社会の 抽象 化により人々は何事にも”意味を見出せなくなる” 「科学の範囲」

これまで、人類の文明は抽象化の一途をたどっていると何度も書いてきました。そして、遠からず人類は自滅すると繰り返してきました。

サイト内を検索すると「抽象」を含む記事は200件を超えています。幾つかあげます。

 

また、昨年は、弧理論による社会科学として動画を制作しました。

動画1 「過度な抽象化」により人類は滅ぶ(弧理論による社会科学)

政治、経済、科学、教育、文化、金融、資本、産業、工業、技術、流通から農業、漁業、畜産など、ありとあらゆる物事が速く、よりせわしなく回転し、変化しています。

図1 弧理論による社会科学(社会全体が緊張を強いられる)

 

その変化の向かう先は、全体の抽象化です。

この社会の抽象によって、人々は何事にも意味を見出せなくなり価値がわからなくなります。仕舞いには、何が何だかわからなくなります。そうして自滅します。一言で言えば、社会の混乱です。

この混乱の根幹には、自然科学があると感じます。岡潔講演録【5】自然科学の無知より引用します。

物質は諸法則を常に守って決して背かない。何故か。

これに対しても自然科学は一言も答えられない。だから物質現象のほんの一部分、非常に浅い部分だけしかわからんのです。

で、それでも人類の福祉に役立ってはいます。たとえば医学は自然科学です。可成り人類の福祉に役立ってはいます。しかしながら、医学の人類の福祉に役立つ役立ち方は、何が何だかわからんままに役立っています

下線は管理人による。

 

今回は、「わかる」の過程を詳しく解説します。箇条書きにしますので、丁寧にお読みください。

  1. ヒトの肉体に備わった器官でわかるのは、物と事
  2. 物がわかる (唯一現在)
  3. 事がわかる 動きがわかる (過去)
  4. 物と事が揃って、初めて意味づけできる
  5. 物事を母音子音に割り付ける
  6. 言葉で言える(知識は過去)
  7. 物と事の価値がわかる(意識は過去)

ここで、科学は「物の初めから事の終わりまでをどのようにわけるか」に尽きます。弧理論においては、物と事は必ず””となりますから、対とならない何か科学に成りようがありません。これは、知識・意識が”外のない内”だからです。

そして、数についてです。

  • 数には2種類ある
  • 物の量にかかる数
  • 事の質にかかる数
  • しかし、自然の1は決してわからない

物と事がわかって、初めて意味づけできるのですから、意味づけできない1は決してわかりません。

 

弧理論では、観測者に対して運動が大きければ、物は次元を失います。事の質しかわかりません。

図2 長さのスケール

観測者に対して、運動が大である図2の両端においては、事の質しかわかりません。すると、上記に示した「わかる」の過程において、2.物の量がなくなります。事の質しかわかりません。事の質しかわからないと4.意味づけ出来なくなります

すると人々は、自然科学と自然科学を基礎としたあらゆる事に4.意味が見出せなくなり、7.価値がわからなくなりますそうして、皆、”何が何だかわからない”状態に成ります。

それで、図の両端にある量子力学や宇宙物理学あるいは宇宙論などは、誰にも意味がわからないのです。それどころか、当事者である物理学者でさえ何が何だかわからないのです。これが抽象です。

社会の 抽象 化により人々は何事にも意味を見出せなくなります。同時に、科学の範囲が指摘できます。科学に繰り返しが現れたならば、その科学は終端です。これら抽象は、最終的に混乱を生むだけで無価値です。

 

補足します。図2の両端においては、事の質しかわかりません。しかし、自然科学ではE=mcの数式を用いて、物の量を求めています。これは間違っています。E:エネルギーもc:光速度も事の質にかかる数であって、事の質を物の量に換算することは出来ません。前回記事を参照ください。

例えば、目をつぶって、ハーモニカの音を聴いて、ハーモニカの大きさと重さを求めることはできません。音も電磁波・放射線も波であって、事の質です。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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社会の 抽象 化により人々は何事にも”意味を見出せなくなる” 「科学の範囲」 への18件のフィードバック

  1. 佐々木 のコメント:

