物質的自然 は一筆書き

数学者岡潔は、自然科学者が考える自然(時間・空間)物質的自然と名付けました。その内、特に時間に問題があるとして、時間とはどのようであるかを云いました。おおよそをまとめると以下です。

  1. 時間は、過ぎ行く運動の記憶による観念
  2. だから時間は現在を含まない
  3. 人の五感でわかる運動から作る
  4. 運動とは関係する位置の変位
  5. 関係位置の変位とは角度
  6. 角度は量ではない
  7. だから時間という量はない

そういう時間を用いる自然科学の全体を物質的自然の中にはめ込みますと次図になります。

図1

古典力学や素粒子物理では、「運動→時間→物質の運動」であり、相対論では「運動→時間→光速度→重力・時間・空間」という順になります。そして、時間を作るには運動を用いますので、物質的自然を記述した自然科学は循環論法になります。時間という人が持つ観念は、五感でわかる範囲に限られます。ここがミソです。計算はできても五感でわかる範囲を越えて時間という観念を適用できません。また、時間は過去ですから決定論になり得ません。古典力学も決定論ではありません。これは精度の問題とは本質的に異なります。

以上を踏まえて2018年12月26日の記事『超弦理論 超ひも と人の「わかる」の間』を書きました。 ここで上記の3.に示した「人が持つわかるには3つあります」。

  1. わけることによりわかる。物の理ことわり。理解する。意識を通し言葉で云える。
  2. じかにわかる。何となく趣おもむきがわかる。岡潔が云った情じょう静的にわかる。ヲシテにあるナサケエダ。
  3. じかに動きがわかる。動的にわかる。本居宣長が云った「もののあはれ」。ヲシテにあるアワレエダ。

どうも、つらつら考えるに物質的自然は、組ひもや水引きに例えられるにしても両端が閉じているようでして、閉じた一筆書きのようだと思いました。

写真1

例えれば、 物質的自然 は超複雑な閉じた一筆書きのようです。 超ひも理論で説明に使われる図に次のようなものがあります。

写真2 出典:超ひも理論の紹介

あるいは、次図があります。

図2 出典:目指すは究極の理論-スパコンを使って超弦理論とゲージ理論の等価性を検証する

説明には両端の閉じたのや開いた「ひも」が使われます。いろいろ考えていたら、古代インドの宇宙観に出てくる「おのれの尻尾を噛むヘビ」と同じに見えてきました。

図3

本記事で言いたいのは、写真2と図2は、図3に示したヘビとまったく同じだと云うことです。そして、図1が自然科学の本当の姿です。全部一緒です。 およそニュートン以来、物理学者の努力の結果が数千年前のインドの人たちと何も変わっていないということです。図3から一歩たりとも出ていません。 超ひも理論は、自ら創り上げた超精密理論の”素”ではないかと感じます。自然科学の全体を知らずの内に俯瞰したのかも知れません。(何でも数値に置き換え、代数として計算すれば正確でよいというのは間違いです。物理現象とは何か、つくづく考えさせられます。)

 

それもそのはず、数学を含む言葉、即ち私たちの思考もまた循環だからです。1.の意識を通し言葉で云える「わかる」は循環です。どんな手法を用いようとも今までのやり方では抜け出せません。言葉は互いに規定し合って成り立っています。数学も同じです。岡潔の云った「自然数の1は決してわからない」ということの意味です。音素や記号に意味づけするのは人です。元々意味が無いのですからわかるわけないです。これが縁起や三位一体と同じ堂々巡りです。

この堂々巡り、ループの内で唯一の例外があります。それは3つの「わかる」の内の2.と3.の「わかる」です。これが在ることを知らなければ、某科学者のT教授のように「2030年にはロボットが人間を襲ってくる」などど惚けたことをいうようになってしまいます。脳の構造を真似て人工知能はできています。だからといって同じではないです。脳の構造は意識を通し言葉で云えるレベルをカバーしているに過ぎないようです。 その違いを自然科学者はまったくわかっていません。西洋人と大方の人は、人に心の3つあることを知らないのです。 岡潔は自然科学者を「原始人的無知」と云いました。最初は、そこまで断言できるのかと思いましたけれども、考察を重ねる内に岡潔は冗談抜きで自然科学を論破したのだとわかってきました。

