自然 とはどのようなものか 3つの側面

これまで数学者岡潔の言葉を基に自然科学の問題点について考察してきました。岡潔は自然科学について、次のように述べています。「【1】 このままでは人類は滅びる」を参照ください。

自然科学というものは、自然とはどういうものかということを言わないで、自然というのはわかり切っていると一人決めにしている。そして、これについて科学した結果を集めたものです。だから、かようなものは学問とはいえません。これは単なる思想です。

自然科学者にとって、「自然とはわかりきったもの」として、これを科学したものの寄せ集めだと云うことです。だから、それぞれ分野に細分化されて専門家がいます。

では、自然とはどのようなものでしょうか。 その前に、現在の科学の分類を見てみます。ご存知の通り大きく分けて3つにわかれています。図を2例あげます。

図1 出典:サルでも分かる人文科学/社会科学/自然科学の見分け方(分割図つき)

図2 出典:公衆衛生学とは何ぞや

人文科学、自然科学と社会科学の3つです。この3つの科学は岡潔によれば、「科学者各人がめいめいに(自然とはこういうものだ)と考えて(決めつけて)、これについて科学したものを寄せ集めたもの」です。「だから、かようなものは学問とは云えない」のです。 現に、何か事がある度に様々な専門家が登場し解説します。こんな専門家がいるのかと驚くことがあります。 何より、各分野の境界に放置されたことが幾つか存在することがわかってきました。(ジェット気流など幾つかありますが、ここでは割愛します。)

科学体系の分類は後から(次第に)作られたものだと推測します。

 

いつも引用するある科学者は、科学は3つの分野にわけられるとしました。

(1)肉体あるいは物質の科学で人間の肉体や彼が住んでいる物理空間の自然の必要性と要求を処理する分野だ。この中には、生活・安楽・安全等に必要な物資を際限なく作り出す研究はもとより、物理・化学・天文学等の主要なものがこの分野に入っている。

(2)人間関係や、その関係がよりうまく、生産的に、しかも耐えていけるような方法を処理する社会科学である。この中には社会・政治・精神分析学それに経済学の非物質的な部分などが入っている。

(3)精神科学で、人間と君たちが神といっているすべての自然にあまねく浸透し、制御する偉大なる創造のカと無限の英知との間の関係を処理する分野だ。

宇宙における科学のすべて、真実の探求と理解の追求のすべては、この三つの分野の中に入るんだ。もちろん、この三つの分野の間には明確な分離線は引けない。お互いにラップしているからだが、しかし、それらを支配する基本的な法則は全く同じものなんだ。宇宙において文明が完全にしかも成功して発展するならば、進歩のこの三つの支流に同程度の努力と勤勉さがなされなければならない。しかしながら、まず精神科学と社会科学が出てくる。その二つの基礎がなければ物質科学の発達はありえないんだ。

(1)は物質科学で、(2)は社会科学で、(3)は精神科学といいます。大切なのはこの3つの分野に同程度の努力と勤勉さがなければならないことです。彼の説明によれば、基礎は精神科学と社会科学だと云います。

図3

つまり、精神科学と社会科学の基礎があって初めて物質科学の発達はありえるのです。 図1図2と見比べると随分と様子が違います。

ところで、これまでの考察により自然科学の間違っている点がはっきりして、自然科学に限界があるとわかりました。では、これからどうすればよいかというのが課題です。

 

管理人の研究の経緯は次のようでした。

  1. 電磁気現象が別の次元軸に原因があるのではないかとの疑問。(G・アダムスキーのネガにある紡錘図形が事の発端)
  2. 電気と磁気は90度位相がずれて現れる。触れることも見ることもできないが、何か在る
  3. だから、電気と磁気の現象は、別の次元軸にある何かの別々の側面を見ているに違いない。
  4. 考察の結果、発散トーラスのアイディアに至る。渦有りでありながら発散ありで、かつ単極であるという場。
  5. 主に単極誘導モーターの力学特性について確かめる。回転させる機構を持たない単極誘導の現象は宇宙の本質に深く関わると自覚。(物質科学の根幹)
  6. どうも空間は複数の発散トーラスの組み合わせ(楕円磁場)によりできているらしいことに至る。
  7. 数学者岡潔の言葉により自然科学に問題があるとわかる。考察を開始。
  8. 同時期に、日本には漢字伝来以前に日本固有の文字があることを知る。勉強を始める。
  9. 2016年末、縄文哲学(ヲシテ哲学)の核である「カミ」の語句と紡錘図形の意味が同じであると気付く。宇宙の中心は「ア」と「ワ」の2つあり、これが母性と父性の根源らしい。どうも物や事における二面性はここから出てきているようだ。(精神科学の根幹)
  10. 楕円磁場も根源は同じ。
  11. 自然科学には問題があり、限界に達している。抽象的に複雑すぎて、既に衰退の域に入っている。
  12. 自然は、互いに規定し合って成り立っていることをさとる。物質的自然、言語、数学も同じ。
  13. つまり、万物は基本粒子(陽子・中性子・電子)をピースとしたパズルのようなもの。
  14. パズルから見てピースは何なのかを説明できない。原因は物質的自然には無いことがわかる。
  15. ピース(基本粒子)は別の次元軸からの投影による映像だとするならば、物の原因はそこに在る。
  16. 物質的自然は、基本粒子により成り立っており、全部一緒。互いに規定し合っており、原因は別の次元軸にある。
  17. だから、物や事の内、「事」についての科学は基本粒子の成り立ち(別の次元軸)から科学すべき。(社会科学の根幹)

研究を時系列で見ますと、物質科学、精神科学の順でわかり、そして本年、社会科学の種ともいうべきことが朧気ながらわかってきました。

3つの科学は、科学の発達の歴史(何となくわけて積み上げた歴史)と比較するとまるで違います。同じ文言である社会科学も中身はまるで違います。物や事という分類を用いて3つの科学を比較してみます。

