人工知能 (AI)と人の頭脳の違い

自身、プログラミングはまるでダメなのですが、コンピュータのことは好きですし、 人工知能 (AI)についても少し興味があります。一番の目的は「人とは何か」を知ることです。その点においてコンピュータは、「人について考える」ことができる格好の材料です。 今朝思い出した事がありましたのでメモします。

人工知能(AI)研究は、1960年代に始まったようです。(第1次ブーム) 管理人が覚えているのは、第2次ブームのあった1980年代からです。

図1 出典:(2)人工知能(AI)研究の歴史より 右クリック「新しいタブで表示」により拡大表示

第2次ブームの頃、ファジーコンピュータやエキスパートシステムなどがあったと記憶しています。当時、知識データベースができれば人工知能は比較的簡単に実現できると考えられていました。 そして、現在、人工知能は機械学習(深層学習)により飛躍的に進歩しました。(第3次人工知能ブーム) 最近、TV番組や書籍などマスコミでよく取り上げられます。

当サイトでも深層学習に用いられるニューラルネットワークを構成するニューロン続きを読む

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数学者岡潔「( 自然科学 は)学問とはいえない。単なる思想です。」 映像だと気付いてからが始まり

これまで数学者岡潔の言葉を手がかりに 自然科学 の問題点を洗ってきました。大凡のことは理解できたのですが、少しまとめます。

岡潔思想研究会の講演録(4)「自然科学は間違っている」の【1】このままでは人類は滅びる から引用します。

今は間違った思想の洪水です。世界は間違った思想の洪水です。これから逃れなければ人類は滅びてしまう。

で、その為に思想の間違いの根本はどこにあるか、それを調べましょう。

一番怪しいと思えるのは自然科学です。それで自然科学から調べます。大体、自然科学というものは、自然とはどういうものかということを言わないで、自然というのはわかり切っていると一人決めにしている。そして、これについて科学した結果を集めたものです。

だから、かようなものは学問とはいえません。これは単なる思想です

下線は管理人による。

岡潔は、世にある大量の間違った思想の源流は 自然科学 にあると判断しています。自然科学は自然はわかりきっていると一人決めにして、これを科学したと云います。このようなものは学問ではないとしています。単なる思想の寄せ集めだと云うことです。

ここで思い出すのが「群盲象を評す」です。 続きを読む

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数学 者岡潔「数は量のかげ」 人形(量)がなければ影絵(数学)はできない

数学 者岡潔がよく取り上げたという言葉「数は量のかげ」に関する記事は、調べてみたら2016年7月9日の記事『数学者岡潔「数は量のかげ」・・・・本当は天地が逆だろう 他2題』から数えて16本ありました。 先日いただいたコメントにおいて管理人は、「物(量や嵩)から離れて 数学 のみ存在できるはずありません。」と返しました。このことについて改めて書きます。

インドネシアのジャワ島・バリ島に伝わる伝統芸能に影絵芝居「ワヤン・クリッ(Wayang Kulit)」というのがあるそうです。

写真1 出典:東南アジア影絵人形芝居探訪より

どうも影絵芝居の人形は牛の皮で作られているそうです。

話は簡単な比喩です。

影絵芝居(数学)は、人形(量や嵩)がなければできません。だから「物(量や嵩)から離れて数学のみ存在できるはずありません。」とお応えしました。 やはりここでも、人が感覚器官でわかる物理(量)は、「投影による映像」だろうとの示唆を得ます。

大事なのは人の頭脳も(量や嵩)であることです。認識するというがなくては意味を成さないことは明白です。人も量の内です。 人の脳内にある情報としての数式(概念?)も何らかの量の裏打ちがあります。それは生理的な電気信号だと考えられます。 紙に書かれた数式もランダムにインクが散らばった紙とは異なります。

岡潔が好んで使ったという「数は量のかげ」という言葉は、「新式算術講義」によれば、数学者高木貞治によるようです。リンク先の記事にある高瀬正仁の解説文の一部を引用します。

「数とは何か」という問いに厳密な様式で答えようとする試みを通じ,量の概念は急速に消失する方向に向かったが,形式論理上の厳密性はこれで確保されるとしても,見る者の心に「唐突の感」が起こるのは避けえないところである.数学は論理のみで構成されている学問ではないから,たとえ知的には申し分のない説明であっても,「情」がそれを拒絶することはありうるのである.現に,今日の大学の微積分の教育現場でも,「数」をはじめとする基礎的諸概念の取り扱いには困惑が見られ,おおむね省略される傾向にあるのではないかと思う.数の概念や極限や連続性などの厳密な説明は定着度が低く,数育効果にとぼしいというほどの理由がしばしば語られている.