    概ね同意です。
    > 田中英道の動画
    全篇一貫して面白い。理系であっても同意するって、理系=冷徹で効率的ではないから(笑)
    AIは言語理論の集大成ではありますが、単にコンテキスト出力機ですね。(正否不明な)知識伝達と集合知による意見集約には向いていると思う。ただin/outのルールを人間が決めるなら、そこにバイアスがかかる。ルールを一切決めないならそれは正当なAIだけれど、きっと平準化した人間のモデルになり、人間社会を模して混乱だけだろう。AI教というのもあるそうだ。LSI設計者から見ると何を有り難がっているのかわからない。現場の人間がやっているのは純粋な論理と技術の積み重ねです。そしてそれは応用であって、発見・創造ではない。
    > 対称性、基本粒子は何故か3種類
    実はそれさえも疑っています。+と-の大きさは対称ではない。電磁気的には元から非対称です。なのに数式上では相殺する扱い。もっと化学をやっておけばよかったなと思います。何故それらの組み合わせで物の属性や事における機能が変わるのか。電磁気学内部にもおかしなところはある。中央に+が寄り固まっているのは何故?静電気学では反発し合うのに。多数の+でなく、1つの大きな+があるとしたら、その+と薄ら広がるーの違いは何?とか。+-に抽象化して、ほかの全てを捨象していて、何か同一視の間違いを犯している。
    時々養老さんの話を聴きます。得るところはあるかと。
    ttps://www.youtube.com/watch?v=poVj86hRM9k
    ttps://www.youtube.com/watch?v=GQIvLvwmVdM

    • Φ のコメント:

      >ルールを人間が決めるなら、そこにバイアスが  >正当なAI
      詳しくは知りませんが、ある動画で解説がありました。
      マイクロソフト?がAIを公開したところ、最初はよかったが、突然、下卑たことを返すようになって、公開を中止して改良したとのこと。解説者は”正当なAI”は、全方位に学習するからそうなったのだろう。改良したなら、AIの裏でコードを書いている人が居るのでは?と疑っていました。まったく放置で学習させる訳にいかない。つまり、人が介入せざるを得ないと考えます。そもそも良心とは?西洋人における罪と罰からの”良心・道徳”は日本人からすると、嘘くさいです。
      言い換えると、西洋人の心の本体は、”正当なAI”と同じとなります。罪と罰に対して救いという正負のバイアスがないと、下卑た方向に行ってしまうということになります。西洋人にとって、道徳は”ルール”ということです。
      >純粋な論理と技術
      でありながら、バイアスはかけているはずです。

      >数式上では相殺する
      マクスウェル→ヘヴィサイド→ローレンツの過程で丸めたことがわかっています。
      >同一視の間違いを犯して
      1800年代仲頃のいつか、電磁気学成立の過程で意図して省いた。
      ご存じの通り、電圧の+-と電子の流れは逆ですし、そもそも電子の欠落を+としていることが間違いです。1900年代初頭、陽子が発見された時点で電磁気学は修正されるべきでした。そのまま来ています。間違いはJPモルガンの物理学者への指示です。

      美に疑問が出てきます。「対称性に拘り、どういう訳か、何もかもに少しずつずれがあり、似たものが何度も現れる、終わりがありません。最後は何もわからない。」これが抽象です。そもそもの仕組みに繰り返しがあるという「如来の仕組み」に気づかねば、先へは行けません。どう考えても、自然は映像です。
      仏教、岡潔、ヲシテ、アラン、G・アダムスキ、いずれも自然は映像だと示唆しています。

      >養老
      私も時折観ます。本当に深く考えておられます。悪いですが、成田悠輔氏と比較にならない。
      本記事に書いた通り、意識は「わかる」の最後であって過去です。言葉や言葉による定義は、ずっと後です。
      養老「数をあまり信用してない。」が印象的です。数に単位(円ドルユーロetc)をつけて、物と事を交換できるようにする仕組みは悪(搾取)です。物の量にかかる数と事の質にかかる数は、まったく異なります。その意味でE=mc^2は、交換を正当化してます。本当に罪です。

      • 佐々木 のコメント:

        > 成田某
        まんまWEFのYGL(Young Global Leader)です。彼は日本版ハラリの役割でしょうね。ワクチン普及に一役買ったKOL(Key Opinion Leader)達のように刺激的な言葉を尽くす事が仕事なのでしょう。あまり興味がない。
        > 物と事を交換できるようにする仕組み
        物物交換の代わりにお金が発明されたわけですが、為替やら何やら、てやんでぃ、ってなもんで。人の命は等価ではありません。札束で引っ叩けば毒をも好んで飲むのです。この4年で思い知った。
        > ルール
        投稿規制ワードなどですね。裏でコードを書いている人は当然居ます。命令を与えなければ、in/outのフィルタをかけてやらねば、まともに応答できようもない。しかしどこまでのフィルタなのか。ChatGPTが賑わっています。ある意味で耳あたりの良い文章が羅列されるフランケンシュタインです。汚い言葉を使えとは言わないが、言論統制されるモノのどこが人工知能なのか。だからビッグテックをはじめとする勢力が推しています。デジタル推進の正体の一角です。
        鉄腕アトムにはいろんなバリエーションがあります。その中でも印象的なのが、生みの親である天馬博士に捨てられ、疎外され、人間との関係に悩む話です。手塚治虫の悪癖とも言える乱造でテレビ版では極端なスーパーヒーローになってしまいましたが。私にとっては十万馬力の超人ではない、雨の中で小石を蹴って悩んでいるアトム少年のままです。
        > でありながら、バイアスはかけている
        そりゃあ各種デバイスは目的を持って造られますからね。人間の意図、使い方が問題。悩みを持つAIになってからが本番でしょう。
        > 電圧の+-と電子の流れは逆
        にも関わらず、電子を-にしたのは何故でしょう。考えたらわかりました。
        演算記号では無く、記号の意味を直観すれば良い。
        平面において-は天地や左右などの分割や、あるいは方向です。+は平面での基準点、中心です。回転現象を示すスワスティカの意味はそれでした。
        これは決して先人の業績を超えていません。伝える方法が言葉では不十分だったということです。少なくとも一万二千年前から。

        • Φ のコメント:

          >WEFのYGL
          なるほど。古くは、竹村健一を思い出します。
          ttps://www.youtube.com/watch?v=bnzRrPG3Feo&ab_channel=%E3%80%90%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%80%91%E9%A4%8A%E8%80%81%E5%AD%9F%E5%8F%B8
          >お金が発明された
          それでも10進数な訳で、誰が統括しているのか。ばれたらお終いな事情です。アラン「十二進法を基礎としたシステムがもっとかんたんで有用で、本質的により可分性があるとわかったんだ。知ってのとおり十二は、二、三、四、六で割り切れるが十は二と五でしか割れない」有用で可分性があると証明できれば、お終いです。証明が私の目的です。これをキックオフと呼んでいます。
          >フランケンシュタイン
          人に心が2つあると知れば、AIが脅威などあり得ないとわかります。AIの背後に人です。
          アラン「やってみようとも思わないことが出来るようになる。」これは多分生体ロボットです。
          >スワスティカの意味
          回転を表すとともに、差分でもあります。「わかる」のは差分のみで、差分が物と事として表れます。だから、フリーエネルギーも重力制御も可能となります。かつエネルギー保存の法則は並立します。ディラックの海は近いが異なります。

          原子の構造についてです。
          >実はそれさえも疑っています。
          単極モーターの実験を通して、力学的な作用反作用は、磁石の重心位置という”点”との相互作用だと感じました。重心位置にあるのは仮想的な原子核です。だから、単極誘導の現象は「原子力の一種だ」と何度も書きました。
          一方の電磁誘導は、外殻電子との作用らしいです。これで、2つの相互作用の違いは、原子の半径の違いとして説明できそうです。
          すべて映像だとすると、原子の構造はニュートン的な説明でOKな訳で、波で粒子という確率の話(量子力学)は映像未満として無視してよいと考えます。それに、素粒子群は12種に分類され、基本粒子3種の整数倍である理由が立ちます。標準模型では理由が説明できない。
          弧理論において、物と事はアワ(泡)とウ(渦)で表現されます。図で言えば、スワスティカです。固定された点のない空間において、力学は渦と泡に行き着きます。それも遠隔作用しか許されません。すべて映像で、アとワの差分です。