因みに、3.の動的にわかるには記憶(情報)が必要です。2.と3.の「わかる」があるから人は時(現在と過去)の中に住めるのです。 この情報と今、我々が欲しているエネルギーとは密接な関係があります。エネルギーは時間を含みますので使えません。当サイトではエネルギーを時間を含まない運動と呼んでいます。

 

あちこちいろんな物や事の考察を続け、何度も同じようなことを書き連ねていますけれど、大分追いよってきました。研究を始めて9年経ちました。10年目に入ります。残された時間はそれほどありません。何とか目処を付けたいです。少なくとも自然科学は間違っていることはわかりました。そういえば、2012年頃、「The manuscript of survival日本語訳」を読んで、書いてあるとおりでした。気になった点は以下です。

  1. エネルギーの量を正しく求める方法を知らない
  2. ダークマターこそが、尽きることなく利用されているエネルギーの唯一の源だからです。それは根源的な永久機関
  3. 知識とは、個人的に占有・保持するものではありません。それは、全員が全員の進化のために共有する情報の大海です
  4. 物理学の聖杯探しには、正当な理由もなく、多額のお金がつぎこまれてきました。実際のところ、それは、非常に多くの賢い頭脳を間違った方向に向けさせている、上手に組み立てた誤魔化しのプロェクト
  5. スクリーンや試験管内に表れる実験結果は、説明すらできないような現象です。結果は疑問視され、実験が繰り返されます。しかし、結果は毎回、正確に一致し、信じる他はなくなります。
  6. 脳は単に、人間を最低のレベルで機能させるための装置に過ぎないのです
  7. 大量の赤いテープに巻かれて書庫の奥に封印されてしまったのです。それらの発明が、自分たちの生業のどれほど邪魔になるかをよく知っている闇の手先によって、発明家たちは上手く口封じされてしまったのです。

1.は確かです。時間を用いてより複雑にしています。2.は拙著:弧電磁気論の執筆時に感じたことです。3.は正論です。4.は1.と相まって人類最大の無駄です。そのカギが”時間”にあることは間違いありません。もっと早く気付くことが可能だったはずです。成績優秀な数学オタクを思い出します。物理現象とは何でしょうね。 質量「GeV/c」も距離「光年」も量ではない時間を含んでいるので無意味です。時間はであって、物ではありません。5.はこれからです。6.は上記の通りです。7.はトム・ベアデンが指摘したように「電磁気学が成立する過程において、J・Pモルガンが激怒して科学者たちに修正を命じた」ことを含むようです。サイト内をトム・ベアデンで検索ください。

まったくの見当外れでなければという条件付きながら、これほど面白い世界はないです。

 

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矢張り 電磁気学 はどこかおかしい

相変わらず単極誘導の現象について考えています。2018年1月24日の記事「電磁気学 の発達は不自然 化学の発達との比較(トム・ベアデンの手紙を受けて)」を読み返してあらためて 電磁気学 はどこかおかしいと感じます。

次図は、乾電池と豆球を使った直列回路です。

R4B3A004C.jpg図1 出典:豆電球を、電池1個で光らすのと、電池2個を直列につないで光らすのでは、どちらが長持ちするか?

