時間 は物理量ではない

だから 時間  を用いて組み立てられた理論はゴミです。ことに量子力学が成立する頃からの理論は悉くゴミです。

数学者岡潔は、講演録「自然科学は間違っている」の中で 時間 について次の趣旨のことを述べています。

  1. 数は量のかげ
  2. 時間は物質の運動から作る。
  3. 物質は人の五感でわかるものでなければならない。

人の五感でわかるのは、物質の「大雑把な」です。量をきっちり把握するためにモノサシを用います。そうして量を「数」に置き換えます。その数にはメートルやキログラムなどといった単位がつきます。

時間は物質の運動から作りますが、運動そのものではありません。当サイトに掲載した「時間とは何か」より一部コピーします。


長さや重さの基準(モノサシ)に対する「数」である。だからおおよその目分量でしかわからない「量」をモノサシと比較することによって数に置き換えることができる。 これが岡潔の言う「数は量のかげ」である。 そして、基準(モノサシ)を用いることによって量や嵩(かさ)のうちに見いだした「数」にはメートルやキログラムといった単位がつく。これを物理量という。

ここで、アナログ時計を用いて、電車がA市からB市へ移動する場合における時間の性質を考える。 続きを読む

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「 時間とは何か 」の記事 全面改訂とpdf版の掲載について

弧理論(arktheory)のサイトの記事「 時間とは何か (別窓)」について、全面的に改訂しpdf版の論文(別窓)も併せて掲載しました。

これまで2017年4月までの内容でしたが、論旨全体を再構築した上で記事を全面改訂しました。

今回は、時間は物理量ではないことを前面に出して記述しています。 考えてみれば、小学校低学年で時計の読み方を学習して以来、時間について疑問を持ったことはありませんでした。

誰にでもわかる書き方にて、時間は「量を伴っていない」ことを示しています。そして、自然科学の問題点を幾つか挙げるとともに、打開の方策を提示しました。

 

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時間 泥棒は成り立つ ミヒャエル・エンデの「モモ」再び

これまでの考察により 時間 という量は存在しないことがわかっています。自然科学における基本物理量として時間は不適切です。その理由は概ね次の通りです。

時間は「五感でわかる運動」から作ります。運動そのものではありません。 時間は時計でわかります。日時計、機械式時計、水晶時計、原子時計などがあります。時計という機械装置の運動から作ります。

写真1 日時計

GIF1 機械式アナログ時計

1) 例えば、A氏は自宅から出張先へ向かいます。

自宅 ------ 出張先

距離の基準であるメートル原器を元にした地図から距離を出したところ550kmだとします。自宅は位置です。出張先も位置です。位置と位置との隔たりが基準となる地図から割り出した距離550kmだとわかります。距離(長さ)は基本物理量です。

2) 時間について  アナログ時計の外周(短針)を直線にあてがいます。

図1

図1の右端、針が直線と接する「3」は位置です。時計という機械装置の運動に伴って、直線を右から左へ動きます。 やがて針が直線と接する「7」の位置へきます。この間に、例えば、(1)のA氏が「自宅~出張先」へ移動するに「17」時間かかったことになります。

位置を数字に置き換えてはいますが「位置どうしを差し引き」しています。これが時間の本質です。 本来、位置と位置は差し引きできません。数字に置き換えれば計算できますが、作った時間というものは、「」を伴っていないのです。 つまり、時間は物理量ではないのです。 続きを読む

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重力の 加速度 は遠心力と区別できない。重力は回転運動と深い関係にあるはず。相対性理論では納得できない。

遊園地にある回転する乗物で受ける 加速度 は、重力による加速度と区別できません。宇宙飛行士は打ち上げ時の加速度に慣れるために遠心シミュレータで訓練します。

NASA Identifier: S66-17698

写真1 https://www.redbull.com/jp-ja/do-you-have-what-it-takes-to-be-an-astronaut

世界の多くのロケット発射場は赤道に近いところに設けられています。地球は西から東に自転しています。ロケットを東に向かって打ち上げることによって、自転による遠心力を利用できます。使う燃料を少なくできるか、もしくはより重い物資を宇宙へ運べるからです。

 

発射場所在地

図1 http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/launching_sites.html 赤道近くで幾つかの条件を満たす位置

