なぜ 日本語 は外乱に対して堅牢なのか

縄文時代からの言葉を 日本語 とするならば、なぜ 日本語 がこれほどまでに外乱に対して堅牢なのだろうか?これまでずっと考えてきました。

日本語は、ヲシテの言葉に加えて漢字、ひらがな、カタカナ、ポルトガル語やオランダ語あるいは英語を起源とする外来語、さらには和製漢語が重なってきました。それでも日本語の基本はほぼ変化しませんでした。これはどういうことなのでしょうか。

過去、波状的に多数の渡来人がやってきた時代には翻訳の辞書もないし、通訳できる人の数も限られていたはずです。このような状態では混乱するのは必定です。 元々、5母音であったヲシテの言葉を、その外乱から8母音になり、ついで長い時間をかけて8母音から5母音に収束したと考えられます。

日本語が堅牢である事について、2015年9月12日の記事「漢字伝来以前に間違いなく文字はあった 聖徳太子と蘇我氏の功罪」より一部転載します。


動画1

上の動画で紹介された奈良時代の人たちの喋っていたであろう言葉を再現したものはとても奇妙です。当時は母音が8つあったとされます。 それ故にヲシテ文献は偽書だと判断されるようです。

母音8音の問題について、どう捉えるかは、『ホツマツタヱ』を読み解く:池田満著展望社刊より一部引用することにより理解できます。P20~

『古語拾遺』の編まれた平安時代は、漢字が渡来して国字化されてからすでに数百年の時を経ている。平安時代の初期という時代はとにかく帰化人の活躍が目立つ時代であった。坂上田村麻呂(後漢霊帝の子孫)の東北地方遠征もあり、これら帰化人の進出が極めて著しい時代だった。

ちなみに『新鮮姓氏録』に本朝人(在来の日本人)とされる八〇四氏にたいし、諸蕃(帰化人)は三七三氏を数える。つまり、今に言う紳士録にも載せられるほどの人々についての帰化人の比率は一一七七氏(八〇四+三七三)分の三七三でおおよそ三二%にも及んでいた。現代での外国人の比率はどうだろうか。国際化が叫ばれていても、紳士録での外国人比率三二%にはとても及ぶべくもない。

奈良時代頃には、現在より遙かに多くの外国人で溢れていたことがわかります。そういった中で、古い日本語に変化を及ぼすのは当然だと考えられます。その上で、同氏は次のように述べています。P22~

翻って考えてみると、八母音の存在していたとされる奈良時代には、すでに波羅門僧(インド人)の菩提仙那・林邑の僧仏哲が来日していた。ということは、十二母音ほどもある悉曇音(サンスクリット語)の伝来があったことになる。当時の日本に八母音が実在していたのならば、八十音図などといったように、五十音韻図よりも多い音韻表が作成されていても良いはずである。しかし、五十音図を大きく上まわる音韻表は伝わることがなかった。

そしてもう一つの試論としては、数百年の時を経ただけで消滅してしまうものは、その成立においても古くには遡ることができないと想像される。 比していうならば、動詞の五母音に沿った活用の法則は、漢字渡来以降、千数百年の命脈を保ち続けている。

動画を観てわかるように、我々日本人は漢字の渡来から、完全に自分たちの物として使いこなすのに千数百年かかっていることがわかります。 今日のような「言文一致」に至ってまだ100年ほどしか経っていないということです。 元々、5母音であった日本語から8母音を経て、再び5母音に戻ったと考えても、それほど不思議ではないと考えます。 逆に云えば、古い日本語の持つ構造が非常に堅牢であるということです。それは今日においても「外来語を飲み込んで、元とは似ても似つかぬ日本的なるものに変えてしまう」という特性に現れているように感じます。


 

1) 言葉は循環の仕組みを持っています。言葉は互いに規定し合うことにより成り立っています

最初の疑問は学生の時の講義でした。 授業で数値計算に用いるFORTRAN言語の説明がありました。  講師がFORTRANの構文を板書しながら「コンピューターとはどういったものか後から説明する」と云いました。 これに違和感がありました。

普通、物事の説明は、基礎をはじめから説明するのが普通です。

ハノイの塔写真1 http://charin-ko.com/index.php?%E3%83%8F%E3%83%8E%E3%82%A4%E3%81%AE%E5%A1%94