の電荷を持つ電子による電流は電池のプラスから出てマイナスに流れます。電子の流れは逆で、マイナスから出てプラスへ移動します。一見、普通に対称な現象に見えます。でも、どこか変だと感じます。 図1は、単に電流や電子の流れる方向を「プラス・マイナス」と名付けているだけで、そこに正の電荷は出てきません。 対称性に欠けると感じる点はここにあります。(陽子はずっと後から発見されたのですが。)

それは、例えば双胴・双発機を単発機だと言いくるめて片肺で飛行してるようなものです。とても奇妙です。

写真1 出典:P38ライトニング

 

その奇妙さの極みが単極誘導の現象だと感じてきました。あらためて実験で確かめたことを記します。最初は、電磁誘導における力の作用を調べます。 続きを読む

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数 には2種類ある 数は「事」のかげ

数学者岡潔は「 数 は量のかげ」と云いました。「岡潔先生をめぐる人々 フィールドワークの日々の回想(47) 龍神温泉の旅の話」を参照ください。 意味はこうです。

人の五感でわかるのは、の量や嵩です。ただわかるのは目分量です。例えばオレンジの重さや体積、糖度、酸味、香り、皮の厚さ、袋の数、種のありなし、成分その他などについておおよそしかわかりません。

写真1

この目分量を正確に言い表そうとして を使います。 ですから、岡潔の云った言葉を正確に云うと「数とは、人の五感でわかる物にかかる量のかげ」ということです。

:この「わかる」には3つあります。「【4】 情のメカニズム」が参考になります。

  1. わけることによりわかる。物の理ことわり。理解する。意識を通す。言葉で云える。
  2. じかにわかる。岡の云う情じょう。ヲシテ哲学で云うところのナサケエダ。静的にわかる。意識を通さない。言葉で云えない。
  3. 直にわかる。本居宣長の云う「もののあはれ」。ヲシテ哲学で云うところのアワレエダ。動的にわかる。意識を通さない。言葉で云えない。

上記で「人の五感でわかる」の「わかる」は、2.と3.を云います。因みに人が現在・過去という時の中に住めるのは2.だけでなく、3.があるからです。言い換えると2.は現在、3.は過去にわけられます。人に2.と3.があるから1.があり得るのです。ですから、自然科学は1.の範囲に留まります。

 

人の五感でわかるのは、物のほかにがあります。物や事です。あるいは出来事です。事とは、人と人、人と物の(位置)関係です。人が2.でわかるのは物の現在です。自然科学者が扱う物質的自然は、離散的に現れます。(量子理論の根幹です。) 離散的に現れる物にかかる位置の変化を同一の物としてわかるには、2.(情:ナサケ)だけではダメです。動的にわかる必要があります。それが3.(アハレ)です。3.は時の過去で記憶(情報)と関係します。

まとめると、数には2種類あります。

  1. 岡潔が云った「数は(物の)量のかげ」
  2. 「数は事のかげ」

ということです。

岡潔は「時間という量はない」と云いました。「【6】 数学の使えない世界」「【5】 情の特色」を参照ください。 「時間を知ろうとするといつも運動を使う」と岡は云いましたが、具体的には地球の自転に伴う太陽の位置(関係)、つまり角度から作ります。「【 2】 自然科学者の時間空間」を参照ください。

図1

角度は量ではありません。 角度から作った時間は量では無く、(出来事)です。ですから時間という「数は事のかげ」だと云えます。時間は事のかげですから、時の過去です。時間は現在を含みません。このあたりの考察は、過去記事にあります。

図2

物の量を表そうとすると10進数でよいのですが、事のなりを表そうとすると関係位置(角度)を扱うことになりますので、12進数がよいようです。

写真2 蛍石:結晶構造は12進数で表記すれば理解が深まるはず

ですから時間は10進数でありながら12の倍数なのです。これはセシウム原子時計を標準に使うようになった現在も同じです。

 

自然科学は物の理ことわりを表そうとしています。自然を量的に表そうとしています。ところが自然科学は物の量を表すに、時間という量ではなくて、「事による数」を混合(混同)して用いているのですからダメです。そんな自然科学は見方によっては、とても不自然だというお話しです。

ある科学者は、「地球の科学は基本的には問題は無い」と云いました。しかし、とても複雑になっていて、正しく眺めればかんたんだと云いました。その複雑になっている原因が時間にあると考えられます。 ついでに云えば、物とは何かというと基本粒子(陽子・中性子・電子)であって、素粒子という破片ではありません。人は基本粒子を組み合わせた物であって、基本粒子をピースとするパズルです。