重力の加速度は遠心力と区別できませんが、重力の加速と遠心力は別物です。でなければ、地球上で南極と北極で重力は大きく、赤道上で重力が小さいだけになるはずです。そして、ロケットは東向きでも西向きでも打ち上げにかかる燃料は同じになるはずです。そのようなことはありません。

どうも、重力は、物質あるいは物体の回転運動と深い関係にあるようです。 相対性理論において、重力は質量による空間の歪みが原因だとされます。

図2 http://granite.phys.s.u-tokyo.ac.jp/ja/?GWHistory

相対性理論では、重力と遠心力の違いはよく理解できません。


それ以前に、相対性理論を含めた自然科学は間違っています続きを読む

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「 わかる 」の方向性について

「わける」は「 わかる 」の始まりです。

図1

わからないことをわかろうとすることは大切なことです。しかし、異様に複雑なことが本質だとは限りません。具体的には次のようなことです。


素粒子物理・相対性理論 → 標準理論 超ひも理論 M理論

量子もつれ 量子もつれの突然死


その筋の専門家たち何名かにしかわからない理論というのはあり得ません。しかも究極の理論が幾つもあるw。 これでは次へ進めません。

原因は、理論が時間を用いることによって循環論法に陥っているからです。

自然科学は循環論図1 重力は質量が原因ではない。でなければ、もっと早くに統一できるはず。

M理論が精密かつ精緻でエレガントなどではなくて、単に循環論法なだけです。 だから心を病む人が出てくるのです。   2018年3月27日の記事「宇宙の真理を探究するに最適の道具は 数学 だという。ならば何故、数学の難問に挑むと心を病むのだろうか?」を参照ください。 続きを読む

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なぜ 日本語 は外乱に対して堅牢なのか

縄文時代からの言葉を 日本語 とするならば、なぜ 日本語 がこれほどまでに外乱に対して堅牢なのだろうか?これまでずっと考えてきました。

日本語は、ヲシテの言葉に加えて漢字、ひらがな、カタカナ、ポルトガル語やオランダ語あるいは英語を起源とする外来語、さらには和製漢語が重なってきました。それでも日本語の基本はほぼ変化しませんでした。これはどういうことなのでしょうか。

過去、波状的に多数の渡来人がやってきた時代には翻訳の辞書もないし、通訳できる人の数も限られていたはずです。このような状態では混乱するのは必定です。 元々、5母音であったヲシテの言葉を、その外乱から8母音になり、ついで長い時間をかけて8母音から5母音に収束したと考えられます。

日本語が堅牢である事について、2015年9月12日の記事「漢字伝来以前に間違いなく文字はあった 聖徳太子と蘇我氏の功罪」より一部転載します。 続きを読む

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物質の運動→ 熱の伝導  単極誘導モーターへの応用について

ある科学者が 熱の伝導 に関することで次のように述べています。「浮き葉的余生に」のサイトより一部引用します。

君の国の科学技術者はいまいわゆる原子エネルギーで推進する潜水艦の建造計画に従事している。(注=この記事はかなり昔に発表されたものである)彼らは原子炉を建造してこれをやろうとしている。その原子炉の中ではウランの軽いアイソトープが熱エネルギーと数個の中性子を放ちながら分裂し、これが他の重いウランに吸収されて、またそれが分裂する。かなり複雑だけれども、この方法は地球人がいままでに作り出した方法としては最も有効なエネルギー発生法だ。しかしこの熱エネルギーを宇宙船の推力に変えるために、彼らは原子炉の中に流動体を循環させようとしている。つまり熱変換器の中に流動体を循環させて圧力下に別な流動体を蒸気に変え、この蒸気をタービソの中に通してタービンを回転させ、それによって発電機を廻して電力を得ようというのだ。もし彼らが三〇パーセントの総合的な効果をあげれば、これはたいした技術上の功績ということになるだろう。
だがもし彼らがもっと簡単な言葉で考えることができれば、現在持っている知識でもって核分裂炉のまわりに簡単な熱電対を作って、発生す温度変化を直接に電気エネルギーに変えることができ、少なくとも九四ないし九八パーセントの効果をあげられるだろう。これには可動部分は不要だし、費用も安上がりで、エネルギー出力の単位あたり少ない物量ですむ。だがわれわれの方法にくらべれば、この方法さえも不経済で複雑なように思われる。

