喋る 私 と喋れない 私

岡潔は” 私 ”には2つあると述べました。喋る私を第1の心、喋れない私を第2の心としました。

動画(4分頃)において、数学者の千葉逸人氏は、問題を解くに6年ほどかかったといい、アイディアを得るのに2~3年、検証に3~4年かかった旨を述べています。

あれこれ、試す期間が2年ほどということです。これが岡潔が云う第2の心の働きによるのです。

  • 無私の心です。私のない心。どういう意味かと言うと、いくら入れようと思っても私というものは入れようのない心です。それから、この心のわかり方は意識を通さない、じかにわかる。【1】2つの心

の働きにより何となくその趣がわかると言います。またこの心は数学の使えない世界だと言います。これが喋れない 私 です。そのわからないものについて、以下のように述べています。

  • 全然わからんものだったら、それを捜し求めると云うより、関心をXに集めると云った方がよいでしょう。わからんものに関心を集めるということはナンセンスです。出来やしません。これはね、そういうものと云う時には『情的にわかってる』。発見されると云うのは、それが『知的にわかる』。 だから情的にわかると云うのは、普通わかるというのは知的にわかると云う意味ですが、その基礎に、情的にわかると云うことがある。わからなくてわかる、わかってわからない。わかつてわからないと云うのは、わからなくてわかる。しかしそれを言葉に云うこともなにも出来ないから、わかってわからない。そういうわかり方をする。そういうわかり方を人がするから創造ということが有り得る。これが情というもの、あるいはその情を心と云ってもよろしい。【5】 情的にわかる、知的にわかる

千葉氏は「アイディアが出た瞬間が一番うれしい。」と述べています。その過程について、岡潔は「情的にわかるものを知的に言い表すことにより文化は出来てくる。」と述べています。 続きを読む

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如来 の意味。何々の如しの如し・・・・

前回の記事で、ある方から「唯識は、第6識、第7識、第8識、とあり、岡潔は第9識と述べていますが、唯識の考えを続けていくと繰り返しになっている。だから、唯識については、これ以上考えないということになっている。」とのお話しを聞きました。前回記事「唯識論 は”繰り返し”になっている。だから間違い。

この方は仏教者ですから、阿弥陀如来の 如来 の意味を仰いました。お釈迦様が悟って以来、お弟子さんが、何を悟ったのかを聞いたところ、言葉で言えないとのこと。しかし、弟子達は何とかそれを説明して欲しいと伝えたところ、「何々の如し」と言われたとのことでした。そして、「何々の如しの如しであり、何々の如しの如しの如し・・・・だ」ということでした。

つまり、何々のようなものであり、そのまた「のようなもの」、そのまた「のようなも」、そのまた「のようなも」・・・・と続くと説明されたようです。だから、 如来 だということです。

これは岡潔の情の働きについて、意識を通さず、言葉で言えないが何となくその趣がわかるというのを別の言い方をしたということです。

古今東西、偉人達が言葉で言えない何かを苦心して言い表そうとしたということです。 例えば、YHWH、buddha、仏、善導大師の覚、岡潔の情、ヲシテ文献のタマ、在りて在りたるもの、アルファでありオメガである、あるいは日月神示の”気付く”などです。YHWHなどは母音を補わねば声に出し読むことすらできません。

 

どれも偉人達が何とかしようとした痕跡であるといっていよいようです。

ところで、ヲシテ文献においては、アとワとしています。人の感覚でわかる物と事について、は物と事の初めで、は物と事のおわりを意味します。これをネコヱ(音素:母音と子音)にわけたがヨソヤコヱ(48音韻)です。

図1 出典:日本ヲシテ研究所48音韻図(ヨソヤコヱ)

これは聖書の「アルファでありオメガである」に近いことは言うまでもありませんが、ヨソヤコヱの方が遙かに詳しいです。

 

この図を長年眺めていますが、最近、面白いことに気付きました。

実は、ヨソヤコヱには主体たる”私”がありません。物と事を言葉(ヨソヤコヱ)に落とし込んだだけです。しかも、神仏たる超自然的な何かも含まれていません。切っ掛けは次の動画です。

