第1の心「 外のない内 」の限界について

ヒトには心が2つあります。岡潔が名付けた第1の心と第2の心です。

  1. 第1の心 意識を通し言葉で言える。私心 全部を覆っているが外へは決して出ていない
  2. 第2の心 意識を通さず言葉で言えないがしかし、情的にわかる。(何となく趣がわかる)無私の心

ヲシテ文献では、第1の心をシヰといいます。強いるのシヰ、つまり、生命維持の欲求です。言葉は互いに規定し合って成り立つ繰り返し、循環であり、ネットワークでした。「全部を覆っているが外へ出てない」という奇妙な言い回しを 外のない内 と言います。

図1 第1の心は、循環であり、ネットワーク 外のない内

ヒトが持つ心の本体は第2の心であり、ヲシテ文献では心の本体をタマと呼びます。これが2つの心、タマシヰです。

第1の心は、言葉の特性のとおり 外のない内 です。このことをおわかりの方は、ほぼ皆無です。外のない内である第1の心の限界について、議論されている動画がありましたので貼っておきます。とても大事な内容を含んでいます。

動画1 啓蒙主義とプロテスタント/ジェイソン・モーガン先生に聞く01

余談です。7:00~ 話の中に出てくるFBIについて、関連する過去記事です。FBIもCIAも本当に偏っていますし、秘密警察だと感じます。

啓蒙主義や保守主義などの話は、とても参考になります。

中でも面白いのは、「啓蒙主義は地獄から来ている」とのこと、「悪魔にそそのかされ、果実を食べて理性ができた」とのことです。聖書には、理性は悪だという設定があると言うことです。

タマシヰのシヰ(第1の心)に付随する言葉より理性は出てきます。同時にこの欲求により、2つの心の乖離につながります。知識は次第に複雑化し、知識の全体が抽象化します。なぜならば、知識の元である言葉は、繰り返し循環だからです。これがもとで、人類の自滅へ至るであろうことは、これまでの考察によりわかっています。生命維持の欲求に際限が無いからです。

管理人の考察の結果(2つの心の乖離から自滅へ)と、茂木氏の議論(理性への懐疑)は同じです。ただ、言葉が持つ性質からの考察ですから、「聖書に理性は悪」というより、筋が通っていると思います。サイト内に原罪にかかる記事が9件あります。

面白です。次の動画も貼っておきます。

動画2 伝統保守とリバタリアン/ジェイソン・モーガン先生に聞く02

モーガン氏「人情、情け、他者への共感。」

 

動画3 米国人とは何か? キリスト教とフロンティア/ジェイソン・モーガン先生に聞く03

 

お二人とも理性が持つ限界について議論しておられ第1の心の限界「外のない内」を何となく感じておられるように思います。それにしても、心が2つあることをご存じないようです。

 

動画4 #409 共産主義のバイブル資本論は読む必要なし!

 

動画5 【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第1回「民族無き世界を目指す2つのグローバリズム~ロスチャイルド家とカール・マルクスの繋がり」[桜R3/4/17]

 

追記11/29 動画3の続きです。

動画5 ウォール街vs真のアメリカ人/ジェイソン・モーガン先生に聞く04

 

動画6 【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第20回「第二のマーヴェリック登場はアメリカ内戦革命の下準備なのか?新世界秩序と決別した元祖マーヴェリックの反逆」[桜R4/11/19]

 

追記11/30 動画5の続きです。

動画7 影響された本、おすすめ本/ジェイソン・モーガン先生に聞く05

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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