ヒッグス場 を砂場に喩える

先日の記事「物質に 質量 がある原因」の末尾に書いた「ヒッグス場とヒッグス粒子」について、どうも気になります。 ヒッグス場とヒッグス粒子を砂場遊びに喩えます。

お子さんの砂場遊びにぜひおすすめしたいおもちゃセット10選|【選び方と注意点も】写真1

例えば、砂浜や砂丘を歩くとき、足を取られて重いです。

写真2

何度か鳥取砂丘に行ったことがあります。靴に細かい砂が入るし、歩きにくくて大変です。これとヒッグス場の解説とを比べます。

図1 出典:ヒッグスの海

足が取られて足が重いのは、砂場のせいです。その原因を探ろうと砂場から”砂粒”を取り出して重さを測るわけです。 何か変です。

やるべきは、足が取られるのは砂場ですから、砂の粒の動きにくさを砂場で観測するべきです。足の重さと砂粒の重さは同じ原因です。  今考えているのは、足を突っ込んだ砂場での足の動きの重さです。だから、足の動かしにくさの原因を知りたいわけです。その仮説が砂場であるわけです。 ヒッグス場(砂場)と空間は同じだといわれれば、そうですけども。何かが変です。何か論理が斜めです。 重さの原因を重さで量ることに違和感があります。何だろうこの違和感。

複数の間違いが含まれていることは間違いありません。

  1. 人の五感でわかる範囲を越えている。
  2. 物理量ではない時間を用いている。

1.について。最近、物理現象とは人の五感でわかる物や事であると感じます。その点において、素粒子のほとんどを感じることはありません。感じる場合は放射線と同じく火傷です。陽子や電子は身体を作っている物質の元ですからまだよいですけど、素粒子はそれにすら足りません。

2.について。いくら精密に計算を進めても時間を含んでいるので理論は抽象に過ぎません。何かの波(ソリトンらしい)を観測していることは確かですけど、質量に換算したことになりません。質量(GeV/c)に時間を含んでいるからです。これは確かです。波は確率で”粒”として現れる。だから”粒:量子”の質量を計算するという論理です。

本来、波は位置も質量も不定のはずです。別の次元軸からの投影による映像だと考えると理解できます。質量と運動は、別の次元軸にある実体の異なる面です。質量と運動が同時に現れない(確率的に現れる)からといって、互いに転換するというのは違います。運動の一形態が”波”であるようです。

「質量の原因を探るために質量を測る」という点に??となります。何か物理にさえなっていない気がします。計算を含めて場の理論というのはわかりませんけれども、何か違います。何なのだろう。

もしかして、と思い「ヒッグス粒子 種類」で検索したら、【「神の粒子」は5つある?】というのがありました。

図2 出典:「神の素粒子」は5つある?

「質量の原因を質量に求める」という矛盾を解消するには対称となる素粒子が複数あればよいと気付いたからです。 根本的な問題に気付かないこと(1.物や事は循環である。2.自然科学は時間を用いた循環である。)を脇に置いて考えると、ヒッグス粒子が複数あれば回避できると考えたからです。前の記事で指摘したように、自然科学に解答はありません。際限もありません。

 

Φ について

2010年より研究しています。
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