「 熱 が伝わる」とは何か

ファラデーが発見した単極モーターに生じる作用と反作用について調べた実験の結果、「接するとは何か」について、深く考えるようになりました。以来、かなりの数の記事を書きました。次いで、最近は について考えています。

接するとは何か

結果、自然が映像ならば、近接作用はあり得なくて、遠隔作用で説明するしかないという結論に達しました。自然(M軸)での物と事(運動)のすべての原因は、別の次元軸(基軸)にあるということです。

考えてみれば、ある科学者は多くのヒントを残しています。

 

熱が伝わるとは?

そして、最近考えるのは、熱はどのように伝わるのだろうか、あるいは熱とは何かという疑問です。「接するとは何か。熱が伝わるとは何か。」について、疑問に思う人はいません。何故なら現代において、熱の問題は熱力学として、解決済みだとされているからです。学生の頃を思い出して、探したリンク。

図1 出展:熱力学第一法則

 

どうもにつながらない

ところが、小さな領域での現象を考える量子力学の世界とは、どうもつながりが悪いようで、マクロとミクロの領域を扱うそれぞれの分野が頭の中でつながらないのです。その原因が幾つかあると考えます。

  • 自然をそのまま記述すること
  • 知識全体を物と事に区別なく(混同して)記述すること

科学者Aの考える自然を科学した成果と科学者Bの考える自然を科学した成果を寄せ集めたのが自然科学です。【1】このままでは人類は滅びるより。

今は間違った思想の洪水です。世界は間違った思想の洪水です。これから逃れなければ人類は滅びてしまう。

で、その為に思想の間違いの根本はどこにあるか、それを調べましょう。

一番怪しいと思えるのは自然科学です。それで自然科学から調べます。大体、自然科学というものは、自然とはどういうものかということを言わないで、自然というのはわかり切っていると一人決めにしている。そして、これについて科学した結果を集めたものです。

だから、かようなものは学問とはいえません。これは単なる思想です。

不思議なことがあります。ある科学者はこう言います。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

科学者は、ミクロの物性として「物は粒子であり、確率的に現れる波でもある」としました。なのに挙動は、近接作用として記述されています。同時に重力をとして観測しています。(重力波とその観測の歴史)さらに、ミクロの物性マクロの考え方を持ってきています。(プランクの長さプランクの時間プランクの質量

管理人には奇妙に感じられます。何もかもぐちゃぐちゃです。その原因は、自然科学に物と事の区別がないからです。最も大きい原因は、時間にあります。

  • 角度は物の量ではなくて、事(運動)の質である。

 

ここで言いたいのは

「接するとは何か、熱とは何か、熱が伝わるとはどういったことなのか」と言ったミクロの領域における物性を知るには、自然が別の次元軸からの投影による映像だという基本にたって、順に進めるべきだということです。「接するとは何か」ということがだいたい飲み込めたようですから、熱とは何かということです。

どうも、弧理論の前提である「自然は映像」として考えると、極大の世界とミクロの世界は、行き止まりのようだということです。

図2 物と事は一つの実態の異なる面に過ぎない

  • 物と事は互いに規定し合って成り立つ繰り返し、循環
  • 物と事は必ずとなって現れる

運動が大きくなるにつれて、物の量は観測できなくなります。で、事の質(電磁波や宇宙線)しかわかりません。

図3

極大の世界も極小の世界も、物の量がわかりません。長さも質量も次元を失うからです。言い換えると、図の両端は、M軸の次元として行き止まりだということです。その境界付近接するとかとかがあるようです。

そう言えば、極小の世界において、零点振動がありますし。極大の世界においても、宇宙マイクロ波背景放射に相当する温度(熱)の問題があります。

 

物理学で使われる基本の数式は間違っている

  • m=E/c

E:エネルギー[ML2T-2]には、角度から作った時間が含まれています。また、c:光速度[LT-1]がわかるためには、その前に時間がわかっていなければなりません。すると、数式は次になります。

  • 物(質量)=事/事

宇宙方程式も素粒子の質量も、プランクの云々も何もかも間違っています。は事の質(運動)の一種です。

 

物理学は抽象に陥っている

では、物理学の先端にある理論はどうなのかというと、観測の結果が事の質しかわからず理論も事の質である訳で、既に抽象です。

動画1 【宇宙は無数に存在する】UCバークレー 物理学者が完全解説/我々は無数にある宇宙の中の1つを生きている/宇宙を泡として考える/米大学の研究者の働き方とは 【EXTREME SCIENCE】

論ずるに、理論は事の質に至っており、繰り返し(無数)に現れると述べている時点で気づくべきです。これらの理論は抽象です。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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