日月神示 の「理屈は悪じゃ」は、弧理論の「カガミ:社会科学」に同じ

昨日、「 日月神示 、神一厘のシナリオ:中矢伸一著、徳間書店」を読んでいたら、「理屈は悪じゃ」という一文がありました。管理人が主張している社会科学の基本にかなう合理的な解釈だと感じ、メモします。

 

まず、弧理論のブログではヲシテ文献を参考にしています。日月神示とヲシテ文献との関係です。 日月神示 は、岡本天明が自動書記しました。岡本天明は、山口志道の稲荷古伝布斗麻迩いなりこでんふとまに日本言霊奥伝を研究していたと言われます。この布斗麻迩は、ヲシテ文献のフトマニから来ていると推測されます。もしかしたら山口志道は、古くに焚書されたヲシテ文献の中から散逸したフトマニの断片を読んだのかも知れません。いずれにしても管理人は、何でも(ほぼ合理的に解釈でき)参考になればよいという姿勢です。

日月神示-岡本天明-山口志道-布斗麻迩-フトマニ(ヲシテ文献) のつながりです。

2018年6月14日 の記事「日月神示 ひふみ神示は、なぜ弧理論の参考になるのか?」を参照ください。

 

日月神示をネットで検索してみると以下のような文が出てきました。

夜明けの巻~第7帖

神の臣民しんみんに楽なことになるぞ。
理屈無い世にするぞ。
理屈は悪と申してあろうが、
理屈ない世に致すぞ。
理屈くらべの気負きおい無くして仕舞うぞ。

松9帖

悪の終わりは共食いじゃ、共食いして共倒れ、理屈が理屈と、悪が
悪と共倒れになるのが、神の仕組みじゃ。

ほかにもありますが、松9貼が興味深いです。

 

当ブログで述べてきたミクサタカラとは、タマ:精神科学、カガミ:社会科学、ツルギ:物質科学のことです。日月神示の上文はカガミ:社会科学と同じ意味になります。

弧理論によるカガミ:社会科学の基本は次図によります。

図1 人の心の健全性をはかる基準

岡潔によれば、人には心が2つあります。これを第1の心、第2の心と名付けています。岡潔講演録の【4】情のメカニズムを参照ください。この2つの心の特徴は以下です。

  1. 第1の心 物の理ことわり。理解。還元主義「わけることによりわかる(はず)」、意識を通し言葉で言える。時の過去。動画がわかる。互いに規定し合うことにより成り立つ循環、ネットワーク、孤立系(外のない内)、私心(生命維持の欲求)、特徴:理屈(過度に複雑な理論)により抽象へ向かう。記憶・記録・情報と関連する。
  2. 第2の心 意識を通さず言葉で言えないが、しかし何となくその趣おもむきがわかる。時の現在。静止画がわかる。無私。特徴:具体がわかる。映像がわかる。

ヲシテ文献におけるタマが第2の心であり、シヰが第1の心に同じだと考えられます。また、ヲシテ文献において、復心としてミヤビがあり、ミヤビはナサケヱダとアワレヱダからなります。このナサケヱダが第2の心、アワレヱダが第1の心に通じるようです。

長くなりました。この第2の心でわかるのが(映像=具体)で、第1の心でわかるのが(抽象)なのです。わけることによりわかるとする還元主義の行き着く先は、抽象です。これは第2の心で描けない状態です。だから、抽象的な数学に頼るのです。

この抽象へ向かう源泉が生命維持の欲求であるシヰ(私心)です。その行き着く先は、共食いです。関連する記事としてサイト内を「エリートキツネ」で検索して参照ください。エリートキツネには飼い主として生物学者が居ますが、人類が何世代にも渡る共通の指向(還元主義)を持つことについて、これを差し止める飼い主はいません。誰も止められないのです。

先般の新型コロナウイルスの騒動もどちらかというと人災です。直接に人を喰らう訳ではありませんけれど、経済活動を通じて人々を貧困に追いやります。最後は、経済のために純消費である戦争を起こします。 保守も革新も中道も、資本主義も社会主義も共産主義も、環境を訴える連中も、神を信じる人もそうでない人も、誰も彼も全員が同じ方向へ向かっています。第1の心の特性である循環、即ち、堂々巡りの輪に気づかない限り自滅します。間違いなく。