          如何なる科学も「物の初めのアから事の終わりであるワ」をどのように分割するかに尽きます。(「わかる」のが差分のみだから。)自然科学は、運動の一つの状態である角度から作った時間を用いて分割しています。時間を光速度に置き換えたのが相対性理論。時間は10進数による12の倍数です。だから、分割に際限がない。自然科学の行き着く先が抽象である理由です。映像だから当然です。
          アランの言うとおり「12進数は有用で可分性がある」との証明が「次の科学」の必須条件です。

          • 佐々木 のコメント:

            > 『ものがわかるということ』出版記念特別対談
            これ対談としては失敗じゃないの。あまり得るものが無い。
            こう見ると成田氏は普通の人だよね。そして今の人。

          • Φ のコメント:

            失礼ながら、リンク貼っておいて、最後まで観ていません。あまりに酷すぎました。
            >今の人
            まったくです。ただ自分にはできません。「ものがわかる(現在)、ことがわかる(過去)、物事がわかり言葉で言える」であることに気づいたのは、ヲシテ文献のナサケヱダ、アワレヱダで、岡潔の情と本居宣長のもののあはれを参考にしたからです。成田氏は知識・意識からの人です。対談は人選ミスだろうと。

          • 佐々木 のコメント:

            脳化-情報化の話がでて、いよいよ本題かと思いきや、両者とも反応せずに終わる。養老氏が顕微鏡で虫を観察しているのに対して、成田氏は情報空間から世界を見ている。それだけだったな。
            養老氏の話は字面を追っているとわかりにくいので、音を聴いています。
            リンクを貼るとき”&ab_channel”以降は多分アカウントに関係するので削除した方が良いです。

          • Φ のコメント:

            なるほど、失礼しました。
            >字面を追っていると
            養老氏は、とても言葉を大事にしています。意識より、先に体が動いているという事実の解釈には誤解を生むのでとても慎重でした。

          • 佐々木 のコメント:

            養老氏の(発する)話は字面で追っていると、かな。声を字として聴いていると独特の間があってわかりにくいというか。だから本になるとわかるというか。考えが染み通る時間が要るのかも。
            その意識=脳なのかもですが、各種臓器の意識や細胞の意識、原子の意識もあるでしょうね。私の知らないところで私の心臓は動いている。

          • Φ のコメント:

            >養老氏の
            私には聞きやすいです。人によるのですね。
            >各種臓器の意識
            意識知識は後です。先に物がわかり、事がわかって初めて、意味づけ出来ます。そうして価値がわかります。それが言葉です。各種臓器には、言葉以前の何かがあり働いています。

  2. 佐々木 のコメント:

    > エッシャー展
    おお、面白そうです。最近美術館行ってないな。
    > 発見・創造はソフト開発の~は自己の責任です。
    そう。ソフト開発は動作定義をプログラム言語で意味付けしていくので、物理のように現象からメカニズムを類推していくのとでは、思考のベクトルが逆向きでした。抽象(Abstract)の目的が異なる。
    一般意味論のwikiを参照しますと真ん中あたりに「一般意味論では抽象の段階に~重要性がある」とあります。非Aの本が手元に無いのでうろ覚えですが「1)変化する外界、2)五感(四感?)での受信、3)その言語記述、4)言語記述のさらに補足」とあって、言語表現は1から3(あるいは4)に一足飛びに結びつけてしまい、途中過程に気付かず、物事を言語で同一視するようになる。これが続くと意味論的障害(生理的、神経的)が生じる。また別の例では「一口かじったリンゴがある。丸く、赤色で、持てばずしりと重く、食べれば甘く、ほんのり酸っぱく、実は詰まっていて、瑞々しい。しかし、それだけではなく、本当はそれ以上のものだ。」言語表現していない/できない”それ以上”を決して無視しないように常に注意することとある。うん、これが弧理論でいうところの抽象化の意味だな、と腑に落ちた。
    > 発見・創造の仕組み
    提唱者のコージブスキーがbe動詞(is, is not)にこだわったのはおそらく英語だからかな、と思ったり。It is raining. の”it”が日本語には無い。しかし私(I)を指す主語が日本語にはとんでもなく多かったりする。これは1)から2)までの過程に、直知・直観(つまりはテレパシーですが)、その要素が多いからなのかも、と思う。主語が無い文はざらにある。それは宇宙の似姿を心に持っているから。
    > 『他力 と「外のない内」』
    これはよくわかる。
    「もっと宇宙のこと考えて生きろ」とはある漫画の名言ですが、そうはできない/させたくない事情が多過ぎて。最近では命の危険を真っ向から感じる社会になっています。例えばコロナウイルスは抽象そのもの。外界の人工的情報を全て遮断したいです。しかしそれをすると生きていけなくなる。