  1. 人と人
  2. 人と物
  3. 人と事
  4. 物と物
  5. 事と事

1.人と人の関係は社会科学だろうと考えます。2.人と物の関係は物質科学でしょう。3.人と事の関係は社会科学だろうと考えます。4.物と物の関係は観測者である人があって成り立ちますから、物質科学だと考えられます。 そして、人を含む物の成り立ち(原因)は物質的自然には無くて別の次元軸からの投影による映像と考えますから、精神科学です。これは2.人と物の関係になろうかと考えます。

分類は曖昧です。何故ならある科学者が云うように「三つの分野の間には明確な分離線は引けない。お互いにラップしているから」です。

因みに、これまでの考察により、自然科学は「3.人と事」に入ります。物の理ことわりを科学するのが物理学ですけれども、我々パズルである人にとってピースである基本粒子(陽子・中性子・電子)が何であるかの説明はできません。電子とは何かと問われて、「電子とは陽子中性子以外の物」と答えても意味はありません。ましてや「電子は電子だ」ではバカです。※注 以上のように、自然科学はあくまで「事や出来事の理ことわりを科学したのです。ですから物理学は正確には事理学です。

 

※注:過去に匙さじとスプーンの例え話を何度か出しました。(過去記事を「スプーン」で検索してください。)匙が何であるかをわかるのは見えているからですけれども、本当は岡潔が云った「何となく趣おもむきわかる(情じょう)」による「わかる」なのです。「わけることによりわかる」という要素還元主義による「わかる」は人の本質ではありません。だから脳を真似た人工知能は脳と同じ「わかる」機能があるのですが、人の「わかる」には2種類あるということです。これが人工知能と人との違いです。

  1. 物や事のわけることによりわかる ・・・ 要素還元主義
  2. 物や事の何となく趣おもむきわかる ・・・ 情

岡潔はの機能を脳の部位に求めましたけれども、管理人は完全には同意しません。1.は人の脳と人工知能に備わっています。要素はブラックボックス(脳神経やニューロン)のまま実現できます。プラス人には2.が備わっています。本当のわかるは2.です。岡潔は1.を第1の心、2.を第2の心と呼びました。岡潔講演録から(2)岡潔「2つの心」の解説をお読みください。

追記11/16 岡潔は「情・知・意」の順に働くと云いました。知識を言葉として言い表せる段階は既に「知・意」です。ですから要素還元主義は「知・意」の段階です。「【6】 情の属性」を参照ください。

 

もう一度研究の時系列を振り返りますと、物質科学→精神科学の順に次いで、今回社会科学の種とでもいうものに辿り着きました。 これを例えて次のように云います。

図4

サイコロは6面からできています。1の裏が6です。2の裏が5です。3の裏が4です。表裏合わせて常に7です。

写真1

物質科学と精神科学に気付いてわかったことは、自然は互いに補完しているということです。ですから、2つの科学に気付いたことによって、社会科学の何たるかがわかってきたのです。

一度にサイコロの1面しか見ることはできません。けれども、何度か試している内にサイコロの本質に気付くのです。 現象を「人と物と事」にわけて考える様になりました。これの切っ掛けは本居宣長による「もののあはれ」について調べてからです。ホツマツタヱの一文「アワレエダ」についてサイト内検索ください。参考:第九回「もののあはれ」の巻

ある科学者が云ったように「まず精神科学と社会科学がでてくる」というのと順序は違いましたけれども、何とか3つの科学(精神科学・社会科学・物質科学)の種とも云える何がが出そろったようです。

 

G・アダムスキーが遺したネガにあった紡錘図形ヲシテ(縄文)哲学の骨子の同一性について補足します。

写真2

紡錘図形に補助線を入れます。

図5

この図は拙著弧電磁気論に用いたので2011年に描きました。2016年8月から年末にかけて、ヲシテ文献に記されたヲシテ(縄文)哲学の核心部分である「カミ」の意味がわかりました。  カミとは、「繋がり・齎もたらし・生じさせる」 でした。フトマニ図の中央にある「ア・ウ・ワ」と組み合わせます。2016年11月8日「縄文哲学の「カミ」と弧(Ark)の関係について」を参照ください。

図6 出典:フトマニ×モトアケ

二つをつなげますと『カミ』とは、

「ア」と「ワ」は、つながり、「ウ」をもたらし、「ウ」よりヒトを生じさせる。「ヒトハ アノモノ」であり、「ヒトハ ウナリ」。

となります。 これが、図5の全体を描いた図とほぼ同一だと気付きます。

図7 2つの中心からの円の重なり部分「ウ」が弧理論による紡錘図形(原子模型:基本粒子)

まとめますと次になります。

自然現象である電磁気現象が別の次元軸に原因(紡錘図形)があると考えて考察を続け、物(基本粒子)の原因は別の次元軸にあると考えました。これが物質科学の原点です。 次いで、別の次元軸の大本の図形と古代縄文時代にあったカミの仕組みが同じだと気付きます。そして、今年、物質の成り立ちがパズルと同じだと理解したことにより、社会科学の種ともいうべきものに行き当たったということです。

場当たり的に科学して、寄せ集めたものとは随分違います。最も大きな違いは仕組みの中に自身が入っているということです。これが精神科学です。

自然科学の物質的自然は 自然 のごく一部に過ぎません。物の何たるかを知るには別の次元軸を考える以外にあり得ません。人類の持つ科学では事の理ことわり(関係性)はわかっても、物とは何かを知ることはできません。「電子は電子だ」という人はバカです。岡潔が云った原始人的無知とはそういうことです。

 

Φ について

2010年より研究しています。
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