映像における「 接する 」ということ

2014年頃より物の「接する」ということがどういうことなのか考え続けてきました。というのも、2013年から2015年頃にかけてファラデーの単極誘導モーターに生じる力について実験で確かめたからです。単極誘導モーターに生じる力の力学的な作用と反作用を細かく調べたところ、ブラシや電極の接点に生じていることがわかりました。

gif1

ところが、放電による単極誘導モーターでは放電を介して力が伝わっているようでもありました。

動画1

これでわからなくなりました。力が伝わるとは何か?「 接する 」とは何かということを原子レベルで考える様になりました。

その後、考察を進める内に「自然は映像」であることがわかってきました。数学者岡潔は、「2つの心」で山崎弁栄上人をひいて次のように述べています。「【3】 西洋の唯物主義」を参照ください。

その人の云うところによると、本当に実在しているのは心だけである。自然は心があるために映写されている映像にすぎない。そう云ってるんです。

弧理論の考え方を一言で云うと「物質と物質にかかる物性のすべては、別の次元軸(E軸上)にある実体の投影による映像である」ということです。これは、岡潔が述べたことと同じです。

弧理論の元となる図形があります。

図1

図1は、ヲシテ文献にある「カミ:つながり、もたらし、生じさせる」にフトマニ図にある「ア・ウ・ワ」を組み合わせた言葉に同じです。「カミ」とは次になります。

「ア」と「ワ」は、つながり、「ウ」をもたらし、「ウ」よりヒトを生じさせる。「ヒトハ アノモノ」であり、「ヒトハ ウナリ」。

図1のM軸(注1)がE軸上の実体からの投影による映像だということです。これを「カミの仕組みと働き」と呼んでいます。これにより宇宙ができていると考えています。


注1:これまでM軸について、様々な呼び名を使ってきました。物質空間、物理空間、宇宙、岡潔が名付けた物質的自然などです。「自然とは何か」という疑問がある内は、M軸をどう呼べばよいかわかりません。とにかく、M軸は次表の範囲を云います。観測可能な宇宙の範囲を云い、どうも「外のない内」であるようです。

表1


ここで気付いたのが「 接する 」と「つながる」の違いです。

これまでのところ、物質的自然は映像であり、物質の「粒子であり波動性の二重性をもつ」という性質を量子力学として捉えることが不適切だとわかりました。つまり、心の仕組みと働きは、別の次元軸にもとめ、その仕組み故に「原子は陽子と中性子を核とし、電子が周囲を回っている」とする訳です。

gif2

gif3

模型で云えば心の仕組みと働きは、gif3であるが、観測はgif2になるということです。別の言い方をするとgif3は、E軸上にある「心の仕組みと働き」であり、fig2が「M軸にある映像」ということです。仕組みはE軸上の実体にあります。

ですから、M軸の観測が粒子であり波動性の二重性を持っていても、仕組みはE軸上の実体に原因を求めねばならないということです。

 

単極誘導モーターの実験により感じた「 接する 」部分にある物性について、突き詰めて考えると「遠隔作用か近接作用か」という選択になります。(物理学者の)思考の順序としては、観測の極致としては近接作用にならざるを得ません。だから素粒子物理学に行き着いたと考えられます。「力を媒介するのは素粒子である」と考える訳です。

しかし、観測は映像です。これを映像として考えます。

例えば次の玩具です。

出典:via GIPHY Newtons cradle

当然のこと、古典的には力学による作用と反作用です。しかし、原子レベルで考えるとわからなくなります。これを理解し、うまくきっちり説明できる人はいるでしょうか。 金属球の原子をしてどのように力が伝わるのかよくわかりません。原子を構成する電子は電子雲として存在し、それは波動関数として著されます。そのような原子核と殻電子は、「どうなって、どのように」力を伝えるのかまったくイメージが湧きません。(gif2の仕組みでNewtons cradleを説明できますか?)分野が異なるという説明はダメです。