最大の問題は、第1の心と第2の心の乖離にあります。岡潔が「間違った思想の洪水」だから「人類は滅びる」と云った意味がこれです。乖離により人は心を病むのです。2018年3月27日の記事「宇宙の真理を探究するに最適の道具は 数学 だという。ならば何故、数学の難問に挑むと心を病むのだろうか?」を参照ください。

 

世の中の移り変わりは、ますます早くなっています。めまぐるしいです。わけることによりわかるとする還元主義によれば、早いこと、速いことは絶対の善です。しかし、そうではありません。 例えば、音楽の拍子やビートについて、2拍子より3拍子が、4ビートより8ビートが善であると云っているのと同じです。それだと8ビート・16ビートより256ビートの方がよいはずです。名曲はそれらの内にあるのであって、256ビートになどありません。

 

実は、図1を眺めて考察を続けていて、抽象化の行き着く先は人類の滅亡であることを確信しますが、何と表現したらよいか考え続けていました。そうして、先日思いついたのが人類による「共食い」という言葉でした。偶然にも日月神示に共食いという言葉があるのを知りました。 現代は、信仰の時代です。※↓ 自覚はありませんけれど、間違いなく信仰の時代です。皆が同じ方向へ向かっています。 サイト内を「信仰の時代」で検索してください。また、2019年7月13日の記事『「 聞こゆるを聞き、見ゆるを聞く 」ことの難しさ』を参照ください。

一つ疑問が残ります。理屈(理論)が循環に陥り、心の乖離を引き起こすから理屈はだめだと云うのならば、文化・文明の発達はだめという事になります。 問題は還元主義の先端まで突き詰めることに問題があるということです。第1の心にある循環を根本的に避ける手段はありません

 

ここで、別の次元軸にすべての根源を求めることによって、当面の間これを回避することができます。つまり、心の仕組みと働き、並びに物質の成り立ちを別の次元軸からの投影による映像だという理論を確立すれば、当面の間、この矛盾を回避できます。この当面というのは、恐らく1000年くらいです。即ち、フリーエネルギーと重力制御の理論と実践を目的として考察と実験を続けることで当面(約一千年)の間、回避できるということです。 ただし、その前にとんでもない災難が待ち受けているはずです。

かつてオバマ米大統領は、「Change Yes We Can!」と云いました。これは、現在持っているものはそのままで、進む方向を変えるという意味です。しかし、別の次元軸にすべての原因を求めることは、現在持っているもののほとんどを捨てた上でのことになりそうです。自然科学を捨てるのですから、当然そうなります。よほどの覚悟がなければ難しいです。

例えば、社会全体のシステムを12進数に変える必要があるならば、お金から教科書、経済システムから、何から何まで全部変える必要が出てきます。お金持ちも貧乏人も、大学教授も小学生も、それこそ全員もれなく影響を受けます。想像するだけでゾッとします。ここに人類史上最大の試練があります。2016年3月1日の記事「五つ玉のそろばんは、12進数の計算に使える」 を参照ください。あるいは「そろばん」で検索してください。

 


 

追記5/21 サイト内を”統合失調”で検索してください。10件ほど記事が出てきます。自然科学を基本とする世界は、分裂状態の世界を形成します。古典力学と量子論の間につながっている感はありません。ジェット気流の向きが自転と同方向であることに、誰も異を唱えないのは変です。 もっと云えば、世に何かあれば何々の”専門家”とされる人が湧いて出てくるのは異常です。全体を観る人がどこにもいません。すべてはどこかでつながっているという直観があります。これまでの考察で「わけることによりわかる(はず)」という還元主義には終点があるとわかっています。ですから、この直観は正しいと思います。あまりに複雑な理屈はだめです。第2の心にかなう説明でなければなりません。参考までにサイト内を”スプーン”で検索してください。

余談です。これまで弧理論の解説をブログに書いてきました。今年11年目です。 研究の過程と理論的な成果をブログに書くに、レンタルサーバーとドメインの維持に年5000円ほどかかります。現時点で具体的な実験(フリーエネルギーや重力制御など)に到達できるかどうか未知数です。仮に到達できなかった場合、いつまでサーバーとドメインを維持できるかわかりません。弧理論の解説は事実上サーバーにしかありません。だから、無料で解説を残せる動画にしようと考えました。

