数学者 岡潔 「自然科学は間違っている」について考察したまとめ

これまでのおよそ3年余りに渡って、数学者 岡潔 並びにある科学者の言葉を基に考察を続けてきました。 一つの区切りとして、これまでにわかったことをまとめます。 これまで参考にした岡潔の言葉は、岡潔思想研究会のサイト内にある講演録より次の3つです。

なお、当サイトでは、岡潔が一部を認めた「自然は存在ではなく、一部は映像である。」ということを、全面的に取り入れ「自然は存在ではなく、映像である。」ということを仮説として採用した上で考察を進めてきました。  本文は、かなり入り組んでおり複雑です。そこで、ここからは文体を変えて記します。※印は引用元を示します。

 

  • 岡潔は自然科学者の研究対象である「自然」を「物質的自然」と呼んだ。※2
  • 自然科学者は研究の対象である物質的自然を「時間・空間」とした。※2
  • 「時間・空間」は、ごく簡単な模型であって自然そのものではない。※2
  • 空間はかわるが、時間が問題である。※2 人は時の中に住む。※2
  • 時には現在・過去・未来がある。※2 時の属性のうちに、時の過去の内には「時は過ぎ行く」という属性がある。※2
  • 時の過去の一つの性質を取り出して観念化したものが時間である。※2
  • 時間は運動からつくる。※2(NICT日本標準時をつくる

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時間とは、過ぎ行く運動の記憶である。あるいは、記憶を元に形成された経験的な観念である。だから、時報は、過ぎてからしか知ることはできない。

時間とは、過去であって決して現在を含まない

図1

運動の現在を、時間を使って予測はできるが決定論にはなり得ない。これは精度の問題ではない。だから、時間を用いて発展した古典力学・量子力学のいずれも決定論ではない。 例を挙げれば、為替と株の値動きは現在ではない。(知った時には過去の値である。)古典力学・量子力学も本質は同じである。 繰り返すと、時間は人の持つ観念に過ぎない。過去の記憶に基づく観念である。

自然科学者は、時間の元となった運動を基準として、被測定物の運動とを比較している。 時間は独立した物理量ではない。運動から作り出したものである。 従って自然科学者の「時間・空間」という枠組みは誤りである

  • 五感でわからないものは無いとしか思えない。これを唯物主義という。※3
  • 物質は装置を使って拡大してもよいが、最後は人の肉体に備わった五感でわかるものでなければならない。※3

人の感覚器官を含む肉体は、原子でできている。 人の五感でわかる物質の運動は、原子の大きさレベルまでである。放射線・素粒子などは五感でわからない。無味無臭である。仮に「五感でわかる」場合には、放射線障害や火傷として現れる。


  • 岡潔は不安定な素粒子をして「自然は存在ではない。少なくとも、一部は映像と云ってよい」と述べた。※1

陽子衝突実験において、陽子は衝突により崩壊し素粒子が生成されるとされる。

写真1

崩壊の過程において、クオークを介して直ちに素粒子が生成されるとされるが、クオークは単独では取り出せないという。

単独で取り出せない物質とは何か? しかも分数の電荷を持つことの意味は?力を担う粒子の説明において、なぜ場に帰結するのか?場とは何なのか?なぜ極小な現象が離散的に現れるのか?

むしろ陽子衝突によって、陽子は消滅し素粒子が発生すると理解した方が合理的である。見方を変えれば、陽子は映像だと考えた方がよい。中性子も同様である。 電子は質量を持った真球とも云える粒子であるし、でもある。 障壁を越えて現れる。(トンネル効果) 量子もつれの現象がある。  では「電子とは何か」と問われると答えに窮する。これらの現象は、電子をして多面性を持つ映像だとした方が理解しやすい。

ある科学者はE=mc2について、次のように述べた。「物質はエネルギーに転換するし逆にもなるというが、本当は一つの実体の異なる面に過ぎない。」

これは実体が投影されることによって、物質やエネルギーとして現れるということを示している。物質やエネルギーは、存在ではなくて映像であると述べているに等しい。 ここに余分な次元軸を考える根拠がある。弧理論(Ark Theory)の出発点である。

エネルギーを次元解析すると[ML2T-2]である。上記の通り、運動の現在を理解しようとする際には、時間[T]を用いることは出来ない。ここでは、エネルギー[ML2T-2]を便宜上、運動Pと表記する。(運動Pが持つ次元は、[MLT-1]であり、時間を含むため使えない。)

ここでは、余分な次元軸をE軸と呼ぶことにする。E軸とは、真のエネルギー値を示すエネルギー軸(E軸)という意味である。物理学の用語であるエネルギー[ML2T-2]と区別する。 E軸上の実体は、真のエネルギー値を持つ。

ある科学者の言葉にあるエネルギー[ML2T-2]を運動に置き換えると次のようになる。

「物質は運動になるし逆にもなるというが、本当は真のエネルギー値を持つ実体の異なる面に過ぎない。」

物質的自然は、E軸上の実体が投影されることによって現れる映像だという仮説を設ける。ここでは、物質的自然をM軸(物質空間)と呼ぶことにする。大事なのは、時間はM軸の範囲内での観念に過ぎないということである。時間・空間という枠組みは誤りである。

