他力 と「外のない内」

山崎弁栄記念館のサイトにある「外のない内」は実にわかりにくいです。この言葉は山崎弁栄上人を紹介した岡潔の言葉に表れています。【1】2つの心より。第1の心についてです。

この心のわかり方は意識を通さなければ決してわからない。それから、ここまで来ればもう心理学は知らないんだけど、この心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。物質的自然界というのは、自然科学者が研究の対象としている自然です。

一見、矛盾する言い方ですけれども、「外のない内」と同じです。これが絶望的におわかりいただけません

岡潔は、情・知・意の順に働くとしました。そして、情的にわかるものを知的に言い表すと言います。知識・意識は、情の後に来ます。そのには、制限があるというのが、外のない内です。これがわかりにくいのです。そこで、外のない内を別の表現で説明することにします。

 

言葉は、互いに規定し合って成り立つ繰り返しであり、ネットワークです。つまり、知識・意識は閉じています。これに気づかない人がほとんどです。

そして、知識や意識に発見や創造の仕組みはありません。人はどのように発見、創造を行うのでしょうか。 仏教はこれを 他力 と言います。

ほとんどの人たちは、一生の間に発見や創造という行為を行いません。ごく一部の人たちだけが行っています。しかも、その行為は、ほぼ個人的な内なる行為ですから、他人に話したり、伝えたりすることはありません。

ですから、過去に発見・創造という行為を行った人は、外のない内についての話をおわかりいただけるのです。逆に、ほとんどの人たちには、外のない内をおわかりいただけないのです。

 

岡潔は、自身による発見について語っています。

【10】数学上の発見より。

数学上の発見というのがある。ポアンカレーはここで自分の数学上の発見を数々述べて、そうしてそのあとでこういってる。「数学上の発見は特徴、3つある。1つは一時にパッとわかってしまう、瞬間にわかってしまう。第2は理性的活動なしに起こったことは何時もない。しかし、その時期は随分ずれる。それも1年とか1年半とか経ってからのことが多い。

 第3は結果が理性の予想の範疇の中にあったことはない、理性の予想通りであったことはほとんどない、大抵は予想とは違う。この3つの特徴を備えているが、これは如何なる知力の働きによるのか、誠に不思議である」と、そう書いている。

 それで、この問題はヨーロッパの文化の核心に触れた問題ですから、それでフランス心理学会が早速これを取り上げて問題にして、当時の世界の大数学者に、「あなたはどんな風にして数学上の発見をしておられますか」と問い合わせた。その返辞の大部分はポアンカレーがいった通りだった。これで問題は確立した訳です。

岡潔自身は、この働きを他力だとは言っていませんけれども、他力だとしか思えません。知識・意識にその働きはないからです。言い換えますと、岡潔は数学上の発見を成しているからこそ、外のない内に考えが及ぶのです。

 

また、この仕組みに則った方法・手法についても語っています。【27】西洋人の創造(解説)ほかより。

岡はこういっている。「精神集中をつづけていると、いつしか努力感を感じない精神統一になっている」と。

【5】情的にわかる、知的にわかるより。

これが創造の形式ですね。数学における『創造』の形式。不思議なのは、そういうものとは一体なんだろう。全然わかっていなかったら、そういうものと云ったってナンセンスでしょう。わかってたら捜し求めるということはないでしょう。数学ですから、わかったということはすなわち見つかったと云うこと。方々実際捜しますがね。方々捜すのは、そういうところを調べるのが、Xがこういうものだとわかるよすがになるだろうかと思うから捜すので、だからわからんものXがわかったら、数学上の創造が出来たんです。

 が、全然わからんものだったら、それを捜し求めると云うより、関心をXに集めると云った方がよいでしょう。わからんものに関心を集めるということはナンセンスです。出来やしません。これはね、そういうものと云う時には『情的にわかってる』。発見されると云うのは、それが『知的にわかる』。

 だから情的にわかると云うのは、普通わかるというのは知的にわかると云う意味ですが、その基礎に、情的にわかると云うことがある。わからなくてわかる、わかってわからない。わかつてわからないと云うのは、わからなくてわかる。しかしそれを言葉に云うこともなにも出来ないから、わかってわからない。そういうわかり方をする。そういうわかり方を人がするから創造ということが有り得る。

【4】 禅の非思量より。

禅師は『非思量』と答えた。この非思量とはどう云う意味かと云えば ― そんなことどうしてわかるかって云えば、自分がやってみればいい。わからないものに、まだわかってないものに、関心を集め続ける。

 『Xに関心を集めつづける』

 そうすると『Xの内容が段々明らかになって来る』。Xと云うのは、わからないけれども心の中の1つの地点です。「あれっ」て云う。そこに関心を集め続けるということ

 

他力には、自己の責任ではないという側面があります。だから、発見された知識は、皆に共有されるべきものです。

The manuscript of survival – part 68 5 January 2012より引用します。これには、脳には大きな制約があることも記されています。

これまで科学者たちは、原子核の中を調べてきました。そして、どんどん小さい物質へ進み、世界を構成する上でこれ以上小さいものは存在しないと思えるレベルまで、見つけました。しかし彼らは、それらの物質が発する光の一部分しか、検出できていません。我々の宇宙全体に広がる、見えない大量のエネルギーを、彼らがダークマターおよびダークエネルギーと呼んでいるのは偶然ではありません。それらの物質は、実際は検出できないことを、あなた方はよく知っています。その通りです。どのような方法に
よっても、それらを検出することも測定することも許されていません。ダークマターこそが、尽きることなく利用されているエネルギーの唯一の源だからです。それは根源的な永久機関であり、もし、悪の手に渡ったら、いえ悪の脳と言うべきですが、文字通りあらゆる面で大混乱を起こすでしょう。これは、脳によって理解されるものではないのです。何故なら、脳には大きな制約があるからです。人間は脳を、文明を進化させる崇高な考えを生み出す知識の座と考える傾向がありますが、まったく違います。脳は単に、人間を最低のレベルで機能させるための装置に過ぎないのです。

とても傲慢に聞こえるかもしれませんが、以前にも説明しましたが、私たち人間以外の存在にとって知識とは、個人的に占有・保持するものではありません。それは、全員が全員の進化のために共有する情報の大海です。しかし、人間の堕落した精神にとっては、すべての知識は、己を豊かにすることを唯一の目的としてきました。しかも、望むらくは他人の犠牲の上で。そのため、核心部分の知識は独占してきました。特許を取って、最高額で売ることができれば、なお良いからです。もちろんこれは、一般論です。

人間の脳は、最高に美しい美術作品や音楽を創り出す能力や、何かの世話をしたり、育んだり、協力し合う優れた能力も持っています。しかし、忘れないで下さい。人類を襲った災厄のほとんどは、まさに人間が作り出したものであることを。真実の知識の追求からではなく、欲望が支配する脳が考え出したものだということを。

 

なお、G・アダムスキーは、岡潔が述べたこの行為を一言で、「弛緩と関心」と呼んでいます。完全なリラックスとわからないものへの関心です。これには、多くの時間を要します。

 

当サイト内には「他力」の語を含む記事は31件あります。幾つか挙げます。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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