当初の解析学は量に寄せる素朴な観念に支えられて歩みを運び始めたのであり,その足取りは,少くとも19世紀半ばのりーマンにまで及んでいる.そうであれば量の概念を完全に放棄するのではなく,高木がそうしたように「数」の概念の背景に「量]の概念を配置するのは,よいアイデアである. 

下線は管理人による。

数学を考えるにおいて、自己の存在を忘れての追求は何か空虚に感じます。 そういえば、数学バリバリの物理学者たちは、数学を用いることによってビッグバン理論や超ひも理論を打ち立てているにもかかわらず

図1 出典:ビッグバン宇宙論は本当に正しいのか?

どこか孤立系から抜け出ていないのは数学の本質(「分ける」ことにより分かる)にかかわることなのかも知れません。

ある科学者が述べた言葉に次のようなものがあります。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であり、そのため進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

下線は管理人による。  この一文の意味がようやく分かってきました。

表1

大きさのスケールを表す表の左端(人の感覚で分からない領域)では「量」の概念を放棄せざるを得ないのであって、研究を進めるに「心で描くこと」を諦めたということです。 ぶっちゃけて云えば『電子の「スピン」といっても何かがクルクル回っている訳ではない』というのですから、物理が面白くなくなるのです。 上記解説にある引用文でも『たとえ知的には申し分のない説明であっても,「情」がそれを拒絶することはありうるのである.』と述べています。「心で描けない」と同じ事です。 唯物は捨ててはいけないです。

 

何気なく表1を作ったのですが、岡潔の「自然科学者の時間空間」において時間に問題があるということの意味が理解できます。 時間と云うを伴わない「」を用いることによって表の両端を数式で表したということです。

写真1 出典:解説:NHKスペシャル「神の数式」第1回:この世は何からできているのか

 

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常識 というブレーキ

「 常識 とは」で検索してみると、ブリタニカ国際大百科事典などからのサイトがみつかります。最上部に出てくる 常識 では、「健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。」とあります。 次には『常識とは18才までに積み上げられた先入観の堆積物にすぎない』というのもあります。ここでアインシュタインが出てくるのは、ちょっと胡散臭いですが。 常識には、合理的なものもありますでしょうけれども、山本七平の空気(の研究)といった、その時々の社会の雰囲気といったものもあるでしょう。

いつも引用するある科学者は次のように述べています。少し長いです。

我々は君の国の多くの一流科学者の精神を調べてみたんだ。大抵の場合、我々は科学者たちの精神が既成概念という鋳型で固められていることを知った。彼らは遠くへまで進みすぎている。その結果、遠い道のりを後戻りしなければならない。私の言う意味を比喩によってもっと易しく言ってみよう。科学知識を求める人間は木に登るアリのような物だ。自分では上方へ動いている事が分かっていても、その視野は狭すぎて幹全体を見通せない。その為に幹を離れている事に気づかないで下方の枝の方へ移動するかもしれない。一時は万事上手く行く。自分ではまだ上方へ登れるし、進歩という果実を少し摘み取る事も出来る。だがその枝が急に無数の小枝に分かれて色々な方向に葉が散らばっている為に本人はまごつき始める。同様に、知識の探求者は常に確固たる物であった”基本的法則”が今や分かれ始めて反対の方向にちらばり始めている事に気づく。すると科学者は心によって受け入れられる知識の限界に近づいている事や、あらゆる物理的な法則は究極的には全く統計的な物になるという結論に達する。

下線は管理人による。 ある科学者は、人間を比喩として「木に登るアリ」に例えました。低い位置にある一つの枝を幹の全体だと勘違いして登っているようなものだといいます。