写真3   ピースを砕いた破片↑  と犬・猫・人といったパズルとは、何の関係もない

ピース未満の素粒子と人とは何の関係もありません。ですから素粒子が持つ物性によって物である蛍石の性質を説明できません。

岡潔は山崎弁栄上人をひいて、「(素粒子の)少なくとも一部は映像と云ってよい」と述べました。物質的自然の全体を考えるとすべては別の次元軸からの投影による映像だと考えざるを得ません。「【3】 西洋の唯物主義」を参照ください。


ホツマツタヱが本物だと気付いて、特に気になった箇所について考えに考え抜いて漸く辿り着きました。 キツノナト ホムシサルアヤ ミカサフミ・キツヨヂのアヤの一部です。(引用先の誤りです。訂正します。2019/03/19)

コトハオナオス
アワウタオ ツネニヲシヱテ

アカハナマ イキヒニミウク
フヌムエケ ヘネメオコホノ
モトロソヨ ヲテレセヱツル
スユンチリ シヰタラサヤワ

アワノウタ カタカキウチテ
ヒキウタフ オノツトコヱモ
アキラカニ ヰクラムワタヲ 
ネコヱワケ フソヨニカヨヒ
ヨソヤコヱ コレミノウチノ
メクリヨク ヤマヒアラネハ
ナカラエリ

何故、ヰクラムワタ ヲ ネコヱにワケるとヨソヤコヱになるのか、ずっと考えてきました。

人が持つ五感により2.と3.により「わかる」のは「意識を通さず、言葉で云えない物や事」です。それがヰクラムワタです。(内訳はまだよくわかりません。少なくとも五感+情で6つです。) その「わかる」をネコヱ、即ち人が認識できる音素に置き換えます。一説によれば、音素は150以上あるようです。その中から24で折り返して48音(ヨソヤコヱ)としたのがアワノウタです。 これが何との性質である角度の12進数の倍数です。英語などの他の言語との違いはここです。だから日本語は凄いのです。

このアワウタを記号に対応させたのがヲシテ(ホツマ)の文字です。

図3 出典:(c)池田満

意識を通さず言葉で云えない「物や事の性質」の内、物の性質を5つ母音とし、事の性質を子音に置いたのです。 アカハナマ イキヒニミウク フヌムエケ・・・ と声も明らかに歌うことによってコレミノウチノ メクリヨク ヤマイアラネハ ナカラエリ なのです。本当に凄いです。よかった。長かったです。ネットにある五臓六腑なんてとんでもない漢字変換の誤訳です。 意識を通さず言葉で云えない。しかし「わかる」物や事を知的に言い表そうとするにヨソヤコヱは最適です。そうして文化はできてきます。

精神科学・社会科学・物質科学はここから始まります。ミクサタカラはここにあります。

 

因みにミクサタカラのツルギ(物質科学)とは、弧理論のArkのことです。どうも、3つの科学は互いに補い合っているようです。精神科学と物質科学がわかってくると社会科学がわかってくるというような関係にありそうです。

もう二つ。数学者岡潔は、間違いなく「”ト”のヲシテ」の実践者でした。それと、事には情報があります。情報とエネルギーには密接な関係があります。エネルギーは弧理論でいうところの運動です。

 

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オスプレイ 2機の飛行を目撃

驚きました。ウォーキングの際のことです。2月4日午後2時15分頃でした。山の麓を歩いていたとき、ヘリコプターの様なバラバラという感じの音が近づいてきたので見上げたところ、山陰から2機のオスプレイが現れました。2機は、北西から南東の方向へ飛び去りました。

「キアサージ」から発艦した海兵隊所属のMV-22写真1 出典:V-22(航空機)

山は標高200mほどです。ですから、たぶん300m~400mくらいの飛行高度のようです。機体はかなり大きく見え、はっきりと巡航時の姿勢で飛行するのを確認しました。ただ曇天で下から見上げるだけですから、機体の文字等は確認できませんでした。