動画1 象は鼻が長い

ヨソヤコヱに主体が含まれていないことにって、象は鼻が長いという文章が出来るのかどうかわかりません。しかしながら、ヨソヤコヱに主体がないということはとても重要なことだと感じます。何故なら、世界は互いに信じている主義、主張や宗教をを押しつけ合っています。この争いごとを納めるには日本語を使う人を増やすしか方法がないと感じます。

 

神仏たる超自然的な何かが含まれていないことについて、その発想の根幹に日本教があります。右検索欄にて”日本教”で検索すると、過去記事が19件出てきます。ご参考まで。

社会学者の小室直樹氏は、「日本人は、神仏より自分の都合が優先する」と述べています。これが日本教です。

動画2

しかし、管理人は日本教が日本人の本質を示す言葉ではないと感じてきました。日本人が日本人である根拠は日本語にあり、ずっとずっと遡ると日本語の起源はヨソヤコヱにあるとわかりました。それを音素(ネコヱ)で仕分けする元がヰクラムワタであることは間違いありません。サイト内を”ヰクラムワタ”で検索ください。26件の記事が出てきます。

注:2015年頃よりヰクラムワタに拘り、二河白道の例えに至り、そこから唯識に至りました。

「何々の如し」、つまり 如来 というよりヰクラムワタから造り上げたヨソヤコヱの方が遙かにわかりやすいと思うのは管理人だけでしょうか。

 

追記7/15 どうも、例えるならば、合わせ鏡より万華鏡の方がよろしいかと。そういえば、サイト内の過去記事に”万華鏡”を取り上げたのが30件あります。

万華鏡ならば、合わせ鏡による単純な繰り返しではなくて、空間を角度により仕切る形になっていますので、合わせ鏡より万華鏡の方が遙かに高い対称性について理解できます。

 

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唯識論 は”繰り返し”になっている。だから間違い。

これまでの考察により” 唯識論 は間違っている”と結論づけてきました。

先日、ある方から「気付くというのは、気付かされるということ。」とのお話しを聞きました。参考 2021年7月3日「日月神示 は”他力”を説いている

昨日、同じ方から「唯識は、第6識、第7識、第8識、とあり、岡潔は第9識と述べていますが、唯識の考えを続けていくと繰り返しになっている。だから、唯識については、これ以上考えないということになっている。」とのお話しを聞きました。口頭ですので、ソースは聞き漏らしました。

管理人はこれまで、唯識論の詳しいことは読んでいませんので、わかりませんけれども、第1の心の特性である。言葉が循環でありネットワークでり、外のない内であることを何度も強調してきました。この「繰り返し」というお話しを聞いたとき、まさに我が意を得たりとの気持ちでした。

岡潔が最晩年に取り組んでいたという唯識論が間違いであると気付いたのは2019年8月24日に高知市で開催された「数学者 岡潔思想研究会夏期合宿」に参加したときでした。参考 2019年8月26日「時には 思想 や哲学を捨てなければならない

 

唯識の繰り返しについての、説明では”合わせ鏡”を例えに述べられていました。

写真1 出典:合わせ鏡

後から思ったのは、例えるならば、これまでブログで何度か取り上げてきた万華鏡の方が理解が深まると考えました。過去記事を万華鏡で検索すると29件ほど出てきます。

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日月神示 は”他力”を説いている

これまで日月神示について、幾度か参考にしてきました。過去記事を” 日月神示 ”でサイト内検索すると52件出てきました。以下に最近の3つをあげます。

たぶん、これまでほとんど指摘されてこなかった事も含んでいます。例えば、 日月神示 がヲシテ文献のフトマニの流れを汲むことや、当サイトでも重要なワードである「気(キ)付く」が 日月神示 で頻出していること、あるいは「一二三(ひふみ)、三四五(みよいず)、五六七(みろく)」の意味がわかってきたことなどがあります。

善導大師がbuddhaをして”覚”と名付けた件で、”覚”は「気付く」だとの記事を書きました。先日、ある方から「気(キ)付く」について、正しくは「気付かされる」だとの指摘を受けました。

すぐに思い出したのが仏教で言うところの「他力」でした。管理人は、他力について30年ほど前から意味を知っていました。 しかし、本当の意味で納得したのは、研究を始めてから何年か過ぎてからでした。