ある観測者に対して、実体がM軸へ90度で投影されるならば、物質は静止している状態にある。

E軸上の実体が原因。物体は結果。

図2

また、ある観測者に対して、投影角が90度以外であれば、運動の状態にある。投影角が浅くなるにつれて、運動は増大しM軸上の観測者に対して質量は見えにくくなる。

図3

投影角がゼロの時、物質は運動のみとなり、観測者は質量を決定できない。測定不能となる。(図3の運動3の状態)

適切かどうかわからないが、ある科学者の云った言葉を言い換えると、「物質の質量とエネルギーは相補的な関係にある。」と云える。

物質が運動のみのとき、観測者は物質を認識できない。これがである。五感でわかるのは、物質の質量を測定できる範囲の運動状態に限られる。繰り返すと、人の五感でわかるのは、質量を測定できる範囲の運動である。 人の身長を中心に置いた「大きさのスケール」を表す表を示す。

表1

人の持つ感覚でわかるのは、表1の赤い括弧で括った範囲である。

は直接に五感でわからない。例えば視覚で云えば、波は感覚器官を構成する原子にある電子を励起することによる。電子は、生理的電流となり脳神経に伝わることによって波が来たことを認識できる。 例えば、アンテナは電波を捉えるというが、電波はアンテナに高周波電流を誘導する。だから、アンテナに電波が来たことを知ることができる。電波を直接見たり聞いたりできないのと同じ。 因みに仮説を電子に当てはめて考える。電子がすべて運動の状態にあるとき質量は観測されず波となる。これは光子に他ならない。


物質的自然は、投影による映像だという仮説の上で考察を続ける。

時間は、質量を持つ物質の運動から作る。図3の投影角が浅くなるにつれて、五感でわからなくなる。物質と運動が投影による映像であるならば、五感でわかる運動の範囲は限られる。つまり、時間は五感でわかる運動にしか適用できない。時間には適用の限界があることになる。

これが時間・空間といった自然科学の適用限界である。「五感でわからないものは無いとしか思えない」という唯物主義の限界でもある。

例え、時間を用いた理論に適合する実験結果を得たとしても、やがては先へ進めなくなる。なぜならば五感でわかる範囲を越えるからである。 例えばヒッグス粒子は存在するだろうけれども人の感覚でわからない。乖離がある。 このような理由により自然科学には、実験の結果と、理論と、感覚でわかることの間に乖離がある。これが科学への興味を失わせる原因の一つであると考える。岡潔が述べたように「(自然科学は)何が何だかわからないまま福祉の役に立っている。【5】自然科学の無知」 これでは興味を失う。 ごく少数の物理学者が難解で抽象的な数学を用いて漸く理解できるとされる先端的な研究は、いずれ先へ進めなくなる。量子もつれは、その例である。

誰もが感覚でわかる現象、自然のこととして意識しないで過ぎてきたことの中に、新たな普遍性のある発見があるだろうと考える。

図4

以上が岡潔の云った「自然科学は間違っている」ということの詳しい意味だと考える。 岡潔は断言しなかったが「物質的自然は映像である」という仮説を積極的に進めるならば、唯物主義を超える科学を構築できるかも知れない。

物質的自然をE軸上の実体からの投影による映像だという仮説の元、新たに理論付けすれば道は拓けるだろうと考える。

 


以上が、これまでの考察のまとめです。ただし、補足で説明したいことや並行して考えている事柄とも関係していますけれど、まとめに含めると流れが複雑になりすぎますので割愛しました。

余談です。

弧理論は「物質空間は、余分な次元軸からの投影による映像である」という理論なのですが、開放系のモデルでもあります。開放系のモデルにおいては、フリーエネルギーなる仕組みを考えることができます。けれど、これまでに考えたことを総合してもなかなか仕組みはわかりません。しかもフリーエネルギーなる仕組みと重力とは密接な関係にあることがわかっています。重力も同時に考える必要があるようです。 運動がM軸のz軸方向に流入するよう仕組めばよいことはわかっています。z軸方向に真のエネルギー値による勾配ができればよいのです。この仕組みを思いつけない。

図5

ファラデーの単極誘導モーターによる実験によると、単極誘導の現象は、磁石を構成する原子と磁石周辺を運動する電子との相互作用だとの感触を得ています。つまり、単極誘導の現象は原子力の一種ではないかと考えます。磁石の分子・原子は内部において平衡がとれています。その差分が僅かに外部に出ていて、微弱ながらも単極誘導の現象として現れているのではなかと感じます。

xy平面内での回転運動をする単極誘導モーターは、z軸方向にE軸が重なります。ですから、単極誘導の現象を用いればz軸方向にE軸における真のエネルギー勾配を実現できるはずだと考えます。これがフリーエネルギーなる仕組み実現の第一歩だと考えます。

そういえばEMAモーターには、シャフトに謎のケーブルがつながれています。

写真2

地球の科学者たちは、「物質とエネルギーのかんたんな同一性がわかっていない。」あるいは「エネルギーの量を正しく求める方法を知らない」とされます。E=mcの正しい解釈ができずに100年余り経過してしまいました。 真のエネルギーという語は、そういう意味を持っています。運動とは異なります。

 

Φ について

2010年より研究しています。
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