数学者の岡潔は、人の心には2つあると云いました。一つは「私」というものが入らねば金輪際働かない心。これを第1の心と云います。もう一つは決して私が入らない心。これを第二の心としました。 そして、人の心の働きは「情、知、意」の順で働くとしました。 まず、情じょうが働きます。情とは「何となくわかる」「何となくその趣おもむきがわかる」ということです。 次に「知」が働きます。そして「意」に至る訳です。 「知」の段階において「言葉」で表せるものとなっているでしょう。そして「識」する段階においては、意欲、欲望となります。これが縄文哲学で云うところの「シヰ」です。(欲しいしいのシヰであり、タマシヰのシヰです。恐らく、縄文哲学のタマが第2の心に相当します。ただ、岡潔のものより、縄文哲学の方がなお詳しいです。) 続きを読む

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弧理論 研究会 開催について(参加者募集のお知らせ)

仮称「 弧理論 研究会 」を次の通り実施します。興味をお持ちで都合が付きます方はご参加ください。下記により参加者を募ります。

日時 平成30年(2018年)5月12日(土) 13時30分~16時半
場所 滋賀県立文化産業交流会館
  〒521-0016 米原市下多良二丁目137 TEL 0749-52-5111
    会議室
    催物名 弧理論研究会
 アクセス  JR米原駅 西口徒歩10分くらい

日頃、感想やご意見を頂く方とお話しすることになり上記の場所を確保しました。 よい機会ですので、この際興味をお持ちの方とご一緒にお話しできたらと思います。 そこで上記日時・場所にて開催しますので、参加を希望される方は下記宛てご連絡ください。(参加人数を把握する目的です。) 追って詳細をお伝えします。

お話しの概要

1.弧理論に向けて ~自然科学は間違っている~

時間があれば実験等の資料、弧理論によるフリーエネルギーモデルなどの説明ができればと思います。その他未整理の資料も持参します。

 

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磁束 を立体視したい プラズマボールを使ってみた

先般、磁束 を見る器具を作ったと書きました。もう少し磁束を立体的に観たいと思い作ってみました。

材料としては、プラズマボールを使います。

写真1

中の電極内に入る太さの棒磁石がありますので、都合がよいです。 以下材料と作り方です。

写真2 分解したプラズマボールと棒磁石

写真3 グリセリンと砂鉄

内部の電極を取り去り、内側に塗布された金属部分をコンパウンドで擦って除去します。別に取らなくても構いません。

写真4

台座の部分に不活性ガスを封入した跡があります。これをリューターで削り落とします。

写真5

写真6

穴から、砂鉄とグリセリンを入れます。

写真7

で、適当なゴム栓を接着して

写真8

完成です。

写真9

これでもめいっぱいグリセリンが入っています。 ボールを手で持って砂鉄を振り混ぜると、

写真10

のようになります。 すかさず棒磁石を底から入れて、暫く置くと

写真11

となります。近くで見ると

写真12

になります。想定したより綺麗ではありません。イガグリみたいで正直失敗です。

 

追記 2018/4/21

甘かった。気温の変化による膨張でガラス球が壊れました。見た目よく気泡を出来るだけ小さくしたのが原因です。ガラス球は思いの外薄くて、大気圧による内部への力には強いけれど、液体の膨張による内部からの圧力には弱かった。 こんなもの作る人はいないと思いますが、ご注意まで。 幸いなことに破裂は作業台の上でのことでしたから、飛び散ったグリセリンは材料の端材などに被っただけでした。無毒で水溶性ですから安全ですけど、片付けたそれなりに大変でした。

さらに追記 仮に同じものを作るならば、中の気泡を少し多めにした上で、湯煎してグリセリンを50度くらいに暖めながら栓を接着すればよいはずです。余程特別の環境でなければ50度以下ですから、年間を通じてガラス球は負圧ですし、気泡がグリセリンの収縮を吸収してくれるはずです。自己責任で。

 

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光と併走すると光は 電子 として見える

弧理論(Ark Theory)の考え方において、 電子 が観測者に対して運動にあり、かつ真のエネルギー値がゼロの時、観測者は電子を「波:電磁波」として観測します。  電子 が持つ真のエネルギー値がすべて運動に変わったときの状態を電磁波といいます。

