これまで、 自然科学の問題点 については、幾つかあると指摘しました。量ではない時間とか、空間とは何かなどです。一番の問題は自然科学に「創造」についての仕組みと働きが組み込まれていない点でした。創造とは何かについて、まとめたのが次図です。
上段が岡潔が言う第2の心で、下段が第1の心です。各資料文献によって、呼び方が異なります。
- トのヲシテ、ロのヲシテ (ヲシテ文献にある心の働き)
- タマ(ナサケヱダ)とシヰ(アワレヱダ) (ヲシテ文献にある心の本体と隋心)
- シラス・ウシハクのシラス (記紀による”知る”の尊敬語)
- 情→知→意 (岡潔の2つの心:第2の心と第1の心の働き)
- 他力 (仏教にあるBuddha→仏→覚:善導大師)=気づかされる
- 気(キ)づけよ(日月神示に頻出する”気づきを促す”=他力)
- 上段が空白で下段のみしかない (自然科学には創造の仕組みがない)
図1の上段が”創造”の源泉です。自然科学には”創造”にかかる仕組みがありません。(上段の一番右端)何故なら心が2つあることを知らないからです。詳細は過去記事を。4.について、岡潔は”創造”の過程を
”情知意”の順に働くと述べていて、情的にわかるものを知的に言い表すことにより、文化はできてくると述べています。
そして、心の状態を次のように述べています。【27】西洋人の創造解説より。
- わからないXに関心を集め続ける。注1)匙とスプーンの関係図参照。
- 精神集中をつづけていると、いつしか努力感を感じない精神統一になっている。注2)
- やがて情的にわかる。
- 情的にわかるものを知的に言い表すことにより、文化はできてくる。
ところが、前提となる”創造”について、皆がほとんどわかっておられないことに気づきました。岡潔はこの点について次のように述べています。【29】創造と工夫考案より。
よくこのおれが、おれがという感情があると、クリエーション、創造がよく働くと思う人が多いようですが、あれは創造でない。工夫考案であって、それは側頭葉でできる。しかし、そこまでです。生み出すという働きは、前頭葉でなければできない。創造は、そんなものが働いてはできないものです。
一般に言われる”創造”とは工夫や考案であって、創造ではありません。ただし、過去記事にあるように、脳と人工知能の比較により、脳に創造の働きが無いことはわかっています。
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