物理学は「物の理」を科学するはずが、時間を用いることで「事の理」を科学している

物理学 は、物の理ことわりを科学します。物の理を科学するから 物理学 です。 人の五感でわかるのは物や事です。物と事とは次の通りです。

  1. 物・・・人の五感でわかるを持つ物質のこと。質量と位置を持つ。質量は重力のもとでは重さに等しい。物の位置と位置の隔たりが長さ(距離)。面積や体積を持つ。位置の変位を運動という。ここでは「具体」と呼ぶ。
  2. 事あるいは事柄・・・人と物あるいは物と物の関係、関連、リレーションシップあるいは出来事(イベント:時の過去)のこと。ここでは「抽象」と呼ぶ。

数学者岡潔の言葉を手がかりに考察すると、自然科学における時間は「物」ではなく、「事」であるとわかりました。注:過去記事『角度 は「量」ではない 角度から作る時間は物理量ではない』と「1.時間とは何か」並びに『【2】自然科学者の時間空間』を参照ください。 つまり、物理学を含めた自然科学は、時間を用いることによって「事あるいは出来事」について科学したものだということです。 要するに 物理学 は「事の理ことわり」を科学したものです。物理学は「物」とは何かを科学していないということです。

 

以下は「1.物と2.事」についての説明です。

1.物はほとんどの場合において均質ではありませんし、五感でわかる重さや大きさも目分量です。そこで、長さや重さの変わらない物(均質な金属等)に刻み目を入れて文字(数字)を入れたモノサシを基準にします。これと比較することにより、確からしい大きさ(長さ・面積・体積)を出します。質量も同じ方法を用います。これが物理量です。 ただし、目分量を「」に置き換えた段階で最初の抽象化が入りますので注意が必要です。

写真1

例えば、長さを求める場合については以下です。

白紙を用いて位置AとBを記します。AとBの隔たりが長さです。この段階では目分量です。

写真2

基準となるモノサシを当てて、数に置き換えます。数の元となるのがメートル原器です。

写真3

これでAB間の距離は「5」だとわかります。基準はメートルですので、AB間の長さは5cmだとわかります。 注意として「物(具体)」は紙に記したAとBであって、5cmと読んだ段階で既に抽象化されています。白い紙は概ね均質ですから問題はありません。これが前々回の記事に示したチーズケーキの場合ではとても均質とは云えなくなります。

写真4 ACの区分内にあるブルーベリーが明らかに少ないし、重さを含めて内部も不明

五感において目分量な確からしいに置き換えた段階で抽象化していることがわかります。長さだけでなく面積や体積も同じです。抽象化が入ります。 繰り返すと、五感でわかる目分量を「数+単位」で何cmと正確に出した段階で抽象化しているということです。 「物」はチーズケーキであって、フルーツ等が入っているのでケーキは均質でありません。重さや体積は既に抽象化された「数+単位」でしかありません。 当たり前のことですハイ

これまでにわかっていること。

物質を構成する基本粒子(陽子・中性子・電子)ととの関係は。ピースパズルの関係に相当します。注:当サイトではピース(基本粒子)未満である素粒子をピースと認めません。なぜなら素粒子を重ねても物の性質(元素の物性など)の説明ができないからです。

写真5 人形と左下にあるピースの破片とは関係がない

また、パズルから見て、ピースとは何かを説明できません。例えばピースが白黒の2種類あるとして、白のピースは何かと問われて、黒でないピースと答えても無意味です。ですからパズルに相当するの本質は基本粒子にはありません。 勿論、素粒子群にもないことは明らかです。 我々自身の原因は、どこにも無いということです。 弧理論はこのピース(基本粒子)が別の次元軸からの投影による映像だという仮説理論です。それ以外に考えようがありません。

 

2.「事」とは人と物あるいは物と物の関係、関連、リレーションシップあるいは出来事(イベント)をいいます。 人の五感でわかる(複数の)物がどういった関係にあるかということです。言葉や数字で表せる関係はすでに抽象化した知識や情報です。データと云ってもよいです。 リレーションシップという言葉からわかるように知識あるいは情報とそれらの構造(一対一 一対多など)を併せたのがコンピュータで扱うデータベースです。

写真3の続きです。ABを通る直線について考えます。

写真4

AB間に任意の点Oをとります。点Oを通る直線CDを引きます。すると角かどができます。角は目分量ですから、これくらいとしかわかりません。

写真5

直線ABと直線CDのなす∠DOBの角度を基準となるモノサシ(分度器)で測ります。

写真6

写真5の場合は40度でした。(ここでも抽象化が入ります。)

前回までに記しましたように、時間は天体の運行(運動)から作ります。

図1

その際に用いるのが角度です。

写真7 携帯型の日時計

で、角度は物(具体)ではありません。「事」の内の出来事(イベント:時の過去)=「天体(太陽)の運行」です。つまり、時間は物の運動から作ったのであって、運動そのものではありません。角度の変化を基準となるモノサシを用いて数に置き換えた抽象です。この場合の基準は「太陽の運行(運動)」です。基準は、時代とともに変化して現在ではセシウム原子の運動を用います。 正確には「太陽と自転運動する地球との関係」によりできる太陽光の角です。