弧理論の考え方によれば、E軸上の実体は、位置を伴って質量を持つ電子として現れます。 電子 はE軸上の実体が投影されることによって現れる映像だと云うことです。

E軸上の実体が原因。物体は結果。

図1

は、観測者に対して静止している場合です。

観測者に対して運動1にあるときは、実体Cが持つ真のエネルギー値は僅かに減少します。(C0-C1)だけ減少し、その分がM軸上に運動1として現れます。運動は、物理学で定義されるエネルギー[ML2T-2]のことです。  運動が増すにつれて電子の質量は、次第に観測しにくくなります。(M軸に対して電子は、次元を失う。) 続きを読む

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自然科学の限界 は明らか 素粒子物理学・人工知能(AI)はブラックボックス それはそのまま還元主義の限界である

これまでの考察により 自然科学の限界 は明らかです。これまでに書きましたけれど、もう一度書きます。

(1) 素粒子物理学の標準理論に使われる図に次のようなものがあります。

図1 出典:W粒子の対生成の頻度は、標準模型と一致より

あるいは

図2 出典:Elementary Particle Theory Groupより

です。それぞれ標準理論による素粒子の反応過程を図にしたものです。一見複雑ですが基本形は簡単です。

(2) 最近、人工知能(AI)がよくマスメディアに登場します。その説明の際にあげられるのがニューラルネットワークの図です。

図3 出典:ニューラルネットワークの種類

元は、人の神経細胞を模したものです。

図4 出典:HPC5000-XBWGPU8R4S-DLの特長より

(3) 「分かる:理解する」の語源は「分ける」です。分ける事にって分かると思っています。これは還元主義です。

図5

研究の対象はブラックボックスとして扱います。対象は適切な環境で適切な入力に対して幾つかの出力があります。

図6

測定観測と云った行為によってブラックボックスを細かな要素に分けられますから、それをもって「分かる」と思っています。しかし「分けられた要素」はまた、ブラックボックスのままです。

 

図1や図2は、一見複雑ですけれど、よく見ると各要素は図6と変わりません。また、図3や図4の右図も図6と同じだとわかります。 自然科学では、還元主義によって人工知能(AI)は実現できますが、本質的に「分かった」とは思えません。どうもこのあたりが 自然科学の限界 だと感じます。

 

以前からある意味で有効だと感じる「The manuscript of survival – part 68 5 January 2012 日本語文」に次のような一節がありますので一部引用します。

ダークマターこそが、尽きることなく利用されているエネルギーの唯一の源だからです。それは根源的な永久機関であり、もし、悪の手に渡ったら、いえ悪の脳と言うべきですが、文字通りあらゆる面で大混乱を起こすでしょう。これは、脳によって理解されるものではないのです。何故なら、脳には大きな制約があるからです。人間は脳を、文明を進化させる崇高な考えを生み出す知識の座と考える傾向がありますが、まったく違います。脳は単に、人間を最低のレベルで機能させるための装置に過ぎないのです。とても傲慢に聞こえるかもしれませんが、以前にも説明しましたが、私たち人間以外の存在にとって知識とは、個人的に占有・保持するものではありません。

 

ここで、2015年頃から考察した縄文哲学と比較します。2016年頃のブログに掲載したものです。

図7

左端の図は上が「ト」で下が「ロ」と読みます。ホツマ文字は、漢字伝来以前から日本に存在する固有の文字です。 池田満氏によるホツマ辞典によれば「ノヲシテ」の「ト」の一部には、「わかつ」とあります。 「わかつ」とは「分けて」「与える」です

言わずもがな「分ける」は、自然科学の「分ける事によって分かる」を意味します。しかし、現在地球上では決定的に「与える」が不足しています。 縄文哲学の大きさと比べると如何に自然科学の領域が小さいかわかります。岡潔が云ったとおり、西洋人は心が2つあることを知らないのです。

 

「NEWS 2017年01月17日 02時05分 JST この8人の大金持ちは、世界人口の半分と同等の資産を持っている」より引用します。

貧困撲滅に取り組む国際NGO「オックスファム」は1月15日、世界で最も裕福な8人が保有する資産は、世界の人口のうち経済的に恵まれない下から半分にあたる約36億人が保有する資産とほぼ同じだったとする報告書を発表した。トップ10の大企業の収益の合計は、下位180の貧しい国々の収益以上だという。

rich報告書は「99%のための経済」というタイトルで、17日から始まる世界経済フォーラム(WEF:通称ダボス会議)に先駆けて発表された。経済誌フォーブスの長者番付や、スイスの金融大手クレディ・スイスの資産動向データを元に調査が行われた。 フォーブスの長者番付によると、上位8人の億万長者は以下の面々だ。