なのに電算機言語に関しては、複数の「構文」を一通り説明してからしか説明できないのかと疑問を持ちました。

以来、管理人はこの違和感を持ち続けていました。 その違和感を説明するために、「匙とスプーン」を辞書で調べる話しを何度か記事にしました。

写真2 国語辞書によれば「さじ」とは「スプーン」のこと

写真3 国語辞書によれば「スプーン」とは「さじ」のこと

「匙とスプーン」の例えでは、分かりにくいので、最近では「組木パズルピースの関係」として説明してきました。

写真4

言葉の「あいうえお~わをん」までの50音が組木パズルのピースに相当します。ピースを切り刻むことに意味はありません。ピースがセルロース繊維でできていることと、組み上がったパズルとは何の関係もありません。

言葉はピースである「音素」を組み合わせたものです。音素を元にした50音韻が作る言葉は、互いに規定し合って意味をなします。 循環している訳です。音素対応する文字(50音:ひらがな・カタカナ)も、音素を組み合わせた言葉に対応する漢字(表意文字)にも本質はありません循環しているからです。

人の持つ感覚器官から人が持つ言葉までのつながりはおおよそ以下の通りだと考えられます。

自然(外の世界) →感覚器官→ 感じたこと → 言葉 → 文字(表意あるいは表音)

恐らくG・アダムスキーが想念観察を提唱したのは「外の世界」と「感じたこと」と頭で考えて出てきた「言葉」との間にズレがあると自覚させるためだったと考えます。

2) 言葉が互いに規定し合う循環論法である以上、自然を人が言葉で理解するに循環論法になってしまうのは仕方ないことだと思います。 言葉を用いることによって、自然を表そうとすると孤立系かつ循環論法にならざるを得ないということです。このやり方には限界があるとわかります。 言語がそうであるから自然科学は、循環論法にならざるを得ないとも云えます。

自然科学は古代インドの宇宙観と少しも変わらない原因がここにあります。

図1 自然科学は時間と光速度を用いた孤立系の循環論法に過ぎない(重力が統合できない)

図2 古代インドの宇宙観は循環論法(重力が説明できていない)http://kamusabia.com/utyuron-kodai-egypt-india-greece-china-sinwa-shukyo-nokosareteiru/


注)弧理論は、この組木パズルのような宇宙を「別の次元軸からの投影による映像」だとする理論です。投影による映像は、パズルの仕組みを提供するだけで、どのようなパズルが組み上がるかを規定してないようです。自然科学はこのような仕組みの一部です。しかも、できあがったパズルは多数のブロックの寄せ集め(古典物理、量子力学、相対論など)になっています。


3) 地球上には数多くの言語があります。これら言語には自然の理解に対して優劣があると考えます。 日本語は自然の理解に対して整合する度合いが高いから、日本語は外乱に対して堅牢なのだと考えます。

以下、その説明です。

4) 弧理論によれば、別の次元軸上の実体6種投影元2種(「ア」と「ワ」)からM軸上には12種の倍数だけ3種の物質に運動(波の状態を含む)状態が現れると予想されます。

図2

2つの円の交差部分にできる紡錘図形上に実体6種が並びます。実体6種が投影されることにより、M軸上(物質的自然)に基本粒子(陽子中性子電子)3種が質量と位置をもって現れます投影元が「ア」と「ワ」の2種類ありますので、基本粒子はそれぞれ6×2=12種の運動(あるいは波)の状態を持つことになります。 位置の変位を運動と云います。その運動(あるいは波)が最大12種になるということです。

これまでの考察によれば、投影による映像として物質運動は離散的に現れますし、その現れ方は確率的です。その結果、恐らくは、物質が粒子で確率波だという観測につながると考えます。

図3 https://researchmap.jp/jotm4lp39-13619/

これまでに何度か書いてきましたように、宇宙は距離ではなく角度です。 物質の運動(あるいは波)の有り様が12種あるのですから、空間を角度で12等分することになります。

平たく云うと我々の五感でわかる現象「物や事」の数は、おおよそ12の倍数現れるだろうと考えられます。 五感でわかる現象、つまり自然として現れる「物や事」は12の倍数に区分けするのが相応しいはずです。

表1 人の五感でわかる範囲にある現象(物や事)の数は概ね12の倍数になるだろう

 

5) 代表的な言語として英語を取り上げます。「英語の発音の学習。母音と子音は、いくつあるの?」によれば、英語の母音は26個あり、子音は24個あると云います。26×24=624。最大、素音で624の状態を表現できるということです。  ここでの注意点は、母音26個は12の倍数ではないということです。 これは五感でわかる「物や事」をより多くの言葉で表現できるという意味では優位です。