    • Φ のコメント:

      エッシャーは、平面の正則分割に拘りました。作品に「極限としての円」があり、非常に精密です。ttps://sgk2005.blog.fc2.com/blog-entry-728.html
      円に近づくにつれ、魚の絵は小さく分割されます。小さな領域においては、意味がなくなります。これが抽象です。
      アランは、量子力学について「心で描くことのできない状態」で「抽象的な数学に頼らねばならなくなる」と述べています。
      散々考えてきたアランの言葉「抽象」とは、実は簡単で「意味がない」「言葉遊び」の類いなのです。誰も、円に近い細部など見ていません。
      >言語表現は1から3
      弧理論では、「1物がわかり、2事(動き)がわかり、3物と事を母音子音に割り当てる(言葉)。そうして4意味がわかり、5価値がわかる。たから6意識を通してわかる。」です。最初から物と事を区別してます。日本語以外には、これがありません。
      和製漢語を創るとき、やむなく「物質・質量」としたのはそのせいかも知れません。今となっては、奇妙な単語です。物の量と事の質を考えると不自然です。
      >別の例では「一口かじったリンゴがある。丸く、赤色で、
      この部分において、1からの順で区別が必要です。英語でこれを区別するのは不可能です。
      >言語表現していない/できない”それ以上”
      そうなんです。日本語の起源であるヨソヤコヱ以外の言語は、物と事の区別がない上に、”それ以上”に注意出来ていません。岡潔が「東洋人は何となくわかっている」と述べたことは、それです。
      >宇宙の似姿を心
      それは面白い。田中英道は、日本人のそれを自然道と呼んでいます。また、「日本人は神を信じない」と言います。全くその通りです。神の字義は”超自然的な何か”です。他の国において、神の背後に誰か居る。神などどうとでも、できます。
      >そうはできない/させたくない事情
      完全に同意です。藤原直哉は、”ばれたら、おしまい”と述べています。何としても、人たちに心の安寧を与えたくない。彼らは、ばれたくないのです。
      それと、「{接する}が心に描けない」と抽象とは、無関係とは思えません。私たちがいるこの世界は、映像だと判断するしかありません。

      • 佐々木 のコメント:

        「神を信じない」と言うと、海外の方からは信仰や道徳が無いと思われる。逆にそれがわからん。
        図1に人権を追加するとしたらどこになりますかね。最右端かな。人権や法律に関する動画を観たものでね。それは言葉でしかないとも、言葉だからこそとも考えられる。未だに敵国条項が効いている国連の世界人権宣言は30条もある。国連がその大半を破っているが。銃弾が粉ミルクよりも安価な世界で言葉を尽くす事の価値はあるのか。

        • Φ のコメント:

          >海外の方から
          「神社お寺教会何でもあり」がわかっていないようです。
          >図1に人権を
          民法で、人は出生に始まり、権利の主体となることができるものを言うようです。ヲシテにおいては、ヒト=タマ+シヰ(欲)+ウ(物と事)ですから、権利はシヰのぶつかり合いになります。病気事故以外で死ぬヒトが大勢いる現実を何とかするための法であるにもかかわらず、法は無力です。
          考えてみれば、ヒトが持つ生命維持の欲求は、法以前です。と言うことは、人権は後付けだとも言えます。
          ヲシテによれば、タマにはココロバ(良心)があります。言うなれば道徳です。「神からの原罪と罰(労働)に対する救い」により、辛うじて道徳を持てる人間と日本人は元から違います。
          後付けの人権を図1に入れるとすると、かなり抽象寄りだと言えそうです。

