岡潔「数は量のかげ」 自然科学は、「量」の内で「数」として扱えるものが対象

であるならば、「数」として扱えない「量」というのはあるのだろうか?

寝返りは、身体に生理的な信号が生じるわけですから、何らかの「量」があることは確かです。でも自身は「意識がない」ですし、信号をどこまで遡れるのかわかりません。小脳以下で完結するのでしょうか?そうとは思えません。大脳がほぼ活動を休止している状態でも寝返りはあるでしょう。 物や事の内において、数として扱えない量や嵩はあるのではないかと考えます。その一例が「寝返り」ではないでしょうか。

直観的には、物や事が生じる原因が五感で分からないところから来ているだろうと感じます。 「意識を通さない」「言葉で言えない」というのはとても難しいです。言葉遊びに近いような気がしなくもないです。 岡潔は、これを突破して「情」に辿り着いたのだから凄い。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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岡潔「数は量のかげ」 自然科学は、「量」の内で「数」として扱えるものが対象 への7件のフィードバック

  1. 佐々木 のコメント:

    VR技術が出てきたのは「刺激を求めて」なんでしょう。技術分野では最近触覚が注目されてきている。広義では触覚は電子レベルの通信を意味しています。
    5感のうちの4つが頭にあるのはなぜか。強いフィルタをかけたデータはなるべく太い情報経路を通らなければならず、だから演算器である脳に近い位置に配置されていると考えられる。人間もキリンも同じ構造です。
    では残りの触覚はどうか。これは全身にある。4つの感覚器官も変換前は、光が目に当たる、音が鼓膜に当たる、匂いの素が鼻粘膜に当たる、食べ物が舌に当たる、という接触をしている。変換前にそれを感じないのは、元は静かな信号形態ということだ。このあたりはアダムスキーの本にも書いてある。
    静かなものに耳を澄まそう。そういうことなんだろう。

    • 佐々木 のコメント:

      視覚器官から脳までが遠いと伝達遅延が起きるから当たり前でした。ライオンを認識するのが数秒後ならキリンは食べられてしまう。人間の神経伝導速度は正中神経(腕)で約60m/sec。視覚の光学変換から認識処理を考えると、やはり伝送路も速く近くないといけない。

      • Φ のコメント:

        >約60m/sec
        意外と遅いと感じます。
        >伝送路も速く近くないといけない。
        近いだけでなく、矢鱈簡略化します。錯視や痛点の省略などです。脳は思考の核になる部分を担っていないと思います。
        こちらttp://blog.goo.ne.jp/narudekon/e/ef716cb6a38a25c77951e384a7cf39a4 に
        「脳は単に、人間を最低のレベルで機能させるための装置に過ぎない」とあるのは本当だと思います。岡潔の云う「意識を通さない」「言葉で書けない」何かを考えねば次へ行けないです。非科学的と排除するだけではダメです。
        単極誘導の実験について、どうにも先に進めません。人に必要なのは経験だと分かっているのですが。考察する方が楽です。実際にやることでのみ進めるというのは真実です。

    • Φ のコメント:

      >静かなものに耳を澄まそう。
      まったくその通りだと思います。ミュージシャンで難聴になる方もあるようです。
      アランは「こうした(睡眠中のリラックスした)状態下では顕在意識がやるよりもはるかに容易に潜在意識は(想念の)送受信を行う」と述べています。私も寝覚めの状態にいろいろ考えます。

  2. 千田 のコメント:

    http://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-shizen3-03.htmlからの引用
    日本は明治の始めまで、1300年仏教を勉強しました。
    その仏教について仏教を修行という面から見ますと、
    釈尊はどう言っているかと云うと
    「五感を全部閉じてしまって修行せよ。五感にだまされるな」
    そう言っているのです。
    つまり五感でわかるようなものに、
    仏教の修行の対象となるような大切なものは何も無いと云ってるんです。
     大体、これと自然科学者の暗暗裏の仮定とは、
    非常に違っているというぐらいは
    日本人は何時か一度自分で考えてみるべきだったんだけど、
    頭を一つも使わない習慣です。これ程違っているのに……。
    全然180度違う。合わない。話し合いの場所がないんだ、これではね。

    岡潔は五感を全部閉じてしまって「情」に辿り着いたのでしょう。
    五感の中でも、特に視覚と聴覚を閉じる必要があるのだろうと思います。
    しかし「お金」と「時間」の為には五感を開いておく必要があります。

    物や事が生じる原因を
    「数」として扱えない「量」を
    「理解」する為には五感を全部閉じる必要があると思います。

    • 千田 のコメント:

      ttp://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-shizen3-03.html
      url貼りミスです

    • Φ のコメント:

      そうですね。「五感をフルに刺激する=忙殺される」ことにより、自己の脳裏にある「意識を通さない」何かに気(キ)づけないのです。「お金と時間」が気(キ)付きを妨げていることは確かです。存在しないものに固執しています。
      先日ある方に、以下を申し上げました。日銀は株式会社。株の6割弱が国、残りは不明。地元のある法人が日銀株を持っている。内部ではお金を「お品」と呼ぶ。日銀を出た瞬間に「お金」となる。1万円札の製造原価は確か十数円だったはず。これが国に渡った瞬間に「国の借金」になる。とお話ししたら少し驚いていました。その方は地元法人が持つ日銀株は、額面100万円だと教えてくださいました。存在しないものを自覚なく信仰することの馬鹿らしさです。

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