であるならば、「数」として扱えない「量」というのはあるのだろうか?
寝返りは、身体に生理的な信号が生じるわけですから、何らかの「量」があることは確かです。でも自身は「意識がない」ですし、信号をどこまで遡れるのかわかりません。小脳以下で完結するのでしょうか?そうとは思えません。大脳がほぼ活動を休止している状態でも寝返りはあるでしょう。 物や事の内において、数として扱えない量や嵩はあるのではないかと考えます。その一例が「寝返り」ではないでしょうか。
直観的には、物や事が生じる原因が五感で分からないところから来ているだろうと感じます。 「意識を通さない」「言葉で言えない」というのはとても難しいです。言葉遊びに近いような気がしなくもないです。 岡潔は、これを突破して「情」に辿り着いたのだから凄い。
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。