帰宅後確認したところ、次のようなニュースがありました。京都新聞「饗庭野演習場で日米共同訓練 オスプレイ参加、ルート示さず」 2013年にも合同訓練はあったようです。知らなかった。

動画1

空を飛ぶのは、何でも好きですからよいのですが、沖縄に配備されているくらいの知識しかないので、いきなり本物を見たので驚きました。垂直に離着陸できるからといってオートローテーションはできませんので中途半端な機体です。機体の作りからいって離着陸時に不安定だろうということはわかります。ヘリもそうですけど、着陸時に追い風だと危ないです。

 

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シラス・ウシハク と数学者岡潔

前回と前々回の記事に続いた「精神科学」の解説です。 シラス・ウシハク の一般的な解釈をねずさんのブログ「ねずさんのひとりごと」より引用します。ねずさんは「シラスとウシハク」で次のように説明しています。

そしてこのときの言葉の中に、
1 大国主が領(うしは)ける国
2 我(あ)が御子の知らさむ国
という、明確な対比が出てきます。

この「知らさむ国」の「知らさむ」が、「シラス」です。
「シラス」は、古い日本の言葉で、「シラス、シロシメス」などと活用されています。
「シラス」は、「シメラフ」とも活用され、これを漢字で書くと「統(し)めらふ」、つまり「統(す)めらみこと、いやさか」の「統(す)める」となります。

どういう意味かというと、これは「知らしめる」で、いま風にいうと、何かをやろうとするときの情報の共有化です。
つまり「知らせ」を聞いたみんなが情報を共有化し、互いに必要な役割を定め、みんなで一致団結、協力して国造りをする。
そのときの中心核が「シメラフ」御存在となります。

どうも管理人の理解ではシルは「領る」であり、シルの尊敬語がシラスであったと記憶しています。ねずさんの記事ではシラスは、「知らしめる」との解釈です。転じて「統(す)める」と解釈出来ると説明しています。 概ねOKですけれども、シラスは単に情報を共有するという消極的なものではありません。それでは現在の状況と変わりありません。

図1

岡潔は、「(あるかないかもわからない)何かに関心を集め続けることにより知的に言い表せるようにする」作業を推奨していました。前回記事の引用を再掲します。岡潔に関する著書「数学する人生」より。 続きを読む

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「考える」ということの仕組みを 考える

いろんな本や難しい数学の問題について考えた結果、何かを知ったり理解が進んだりします。人はこのような活動をします。 ところがほとんど誰も「自分自身がどのような仕組みで、その理解なり感想なりに至ったか」について考えることはありません。 これまで管理人が自分で考え、懸命に説明してきたのがこの仕組みについてです。 「人が考える」ということの仕組みを考えてきました。 一言で云えば人とは何か、どのようなものなのかを考えてきました。 過去、何年もの記事の多くは「人が考える」ということの仕組みについて考えてきたことを記したものです。

数学者岡潔が云ったように、自然科学は間違っています。自然科学は明らかに統合失調です。このままでは人類は滅びます。誰しもが感じる不安はこれです。しかし、どのような平和活動も実を結ぶことはありませんでした。ある科学者は、「単に問題を提起するだけで解決方法を与えていないからだ」と云いました。そして、「人類と文明と社会に最も必要なものはかんたんで、人と人との間、国と国との間、すべての人々と自然を制御している偉大な力と英知の間の基本的な”理解”なんだ。”理解”が君の人類が生き残るための鍵だ。もし人々の間に理解がなかったら、政府間の協定、協約や保証などにおける価値は全く少ないことになる。」と云いました。

これまでの検証で地球には、精神科学と社会科学はほとんど無く、物質科学の一部として自然科学があります。しかも自然科学は、量では無い時間をもってエネルギーの量を測っています。これらは一重に精神科学・社会科学が未発達だった結果です。

図1 物質科学の発達は、精神科学と社会科学の発達が無ければあり得ない

前回の記事「新しい 天皇 に期待すること」の意味がわからない方は、残念ながらこれからの発達は見込めません。

ある科学者が云ったように”理解”が必要です。この理解は、「意識を通さず、言葉で云えない。何かを知的に言い表していく」以外に方法はありません。これを「気(キ)づく」と言います。山崎弁栄上人や岡潔などごく少数の人を除いてあまりに未発達だからほぼ誰も気(キ)づけないのです。

