時には 思想 や哲学を捨てなければならない

思想哲学言葉により思考した産物です。言葉は互いに規定しあうことにより成り立つ循環です。ヒトは言葉により思考します。ですから、人の思考もまた循環です。2018年3月27日の記事「宇宙の真理を探究するに最適の道具は 数学 だという。ならば何故、数学の難問に挑むと心を病むのだろうか?」の答えは、「記号言語である数学もまた循環であって、人の心と働きとの不整合により心を病む」のだというのが管理人の得たものです。

厳密・緻密な論理であっても人の脳の処理系と「心の仕組みと働き」の間に乖離があると病むのだと考えられます。人の心の仕組みと働きを言葉に置きかえたのがヲシテ文献のヨソヤコヱ(48音韻:アワノウタ)です。

表1 出典:日本ヲシテ研究所

ミカサフミ1アヤ「キツヨヂのアヤ」より引用します。

アワノウタ カタカキウチテ

ヒキウタウ オノヅトコヱモ

アキラカニ ヰクラムワタ

ネコエワケ フソヨニカヨヒ

ヨソヤコヱ コレミノウチノ

メクリヨリ ヤマイアラネハ

ナガラエリ

大凡の意味は次の通りです。「楽器を弾いてアワノウタを歌うと声も明らかになります。(省略した前段から、幼児の言葉を直す働きもあります。)心の仕組みと働きをもって、ネコヱにわけることで出来上がったヨソヤコヱには、身体の巡りがよくなって病が無く長生きができる働きがあります。」

詳しい意味は、「ホツマ縄文日本のたから:展望社池田満著」をご覧ください。管理人が拘ったのは、「イクラムワタヲ ネコエワケ」でした。2016年頃から考えて得たのは、心の仕組みと働きに合致したネコヱ、つまり音素に分ける事によりできたのがヨソヤコヱ(日本語の元)だったのです。ですから、表1は、人の五感でわかる物や事を5つの母音と10の子音にわけた上で、2つ欠けていますので、都合48音韻となっているのです。

次は、心の仕組みと働きをまとめたものです。

図1

ヰクラとは、意識を通さず言葉で言えないが、しかし何となくそのがわかるという心の働きです。ムワタとは、意識を通さず言葉で言えないが、しかし何となくそのがわかるという心の働きです。アワレエダは、本居宣長の苦心の産物である「もののあはれ」から判明したもので、意識を通さず言葉で言えないがしかし、時の過去がわかるという心の働きです。ナサケエダは、岡潔が苦心した「情」から判明したもので、意識を通さず言葉で言えないがしかし、時の現在がわかるという心の働きです。アワレエダとナサケエダを併せてミヤビといい、池田満著になるホツマ辞典によれば、ミヤビとは「社会性、他人を思いやる心、記憶を司る」とあります。つまり、アワレエダとナサケエダがあって初めて、人は、意識を通さず言葉で言えないがしかし、時の現在と過去に住めるのです。言い換えますと、人が静止画と不連続なパラパラ写真を動画として(意識を通さず、言葉で言えないが何となくわかる)のは、心の仕組みにあるヰクラとムワタとミヤビの働きによるのです。

gif1 出展:「側対歩」の話

ホツマ辞典によれば、心の仕組みと働きは更に細かくありますけれど、総じては、本体であるタマとシヰからなっています。シヰは欲しい欲しいのシヰであって、生命維持の欲求だとのことです。タマは、岡潔による第2の心に相当しそうです。シヰは岡潔による第1の心に相当しそうです。ですから、大宇宙の本体は「情」であるというのと同じとみてよいようです。タマと情です。ただし、大宇宙の中心は「ア」であって、大宇宙の中心とはヲシテ文献に出てくる「アモト」に同じです。「わかる」というのは、別の言い方では「気(キ)付く」が適当だと考えます。「キ」とは、ヲシテ文献にあるキ・ツ・ヲ・サ・ネ(東:西:中央:南:北)の東(ヒカシラ)の「キ」であって、気持ち、気付く、気力、パワー、根源的なエネルギーのことです。大宇宙の中心であるアモトは、気(キ)の元とでもいうものです。だから、「ヒトはアのもの」なのです。

ヒトハアノモノ写真1 池田満氏「ヒトハアノモノ」

人の脳の仕組みと働き、即ち人にある物としての処理系を統括するシヰに大宇宙の中心より来たるタマが結合してタマシヰとなっています。物質である人の脳の仕組みと働きは、単に処理系に過ぎません。脳は、ヨソヤコヱ(48音韻:アワノウタ)を処理しているに過ぎません。音素は、意味を持ちません。音素からなるヨソヤコヱを互いに規定し合うことによって言葉を作れます。だから、日本語であってもまた言葉は循環なのですし、思考もまた循環なのです。だから、複雑すぎる思考は、具体を離れて抽象にいたり、心の仕組みと働きとの間に乖離をうみ、人は心を病むのです。

