文明は「シル_知る」より始まる

メディアの発達で情報が氾濫しています。特に十数年来インターネットが普及してからというもの、あまりにも多くの情報(知識)に我々の感性は埋没しています。  文明の起こりの時分に、人々に「情報」はありませんでした。 では、文明は何より始まるのでしょうか。 人々が原始的な生活を営んでいたことを「ホツマツタエ」には

クニトコタチノ カミトナル
コレヨリサキハ アメツチノ
ナリテアレマス ミナカヌシ
フソヨニウメル タミクサノ
アナニスマエバ ヒトナラズ

とあります。こちらより引用。「穴に住んでいる時代は人ではない」ということです。そして彼らが森の木々を杉や檜、松や樫の木と「分けて」も竪穴式住居に至ることはありません。 木を倒し根っこを起こして地面をならし、穴を掘って柱を建てて梁を渡して、茅や枝葉で屋根となすには「シル_知る」しかありません。

現代においては、生活に必要なモノや情報は豊富であって「シル_知る」を使う必要はありません。教育は知識・情報を詰め込むことが主です。つまり情報を「分けて」「分かる」から、それらをただ覚える事に専念します。試験で高得点を得るにはそうするしかありません。 ほとんどの人が生まれてから分析・分類することしか教わっていないのです。

想念は伝わります。縄文時代の人は「アナニスマエバ ヒトナラズ」の状態から「シル_知る」ことにより言葉をなおし、建物を建て、木の実のなる樹木を栽培して備蓄する術を身につけたのです。 それ故、縄文時代の人々は「分ける」ことにより「分かる:理解する」より遙かに高度な縄文哲学に至ったのだろうと考えます。

分けることにより「分かる」は、五感で分かる事象が対象です。今やこの文明は、肉体に備わった五感により「分かる」の限界に達しています。

五感でわかるスケール

天体望遠鏡や顕微鏡あるいは素粒子加速器で拡大することにより、極大・極微の現象を五感で分かる範囲へ引き寄せていますが、限界にきています。(五感の地平線)

数学者岡潔は講演【9】幼な児の世界で次のように述べています。

 ともかく、生きるということは生き生きすることです。それがどういうことであるか見たければ幼な児を見れば良い。情は濁ってはいけない。また情緒は豊かでなければいけない。
教育はそれを第一の目標とすべきです。でなければ知はよく働かない。意志も有り得ない。意志というのは知が描いた地図の上に、この道を歩こうと決めるようなものだから、地図がぼんやりしていれば意志もぼんやりしてしまう。だから情、知、意の順にうまく行かないのです。その基は情です。 (下線は管理人による)

縄文哲学によれば人の心は次によります。

ココロバ  ミヤビ(アワレエダ ナサケエダ)  シヰ

ココロバは真心あるいは良心です。ミヤビはアワレとナサケに分けられます。シヰは生命維持の欲求です。(ホツマ辞典:池田満著:展望社、p226ヰクラムワタヲの構成 表1を参考にしました。)

恐らくミヤビのナサケエダが岡潔のいう「情」に近いものだと思われます。そしてココロバとミヤビによる心の働きを象徴するのがミクサタカラ「タマ、カガミ、ツルギ」の内のカガミです。  いつも引用するある科学者のいう3つの科学「精神科学、社会科学、物質科学」の社会科学に相当します。社会科学=カガミであり、その内のミヤビのナサケエダ(=)が大事だということです。 岡潔は「情は濁ってはいけない」といいました。  ナサケエダは欲シヰ欲シヰのシヰ(物欲・地位名誉欲・金銭欲等)より影響を受けて濁ります。同時にココロバの良心からも影響を受けます。こうして情が濁らず発動することにより、「知」を得て意志を正しく働くのでしょう。

上記のように「知」、知識・情報の取得を「分ける」による「分かる」という手法に頼るには限界が来ています。 情、知、意の順にうまく働くには情が大事なのです。 精神科学と社会科学が基礎になります。 これを象徴するのがミクサタカラのタマとカガミなのです。

幼な児に「ハッ」と物心がついて成長を始めるに上記のような過程があるようです。 これは脳科学でいわれる「アハ体験」に近いものです。アハ体験の本当の意味とはを参照ください。

管理人が繰り返し述べてきました「シラス・ウシハク」の「シル」は、領有を意味する「シル:領る」ではなくて「シル:知る」であるという主張は、ここに完結しています。 ホツマツタエにある「ネコヱ」が想念であろうということと「想念は伝わる」ということの意味がここにあります。

知識あるいは情報を蓄えるには僅かばかりのエネルギーが必要です。例えばフラッシュメモリは、半導体に電子を封入することにより記録できます。これにエネルギーが必要です。 しかしこれまでの考察により時間[T]を含む物理量は使えません。 弧理論の考え方によれば時間を含まない真のエネルギーは3次元物理空間(M軸)とは別の次元、E軸上に在るとしています。 3次元物理空間を一次元の横軸とし、縦軸にE軸を持つ2次元平面とすると

物質(結果)に実体(原因)

図のようになります。 E軸上の実体が持つ真のエネルギー値がM軸上に投影されることによって、物質が質量と位置を持って現れます。そして、真のエネルギーを持つ実体が現象のすべての位置と運動ならびにそれらの組み合わせにかかる全情報を記憶、記録しているのではないかと考えています。E軸上の実体が究極の記憶装置だというのです。 そして、想念はM軸上の物質と実体を行き来することによって情報を伝える役割を持っているのではないかというのです。 具体的には物質でできた脳や各器官の細胞や神経系に情報を伝えると考えるのです。もっといえば、想念は神経系を構成する原子間の(外)殻電子をやりとりする働きを持っていると考えるのです。 簡単に言いますと想念は物理現象の一端を担っているのではないか、というのが管理人の考えです。

そういう構造を持つ4次元宇宙であれば、3次元空間上での物質間の距離は関係ありません。前回の記事を参照ください。 そういう構造を持つ4次元宇宙であれば、「シル:知る」の仕組みも理解できますし、アハ体験の意味も分かろうというものです。

ある科学者は、精神科学(タマ)・社会科学(カガミ)・物質科学(ツルギ)について次のように述べています。

宇宙に於ける科学のすべて、真実の探求と理解の追求のすべては、この三つの分野の中に入るんだ。もちろん、この三つの分野の間には明確な分離線は引けない。お互いにラップしているからだが、しかし、それらを支配する基本的な法則は全く同じものなんだ。

宇宙において文明が完全にしかも成功して発展するならば、進歩の三つの支流に同程度の努力と勤勉さがなされなければならない。しかしながらまず精神科学と社会科学がでてくる。その二つの基礎がなければ物質科学の発達はありえないんだ。 (下線は管理人による。)

本記事に記したことは、3つの分野にまたがっていて分離することはできません。研究はこの方向であっているように思います。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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