岡潔に関する著書「数学する人生」より一部引用します。

大宇宙は一つの心なのです。情だといってもよろしい。その情の二つの元素は、懐かしさと喜びです。p35
情は常に働いていて、知とか意とかはときに現れる現象だから、情あっての知や意です。「わかる」というのも、普通は「知的にわかる」という意味ですが、その基礎には、「情的にわかる」ということがあるのです。
わたしは数学の研究を長くやっていました。研究中は、あるわからない「x」というものを、どこかにないかと捜し求めます。捜し求めるというより、そこにひたすら関心を集め続ける。そうすると、xの内容がだんだん明らかになってくる。ある研究の場合は、これに七年くらいかかりました。p37
xがどういうものかわかってやるのではありません。わかっていたらなにも捜し求めることはない。わからないから捜し求める。関心を集め続けるのです。
わからないものに関心を集めているときには既に、情的にはわかっているのです。発見というのは、その情的にわかっているものが知的にわかるということです。
数学に限らず、情的にわかっているものを、知的にいい表そうとすることで、文化はできていく。p38
情の働きがなければ、知的にわかるということはあり得ません。知や意は、情という水に立ついわば波のようなもの。現象なのです。

下線は管理人による。 冒頭の理解とは、知的にわかるということです。平和へ向けての解決方法は、このような方法で示される以外にあり得ないと考えます。新しい天皇に期待するのは、このようなことです。形骸化した式典・儀式や呪術などではありません。

 

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新しい 天皇 に期待すること

ご高齢故に今上天皇の譲位が決まっています。譲位は平成31年4月30日です。新しい元号は5月1日に発表されるようです。(天皇陛下譲位は平成31年4月30日 改元は5月1日) 新元号がどうなるかについて盛んに予想されているようです。

管理人は、新しい天皇になられる現皇太子殿下に期待することがあります。2016年2月1日の記事『シラス・ウシハク  シラスは「領る」ではない 「知る」である』より、一部引用します。

古事記・日本書紀にある「シラス」のように、天皇お一人に「シル:知る」を押しつけて、<知る>を<領る>と誤解した上で、<シル>という行為を王権と考え違いをした結果、<シラス>としているように思えます。

平城京あるいは平安京の御所にある清涼殿内の東ひさしの東南に、床を漆喰で固めた「石灰の壇」がありました。古より天皇は、「石灰の壇」にて毎朝、遙拝が行われていました。 現在、皇居の宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)において三種の神器への祈りがなされているようです。 皇祖・天照大御神の御霊とされる八咫鏡は賢所に祀られています。現在では遙拝について、誤解された上で形骸化していると考えられます。

図1 出典:「賀茂真淵の書簡について」 Iさまより

清涼殿内の東ひさしの東南に、床を漆喰で固めた「石灰の壇」にて、毎朝、遙拝を行われてきたようです。どういう所作かは存じませんけれども、四方拝に似た儀式ではないかと想像します。 続きを読む

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動画「 12進数 によるタイマーと時間について」を掲載しました

動画、「12進数によるデジタルタイマーと時間について」を掲載しました。

動画1
同じ12進数でもアナログ時計の方は、”数字”を角度に合わせて配置してますからまだ分かり易いです。 デジタルの方はわかり辛いです。

時間とは何か、考え出したのが確か2014年か2015年頃からです。すでに5年ほど経っています。漸く簡潔に言えるようになってきました。角度を量だという人は居ませんよね? バカみたいに簡単でした。逆に何故気付かなかったのか不思議でさえあります。

そういえば、若い頃から中島敦の山月記が好きでした。奇異を衒てらうわけではありませんけれど、自身、向こう側(12進法の数学世界)へ行くことを望んでいるのかも知れません。別に虎になりたいと思っていませんが、何か惹かれます。

 

