日月神示 で気になること

これまでに、 日月神示 の記事は45件あります。弧理論の考え方と、結構合致する部分があります。2018年6月14日「日月神示 ひふみ神示は、なぜ弧理論の参考になるのか?

面白いことに「ひふみ神示全文」を検索すると『気』は394カ所もあります。このことについて、研究者の方であってもほとんど注意を払いません。用例を幾つかあげると以下です。

『 気付け 気楽 気の毒 気づかん 気を失ふ 気をつけて 気もない 気が短い 気長く 気持ちよい 気配れ まぢり気(け) 』

このことは過去記事に書いているように岡潔の云った「わからないものに関心を集め続ける」ことで、「情的にわかるものを知的に言い表すことにより文化はできる」という過程、即ち、『情・知・意』の順に働くことをわかりやすく言った言葉です。それが「気(キ)付く」です。「【5】 情的にわかる、知的にわかる

図1

 

特に参考になる箇所を「ひふみ神示全文」より引用します。下線は管理人による。

第八巻 磐戸(一八十)の巻 (昭和19年12月30日 – 昭和19年旧 11月30日(新 昭和20年1月13日)

第二帖(二三八)

キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生れるのざぞ、心くばれと申してあろが、心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、キは(よろこび)ざぞ、臣民みなにそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、うれしキは うれしキことうむぞ、かなしキは かなしキことうむぞ、おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災でも、臣民の心の中にうごくキのままになるのざぞ。この道理わかるであろがな。爆弾でもあたると思へばあたるのざぞ、おそれるとおそろしことになるのざぞ、ものはキから生れるのざ、キがもとぞ、くどくキづけておくぞ。ムのキ動けばムくるぞ、ウのキうごけばウ来るぞ、どんな九十(コト)でもキあれば出来るぞ、キからうまれるぞ、勇んで神の御用つとめて下されよ。十二月三十一日、の一つ九。

すべては気(キ)から生まれるとしています。心の元は気(キ)だといいます。最近、気付いたのは「ものはキから生まれる」とさえいっています。キが元だということです。

岡潔は山崎弁栄上人のことをひいて「自然は心があるために映写される映像に過ぎない。」と述べています。これは自然が先にあって、人ができるのではなくて、人の心が映写元にあって、その結果、映像としての人が出来るということです。すべては気(キ)が元だという言葉と合致します。


ものはキから生まれるということについて。最近、空間は「エーテルはないがポテンシャルはあるという状態」らしいことがわかりました。このポテンシャルと情報の間には密接な関係にあるらしいとのことで、別の次元軸上にある実体と情報はどういう関係にあるのかとても気にしています。関係するキーワードを挙げておきます。

  • E軸上にある6つの実体
  • 実体の描く弧(Ark)がM軸に表れる
  • その形状は、距離の7乗に逆比例する発散トーラスである
  • 正と負の発散トーラスを組み合わせてできる楕円磁場(双極)(どうもこれがポテンシャル? 観測できるのは差分
  • 複数のポテンシャルが打ち消しあうことにより物質と力の場になる?
  • 感覚でわかるのは物と事
  • 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない
  • 事とは運動であり、情報である

物には何の意味もありません。物の運動にこそ本質があります。つまり、にこそ本質があります。事の質が情報です。(この点はもっと深い考察が必要です。熱力学的エントロピーと情報エントロピーが同じであるとまでわかっています。)


日月神示は、ヲシテ文献のフトマニの流れを汲むものです。ヲシテ文献の時代においては、東西南北のことを古くは「キツサネ」と言ったようです。キは東、ツは西、サが南で、ネが北です。中央はヲですから、中央を入れると「キツヲサネ」です。2016年11月16日『日月神示「日本は世界の雛形」というけれど、「アワ(アハ)」は宇宙の雛形か?

五十黙示録 第一巻 扶桑之巻(昭和36年5月5日)

第八帖

平坂の 岩戸(言答)ひらけむ 音のきこゆる。

神に怒りはないのであるぞ、天変地異を神の怒りと取違ひ致してはならん。太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますぞ。また総てが喜びにましますが故に怒りはないのであるぞ、若(も)し怒りが出た時は、神の座から外れて了ふのであるぞ。救ひの手は東(ヒムカシ)よりさしのべられると知らしてあろが、その東とは、東西南北の東ではないぞ、このことよく判りて下されよ。今の方向では東北(ウシトラ)から救ひの手がさしのべられるのぢゃ、ウシトラとは東北であるぞ、ウシトラコンジンとは国常立尊で御座るぞ、地(千、智)の元の、天地の元の元の元の神ぞ、始めの始め、終りの終りぞ、弥栄の弥栄ぞ、イシヅヱぞ。

