弧理論による 社会科学 の目的

弧理論は3つの科学からなります。

  1. 精神科学
  2. 弧理論による 社会科学
  3. 物質科学

3つの科学をヲシテ文献にあるミクサタカラに例えて、タマ、カガミ、ツルギと呼んでいます。また、3つの科学は互いにラップしています。既に2つ、精神科学と弧理論による 社会科学 の根幹はわかっています。タマとカガミを手に入れたというところです。2~3年前から早く物質科学の研究に行きたくて焦っていましたけれども無理でした。

そして、2021年より仏教について調べてきました。その結果、世界にある多数の宗教は一つに帰納するだろうとの結論に達しました。

世の宗教を始めた人たちは皆、何かをわかって創始したのでしょうけれども、それが何かは決してわかりません。何とか言葉で言い表そうとしたのでしょうけれども、無理です。言葉は形式ですから、言葉(言語)の数以上に宗教ができるのは必然ではありました。しかしながら、自然がどういうふうにできているかが詳しくできれば、「言葉で言い表せない何か」について、少しは理解できるはずだと感じます。

わかりにくいですけれど、弧理論は特定の主義主張ではありません絵画と画材に例えれば、弧理論は画材に相当します。画材創造の仕組みがあれば、何か素晴らしい世界ができるはずと考えます。

管理人が経験した創造について、その仕組みは岡潔が書いた内容と同じです。

映画「ビューティフルマインド」は面白かったです。数学者ジョン・ナッシュが統合失調を抱えて研究を続けるドラマです。たぶん彼は、第1の心の肥大に第2の心が耐えられなかったのでしょう。

話がそれました。

早く物質科学:ツルギの研究へと進みたいと考えながら2021年から仏教について考察した結果を振り返りますと、仏教の話、あるいは世界の宗教の話は弧理論による社会科学(カガミ)の話であると気づきました。

如何なる理論・議論も言葉でする以上、繰り返し循環が必ずでてきます。各々の宗教における教理経典も詳しくすればするほど抽象へ至ります。神学論争と言われる所以です。

弧理論による社会科学の根拠となる図です。

図1 2つの心の乖離が問題となる

人が肉体に備わった器官でわかるのは(運動)です。これまで考察したようにの複雑さに際限がありません。数学を含む言葉の仕組み「繰り返し(循環)」が原因で2つの心が乖離します。

問題は2つの心の乖離です。弧理論による社会科学の目的は、ヒトにかかる2つの心の在り方です。あまりに抽象へ行き過ぎないことが肝要です。

  • 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない。
  • 物と事は互いに規定しあって成り立つ循環である。

だから、言葉も互いに規定しあって成り立つ循環、繰り返しにならざるを得ないのです。事の複雑さに際限がない以上、何処かで制限をかける必要があるはずです。それが自然科学の物理学であっても宗教であっても同じです。

余談です。究極と考えられた超ひも理論が5つもあって、統合するM理論が考えられているというのは、ほとんどお病気です。数学的に整合性があるからと言って10次元や11次元を許容するのはどうかと。生きている現実(物や事)と何の関係がありますか。

2022年7月27日 事象の地平線  弧理論による解釈

これまでの考察によれば、2つの心の乖離により人は病みます。図1に示したありとあらゆる事柄のすべては乖離に注意すべきです。難しすぎる主義主張や宗教、数学、経済理論、物理学理論etc、何処かに繰り返し循環が現れたら議論あるいは論争の終点です。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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