「ヲエモノ」とは、ヲシテ文献にある魔物のことです。先に、2019年2月21日の記事「神道 に教理教典がない訳」をお読みください。本記事は、その続きです。
表題を正確に云えば、「10進法の 数学 は、ヲエモノ(魔物)に入り込まれる入り口になる。」ということです。前記事にある一部を転載します。
コノヲシエ アメノメクリノ
ミムソイエ ヨツミツワケテ 注:ソは10の意味365日余りを4×3に
ミソヒナリ ツキハオクレテ 30日になる 月は遅れて
ミソタラズ マコトミソヒゾ 30日に足りない
シカレトモ アトサキカカリ
ミソフカモ アルマウカガフ 32
ヲエモノオ ハラフハウタノ 魔物を 払うウタの
コエアマル シキシマノエニ コヱ余る
「一年の日の運めぐりは三六五日よりすこし多いぐらいの日数があります。これを四季に分け、前中後の三節に別けると三十一日になります。つまり三十一にと云うのは、お日様の周めぐりから割り出された一月ひとつきの日数です。もうひとつ、お月様もありましたね。月は、周めぐり方が遅いのです。お月様は重たい元素ばかりが集まってできているために、周回に遅れが出るのです。それで、三十日にも満たない周期になります。しかし、本来の天体の運行の周期は三十一日ですので、月の場合は、前後が多少かかって三十一日と考えられないこともないのです。というのは、月の変わり目というのは真っ暗の新月になってしまうので、ここに魔物が入り込みやすくなるのです。
魔物に入り込む隙を与えなくするには、どうすれば良いか。その解答が、字余あまらせのウタ短歌なのです。ひと月の日数よりも一日多くの三十二音でウタを詠よんだならば、月と月との間の真っ暗な日も、音韻の賑わいで魔物を寄せ付けないのです。
-略-
目には見えにくい元素のヲ男の周めぐりは、太陽ひのように三十一日です。しかし、それに備わってゆく元素のメ女は、月のように遅れやすいものなのです。ですから、目に見える元素たちとの間にはとくに隙間が生じ易いのです。このため三十二音にした字余らせウタが、魔物の侵入を防いでくれるのです」
一年は、「ミ3ム6ソ10イ5エ余り」でして、「エ」とは「余り」です。そして、「ヲエモノ」は魔物でして、「ヲ・エ」です。詳しいことはわかりませんけれど、解説の文脈からして、「足らず・余り」という「エ:隙間」に「ヲ」がついて、「ヲエ」と考えます。(注:研究者の池田氏はヲシテ文献の用例をすべて検討した上で、解釈されます。管理人のように解説の文脈から類推するのはヲシテ研究ではないことを理解しています。) ヲシテ時代(縄文時代)の人たちは、手指の数を元とした10進法を用いているけれど、どういうわけか12の倍数にまとめようとしています。そして、暦の「足らず・余り」を言葉で埋めようとしています。それが字余らせのウタ短歌なのです。 勿論のこと、言葉(ヨソヤコヱ)は暦より早く整えられたはずです。言葉は12の倍数です。その基礎があったから、「足らず・余り」をなくそうと工夫したに違いありません。2016年2月18日記事「なぜ1年は12ヶ月なのか? フトマニ図とホツマツタエから分かること」を参照ください。当時の管理人の考えが多少おわかりいただけます。
管理人は、何故、ヰクラムワタ ヲ ネコヱにワケるとヨソヤコヱ(48音韻)になるのか、ずっと考えてきました。イクラムワタとは、大雑把に言って「人の五感でわかる」ということです。人が持つ「わかる」には3つあります。
- 「わけることによりわかる」意識を通す。言葉で云える。要素還元主義。
- 何となく趣おもむきがわかる。岡潔の云う情じょう。意識を通さない。言葉で云えない。静的にわかる。ヲシテ文献にあるナサケエダ。
- 何となく動きがわかる。動的にわかる。意識を通さない。言葉で云えない。本居宣長による「もののあはれ」。ヲシテ文献にある「アワレエダ」。
「ヰクラムワタ」について、まず「人の五感でわかる」のは、2.と3.です。いきなり「意識を通し、言葉で云える」ものではありません。言葉以前です。とにかく物や事について「直じかに何となく趣おもむきがわかり、動きがわかる」のです。その「わかる」がヰクラムワタなのです。 このヰクラムワタを「ネコヱ」、即ち「音素」を使ってわけた結果がヨソヤコヱ(48音韻)であるということです。これが「フソヨニカヨイ(24で折り返す)ヨソヤコヱ」である「アワノウタ」なのです。
「人の五感でわかる」のは、物や事のおおよその目分量です。より精密に知ろうとして人は数を用います。物の内にモノサシを作って、数に置き換えます。モノサシをして物や事を数に置き換えます。だから、岡潔の云ったように「数は量のかげ」なのです。「岡潔先生をめぐる人々 フィールドワークの日々の回想(47) 龍神温泉の旅の話」を参照ください。
これまでの考察の結果、自然科学は時間を用いた循環論法であることがわかっています。 続きを読む →
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