実のところ、岡潔の云った「わからないものに関心を集め続ける。情的にわかるものを知的に言い表すことにより、文化は出来てくる。」という態度はまさに”他力”です。

これは完全に待ち受けの状態です。いつどのようなタイミングで”情的にわかる”かは自身にもわかりません。勿論のこと、そのための準備は怠りません。ただ、わからないものに関心を集め続けるだけです。

因みに、管理人はヲシテ文献の「イクラ ムワタ ヲ ネコヱ ワケ フソヨニカヨイ ヨソヤコヱ」(日本語の元となる大和言葉のさらに基礎である48音韻の起源)については、2015年頃から最近まで「関心を集め続け」てきました。とても長い期間を要する行為です。

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ビッグバン宇宙論 は宇宙の起源とは何の関係もない

岡潔の言葉をもとに考察を進める中、時(現在・過去・未来)について随分考えてきました。特に時の過去の部分である時間について、かれこれ4年から5年ほども考えてきました。

そうする内に理論物理学者の考える宇宙の起源についての理論「 ビッグバン宇宙論 」は、彼ら科学者のまったく意図しない「時の現在を計算しているに過ぎない」のだと気付きました。少し前提が長いです。注:右欄で”ビッグバン”にて検索すると28件の過去記事があります。

 

時間は量ではありませんし、時間をパラメータとする自然科学は循環・ネットワークであり、外のない内であることがわかっています。これは岡潔が云った第1の心の限界でもあります。

図1 自然科学は物質的自然の内の循環・ネットワークに過ぎない

時間の特性は以下です。

  • 時間は角度から作る。
  • 角度は量ではない。
  • 従って、時間は量ではない。
  • だから、時間は10進数による12の倍数である。
  • 時間は時の現在を含まない過去である。
  • だから、時報は過ぎてからしか知り得ない。

これを時の観点から図にします。

図2

には、現在過去・未来があります。現在は、次の現在に置き換わり過去になりますので、その意味で未来はありません。当然のこと、過去がわかるためには現在を記憶しなければなりません。記憶とは情報のことです。情報を蓄えるにはわずかばかりの運動が必要です。運動については後述します。 続きを読む

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研究 は知識の量や理論の複雑さとは無関係

研究 を始めて12年目になりますが、参考としている資料の全部を読み込んではいません。気になる部分のみについて、何年も考え続けてきました。大量に覚えるよりその方が研究は深まる結果となっています。

 

例えば、2015年頃に数学者の岡潔とヲシテ文献の存在を知りました。2つの資料で気になったのは次です。

  1. 岡潔:自然科学は間違っている。時間は量ではない。
  2. ヲシテ文献:ヰクラムワタ ヲ ネコヱワケ フソヨニカヨイ ヨソヤコヱ

時間とは何かについて、およそ4年くらい考えました。ヰクラムワタについては、6年ほども考え続けています。ヰクラムワタからの経過は次です。

 

5つのクラ、6つのワタとは何か? 日本語の元である大和言葉のそのまた元であるヨソヤコヱ(48音韻)は、文明や科学の基礎であるとともに、日本人の日本人たる所以そのものです。それほど大事な話なのにヰクラムワタが何なのかわからない状態でした。

関連で気になったのは「二河白道の譬え」に出てくる四大・五蘊・六識・六根・六塵です。

図1 出典:二河白道の譬え

これらは四大を除いて心の仕組みと働きをどのようにカウントするかの違いに過ぎないと考えました。 続きを読む

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ヒト とは何か

先日、開催しました弧理論研究会において、時間の都合上説明できなかった「 ヒト とは何か」について記します。なお、この記事は、既に当サイトで解説済みの内容です。

次図は当日の資料を少し修正したものです。

図1

図は岡潔の言った2つの心と人間の、並びに脳の神経細胞を模して作られたAI(人工知能)との比較です。

ヲシテ文献によるタマとシヰは、岡潔による2つの心と比して同じと考えてよいです。ヲシテ文献では、タマ(心の本体)とシヰ(生命維持の欲求)に地球上の物質が結びつくことで ヒト になります。岡潔の第2の心がタマに相当し、第1の心がシヰに相当します。

AI(人工知能)は、脳の神経細胞を模しています。これをニューラルネットワークと言います。図上の左が脳の神経細胞で、右がニューラルネットワークです。よく見ると脳の神経細胞も、ニューラルネットワークも状態を変化させるブラックボックスです。わからないもの(ブラックボックス。以下、BB)をわけることにより幾つかの要素にわけます。わけることにより得られる要素もまたBBです。これは還元主義の基本です。

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空間 とは何か?