1位:ビル・ゲイツ(マイクロソフト社創業者)

2位:アマンシオ・オルテガ(スペインの実業家。ZARA創業者)

3位:ウォーレン・バフェット(投資家)

4位: カルロス・スリム・ヘル(メキシコの実業家。中南米最大の携帯電話会社アメリカ・モビルを所有)

5位:ジェフ・ベゾス(Amazon.com創業者)

6位:マーク・ザッカーバーグ(Facebook創業者)

7位:ラリー・エリソン(オラクル創業者)

8位:マイケル・ブルームバーグ(前ニューヨーク市長)

報告書によると、上位8人の資産は合計で4.26兆ドルで、全人類の下位半分の資産に匹敵する。プレスリリースは、報告書について「大企業と超富裕層が税金を逃れ、賃金を下げ、政権に影響を与えることによって、いかに格差の広がりに拍車をかけているかを詳述している」と解説した。

こんな異常な世界は続くはずはありません。仕組みから考えるに遠からずご破算せねばならないはずです。(利子は借金をする人がいなければ生み出されませんし、お金の流れは一方通行だからです。)

余談を一つ。 お金の仕組みを考え合わせると、彼らが世界のトップだとは言えません。最近、お金の仕組みを考えるにつけ、管理人による独自の紙幣を考案しました。

上図は、新通貨で単位は「ポコペン」です。凸凹と書いてポコペンと読みますw。次週より100米ドルを(ポコペン)とします。

 

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磁石の 磁束 を見る器具を作りました

磁石を使った実験を行ってきましたが、どうせなら 磁束  が見えるような器具を作ろうと思い立ちました。 呼び方はいろいろありまして、磁力線、磁束、磁界、磁場などです。天気図で示される等圧線と同じで仮想なのでしょうけれど、目に見えると理解しやすいです。

一般的な砂鉄を使う方法です。 いちいち砂鉄を片付けるのは面倒ですので容器に入れて観察できるようにします。 材料は、グリセリン 砂鉄 透明のプラスチック容器 アクリルネジ(6ミリボルトとナット)です。

写真1

15センチくらいの角形の容器2つ購入しました。蓋2枚を向かい合わせに接着すると丁度良い大きさと厚みになります。 蓋の片方の角に5ミリの下穴を開けて6ミリのタップをたてます。6ミリのアクリルナットを下穴に合わせて接着します。蓋にナットの接着ができたら、蓋2枚を向かい合わせにして接着します。

写真2

グリセリンが漏れ出さないように適当なパッキンを取り付けます。ねじ穴から砂鉄を適量いれてから、グリセリンをめいっぱい入れます。少々空気が残りますがやむを得ません。使用したグリセリンはおおよそ、250ccくらいでした。また、グリセリンの温度変化による膨張収縮はプラ容器の構造からして気にしなくて良いと思われます。

で、完成です。容器をよく振って机に置くと砂鉄はだいたい均一に散らばります。

写真3

気泡が残ってますが、それほど邪魔になりません。

机に立てると、

写真4

写真5

砂鉄はみるみる沈下します。 容器の大きさにあった、10センチのアルニコ棒磁石を使います。

写真6

よく振って写真3の状態にして、アルニコ磁石の上へ近づけると、砂鉄が模様を描きます。

写真7

部屋の照明とカメラ自身が映り込んでしまうので、真上からは撮りづらいです。

写真8

それなりの写真が撮れました。 磁石の中心を通るようにできればよいですが、そのためには容器に穴を開けて、磁石を半分容器に埋め込まねばなりません。そこまでする気はないのでこれでよしとします。


2月14日の記事「発散トーラスによる 重力 の理解」に続いて、発散トーラスによる磁気双極の説明を考察していますけれども、やはり磁気は非対称な現象だろうと考えます。 一見、写真8のように完全対称に思えますが、磁気双極はS極ならびにN極の独立した(単極の)発散トーラスの組み合わせのようです。その差分が電磁誘導と単極誘導の現象のように思えます。 ただ、差分が出る理由として、原子核内の陽子中性子が関係ありそうに思えます。 発散トーラスは、「距離の7乗に逆比例する力」です。重なり合って、打ち消しあって、その差分が「距離の2乗」として現れるのかも知れません。トム・ベアデンが指摘しているようにどこにでも転がっている磁石には途轍もない組み合わせが潜んでいる様に思います。