ある科学者が云った言葉の意味を突き詰めた結果が上記です。ある科学者の言葉は以下でした。

地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

繰り返します。M軸の観測が粒子であり波動性の二重性を持っていても、仕組みはE軸上の実体に原因を求めねばならないということです。何故なら心にイメージできないからです。岡潔が云ったように「自然は心があるために映写されている映像」だから、心が先にあるのです。心に描けないのではダメです。

これは上記の単極誘導モーターでも同じです。 「磁力線の向き ⊥ 運動方向 ⊥ 電流の向き」にあります。それで、その(回転)運動が接点にスラスト方向に生じます。これを「接する」と考えると「近接作用」として考えねばなりません。 管理人の結論は、『カミの仕組みにある「つながる」を取る』方がよいと考えます。これはたぶん遠隔作用という言い方になりそうです。ただ、遠隔作用としてもかなり趣きが異なります。

物や事の原因のすべては別の次元軸(E軸)にあるとするのですから、原子(陽子・中性子・電子)やその他素粒子群のすべては映像です。原因はE軸にあります。例えば、上に示したNewtons cradleにある金属球の動きを拡大します。

写真1 金属球は接しているが、画素が接している訳ではない

Newtons cradleの金属球は映像ですから、その元は画素です。画素は運動しませんし、接してもいません。画素はその状態を変化させているだけです。画素に運動の原因はありません。それと同じです。原子を構成している陽子・中性子・電子は映像です。映像である陽子・中性子・電子は、写真1の画素に似ています。陽子・中性子・電子はその状態を変化させているだけです。画素との違いは、運動するかどうかです。注2


注2:量ではない角度から作る時間は、物理量ではありません。ここでは運動に時間を用いてないという意味でアンダーバーのついたPを付けて運動とします。運動には、物質の状態である「速度、加速度、躍度、波(電磁波、赤外線、X線etc)、素粒子(ソリトン)、エネルギー」などの総称です。


陽子・中性子・電子という基本粒子は、状態を変化させている画素のようなものです。互いに規定し合うことにより成り立っています。

図2 例えば、電子のみの宇宙に意味はない(物はあっても、事がない)

このような原子に「力が伝わる」ということの本質があるかどうかわかりません。結果として遠隔作用らしいことはわかりますが、よくわかりません。E軸上の実体がかかわっているはずだとは考えます。だた云えることは、「カミの仕組みと働き」からは、物と物との接触というより、「つながり」という表現の方が適切だということです。物と物がつながり、事がもたらされるのです。

単極誘導モーターで云えば、円板と針金の先端である銅と銅がつながりスラスト方向に力がもたらされるのです。

gif4

まだ、不完全ですが、『(自然という)映像における「 接する 」と「つながる」の違いは何か?』ということでした。

余談です。以上を岡潔的表現をすると以下です。

「わかる」というと物の理ことわりとか理解と云います。これが岡潔の云う第1の心です。「わからないものをわけることによりわかる」とする還元主義のことです。そのわかり方は、意識を通し言葉で言えます。でもまったく理解ではありません。自然は第2の心があるために映写される映像です。でなければ、意識を通し言葉で言える第1の心はありえないのです。その仕組みが映像だということです。心の仕組みと働きを別の次元軸(E軸)に求める以外にこれを納得する方法はありません。 岡潔の云う第2の心がなければ、画素(複数)の状態の変化の内に金属球の衝突などわかりようがありません。このわかり方は意識を通さず言葉で言えないがわかるというものです。(これが日月神示に頻出する”気(キ)付く”です。) 物理現象は、人の心の仕組みと働きに直接関係しています。 この辺りから物質科学がでてくるようです。自然科学とはまったく異なる科学です。自然科学は、水深3mでバタ足なしのクロールをするようなものです。超非効率。

space shuttle写真2 出典:引退したスペースシャトルの部品は、こうして新しいプロジェクトで宇宙へと“復帰”する

 