東(ヒムカシ)は気(キ)であり、ヲシテ文献にある古い時代の方角の「キ(東)」に同じです。 日本は古くはヤマト(大和)ですが、同じく日本を訓読みするとヒノモトです。(黒田節ノモトはそのままノモトに置き換えても意味は通じます。

キとは、日が昇る東であり、パワーでありエネルギーであり活力を意味します。つまり、東とはキであり、そのまま「キがもとで、キから生れ、心のもとはキで、総てのもとはキ」ですから、東西南北の東ではないということです。今の方向では東北(ウシトラ)の方角だということです。 で、ウシトラノコンジンとは国常立尊(ヲシテ文献のクニトコタチさん)であるということです。

艮とは鬼門のことです。鬼門とは相対的な方位であり北東のことです。クニトコタチさんによるトコヨクニの建国の地は「ヲウミのアツミ:滋賀県高島市付近)」です。この地から見て南西に当たる地が当該地であると言うことです。一説には東北地方のことを意味すると解釈されていますが、たぶん間違いです。日本列島の絶対位置では鬼門の意味をなしません。管理人の解釈によれば徳島県と高知県の県境にあたる剣山が該当すると考えます。2016年2月9日「艮(うしとら)の金神(こんじん)と契約の箱について」と2016年11月16日『日月神示「日本は世界の雛形」というけれど、「アワ(アハ)」は宇宙の雛形か?

 

何故、徳島県の剣山なのかというのは、ちょっと根拠が弱いです。

五十黙示録 第二巻 碧玉之巻(昭和36年5月6日)
第十帖
神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。

神武天皇から人皇として即位されています。それまでは神皇として即位されています。その違いは、「神頼み(シャーマニズム)」にあります。

図2

文化の程度が急激に低下し、代わりに神頼みが増えてきています。図1に示したシラス・ウシハクのシラス(知らす)の元は知るです。渡来系が多くなった頃から、冒頭に記した「わからないものに関心を集め続ける」という日月神示でいう「気(キ)付く」が形骸化し祈祷や呪術(神頼み)に成り下がったと考えています。

カミノヨからヒトノヨに変わっていった変わり目が神武天皇だということです。

その渡来系の人たちの話は以下にあります。

ひふみ神示 第十一巻 松の巻 (昭和20年6月17日 – 7月19日)

第八帖 (二九九)
神の国には昔から神の民より住めんのであるぞ、幽界(がいこく)身魂は幽界(がいこく)行き。一寸の住むお土も神国にはないのざぞ。渡れん者が渡りて穢して仕舞ふてゐるぞ。

過去記事のリンク先にある地図について。

図3

琵琶湖-淡路島-徳島のラインのことです。近江は古く淡海であり、アワウミの当て字です。アワのウミです。淡路はアワミチであり、アワ(アハ)のミチです。徳島のアハはアハのクニです。但し、徳島のアハの起源は雑穀の粟ではあります。いずれもこのラインは「アワ」であり、アワ(泡)に通じます。弧理論におけるカミの仕組みによる次の図です。

図4

「アウワ」のアワは、そのまま宇宙の大規模構造(泡構造)に通じると考えています。日本の地図上に落とし込んだような関係になります。

図5 上図4の左図、が上のラインに重なる。アがキである。ガイアの法則に合致する。

で、神武天皇以降の幽界(がいこく)身魂とは、現代科学(自然科学)の根幹が西欧にあるという考えから来ています。日ユ同祖論などはくだらない話とは思いますが、自然科学の多くの部分は西欧人にあることは否定できないことです。その象徴としての剣山だと考えます。 というのは、弧理論の根幹は3つの科学:ミクサタカラにより成り立っています。3つの科学とはタマ:精神科学とカガミ:社会科学とツルギ:物質科学です。このツルギ:物質科学の部分が自然科学に該当します。自然科学は図4に示す紡錘図形の4分の1から8分の1くらいの領域をカバーしているように思います。だから、ツルギ:物質科学から剣山とする意味は通じます。すると自然科学にはタマ:精神科学とカガミ:社会科学が足りないということの意味も通じます。

要は現代文明の根幹となるものが何かを考えて、日本の地図上に落とし込むならば剣山だということです。契約の箱の有無などどうでもよいことです。本当の宝はミクサタカラ(3つの科学)です。そのような箱ではありません。 そういえば、地図にアウワを重ねると「ウ」の位置に淡路島がきます。ウはウズ(渦)のウ:物質が持つ本質的な回転運動のことですから、鳴門の渦潮にも重なります。

 

2016年頃より、少し詳しくなりました。 正直、どうでもよいお話しで、単なるこじつけに過ぎませんけれども、何らかの参考になるならば、その内にわずかばかりの本当はあるのではと思います。皆さん、勉強のしすぎで”全否定”か”全肯定”の反応しかしないのは危ないように思います。

 

Φ について

2010年より研究しています。
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