元が非対称だからこそ、起電力を「両極:電磁誘導」+「極の中央:単極誘導」の2つの合算として説明せねばならなかったように感じます。 それは、「座標系の違い(という発想)」→「運動する物体にかかる電磁気現象」→「光速度不変」→「時間空間の歪み」という理論展開とは異なってきます。 でも、まだわかりません。

1800年代初頭から中頃過ぎまでにおいて、物理学者で電気磁気の研究をしていた30人ほどの内、いくらかは電気磁気の現象が非対称だと考えていた人が居たのではないでしょうか。そんな気がします。重要なこととして、現象が非対称で(開放系の)E軸が本当ならば、いわゆるフリーエネルギーなる仕組みは可能だということになります。バランスを崩す方法がカギになります。パルスを使うか、回転を使うということになりそうです。ニコラ・テスラはパルスの方です。

 

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米エネルギー省エネルギー先端研究局長官へ宛てた トム・ベアデン の書簡の要約文から考えること

かねてより、 トム・ベアデン の書簡について、日本語に翻訳された文章は、とても読みにくく感じてました。偶々要約された文を掲載されたサイトがあると知りましたので、参考に引用するとともに、考察します。

原文 Bearden’s response to ARPA-E

日本語文pdf 公開プロジェクトの摘要書 ビールデン博士のエネルギー先端研究局への返答

上記の概略 思想家ハラミッタの面白ブログさんより

1864年マクスウェルが発表した原論文には電磁気現象について、20個の変数を含む20個の常微分方程式で示されていた。1890年代の電磁気研究者(当時電気工学は存在せず物理学者たち)は、真空に負のエネルギー状態(非対称性方程式群には含まれていた。)が存在し、空間からエネルギーを取り出せる可能性を見出しており、この電気力学の知識を知っていたのは世界で30数人にとどまっていた。 ベクトル表記に表したのはヘビサイドやギブス等であったが、このときも負のエネルギー状態を含む非対称性方程式群のままであったらしい。 1890年頃ニコラ・テスラは”媒質からのフリー電磁気エネルギー”を世界に供給しようとしていた。 空間からエネルギーを取り出せる可能性の発見について、ヘビサイドのこの発見に金融資本家のJ・P・モルガンは、「もしこの事実が学生たちに教えられたら、通常は発散してしまう空間のエネルギー流の一部を補足する方法を見つけられてしまう。そうなると、燃料その他の支配ができなくなる」ことを恐れた。 そこでモルガンは、科学顧問にその可能性を封じるよう命じた。彼の顧問たちはヘビサイド-ローレンツ(Heaviside-Lorentz)方程式群から非対称性を排除し、その結果、性能係数(COP)1.0未満という禁則を自らに課するシステムのみを含むことになった。 こうして、今日まで意図的に無能化された方程式群が電気工学モデルとして教えられてきた。 H・A・ローレンツ( t のつく Lorentz)が最初に対称性をもつマクスウェル方程式を作ったとされるが、最近の歴史研究によれば、本当はルードウィッヒ・ローレンツ(t のつく Lorentz)が最初にマクスウェル方程式群を対称的にリゲージした。つまり、負のエネルギー状態を排除し、空間からエネルギーを取り出す可能性を方程式より排除した。

これで流れがわかりました。

 

素粒子脈動原理サイトにある「自然界の力の統一と歴史」図を元に、上記の歴史を重ね合わせたのが

図1

です。

アインシュタインが相対性理論を構築するにあたって、マイケルソン・モーリーの実験(1880年代)はほとんど眼中になかったようです。アインシュタインが出発点としたのは電磁波の理論における矛盾でした。アインシュタインとマイケルソンを関連づけて考えるのは、マイケルソンの実験後何十年も経過したあとから、誰かが勝手に作り上げた話しだということです。参考(七つの科学事件ファイル 科学論争の顛末:化学同人