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空間とは  物より「事」の方が重要

これまで何度か「宇宙は長さ(距離)より角度の方がより大切だ」という意味のことを書きました。 これまでの考察の結果、人の五感でわかる「物や事」の内、物とは何かを言い表すことはできないと結論づけました。それはパズルとピースの関係に似ています。

写真1

パズルから観てピースが”どういう物”であるかを答えることはできません。ピースがどういう物であるかよりもたくさんのピースを如何に組み合わせるかというの方が重要です。これはピースではなくて「事」あるいは「出来事(動きのある”事”)」です。 人と人、人と物、物と物などの関係が「物」より重要だということです。

皆これが何かは、直じかにわかります。言葉によらないことはこれまでに考察してきたことです。

写真2 匙はスプーン、スプーンは匙、「言葉は循環、言葉に物の本質はない」

匙は匙なりの趣おもむきがわかるのです。これが数学者岡潔が云った情じょうです。言葉もピースである音素に意味はありません。 言葉イコール思考ですから、思考(識)も同じです。 その意味で人の思考を人工知能で置き換えることができます。これも考察済みです。 人が、写真2が何であるかを「わかる」のは言葉や思考でわかるのではなく、直にわかるのです。人工知能との違いはここにあります。 そして数学も同じだろうと感じます。記号に意味はありません。複数の記号の関係に意味を持たせるのです。その意味をくみ取るのは人間です。識と「直にわかる」のとは別なのです。(ここに、岡潔の云った「情→知→意」の関係が入っています。)

時間は運動から作りますし、運動は角度が大事です。 角度は量ではありません。角度は人と物、物と物の関係(つまり、事)です。角度は「事あるいは出来事」です。

日常生活の「事や出来事(動きのある事)」の内に宇宙の構造に似た事があって、これらを参考に真の宇宙の姿に気(キ)付くようにできているのではなかろうかということです。 例えとして適正かどうかわかりませんけれども、「お釈迦様の掌てのひらと孫悟空」、「万華鏡やX線回折」の例えは、弧理論の考え方の構造に似ていると感じて、幾度も参考に使ってきました。  我々が日常生活に見聞きする「事」の中に宇宙の構造のサブセット、あるいは自然の雛形のようなものがあると感じます。 続きを読む

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12進数による webアナログ時計 と12進数のデジタルタイマー

12進数による webアナログ時計 を作りました。「CreateJS でアナログ時計の開発に挑戦しよう」を参考にしました。(一応、IE 、google clrome 、Opera、Firefox で確認。)


12進数を表すに0~9とA及びBを用いました。 アナログ時計の文字盤には、10時→A、11時→B、正午→1012進を置いています。

一日は12進数で20時間、1時間は50分、1分は50秒です。(訂正:1時間は60分、1分は60秒に訂正します。もの凄く混乱します。)文字盤がAとBと10に置き換わっただけで一見、何の変哲もないアナログ時計に見えます。 しかし、よく見ると秒刻みが”6”刻みだとわかります。例えば3時から4時までの間に6の刻みがあって、秒針はPCなどからの時刻をとってきますので5秒刻みです。ですから、赤い秒針の進みと文字盤の刻みとの間にずれができています。

時間は、10進数を用いた12の倍数で表現しています。時間を本当に12進数にするには「1秒の定義を変更しなければならない」ということです。

現段階では、12進数による時計の必要性を具体的に述べることはできません。ただ、これまでの考察から云えるのは、物質的自然は距離ではなくて角度がより重要であるだろうというという事です。基本物理量である「長さと質量」は10進数ですが、時間だけは10進数による12の倍数です。時間を10進数に改めることは不可能に近いです。 むしろ長さも質量もその他の物理量も12進数に統一すべきだとの考えです。webアナログ時計はその一つです。

時間は角度から作ります。地球上において、1日の長さ(運動)は変えられません。というか、人は1日を基準に活動している以上、これを基準にするしかありません。ですから、時間を作る際には、1日(昼夜)の長さを無視して時間を作れません。 続きを読む

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