真の 科学 は「ヒトに心が2つある」ところから始まる

科学 ブログでありながら、なぜ心の仕組みと働きについて探求するのかについて説明します。 現在の自然 科学 には私わたくしというものが含まれていません。貴方も含まれていません。

ビッグバン宇宙論の説明に使われる次図で感じることがあります。

図1

加速度的に膨張する宇宙を表す際に使われる図ですが、視点が宇宙の外にあります。これではダメです。いわゆる神の視点に立った図ですから、どこか傲慢になっています。

描くならば、外のない内であることを示すようにする必要があります。外のない内ならば、私も貴方も含まれます。言い換えると、 科学 にヒトの心の仕組みと働きを組み込んでいる必要があると言うことです。

 

で、科学に心を含んでいるためには、”ヒトには心が2つある”とわかることが最低条件になると考えます。

私も貴方も含む科学です。この条件を満たす科学を見いだすために、ヒトの心の仕組みと働きについて考察を続けてきたのです。

そして、不思議なことに日月神示(ひふみ神示)が参考になったりします。因みに日月神示は、ヲシテ文献にあるフトマニの流れを汲みます。

ヲシテ文献において、ヒトとは、数を数える「・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナナ・ヤ・ココ・」のヒ・トですから、「ヒトとは段階的に成長する存在」ということになります。だから、日月神示において、一二三(ひふみ)、三四五(みよいず)、五六七(みろく)』と表現されるのです。

しかし、成長するには”ヒトに心が2つあるとわかっている”ことが最低条件です。

これまでご紹介したように日月神示には、「気(キ)付く」の語句が頻出します。日月神示は向こう側ですから、「(はやく)気(キ)付け」と気づきを促しているのは、仏教でいうところの”他力”なのです。

では、図して他力を迎えられるかというとそうではありません

岡潔が云ったように「情・知・意」の順に働きます。”意”は順番からして最後ですから、情の働きによるしか気付くことは出来ないのです。岡潔は次の様に述べています。【4】禅の非思量より。

わからないものに、まだわかってないものに、関心を集め続ける。

 『Xに関心を集めつづける』

 そうすると『Xの内容が段々明らかになって来る』。Xと云うのは、わからないけれども心の中の1つの地点です。「あれっ」て云う。

数学について述べています。「【5】情的にわかる、知的にわかる」より。

数学における『創造』の形式。不思議なのは、そういうものとは一体なんだろう。全然わかっていなかったら、そういうものと云ったってナンセンスでしょう。わかってたら捜し求めるということはないでしょう。数学ですから、わかったということはすなわち見つかったと云うこと。方々実際捜しますがね。方々捜すのは、そういうところを調べるのが、Xがこういうものだとわかるよすがになるたろうかと思うから捜すので、だからわからんものXがわかったら、数学上の創造が出来たんです。

 が、全然わからんものだったら、それを捜し求めると云うより、関心をXに集めると云った方がよいでしょう。わからんものに関心を集めるということはナンセンスです。出来やしません。これはね、そういうものと云う時には『情的にわかってる』。発見されると云うのは、それが『知的にわかる』。

 だから情的にわかると云うのは、普通わかるというのは知的にわかると云う意味ですが、その基礎に、情的にわかると云うことがある。わからなくてわかる、わかってわからない。わかつてわからないと云うのは、わからなくてわかる。しかしそれを言葉に云うこともなにも出来ないから、わかってわからない。そういうわかり方をする。そういうわかり方を人がするから創造ということが有り得る。

そして、岡潔は心の本体が情の働きにあると言ったのです。これが第2の心です。

  1. 第1の心 知的にわかる。還元主義(わけることによりわかる)意識を通し、言葉で言える。動画がわかる。時の過去。時の現在にかかる記憶が必要。生命維持の欲求。
  2. 第2の心 情的にわかる。何となくその趣おもむきがわかる。静止画がわかる。時の現在。

因みに岡潔の2つの心は、ヲシテ文献でいうところのタマ(心の本体)とシヰ(生命維持の欲求)に同じです。

第2の心がなければ一切は存在しません。岡潔の主張は、「まず、情的にわかる。それを知的に言い表すことにより文化は出来てくる。」とし、その手法として「わからないものに関心を集め続ける」を提唱しています。

もっと具体的に技法として【10】右の内耳が参考になります。管理人のやり方は岡潔とは若干異なります。たぶん岡潔は右利きだったのではと推測します。

夏休み中ぐらい、右の内耳に関心を集めて、聞こゆるを聞き、見ゆるを聞きなさい。

 

日月神示において、一二三(ひふみ)、三四五(みよいず)、五六七(みろく)と表現されるヒトの成長には、2つの心の働きが必須です。その上で、気付かされる(他力)のを待つしかないのです。

「わからないものに関心を集め続ける」=「待ち受けの状態」こそ他力そのものです。岡潔自身も気付いていなかったかも知れません。

日月神示にあるヒトの成長について、次のようにあります。富士の巻~第4貼より。

一二三ひふみの仕組みが済みたら三四五みよいづの仕組みぞと申してあったが、
世のもとの仕組みは三四五みよいづの仕組みから五六七みろくの仕組みとなるのぞ、五六七みろくの仕組みとはろくの仕組みのことぞ、
けもの臣民しんみんとハッキリわかったら、それぞれの本性出すのぞ、
今度は万劫末代ばんこうまつだいのことぞ、
気の毒できるから洗濯大切と申してあるのぞ。
今度お役決まったら そのままいつまでも続くのだから、
臣民しんみんよくこの神示ふで読みておいてくれよ。

当ブログにおいて、現段階では「ヒトには心が2つある」とお伝えしてきました。つまり、「一二三ひふみの仕組み」の状態にあるらしいことがわかります。では「三四五みよいづの仕組み」とは一体どのような状態なのか気になります。

 

これまで考察してきたとおり、科学は3つにわけられます。3つの科学(精神科学と弧理論の社会科学、物質科学)です。これを三種の神器に例えて、ミクサタカラといいます。つまり、タマは精神科学、カガミは弧理論の社会科学、ツルギは物質科学です。

図2 ミクサタカラハ ミナノモノ

その内、タマとカガミは手に入りました。(2つの科学がどのようなものか、おおよそわかってきました。) 後は、ツルギ(物質科学)ですが、これからです。

 

それにしても、ほとんどの人たちは、ヒトには心が2つあるとわかっていません。人種、言語、地位、貧富の差、学歴などまったく関係ありません。

それと、”他力”について考えていると「ヒトにはそれぞれ役割がある」らしいことがわかってきました。 例え”待ち受けの状態”にあっても、求める何かが得られるかどうか、本人には如何ともしがたいですから。

それでヒトに役割があるとしか思えないのです。それは、富士の巻第4貼にある「今度お役決まったら」との表現がそれです。順序を考えると、「三四五みよいづの仕組み」の段階かも知れません。

ついでながら、本記事について、日月神示研究の第一人者である中矢伸一氏のご意見を伺いたいです。これまで日月神示の本を幾つか読みましたが、本記事のような解説(解読?)は見たことがありません。

最近、管理人の役割はどこらあたりなのか気になります。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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