          私の知る限り、人権は道具として使われています。ベトナム反戦からヒッピー文化、フェミニズム、ウーマンリブ、(部落問題・同和問題)、男女同権、共同参画、BLM,LGBTQ,多様性と変化してきました。司法の武器化と同じ向きです。温暖化・気候変動も同じです。
          こうしてみると、「神と悪魔・原罪と罰・と救い」の”対”は、悪巧みに思えます。藤原直哉は「神など何とでも言える」と言います。神の背後に悪巧みの連中?がいると見てよいです。キリスト教は正しくはパウロ教です。バチカンによる悪い噂は本当でしょうか。まとめると、一神教は支配の道具。

          因みに、発見・創造はタマの働きです。(これを仏教では他力と言います。)ウ(物と事)=物質により構成される脳やAIには、発見・創造はできません。昨日観た田中英道の動画20分~で、AIはこれまでの知識の集約に過ぎないと論破されています。
          ttps://www.youtube.com/watch?v=IhTjBxQVAsc&ab_channel=%E5%92%8C%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
          ヲシテでは「ヒトハアノモノ」であり、発見・創造は「ア」から来ます。これをタマの働きによって”(情的に)わかる”のです。これを知的に言い表したのが新しい知見です。
          >言葉を尽くす事の価値
          悪巧みをする連中にとっての価値はあります。そうして、全体が抽象化していきます。最後は何が何だかわからなくなり、人類は自滅します。

          面白いことに、彼ら西洋人は対称性の中に真なるものがあると信じているように思えます。対称性を持つ繰り返しの行き着く先は抽象です。自然は、何故か完全な対称からほんの少しずれています。だから、似た繰り返しが延々と続きます。完全に対称ならば、中性子のみの宇宙になっていたはずと考えます。基本粒子は何故か3種類あります。

  3. 佐々木 のコメント:

    抽象化の意味を取り違えていたことに気付きました。ソフト開発手法としてのそれをイメージしていたのだけど、原義は抽象と捨象で示される思考手法なのね。図1の抽象は”ファンタジー”の意味だった。中には数学のように有用な抽象化手法そのものも含まれるけれども。
    「非Aの世界」というSF小説から知った”一般意味論”が、このテの話に関係してきます。

    • Φ のコメント:

      心の仕組みと働きについて、8年ほども考察して「外のない内」について多数の記事を書きましたけれども、ほとんど伝わりません。2024年1月27日『他力 と「外のない内」』に書いたように、岡潔も数学上の発見において、「(ポアンカレーが)如何なる知力の働きによるのか、誠に不思議である」と書いていることを紹介しています。
      発見・創造はソフト開発の手法とは異なります。発見は「意味づけ」より前に来ます。だから不思議で、発見は自己の責任ではないのです。ソフト開発は自己の責任です。
      非Aを調べて、思い出すのはダグラス・ホフスタッター著「ゲーデル、エッシャー、バッハ」です。この本には、発見・創造の仕組みは出てきません。外のない内は、NullでもNOPでも16進の20でもありません。asciiコードでも2バイトコードでもありません。
      岡潔「自然数の1は決してわからない」の「決してわからない」です。1を1以外の記号と対比して「意味づけ」しなければ、1は決してわかりません。知識・意識は、何を言おうと考えようと閉じています。
      そう言えば、昨日、佐川美術館で開催のエッシャー展に行ってきました。面白かったです。ttps://www.artagenda.jp/exhibition/detail/9245

      • 佐々木 のコメント:

        SF小説の非Aは、主人公が小数点20位の相似性を持ってエネルギー同調し、テレポートしたり時には肉体転移して宇宙を駆け巡る話です。小数点20位という発想が1948年からあったことが凄い。

        • Φ のコメント:

          >小数点20位
          アランが言ったE=mc^2の数式は、物と事が混ぜられています。弧理論では、極小、極大を10^20倍しても、物の量はわかりません。観測者(人間)に対して事の質である速度が大きいと物の量は次元を失うからです。これは、アランの言葉からの考察の結果です。

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