以下は、管理人のメモです。

  1. バシル・バン・デン・バーグによる2つの静電気モーター 静電気といっても電場磁場とも違う、どちらかというとベクトル・ポテンシャルに近い。1つは写真のみ。もう一つは不明。
  2. バシル・バン・デン・バーグは非学理的な発見をしたという
  3. (自然という)映像における「接する」と「つながる」との違い 本記事にて済み
  4. 単極誘導と熱電対の関係 運動とは何か?運動という観点からは、力と熱伝導は直交している。何故か?E軸の仕組み。
  5. 精神性の高い文明とはどのようなものか? 物質科学との関係≈「非学理的発見」というヒント精神科学と物質科学との重複領域をどう捉えるか?松明・行灯の人から見たらレーザーは魔法。 来るべき文明における科学は、機械及び装置に心の仕組みと働きが直接に関わってくる?岡潔は第2の心は頭頂葉に宿るとしたが、物質にはより普遍性があるはず。脳の部位に限らない。想念(思念)は位置を持たない。別の次元軸からするとM軸上の距離は投影角の違いでしかない。
  6. 図1の「中心点アに円」は、ホツマ文字「ア」に同じ。日月神示の「○+ゝ」にも同じ。フトマニ→山口志道(布斗麻邇秘伝)→岡本天明(日月神示)の流れ 別記事に済み

 

追記10/09 精神科学の復習です。岡潔の云う第2の心(意識を通さず言葉で言えないが、その趣がわかる)では、上記映像としてのNewtons cradleは、わかりません。第2の心は情の働きによりわかるのですが、わかるのは静止画だけです。

写真3

つまり、不連続な映像として「ワイヤで吊り下げられた金属球」の趣がわかるのです。ここに動きはありません。多数の静止画があり、同じ金属球だとわかることはありません

物の動き(運動)がわかるのは、本居宣長が解説した「もののあはれ」です。つまり、不連続な映像を記憶して「ワイヤに吊り下げられた金属球の運動により衝突する様子」が意識を通さず言葉で言えないがその趣がわかるのです。一言で云えば動画がわかるのです。「本居宣長」でサイト内検索してください。

面白いことに、岡潔と本居宣長が最初ではありません。数千年前のヲシテ文献に示されていました。岡潔の「情」は音読みです。訓読みでは「なさけ」です。この「なさけ」と「あはれ(もしくはあわれ)」は、ナサケエダとアワレエダとしてホツマ辞典(池田満著展望社)に解説されています。これらをまとめたのが次図です。

図4

ナサケエダとアワレエダを併せたミヤビは、ホツマ辞典によれば(社会性、他人への思いやり、あるいは記憶を司る)とあります。ですから、岡潔の静止画、本居宣長の動画という解釈は正しいです。逆に云えば、ヲシテ文献だけではミヤビが記憶を司る理由がわかりません。

岡潔いわく「自然は心があるために映写される映像に過ぎない」のですから、心の仕組みと働きがあって初めてNewtons cradleの衝突がわかるのです。第1の心が第2の心に優先するわけありません。

結局のところ、遠隔作用として扱ってよいと考えます。還元主義により近接作用と考えると心の仕組みに合わないだろうということです。繰り返します。還元主義により画素あるいは(素粒子、超ひも)にすべての情報が詰まっているとの考えは間違いです。この論だけで自然科学が間違っているとわかります。

 

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希代の大天才である岡潔が人々に必死に訴えたのは「(自然科学に見られる)間違った思想の洪水から逃れよう」ということです。人々の心が病みやがて人類が滅びることを心配したからです。管理人が意訳すると「心の仕組み社会の行き着く先との間に乖離が大きくなることにより、心が病んで人類が滅びる」ということです。心の仕組みと働きを優先して、仮想通貨とか偶像などの抽象に行きすぎると心を病みます。例えば、RPGを代表するゲームやeスポーツなどとても不健康です。

小学校低学年の算数セットで時計の読み方を学んでからずっと間違っているのですから、この問題の根は深いです。「時間という計量的なものはない」と間違いを指摘したのは岡潔だけです。

写真4

 

Φ について

2010年より研究しています。
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