ヒト とは何か

先日、開催しました弧理論研究会において、時間の都合上説明できなかった「 ヒト とは何か」について記します。なお、この記事は、既に当サイトで解説済みの内容です。

次図は当日の資料を少し修正したものです。

図1

図は岡潔の言った2つの心と人間の、並びに脳の神経細胞を模して作られたAI(人工知能)との比較です。

ヲシテ文献によるタマとシヰは、岡潔による2つの心と比して同じと考えてよいです。ヲシテ文献では、タマ(心の本体)とシヰ(生命維持の欲求)に地球上の物質が結びつくことで ヒト になります。岡潔の第2の心がタマに相当し、第1の心がシヰに相当します。

AI(人工知能)は、脳の神経細胞を模しています。これをニューラルネットワークと言います。図上の左が脳の神経細胞で、右がニューラルネットワークです。よく見ると脳の神経細胞も、ニューラルネットワークも状態を変化させるブラックボックスです。わからないもの(ブラックボックス。以下、BB)をわけることにより幾つかの要素にわけます。わけることにより得られる要素もまたBBです。これは還元主義の基本です。

AIはコンピューター上に構築されています。AIもまた、BBを要素としたネットワークです。コンピューターは、条件式を評価しているに過ぎません。都合、AIは大規模な評価式の積み重ねに過ぎず、認識も読取りもしていません。翻って脳もまた、BBを要素としたネットワークであり、その仕組みからして、脳は認識も読取りもしていないことになります。ここでは、これを肉体(処理系&記憶装置)と呼んでいます。

まとめると、ヒトとはタマ(第2の心)シヰ(第1の心:生命維持の欲求)に肉体(処理系&記憶装置)が結びついた存在であるということです。

 

岡潔は2つの心は、頭頂葉に宿るとしましたが、脳自体は処理系に過ぎないと考えます。当時はAIは存在しませんでしたし、ヲシテ文献に示されるヒト(タマ+シヰ+物質)の定義と合致しません。

因みに生命維持の欲求であるシヰは、欲しいしいのシヰであり、強いるのシヰだといいます。これについては岡潔が第1の心の特性として次のように述べています。【1】2つの心より。

人には、ここから何時も言わなきゃ仕方ない、心が2つある。心理学が対象としている心を第1の心ということにしますと、この心は前頭葉に宿っている。それから、この心はわたくしというものを入れなければ金輪際動かん心です。その代り、一旦、私というものを入れたら、「私は悲しい、私は嬉しい、私は愛する、私は憎む、私は意欲する」と、丸で笑いカワセミのようにうるさい。

第1の心は私という心で、明らかにヲシテ文献のシヰに相当します。脳にもAIにも無い働きです。逆にシヰには記憶を司るにもかかわらず、記憶の仕組みがありません。だからシヰに処理系としての肉体が必要なのです。この辺りは、ホツマ辞典のP226「ヰクラムワタの構成表1」と同ページの「ミヤビ」を参考にしています。

ついでながら、随心としてミヤビがあり、ミヤビはナサケヱダとアワレヱダからなります。 これが岡潔の”情”と本居宣長の”もののあはれ”に対応します。ナサケヱダが情の訓読みになりますし、アワレヱダが”あはれ”に相当します。また、ナサケヱダが時の現在であり、アワレヱダが時の過去です。

図2 タマとシヰの隋心がナサケヱダとアワレヱダであり、それぞれ時の現在と過去に対応

ナサケヱダは記憶が関係します。2つ合わせて、ヒトは時の中に住むし、社会性が出てくるということです。この辺りも、既に掲載済みです。気になる語句でサイト内を検索ください。

 

尚、脳は心の中枢であるとの考えを否定しているのが「the-manuscript-of-survival-part-68日本語文」です。部分を引用します。

脳によって理解されるものではないのです。何故なら、脳には大きな制約があるからです。人間は脳を、文明を進化させる崇高な考えを生み出す知識の座と考える傾向がありますが、まったく違います。脳は単に、人間を最低のレベルで機能させるための装置に過ぎないのです。

この文章の意味をわかりやすく解説したのが本記事ということです。

 

Φ について

2010年より研究しています。
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