結局、時間を用いた 物理学 を含めた自然科学は「事の理ことわり」を科学したものですし、上記の通り「物の本質」について一切の説明はしていません。説明することは不可能です。原因は別の次元軸上にあると仮説します。

 

以上です。

長かったです。これで時間とは何かを説明し終わったようです。

  1. 観念としての時間
  2. 物理的な時間

本記事は2.物理的な時間について説明しました。管理人は物理時間と呼ばず物理的な時間と呼んでいます。時間は物理風味でして、物理ではありません「物の量」から離れた「事」ですから。 過去記事「角度 は「量」ではない 角度から作る時間は物理量ではない」を参照ください。


写真4には続きがあります。

写真4 再掲

AB間に注目します。あるいは観測者が×の位置に立ってもよいです。すると注目点(×)からAは、Bはとなります。これは方向です。ここから3組の方向ができます。上下、左右、前後です。方向もまた、それが何なのかを説明することはできません。右は左の反対としか云えません。 天体の運行から方向のほかに方位、方角(東西南北)ができます。そのほか派生して様々な概念が生じます。これらは皆、「2.事」です。地獄・極楽・天国や善悪を含めて「事:抽象」であることは云うまでもありません。これらの事は空間の性質から出てきているようです。調べている内にほとんどの事は相対的であると感じます。これも別の次元軸を考える理由です。


やっと終わった感があります。それでも、どこかモヤッとするのは、「五感でわからないものはないとしか思えない」人に伝えることが困難だからでしょう。観念としての時間が理解しにくいからかも知れません。 まだ、他にもあるのか。 素粒子は物質未満という説明を納得してもらうのは難しいです。もやもやの原因はこれかも知れません。

ついでながら、岡潔は自然科学について次のように述べています。「【1】 このままでは人類は滅びる」より引用します。

今は間違った思想の洪水です。世界は間違った思想の洪水です。これから逃れなければ人類は滅びてしまう。

大体、自然科学というものは、自然とはどういうものかということを言わないで、自然というのはわかり切っていると一人決めにしている。そして、これについて科学した結果を集めたものです。

だから、かようなものは学問とはいえません。これは単なる思想です。

岡潔は、「自然科学は思想であって学問ではない」と述べています。管理人の結論は、自然を理解するには別の次元軸を考える以外に方法は無いと考えます。意識を通してわかるものの全てが互いに規定し合っているのですから、そこに原因はありません。 まあ唯物主義の人たちには、タマネギの皮をむくように際限なく探求される訳で、行き着く先は心の病みだと断言できます。※「宇宙の真理を探究するに最適な道具は数学だという。ならば何故、数学の難問に挑むとを病むのだろうか?」を参照ください。 だからそのような思想の元において人類は滅びてしまうのです。  限界が見えてきたのですから、別の方策を考えるべきです。

そういえば、岡潔は「【 4】 自然科学と生命現象」において、次のように述べています。

自然のできるだけ簡単な模型を考えて、その中を科学するということは、知ってやってるのだとすれば確かに一つの研究方法に違いない。知らずにやってるんですけど、それでもある結果は出るだろう。そうは思います。しかし、こういう簡単な模型の中だけを調べたのでは、わかるものは物質現象だけで、生命現象はとてもわからないのではあるまいかと、こういう疑いが起こります。それで自然科学に聞いてみましょう。

人は生きている。だから見ようと思えば見える。何故であるか。自然科学はこれに対して本質的なことは一言も答えない。

余計なことはいっています。視覚器官とか視覚中枢とかいうものがあって、そこに故障があったら見えないという。故障がなかったら何故見えるかは答えない。だから本質的なことは何一つ答えられないのです。

自然科学は「それでもある結果は出るだろう」と述べました。これはたぶん「事の関係性がわかる」ということのようです。それ以外に自然科学は「本質的なことは何一つ答えられない」のです。物理学は、物の理ではなくて、「事の理」を科学したからにほかなりません。

今気付いたこと。岡潔の云った間違った思想の洪水とは、管理人の嫌いな「言葉遊び」に違いありません。複雑で抽象的な概念を以て、人を論破するには(本当の意味ではわかっていない)自身の心を誤魔化すしかありません。だから病むのではないかろうか。 物理が好きなのに物理学が面白くない原因になっているようです。余りに抽象に過ぎます。

 

近頃、より簡単に考えようとして辿り着きました。岡潔は如何に単純に考えていたかを納得しました。「自然数の 1 は決してわからない」や「数は量のかげ」など実に興味深いです。当サイトで何度も取り上げましたし、管理人も同じ考えに辿り着きました。「【6】 数学の使えない世界」を参照ください。 最初は難しく考えていましたけれど、本当は簡単なのだと理解できました。


余談です。物の量ではなく出来事(イベント:時の過去)の抽象でありながらを扱うのがお金です。 金融資本家や投資家は、数(お金)を見ていません。投資家は物の真の価値を見て売買します。その結果が株価や為替です。株価や為替の相場は結果に過ぎません。多くの商材や技術がありますけども、株価や為替は時の過去ですから、あたるわけがありません。 大多数の人が余りにも抽象化に慣れすぎています。直ぐに計算します。もっとじっくり考えるべきだと思います。


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Φ について

2010年より研究しています。
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