決めます。その次に結論に向かって理屈、理論を考えて、他人を説得する材料にします。これが主義、主張、思想、信条などです。
その典型が 神 (GOD)です。但し、当サイトではヲシテのカミとは明確に区別します。 続きを読む
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。悟り とは何かAIに訊いてみました。
「悟り(さとり)」とは、仏教などでいう「迷いの世界を超え、真理を体得し、自己と世界の真の本質を直観的に理解する境地」で、覚醒や解脱とも同義です。日常的には「物事の道理をはっきり理解すること」ですが、仏教的には、自分の欲望や思い込み(無明)から解放され、苦しみから解放された「目覚めた状態」を指し、ブッダ(仏陀)とは「目覚めた人」を意味します。
管理人は悟りを得た訳ではありませんけれども、どうも穏やかで無駄な自己主張をしない人と言うイメージがあります。
前回の記事に示したように、ヒトは物事を言葉でわかっているのではありません。
悟ったヒトが、「ああすべき、こうすべき」などと自己主張しないのは、心の核となる自己に従っているだけのように感じます。
但し、タマの働きをナサケヱダと言いまして、これを自己と呼んでいます。これは岡潔の情に同じですし、覚、気、あるいはBuddhaに同じです。
ところで、別の資料によれば、ある科学者は、戦争と平和について次のように述べています。 続きを読む
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。至極簡単です。ヒトは物事を言葉でわかっているのではないからです。
ヒトの物と事のわかり方は次の順です。
括弧を付けた(わかる)を理解や物の理と言います。
わかるという働きを心と言います。物と事の現れ方ですが、以下です。
図1
この仕組みにより、物と事は互いに規定し合う関係になります。ですから、物も事も単独では決してわかりません。物と事が揃わない何かは決してわかりません。
よって、物事は必ず「対」となって現れます。
ですから、言葉が持つ意味と価値と意識は幾らでも反転します。同じ言葉でも立場によって幾らでも反転します。つまり、
と言うことです。
たった、これだけです。それが
憲法や法律を決め、ルールの内に討論し、選挙によって方針を決めても何も解決しないのは歴史が証明しています。
ですから、このままでは 戦争 は決してなくなりません。
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前回、物の量と関係が無い「事」を抽象だいう説明をしました。また、美術、芸術は物の量と関係がない「事」の一種だとも説明しました。
今回は、物理学者たちが 素粒子 について勘違いしている点について書きます。
人がわかるのは物と事です。
物理学者たちは物(物質)とは何かを探求し続けました。電子は19世紀末に発見されました。最初に発見された素粒子は電子です。
注:当サイトでは、基本粒子は3種(陽子、中性子、電子)とします。電子は物であり素粒子でもあります。
その後、多数の素粒子が発見されました。数え方にもよりますが、100以上ともあります。それらを17種類、あるいは18種類に分類しています。

図1 物質の標準模型
この素粒子群はソリトン(孤立波)であって、波の性質を持っています。前の記事に書いたように、素粒子は波の一種であり、「事」です。波には様々あって、管理人はこれを事の質と呼んでいます。
素粒子は粒子と呼ばれますが、その性質は波であって事の質です。
例えば、電子は物であるし素粒子でもありますが、電子波、光子の性質を合わせ持っています。 続きを読む
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。前回の記事は難しかったです。

プラスチックや塗料でできた物と統計あるいは確率とは関係ありません。

同様に、ピアノの音を聴く事と物であるピアノとは関係がありません。何故ならばピアノの音はオーディオ装置の音で代用できるからです。

花瓶に生けてある植物も絵画に描かれた植物も同じです。

これらの間にあるのは、物と 抽象 である「事」です。
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。以下の記事は難しいです。前提からです。
ある科学者の言葉をまとめると「自然は別の次元軸からの投影による映像」です。すると「物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない」訳で、物と事は必ず「対」として現れます。例外はありません。
ですから、物と事は互いに規定し合う関係にあります。どちらか単独では、言葉で言えないし、決して意味も価値もわかりません。当然、意識も出来ません。
物には量があります。事とは、動き、運動、出来事であって、管理人は事の質と呼んでいます。参考記事です。
これまでに拾い上げた物と事を示します。
物については、次の3つです。
事の質(動き、運動、出来事)には次があります。
注:素粒子の質量はGeV/C2で求められますが、光速度cには事の質である時間が含まれていて正しくありません。
また、多数観測される素粒子は孤立波です。粒子とされますが事(運動:波)の一種です。ですから、素粒子の現れ方は統計や確率に従います。
2010年から研究を始め、2015年頃より参考資料を元に 自然 とは何か、ヒトとは何かを考え続けてきました。参考とした資料は以下。
凡そ10年分をA4サイズ1枚にまとまました。入れられたのは精神科学と社会科学の基礎となる部分です。それと物質科学の一部です。
解説は省きますけれども、ご興味があれば印刷して頂いた上で、気になる語句について、当サイト内右の検索窓にて検索して該当する記事をお読み頂くと有り難いです。
但し、当サイトの記事は、教科書や参考書と異なり「わからないもの」を追求する過程を記しておりますのでトータルとしてお伝えしたいことを汲み取って頂けると幸甚です。
(現在、記事件数は1070件ほどあります。最近の記事を優先してお読みください。よりまとまっていて、簡潔になっていると思いたい。)
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自然の仕組みと働きについて考察して来ました。その結果、ヒトのわかり方が仏教の如来に同じであるとわかってきました。但し、下に示した(3.)より後の「わかる」を示しています。
少し説明します。
ヒトがわかるのは、物と事です。この場合の「わかる」を理解とか物の理と言います。その表れが時間と空間である訳です。以下が、それらのわかり方と順番です。
この仕組みによれば、全ては「対」となって現れることがわかっています。しかも、そのパターンは二通りあります。

図1 往復(振動)と循環(ループ)
言葉の仕組みは図1の通り、2つを組み合わせに過ぎません。これが言語の要素(エレメント)です。どれだけ複雑な理論、思想、あるいは哲学であっても同じです。この構造について、お気づきの通りネットワークの要素だとわかります。 続きを読む
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。前回の記事で書き漏らしたのでメモします。
数学者の岡潔は、「空間は量的質的にない」と言いました。同時に「空間はわかる」としました。では、なぜ空間はわかるのか、というお話です。
前回の概要(「わかる」の順序)を示します。
結果として、ヒトは
私たちの「わかる」と言う意識、認識とは順序が逆です。
しかし、空間は量的質的にありません。それを模型で示しました。 続きを読む
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