「わかる」物や事を慎重に取り除いていったら 精神科学 が残る

昨年までに3つの科学:ミクサタカラの内、タマ: 精神科学 とカガミ:弧理論による社会科学の根幹は「わかった」と書いてきました。残りはツルギ:物質科学だけだと考えてきました。

しかし、前回の記事で突然、岡潔が求めていたのは信仰によらない宗教だと気(キ)付きました。本当に意外でした。岡潔は、慎重に、慎重に考えた結果を簡潔な言葉で軽く述べています。明らかに説明不足です。

これまでについて、考えてみれば慎重にわかっている物や事を取り除いていくという考察でした。例えば、第1の心です。第1の心は、ヲシテ文献のタマシヰの内、シヰに相当します。シヰは岡潔による私わたくしという心です。即ち、生命維持の欲求です。第1の心の特性は、言葉で言えるということです。言葉は互いに規定し合うことにより成り立つ循環であり、ネットワークで、外のない内です。

で、第1の心(シヰ)を取り除くと第2の心が残ります。これがヲシテ文献のタマです。タマは心の本体であり、岡潔の云う「情の働きによる心」です。情は大宇宙の中心であり、わかつべからざる全体であるといいます。2つの心は、ヲシテ文献のタマシヰに同じです。では、この2つの心は、どこから来るのかが問題です。

岡潔の2つの言葉が考察の出発点になります。

  1. 本当に実在しているのは心だけである。自然は心があるために映写される映像に過ぎない。
  2. 空間は量的に質的にありません。

弧理論の核心は、物質的自然は別の次元軸からの投影による映像だという仮説です。その仕組みから「境界空間」という仮説を出しました。そのためには、別の次元軸上に中心が2つ存在するはずだとの結論に至りました。ヲシテ文献では、2つの中心を「ア」と「ワ」といいます。そして、アとワは(境界)空間をもたらし、ヒトを生じさせます。これがヲシテ文献のカミの定義です。

「ア」と「ワ」はつながり、「ウ」をもたらし、「ウ」よりヒトを生じさせる。ヒトハアノモノ。

ウとはウズ(渦)のウであり、銀河系、恒星系であり、原子の渦(物質)です。肝心なのは、「ア」とはワではない何かであり、「ワ」とはアではない何かです。つまり、「ア」も「ワ」も互いに規定し合うことにより成り立つ何かであって、それが何か決してわからないのです。

まとめると、次になります。

別の次元軸上にある2つの中心が「ア」と「ワ」であり、2つは決して交わりません。ヒトは、「ア」と「ワ」がつながることで、「ウ」がもたらされます。ヒトは「ウ」、即ち(境界)空間と、それに伴う物質から生じさせられるということです。だから、物質であるヒトは「ア」のものなのです。合理的に在るとわかっているけれども、アが何だか決してわからないということです。図にすると次になります。

図1

図左のM軸部分を取り出したのが次図です。

図2 弧理論による原子模型

在るとわかってはいるが、決してわからない何かを受け入れるしかありません。これは明らかに宗教と呼べるものです。しかし、この考え方は、わかっている物や事を合理的に削除して行き、結果、行き着いた科学と呼べるものです。これは管理人が求めてきた精神科学です。

第1の心の特性として、第1の心は物質的自然のすべてを覆っていますが、しかし、外へは一切出ていません。これが第1の心の限界です。意識を通さず言葉で言えない”何か”ですから当たり前です。だから物質的自然(時間・空間というモデル)を還元主義と唯物主義により探求しても何も説明し得ないのです。言葉は互いに規定し合うことにより成り立つ循環・ループ・ネットワークだからです。

心の仕組みと働きを別の次元軸上に求めるのです。そうすれば、この循環を回避して、科学の探究を続けることができます。つまり、人類は今後、妄信ではない、信仰ではない宗教とでも言える営みを続けられます。これが精神科学の核心です。

 

話を戻して、第1の心の特性である循環・ループ・ネットワークは、何をもたらすかという話です。還元主義と唯物主義のメリットとデメリットです。

言わずもがな、還元主義と唯物主義は、科学の発達に不可欠です。しかし、第1の心は、終わりのない結論の出ない循環であることに変わりがありません。その理論はやがて抽象へと向かいます。現在の物理学の趨勢は既に抽象の域に入っています。実験で確かめることが不可能な理論は抽象に過ぎません。一番の問題は、2つの心が乖離する点にあります。やがて人々は本質(具体)から離れてしまいます。現在の情勢は仮想の何か(ex.仮想通貨)に追われていることはおわかりでしょう。唯物主義(→共産主義=非宗教という宗教)という考え方は不健康です。

際限のない思考の循環により、人の大脳は麻痺して、やがて古い皮質にある動物的衝動を抑えられなくなってきます。その結果が、小児性愛や虐殺、悪魔崇拝のようです。高学歴で知的でありながら、隠してこのような行為に至るようです。もの凄く気味悪いです。皆がこのような人物に従っていると人類は滅びてしまいます。何処の誰かは特定できませんけれども、人口の9割、90%は不要だと考えているようです。人口を10%にしたい連中が存在するようです。

 

論理的に突き詰めていったら、人の心は「アとワという互いに規定し合うことにより成り立つ決してわからない何かから来ていることがわかった。」ということです。ですから、「兎に角、信じなさい。」という妄信と決定的に異なります。その何かは、言葉で表現できない何かです。それは2つあり、仮に「ア」と「ワ」と名付けていますが、あくまでも仮です。「ア」という呼び名もヲシテ文献にあるアメノミヲヤも仮の呼び名であって、それを言い表すことは論理的に不可能です。弧理論による社会科学は、2つの心が乖離するのを回避して心の平安を維持します。そして、物質科学を求め続けることを可能にします。自然科学が行き詰まる現在、次なる文明の根幹に精神科学と弧理論による社会科学は必要だと感じます。

説明の足りない部分があります。気になる語句は右、検索欄にて調べてくださいますようお願いします。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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