岡潔「 数は量のかげ 」 数には量に応じた単位が付く  しかしお金と時間には、「単位」が付くけど「量」の裏付けが無い

本日の大根一本の値段は157円です。(ネットスーパー調べ) 重さや長さは【g】や【cm】といった単位を持ちます。 大根は社会的要因(需要と供給)によって値段が変動します。 主要な通貨「円・米ドル」などは、不換紙幣です。 つまり、お金は単位を持っていますが、「量」の裏付けはありません。 ですから、「量」たる大根お金(値段)は一対一の関係にありません。 つまり、量に対してお金は伸び縮みします。

 

時間は作るものです。時計は、

国鉄標準型時計

機械装置の運動を回転に変えて盤の中心の針を動かします。盤面を30度ずつ区切り、数字を割り当てます。針の位置(角度)を数に置き換えたのが時間です。時計という機械装置の運動と直接の関係はありません

例えば「10時」に対応する「量」をイメージすることはできません。量や嵩は、人の五感でわかるものでなければなりません。 つまり、時間は【年月日時分秒】という単位を持っていますが、対応する「量」が無いということです。五感でわかるのは、針や内部機構の運動だけです。

GIF1

上記のお金の話と対応させることによりわかるのは、時間は人の都合によって伸び縮みするのではないか?ということです。 いろいろ考えた結果、

表1

の右端と左端においては、運動は時間に比例していないだろうということでした。

表1の右端は、宇宙の大きさ(距離)を時間を用いた光年で表しています。  表1の中程、人間(10m)付近にいる観測者は、手元にある機械装置(時計)によって時間を作ります。 そして、表1の右端の光年に適用しています。  また左端の素粒子の質量はGeV/cとして表しています。 このときcは光速度であって、同じく観測者の手元で作った時間を左端の質量に適用しています。 観測者の手元において作った時間を両端(人に対して光速域の現象)に適用しているということです。 不思議なことに人の五感でわかる範囲(赤い括弧)の外側の部分と重なります。

管理人は、時間を基本物理量として扱うことはできないと結論します。時間は量に対応していないからです。

 

時間について調べる切っ掛けとなったのが、 the-manuscript-of-survival-part-68日本語文にある一文です。 原文は2012年1月でして、翻訳文を読んだのはその頃です。一部を抜き出しますと

物理学の聖杯探しには、正当な理由もなく、多額のお金がつぎこまれてきました。実際のところ、それは、非常に多くの賢い頭脳を間違った方向に向けさせている、上手に組み立てた誤魔化しのプロェクトなのです。

 

写真1

表2

素粒子加速器の実験に莫大な費用と人材を投入しており、この実験そのものが誤魔化しであると指摘しています。その本質が何処にあるかを調べだしたのが事の発端でした。 ※ミヒャエル・エンデのモモなどを引用しつつかなりの記事を書いています。「時間」について右側にあるサイト内検索を使ってお読みください。

そして、行き着いたのが、数学者岡潔の言葉「自然科学者の時間空間」でした。一部を引用します。

 時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。空間とは大分違う。
人は時間の中なんかに住んでやしない。時の中に住んでいる。
時には現在、過去、未来があります。各々、全く性質が違うんです。それ以外、いろいろありますが、時について一番深く考えたのは道元禅師です。
が、その時の属性のうちに、時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。その一つの性質を取り出して、そうして観念化したものが時間です。非常に問題になる。

下線は管理人による。 最初の頃は文の後半について考えましたけれど、考察の最終的には、作られた時間と観測対称の運動が比例関係にあるかどうかが問題でした。その答えが上記です。 お金も時間も人の生活の中心にありますけれど、いずれもその本質は「巧妙な仕組みの内に隠されている」と感じます。

かなりの年月に渡ってお金と時間について考えてきましたけれども、本記事が一応の結論です。ですから岡潔が指摘したように自然科学は間違っていると云わざるを得ません。自然科学はどう見ても近似です。

 

追記 今では20円チロルチョコ。

写真2 出典:こちら

かつて10円だったチロルチョコ。10円と云えば

写真3 出典:こちら

にある平等院の鳳凰堂(ほうおうどう)ですが、今では当たり前にネットバンクや電子マネーを使っています。 10円として思い浮かべるのは、写真3の様な丸い金属板ですけれど、本質は写真3にありません。 「10円」というお金そのものには、対応する「量」や「嵩」はありません。 通貨は今や発行すらしなくて、を端末に入力するだけです。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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