しかし、「五感でわかる範囲」の境界がどこにあるのか気付かないという欠点があります。 事実、素粒子物理学では「チャーム・ストレンジ・カラー」などといった、五感でわかる範囲にある言葉を無意味に転用しています。個人的にはふざけているように感じます。言葉遊びに感じます。 自然の「物や事」に対して英語はズレがあるということです。(物事と英語の間の干渉が激しい。際限なく細分化できるということを意味します。このことが元で思想や科学の統合失調につながります。)

6) 表意文字である漢字について考えます。漢字は文字自体に意味があります。仮に「新しい概念」が必要になった場合、新しい漢字を作る必要があります。 逆に云えば、新しい概念を既存の漢字の組み合わせで表現するにはムリが出てきます。表意文字には元々曖昧さが含まれているということです。漢字と対応する音韻列が持つ個々人の解釈に違いがあるかも知れないということです。(このことは、何処かで読みましたが、どこに書いていたか失念。)

 

7) では、日本語の基礎となるヲシテの言葉はどうでしょう。

表2 出典:日本ヲシテ研究所

四十八音図表(ヨソヤコヱ)は、表1に示す「五感でわかる」範囲にある「物や事」を綺麗にカバーできるだろうことがわかります。

「物」の要素を5つの「」として振り分けています。「ウツホ、カセ、ホ、ミツ、ハニ」の5つです。「事」の状態を「相」として、「はじめ、つなぐ、ひらく、なる、たす、かける、ちらす、とめる、はねる、おわる」の10の状態で表しています。 5×10=50の表の内、2つは空欄ですから、50-2=48音韻となります。大事なのは、ヨソヤコヱ(48音)が12の倍数であるということです。これでヨソヤコヱ(48音)が「五感でわかる物や事」に合致するだろうことを意味します。

その他の言語は、母音と子音を組み合わせた素音の数が自然として現れる物や事とずれています。これでは自然をかっちり把握することはできないだろうし、その終端にも気付かないのではないかと考えます。

面白いことに、ホツマツタヱでは1年365日と4分の1日余りを、「ヨツミツワケテ(4×3)」として12ヶ月に分けています。8ヶ月でも16ヶ月でもないのです。

手元にある蛍石の結晶は角が4つ、面としても4つあります。多くの結晶を考えるとき角度を12の倍数とすると都合がよいだろうと考えます。

写真5 蛍石(CaF2)

まとめ。日本語あるいは日本語の元となるヲシテは、自然の物や事をずれることなく把握できるから堅牢である。ぶれがない。 12がカギである。

 

ヲシテ研究家の池田氏の本やブログを拝読していると面白いことがわかります。彼ら研究者たちは、ヲシテ文献にある未だ解読できていない言葉について、48音韻図表を元に言葉の「態」と「相」からくみ取れるイメージから意味を解釈しようとされています。 実に興味深いことです。 漢字変換解釈などまったくの出鱈目です。「ヰクラムワタヲ ネコヱワケ」を「五臓六腑」などどいうのは無茶苦茶です。

逆に「新しい概念」の「物や事」が必要となった際には、「新しい言葉」を48音韻図表を使って作れるということです。

E軸上の2つの実体が弧(Ark)を描くことで、M軸上に発散トーラスを組み合わせた楕円磁場として現れます。 この楕円磁場が何らかの作用を及ぼすだろうと考えています。例えば、実験で楕円磁場の効果が(五感でわかる現象として)確かめられるならば、それ相応の言葉が必要になるはずです。そうなれば、48音韻図表から相応しい名詞や動詞などを作り出すことが必要になります。 彼らヲシテ研究者たちは、絶対にしない事ですが、心に留め置く必要があります。

 

追記11/21 この記事を書く切っ掛けとなったのは、武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」にある下記の動画でした。

動画2 【武田鉄矢】英国人が驚愕した世界で唯一『日本語の不思議な特徴』※知れば知るほど面白い※

改めて動画を観て(聴いて)、石川九陽著の「日本語とはどういう言語か」を購入しました。時間を掛けて読もうと思います。

写真6

つくづく日本語の基礎がヨソヤコヱだからこそ日本が存続してきたのだと感じます。

 

Φ について

2010年より研究しています。
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