数学者の岡潔は、自然科学者が 空間 について何も考えていないと述べています。「【2】自然科学者の時間空間」より。

自然科学者は初めに時間、 空間 というものがあると思っています。絵を描く時、初めに画用紙があるようなものです。そう思ってます。時間、空間とはどういうものかと少しも考えてはいない。これ、空間の方はまだ良いんですが、わかりますから。時間の方はわかりませんから。

当サイトでは、これまで時間とは何かについて、岡潔の言葉を参考に考えてきました。角度は量ではありませんので、角度から作った時間も量ではないことは確かです。すると時間[T]を含む基本量と組立量はすべて量ではないということです。参考まで、当サイトでは時間を含む量?を運動と呼んでいます。「SI基本単位」 因みに時間を含む速度[LT-1]や加速度[LT-2]、力[LMT-2]、圧力[L-1MT-2]などの運動は、量ではなくて、「事」の質です。これらはすべては質である運動単位をつけた数に過ぎません。「物理量

また、岡潔は空間について次のように述べています。【5】情の特色より。

情は分かつべからざる全体である。やはり部分として分かつべからざる全体である。無量のそういう部分がある。情の中には時間も空間もありません。時はありますが時間という計量的なものは無い。また、空間は量的に質的にありませんが、時については2種類、2つですね。過去と現在、それだけですが、新しい現在が古い現在に変わる。その古い現在が過去になっていくということは限りなく繰り返される。そういう意味で未来は無い。

 

では、空間とは何でしょうか。自然科学者は 空間 とはどういうものか考えていないといいます。物理学では「場」とは空間の部分だといいます。wikiから。

場(ば、英: field、工学分野では[1]電界・磁界など界とも)とは、物理量を持つものの存在が、その近傍・周囲に連続的に影響を与えること、あるいはその影響を受けている状態にある空間のこと。

物理学では、質点として考えます。質点は、量はあるが大きさはなく位置を持ちます。この質点が持つ量が近傍・周囲に連続的に影響を与える、あるいは影響を受けている状態にある空間のことが「場」です。

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日月神示 (ひふみ神示)の意味合い

最近、日月神示の伝えたかったことが何であったのか、気付きました。これまで誰も指摘しなかったことです。

日月神示は別名としてひふみ神示と呼ばれます。そして、神示の中では、一二三(ひふみ)、三四五(みよいず)、五六七(みろく)』との表現があります。

日月神示はヲシテ文献の一つであるフトマニの流れを汲みます。フトマニの”ア・ウ・ワ”は、当サイトでも弧理論の核心部分に組み込まれています。まさにヒトハアノモノです。

図1 フトマニ図

その流れとは、以下です。

ヲシテ文献(フトマニ)→→ 山口(杉庵)志道(水穂傳:水火傳:稲荷古傳) →岡本天明(日月神示)

 

図2 稲荷古傳(部分)

図3 ○に「ゝ」は、ホツマ文字の「ア」に相当する。

 

先日、ヲシテ文献のホツマツタヱの解説を読んでいたところ、ヒトとはヒ+トであると書かれていました。意味は以下です。

1~10の数を大和言葉で言うと「・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナナ・ヤ・ココ・」です。この1と10からとってヒ・トであるとのことでした。たぶん人はこの世で成長していく存在であるとの意味があるようです。

 

すると、日月神示(ひふみ神示)にある『一二三(ひふみ)、三四五(みよいず)、五六七(みろく)』がわかってきます。

つまり、ひふみ神示は、ヒトが1からはじめて10に至る成長を促しているらしいということです。逆に言えば、現在は人類が出発点にいる状態である事を意味します。だから、日月神示では人に対して何度も「気(キ)付け」と連呼しているわけです。 参考までに、こちらのひふみ神示全文において「気」で検索すると394カ所あります。また、当サイト内を”気(キ)”で検索すると62件の記事があります。