結論です。弧理論に合致した社会科学の基礎として具体と抽象を図にしました。この図に新たに 思想 と哲学を入れます。

図2

物としての人は、言葉も思考も循環ですから、如何なる思想や哲学もまた具体から離れすぎれば、抽象の域へ達することがあるはずです。つまり、人の心の仕組みと働きに不整合な 思想 や哲学は捨て去らねばならないことがあるのです。

若い頃、仏法の十界を解く人がありました。その人は、管理人に対して「覚醒?」にあると云われました。何となく不快でした。

岡潔は、仏教思想の「層」をもって、心の仕組みと働きを説明しました。【 6】 唯識論の人間観を参照ください。「第9識、第8識、第7識」とあります。さらに、第12識とか第13識とかあるようです。

岡潔は自然科学は間違っているとして、【 2】 自然科学者の時間空間にて次のように述べています。

(自然科学者は)運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。

にもからわらず、心の仕組みと働きには、「層」というものがあると決めてかかって、「層」というものはわかると思っています。心の仕組みと働きにそのようなものはありません。 人を界とか層という数を使って解くというのは、とても西洋的です。(※↓)不快に感じます。岡潔は、日本語で思考するが故に(狂気の世界から)こちら側に返ってこれたのではないかと過去に書きました。しかしながら、希代の数学者であるからこそ、最後は頸木くびきから逃れられなかったのではないかと感じます。大天才である岡潔は、人類を救うために身を挺して戦ったのだと感じます。感謝の念に堪えません。

循環を根本的に回避する方法はありません。けれども、とりあえず心の仕組みと働きを別の次元軸に求める以外に方法を思いつきません。とりあえずの方法とでもいうものであっても仕方ないと思うのです。私たちは気(キ)をつけ続ける以外に方法はありません。

高野誠鮮氏は、「寛容で懐疑的な態度は絶対失ってはいけない」と紹介しています。2018年4月26日の記事『高野誠鮮 氏「寛容で懐疑的な態度は絶対失ってはいけない」と書いてあります。』を参照ください。

図2に示す社会科学とは、「人文科学、社会科学、自然科学」という分類における社会科学とはまったく異なるものです。図2は、心の仕組みと働きを健全に保つことを目的とした弧理論による社会科学です。

図3 まず精神科学と社会科学がでてくる

弧理論によれば、3つの科学(精神科学・社会科学・物質科学)からなります。これを象徴に置きかえたのがミクサタカラです。ミクサタカラとは、タマ(精神科学)、カガミ(社会科学)、ツルギ(物質科学)です。

図4 ミクサタカラハ ミナノモノ

精神科学は、別の次元軸に求めます。ヲシテ文献に示されるカミ(つながり、もたらし、生じさせる)とフトマニ図にある宇宙を示す「ア・ウ・ワ」を組み合わせたものです。図5 出典:フトマニ×モトアケ

カミとは次になります。

「ア」と「ワ」は、つながり、「ウ」をもたらし、「ウ」よりヒトを生じさせる。「ヒトハ アノモノ」であり、「ヒトハ ウナリ」。

これは、弧理論による紡錘図形を含む全体に等しいです。

図6

つまり、タマ(精神科学)とは、別の次元軸にカミの仕組みを求める科学です。カガミ(社会科学)とは、人と人、人と物、物と物との関係を「人の心の仕組みと働き」に合致しようとする科学です。整合性をとる科学です。行き過ぎた抽象は人の心を病むからです。今回、如何に優れた 思想 や哲学であっても、行きすぎたものについては捨て去る必要があるということがわかりました。いつも引用するある科学者は次のように述べています。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

正しく眺めれば、基本的な真理は常に簡単で理解が容易なのだ。

だから幹の上から眺めれば、枝は”枝″として簡単な、理解の容易なものになる。てっとりばやく言うと、君らの科学が進歩し続けるために必要なのは、君たがとまっている枝から枝との分岐点まで降りて、ふたたび登り始めることだ。

心の平安を求めるには、心の仕組みと働きを「過度にわけることによりわかる」とするのではなくて、別の次元軸の方向に求めようということです。そういう眺め方が正しいかどうかはわかりませんけれども、簡単で理解が容易になるのではないかと感じます。 抽象へ行きすぎると心を病むようです。数学の使えない世界といいながらその仕組みと働きにわける手法を用いたのです。

 

とにかく、ミクサタカラの内、タマとカガミの基礎ができました。やっとツルギ(物質科学)にとりかかることができるような気がします。

なお、今回の記事は、8月24日(土)に高知市で開催された「数学者 岡潔思想研究会夏期合宿」に参加したことから考察した結果です。完全部外者の参加にもかかわらず歓迎いただき、お世話になりました。とても勉強になりました。参加された会員の方々、奈良の松澤先生、並びに会長の横山賢二様にはとても親切にしていただきました。直に話して全員が全員とも人類の滅亡を何としてでも阻止したいと強く願われているということがわかりました。