図1から読み取れること。アインシュタインが相対論を構築するにヒントを得たのは、ルードウィッヒ・ローレンツ(t のつく Lorentz)によるベクトル表記された、しかも1864年のマクスウェル方程式群(20の変数をもつ、20の方程式群)を対称的にリゲージしたものだろうということです。

 

参考までに岡潔の名付けた物質的自然における、自然科学の間違っている点を書き出したものです。説明します。

図2 図は、数学者岡潔の講演録より考察して得たものです。サイト内を「岡潔」で検索ください。

  1. 時間は物質の運動から作る。
  2. 時間を用いた数学を用いて素粒子物理学は成り立っている。(孤立系かつ循環論)
  3. アインシュタインは、時間を光速度に置き換えることによって、「時間・空間」を定義し直した。
  4. かつ重力の原因を空間の歪みに求めた。
  5. 相対性理論もまた、孤立系かつ循環論
  6. 時間を光速度に置き換えたので、「電磁気力・弱い核力・強い核力」と「重力」は、恐らく統合できないだろう。

となります。

ところで、トム・ベアデンの手紙には、「ルードウィッヒ・ローレンツ(t のつく Lorentz)が最初にマクスウェル方程式群を対称的にリゲージした。つまり、負のエネルギー状態を排除し、空間からエネルギーを取り出す可能性を方程式より排除した」とあります。しかし、トム・ベアデン自身が注目しているのは、スカラー・ポテンシャルです。 どうもそれは不自然に感じます。 彼の視点が現代だからです。ベクトルポテンシャルに物理的意味合いがあると実験で証明される現代であるからこそ、スカラー・ポテンシャルもまた物理的存在であるかも知れないと考えるのであって、1800年代中頃までにスカラー・ポテンシャル云々を現実的に考えていたようには思えません。 フェライト磁石もネオジム磁石も発明されていないし、超伝導も発見されてない時代です。どこかずれていると感じます。

で、肝心の電磁波の理論における矛盾なのですが、これが何なのかはっきりしません。 たぶん「座標変換において対称ではない(数式の表記が変わってしまう?)=美しくない」というところあたりではないかと考えていますが、わかりません。

その点、気になるのは、以下です。

  1. とね日記にある自然法則:量子力学による古典物理学の謎の解明
  2. 筑波大学による「ファインマンも解けなかった問題を解明 ~ファラデーの電磁誘導の法則とローレンツ力はなぜ同じ起電力を与えるのか~
  3. 電磁誘導とローレンツ力

見当外れかもしれません。複数居たというローレンツ(tがついたり、tつかなかったり)は何をどうしたのだろうか。

 

特殊相対論に関して調べたところ、興味深いサイト「電磁波について、色々考えてみる」に【特殊相対性理論】があったので、一部引用します。 注:何かからのコピペらしくて、誤字が多いですが、そのままです。

相対性理論が解き明かしたマクスウェル方程式の矛盾
アインシュタインが登場する前に『ヘンドリック・ローレンツ』らにによる運動座標系における電磁場理論の探索をしている半面で、マクスウェルの方程式には根本的に不可解な点が存在していた。

これはとある実験によってその矛盾を説明できる。例えば、棒磁石とコイルによる電磁誘導現象において、コイルを固定して棒磁石を動かすときにコイルに流れる電流の原因として、マクスウェル方程式の電磁誘導の法則から起電力が発生するためと説明されている。ところが棒磁石を固定してコイルを動かすときのコイルに流れる電流の原因としては、電子に対してローレンツ力が働くためと説明されている。

こうした棒磁石とコイルの相対運動だけで定まる現象であるにも関わらず、古典的な電磁気学は観測する系によってその現象を説明する理論が異なっているという非対称な体系を証明することになるのだった。

こうした理論の非対称性の下位賞に関心のあったアインシュタインは互いに等速直線運動をする座標系で観測されている同一の現象は理論として同一の形式であるべきだ、という前提の下でこの非対称性を解消する理論を提唱したのだった。そうした非対称性を解消することを目的にしたのが『特殊相対性原理』である。

上記、とね日記や筑波大学の資料と同じことのようですが、よくわかりません。もう少し調べたいです。


図3

化学は原子の構造が解明されるとともに適宜変更されてきたのに対して、電磁気学は影響を受けてこなかったように見受けられます。 自然科学の不自然な発達。

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