数学者岡潔「( 自然科学 は)学問とはいえない。単なる思想です。」 映像だと気付いてからが始まり

これまで数学者岡潔の言葉を手がかりに 自然科学 の問題点を洗ってきました。大凡のことは理解できたのですが、少しまとめます。

岡潔思想研究会の講演録(4)「自然科学は間違っている」の【1】このままでは人類は滅びる から引用します。

今は間違った思想の洪水です。世界は間違った思想の洪水です。これから逃れなければ人類は滅びてしまう。

で、その為に思想の間違いの根本はどこにあるか、それを調べましょう。

一番怪しいと思えるのは自然科学です。それで自然科学から調べます。大体、自然科学というものは、自然とはどういうものかということを言わないで、自然というのはわかり切っていると一人決めにしている。そして、これについて科学した結果を集めたものです。

だから、かようなものは学問とはいえません。これは単なる思想です

下線は管理人による。

岡潔は、世にある大量の間違った思想の源流は 自然科学 にあると判断しています。自然科学は自然はわかりきっていると一人決めにして、これを科学したと云います。このようなものは学問ではないとしています。単なる思想の寄せ集めだと云うことです。

ここで思い出すのが「群盲象を評す」です。当サイト内を調べたところ2017年7月19日の記事『群盲 象を評す 自然科学の「統合失調」は意図したものか?』を初めに計4本ありました。

図1 出典:群盲 象を評す・・・より

『自然科学は、それぞれが正しい「理論と実験結果」を寄せ集めた。けれども正解ではない。』と述べてきました。 同時に彼らが持つ「思想」もそれぞれでして、結果として「自然科学は思想の寄せ集め」でもあった訳です。それも間違った思想の洪水だと云います。 これは大問題です。それぞれが「自分は正しい」と信じ込んでいるからです。これは「私は正しい」という大合唱の状態です。でも正解じゃない。

で、岡潔は自然科学の大きな問題点として「時間」が問題だと提起しました。時間については、過去3年余り考察してきましたので省略します。 『【1】このままでは人類は滅びる』に続いて興味深いところを引用します。【4】自然科学と生命現象から。

自然のできるだけ簡単な模型を考えて、その中を科学するということは、知ってやってるのだとすれば確かに一つの研究方法に違いない。知らずにやってるんですけど、それでもある結果は出るだろう。そうは思います。

続く講演で岡潔は、自然科学は生命現象について何も答えられないと述べています。そして、【5】自然科学の無知から。

それじゃあ物質現象なら可成りわかるのか。で、聞いてみましょう。

物質は諸法則を常に守って決して背かない。何故か。

これに対しても自然科学は一言も答えられない。だから物質現象のほんの一部分、非常に浅い部分だけしかわからんのです。

で、それでも人類の福祉に役立ってはいます。たとえば医学は自然科学です。可成り人類の福祉に役立ってはいます。しかしながら、医学の人類の福祉に役立つ役立ち方は、何が何だかわからんままに役立っています。

ところで、間違った思想の洪水から逃れようとするには、智が要ります。無知なままで福祉に役立ってたところで仕方がない。それで物質現象のほんの一部分しかわからんというのは、完全な無知とほとんど選ぶ所がない

下線は管理人による。 引用先のサイトには「薬がなぜ効くかはわからない。こういう症状の時には、こういう薬を飲ませると効くという経験をたくさん持っているだけ。」とあります。このような組み合わせの壮大な集合が自然科学だということです。

話しは簡単です。すべての(各々が正しいと信じる)『理論と実験結果、並びに思想」の数々は、投影による映像だと気付くところから科学は始まる』と考えます。

 

どう考えても現在の状態は、統合失調だと云わざるを得ません。 それは教育に現れています。

予め「答えがあると分かっている問題」を大量に覚えて、これに習熟し如何に素早く吐き出すことが出来るか。これができる人は偏差値が高いです。 より抽象的な概念を(なるべく何も考えずに)飲み込み、受け入れることができるか。できる人は偏差値が高いです。 詰まるところ、自然科学に習熟した人は、思想の洪水の一部を丸呑みできる人ということになります。 全体を把握することは誰にもできません。 だから各々の分野について専門家なる人が居るわけで、それで事足りると思っているのです。 どうも自然科学の発達は泥縄方式だとしか思えません。

反して、(答えがあるのか無いのかさえもわからない、あるいは自明と思われることも含めて)何が問題かに気付く能力にとても乏しいと感じます。 自身が自明で既知だと「思っている」以上、何かを見つけることはできない道理です。 考えてみれば、大きさのスケールの表の両端(極大の宇宙と極小の素粒子)を探求するに上記に該当する人が向いていると感じます。

「(孤立系において)分けることにより分かる」という考え方の行き着く先は、混沌とした病んだ世界だと感じます。

 

孤立系と書いてふと思ったこと。

自然科学は、「時間・空間」と考える模型です。

図1 こうやって観ると4つの力が統一できるとは思えない。

また、相対性理論は、光速度を基準に据えて「時間・空間」を再定義した模型です。 いずれも孤立系です。 これで思いついた言葉が「再帰的(recursive)」です。 早速検索したら、このような図が出てきました。

図2 出典:Recursive Drawing : 再帰的な描画による斬新なドローイングのアイデア

まあ、フラクタルです。 そういえば自然には、フラクタルに見える現象が多々あります。でも物理学者たちは対称性にとても拘ります。 どうも自然に対する見方が違っていると感じます。 対称性に拘っているにもかかわらず、少しも終わりが見えないのには、それなりの理由があると誰も考えないのでしょうか。図1もそのまま再帰的です。 早い話が「考え方が再帰的」なんでしょう。すべて病んでます。

山崎弁栄上人や岡潔など先人たちやホツマツタヱなどの古文献に含まれる知恵に「映像」だと示されているのですから、そこからしか次は見えないだろうと考えます。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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