今回の行程を検討していて地図を眺めていましたところ、面白いことに気付きました。1.アワノウミ(ヲウミ:近江滋賀県)のアツミの地(高島市)-2.アワノミチ(淡路島兵庫県)-3.アワノクニ(徳島県)の剣山。この3箇所は、ほぼ直線上に位置します。1.琵琶湖西岸の地域はクニトコさんがトコヨクニ(日本)の建国を宣言された地です。3.剣山は「失われたアーク」の伝説がある地です。高知市は、その南西の位置にあります。3.は3つの宗教における契約にかかる伝説です。実際のところはどうでもよくて象徴であることが必要です。 前述のカミの仕組みにおけるアとワは、宇宙の大規模構造であるアワ(泡)を意味するようです。宇宙の大規模構造を日本の本州と四国に配置(模して)し、日本の建国と西洋文明の根幹であるアーク(聖櫃)とを配置したものと解釈しています。過去記事を参照ください。

研究会は、その南西の一端に位置します。数学者岡潔の資料が高知市に集まっているのです。面白いです。で、今回自宅から自家用車で横山会長宅までの直線距離は350kmほどです。阪神高速を経由せずに高速道路を乗り継いで2泊3日の行程で参加しましたので、往復1000km少し運転しました。少々疲れました。岡潔は10進数の数学システムを象徴しているように感じます。ここが折り返しのようです。12進数による数学システムに切り替える手はずがあるはずです。艮の金神(祟り神)とはよく云ったものです。「分岐点まで降りて、また登り始める」というものの、その実10進数による数学システムを破壊する行為だからです。とんでもないことです。弧理論の弧”arc”を意図して”Ark”にしたのもこの為でした。今までのところ計画にのっているようです。因みに10進数に慣れた私たちにとって12進数の加減乗除が如何に難しいかを知るには2016年3月1日の記事「五つ玉のそろばんは、12進数の計算に使える」を参照ください。すべての原因を別の次元軸に求めるに「12進数による素数」がカギになりそうです。

 

追記8/28 ※↑アプローチの仕方が自然科学的と感じます。説明がわかりにくかったので補足します。

1.岡潔は心の仕組みと働きである「わかる」について、人の心には2つあって第1の心「わけることによりわかる」と第2の心と名付けました。そして、第2の心が「情の働き」によるとしました。第2の心の世界は数学が使えないとしました。

2.岡潔は仏教思想を考察して「自然は心を映写するためにある映像」だということを認めているようです。

3.岡潔は心の仕組みと働きをより詳しく調べるに第1の心、「わけることによりわかる」という手法を使いました。つまり、数学の使えない世界を数学を扱うように調べようとしました。

3.は1.との間に矛盾があるということです。ですから、心の仕組みと働きにそのような「層」や「界」などあるはずはないのです。2.を認めながら「投影による映像の仕組み」に考えが行かなかったのは不思議です。物質的自然は循環かつ「外のない内:開放系」であり、言葉も思考も循環であるから、第1の心「わけることによりわかる」とすることの限界は明白です。ですから、循環を回避することは本質的には不可能ですけれども、映像である人が投影にかかる仕組みと働きを想像することは可能だと考えます。 岡潔の思考は循環に入ったように感じます。心の仕組みと働きの特性から云えるのは、具体から離れすぎてはダメです。2つの心の乖離によって病むからです。だから図2が大事なのです。今回、いかなる 思想 や哲学も例外ではないと気付きました。とても大きな成果です。

ですから、別の次元軸に投影の仕組みと働きを考えるのは、それほど複雑な仕組みを要するはずはないと考えます。何故なら私たちは日常において、映画やTVなどの映像システムを使っているからです。仕組みはそれほど複雑ではありません。別の次元軸の方向に心の仕組みと働きを考えて、まとめたのが図1並びに図6です。 これがあって初めてgif1についての動きがわかるのです。 人が「物や事」のあるのがわかるとともに、動きもわかるのです。ヲシテ文献にはもう少し詳しい仕組みとして「ココロバ、ナカゴ、タマノヲ」などがありますが、今のところ図1と図6でOKだと考えます。池田満氏のホツマ辞典にある「ヰクラムワタヲの構成表p226」を参照ください。構成表の下段に書かれている(イツイロノ・ハニモテツクル・モリノカミ・ミメカタチ・)は実に興味深いです。

ついでながら、弧理論による投影の仕組みは、「ア」と「ワ」を投影元とします。これが大宇宙の中心です。大宇宙の中心は宇宙と直交しています。ですから宇宙に中心はありません。投影元が2つあるから私たちは空間と認識できます。

図7 映写機が2台あるから立体映像になる

どうも、2つの投影元は父性と母性とでも云えるもののようです。それと、一つが第1の心に対応し、もう一つが第2の心に対応すると考えると合理的です。ヒトハアノモノですから第2の心が「ア」からやってくるとすると合理的です。(何も根拠はありませんが。) ですから、アとワからもたらされる「ウ:渦」、即ち物質には、心の仕組みと働きとして2面性があるのかも知れません。より物質に近いところに第1の心がある。これだと池田満氏による説明に合致します。人の成り立ちは「タマ+(シヰ+物質)」です。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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