これで、日月神示(ひふみ神示)の伝えたかったことの意味合いがわかります。

 

追記2024/05/19 仏教の他力は「気づかされる」と解説されます。

他力とは、「発見・創造、あるいはひらめき」のことです。(岡潔の言葉【10】数学上の発見をご参考に。)この他力は、文字通りヒトにとっては受け身です。

ヒトにとって受動である他力を向こう側から何度も何度も「気づけよ、まだ気づかんか、気の毒なことになる」と諭しているのがひふみ神示(日月神示)であることがわかります。つまり、神様からの促しが日月神示です。

 

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重力 は単極誘導と類似の現象

どうも 重力 はマイケル・ファラデーが発見した単極誘導の現象に近い現象であるようです。

  1. 2012年~14年頃まで主に単極誘導モーターの力学について実験した。
  2. その結果、力学的には作用と反作用は必ず成立している。
  3. 力は接点で生じていると感じ、”接するとは何か”という疑問を抱く。(後に、自然は映像であるという観点から境界空間仮説を出し、近接作用はあり得ないという考えに至る。)
  4. 単極誘導モーターにおける力の生じる分布を検討すると、磁石の重心位置に近いところが強く、両極に近いと弱い。
  5. 仮説として、単極誘導の現象は、磁石を構成する原子核と磁石近傍を運動する電子との相互作用であるとした。
  6. 相互作用の相手は陽子、または中性子、あるいはその両方が考えられる。
  7. 一方、井出治氏による第3起電力仮説を説明することで得た発散トーラスがある。(2011年頃)
  8. 発散トーラスは、別の次元軸上(E軸)にある実体が物質面(M軸)に投影されることによってできると考えられる。電磁気現象はE-M軸での位相問題と考える。
  9. 正と負、右と左の4種類考えられる発散トーラスを組み合わせて出来るのが楕円双極ポテンシャル。(双極であるが磁場とは異なる。)
  10. で、単極誘導の現象は楕円双極によるのではないかと考える。

 

図2 単極誘導は磁石を構成する原子核と近傍を運動する電子との相互作用か。

つまりは、電磁気学成立の過程において、当時未発見であった陽子を含めた拡張?電磁気学に改める機会を意図的に放棄したのではないかと考えます。その経緯は下図です。

図3 ルードウィッヒ・ローレンツ(tのつくLorentz)が2種類ある電磁気現象を一つの加速度にまるめた? 因みに時間は量ではないので、自然科学は間違い。

電磁気学成立の過程に介入したのがパトロンである金融資本家J・P・モルガンであったようです。参考「Tom Bearden’s Response to ARPA-E
ビールデン博士のエネルギー先端研究局への返答

 

例えば、0.5Vの起電力を得るに全く異なる現象の”和”としか表現されていないのは不自然です。

単極誘導の現象は、回転させる機構がありません。つまり、空間が持つ本質的な回転運動です。(とても重要なことです。) 電磁誘導にかかる加速度と単極誘導にかかる加速度は別物ではないかと疑っています。この電磁気学における不思議な点について、未だ誰も理由を説明していないようです。

磁界は磁石に固定されているとか、否、磁界は空間に固定されているなどと言った議論は無意味だと感じます。単極誘導の現象は、磁界あるいは磁場とは関係がなく、磁石の重心位置にある何かとの相互作用であり、本質的な回転運動だと考えれば矛盾はありません。参考記事2018年1月8日『「ファラデーの 単極誘導モーター に生じる力」を調べるに「ローレンツ力」という言葉を用いない理由

 

で、単極誘導の現象が示す加速度が 重力 による加速度と近い関係にあるのではないかというのが管理人の持つ印象です。

  • 電磁誘導にかかる加速度 : 遠心力による加速度
  • 単極誘導にかかる加速度 : 重力による加速度

だから、遠心力による加速度と 重力 による加速度が相殺されるのです。(区別がない。)

どう考えても類似性が高いです。

 

磁界は磁石に固定されているのか、それとも空間に固定されているのか。

 

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