しかし、実際やってみると相手の居ないマイクに向かって喋るのは、凄い違和感のある行為だとわかりました。人前で話すのは何も問題はありませんけれど、一人で喋るのは、はっきり言って苦手です。これからシリーズ化して、動画にて解説するかどうか戸惑っています。おまけに、動画を観てる人に飽きさせずにアピールする内容に仕上げるセンスはゼロです。絶望的にだめです。なぜ、テレビやラジオで対談形式にするのかわかりました。録音や編集に慣れるまで続けるかどうかです。

 

世界には、大変な量の情報があふれています。YouTubeには毎分400時間以上の動画がアップされているそうです。情報は拡散するとともに陳腐化し風化します。お金と株や為替の仕組みを調べてた時にわかったことです。流行のビッグデータなど忽ち価値がなくなります。

岡潔の「情の発見」は、ヲシテ文献のミヤビ(ナサケヱダ・アワレヱダ)のナサケヱダに相当します。つまり、2000年とか4000年前に岡潔と同じ事を考えていた人たちがいたのです。逆に言えば、次のことが言えます。

仮に岡潔の言葉を出発点にして考察した内容が正しいならば、ここから発信した情報は、陳腐化・風化しません。どれだけ拡散しても永遠に変わらないし、風化しません

この情報の質の違いはどこから来るのかが最大の疑問です。

  1. 物質と時間を含んだエネルギーは、一つの実体の異なる側面に過ぎない。
  2. 物質と運動Pは、一つの実体の異なる側面に過ぎない。
  3. 運動Pには、時間を含んだ速度、加速度がある。
  4. 運動Pには、熱、圧力がある。
  5. 運動Pには、波がある。(時間を含んだ波動)
  6. 運動Pには、ソリトン(孤立波、素粒子)がある。

以上をまとめると「は一つの実体の異なる側面」に過ぎません。とは情報に等しいです。だから、時間を含んだエネルギーと情報の間には密接な関係があります。

この情報に質の違いがあるのです。これは実に不思議です。恐らく、この疑問とフリーエネルギーとの間には密接な関係があるはずです。

この考えに至る発端は、「the-manuscript-of-survival-part68日本語」にあります。一部引用します。

 ちょっと待って、我々は、その反対側を目指している、一握りの発明家を話題にしていたのではなかったですか? ええ、そうでした。希望を持って下さい。あなた方の中に混じった光の者たちが、これまで隠されてきた多くの知識を、これらの男女の頭に植えつけることに成功しています。それらの知識は埋もれないように、”理性”の声として、彼らの頭の中で存在を主張し始めています。知っていますか、知識には活力があり、生命力もあることを。

情報=知識です。情報には活力があり、生命力があるとのことです。これが上記のお話しにつながります。永遠に変わらぬ情報とほかの情報と何が違うというのでしょうか。疑問です。情報エントロピーと熱力学的エトロピーについては、EMANの「二種のエントロピー」を参照ください。

 

もう一つ追記 極小の世界では、運動Pは離散的に現れます。何故なら別の次元軸からの投影だからです。投影の回数は整数です。1.34回の投影などあり得ません。ですから、事は離散的に現れます。これがすべての物性に表れます。ということは、物と事には、整数の関係があるはずです。で、この物性を人の五感でわかる、かつ、意識を通して言葉で表すならば、離散的な物と事を整理して言葉を構築すればよいはずです。

これがヨソヤコヱ(48音韻)、アワウタです。

出展:日本ヲシテ研究所

を横軸に5つの”態”として、を縦軸に10の”相”としています。5×10から2を差し引いて48音韻としてます。だから、英語などのほかの言語と違い日本語は、無駄(余計な概念)が入りにくいし、生じないのです。そもそも素粒子など不要です。必要なのは、基本粒子(陽子・中性子・電子)だけです。恐らく、素粒子群は”抽象”に近いはずです。なぜなら、量ではない時間を用いて記述しているからです。

考えれば考えるほどヨソヤコヱ(48音韻)、アワウタ、つまり日本語は素晴らしい。恐ろしくシステマチックであり、むしろ人工的ですらあります。だから、いかなる言語が入ってきても飲み込めるし自身は変化しないのです。具体から離れすぎてはいけません。自然科学者の自信満々は疑わしいです。

はっきり言って、投影による映像は投影の角度によるのですから、ヨソヤコヱは12の倍数なのです。ものすごく大事なことです。

 

※ 興味深いので追記

動画1

非宗教家という宗教が教科書を席巻している。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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