下線と強調は管理人による。

原子炉による発電にタービンを回すのでは効率は30%くらいだといいます。 それを機械稼働部分のない熱電対で94~98%の変換効率を実現できると述べています。

熱電対について調べてみると、国立研究法人産業技術総合研究所の2015年11月の記事で「変換効率11 %の熱電変換モジュールを開発」とあります。

熱電変換モジュール概略図

https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2015/pr20151126/pr20151126.html 続きを読む

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インクレディブル・ファミリー  悪がなくなると正義は不要になる

最近、洋画アニメ「 インクレディブル・ファミリー 」を見て感じたことをメモします。

内容は、スーパーヒーローであるMr. インクレディブル(5人家族)が悪と戦うというのものです。

前作において、悪との戦いで街を破壊したため?法律でヒーロー活動を禁止されている一家たち。(あらすじ)から一部引用します。

イラスティガールことヘレン・パーに、アンダーマイナーとパー一家の戦いを見ていたスーパーヒーローの大ファンであり通信会社デブテックを率いるウィンストン・ディヴァーと、彼の妹であるイヴリン・ディヴァーから、ヒーローの復活が掛かったある任務の依頼が届く。その任務は、ヒーローとして活躍する姿を皆に見せ、ヒーロー活動が再び法律で許されるようになることを目指すというものだった。

デイヴァー兄妹は法律を改正させるために、禁止されているヒーロー活動を「パー一家」に依頼する場面。 ちょっとした違和感がありました。 違和感は何か考えたところ以下でした。

デイヴァー兄妹は、悪と戦い正義を貫くためにはヒーロー活動が必要だと説得するのですが、ここに誤魔化しがあります。 本当は、「悪がなくなれば、正義は不要になる」のです。根底にあるのは経済原理です。あるいは市場原理主義とも云うようです。

言い換えると「経済のためには、悪と正義が必要」ということです。経済のためには国家間の戦争や紛争、宗教テロなどあらゆる争いが必要だと云うことです。 金融資本家、金貸しは両者にお金を貸します。どちらからもお金儲けができるのです。ですから「争いがなくなると儲けること」ができなくなります。何とかして「正義のために、争いを起こしてもらわねばならない」のです。正義は立場によりますから、曖昧です。 お金儲けのためには大義名分を与える事件をねつ造すればよいのです。後は、ベトナム戦争のように泥沼です。「トンキン湾事件、攻撃されないなら、攻撃を捏造すればいい

まあ、デイヴァー兄妹の通信会社は破壊された街の復興の需要で儲けることになるでしょう。戦争は、純消費です。 軍備と建築、土木、医療、道路、港湾、エネルギー産業、通信、上下水道などインフラの消費(破壊)です。 続きを読む

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五感でわかる運動から作った 時間 を用いて 五感でわからない素粒子の運動と比較する 果たして素粒子の運動は時間に比例しているのか?

長らく数学者岡潔の言葉「自然科学者の時間空間」を元にして、 時間 について考えてきました。漸く簡潔にして直接の疑問にまとめることができるようになりました。

自然科学者は、人の肉体に備わった五感でわかる物質の運動から作った時間を用いて、人の五感でわからない素粒子群や天体の運動とを比較しています。 果たして素粒子群などの運動は、時間に比例して起きるのだろうか?

人の感覚でわかる物や事を経験して得た観念である時間を用いて、経験することができない素粒子群や天体の運動と比較することに意味があるのでしょうか?

先に書いたように、仮に「素粒子の振動運動」を用いて作った素粒子時計があるならば、そうして作った時間と素粒子の運動とを比較することに意味は見いだせるような気がします。でなければ、意味が無いように感じます。

どう考えても、人の感覚でわかる範囲を越えた(表の両端)部分に人の時間感覚を適用できるような気がしません。 見ることも触ることもできない物や事に人の観念に過ぎない時間を適用することはできないでしょう。

 

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自然科学 は還元主義なのに「時間」を用いることによって、循環論になっている 

自然科学 の矛盾点と限界について、足かけ4年ほどかかって考えてきたのですが、前回の記事を書いていて気付きました。

自然科学は還元主義の形をとっているにもかかわらず、時間を用いることによって循環論法になっています。 これはあり得ないことです。

図1

科学の根幹が非論理的構造をしているのです。あり得ません。

事の発端は、2つあります。「私は時間のドレイになるつもりはない。」とある科学者が言ったことと、当サイト内に置いたヒッグス粒子に関する記事the-manuscript-of-survival-part68日本語文.pdf」にある「非常に多くの賢い頭脳を間違った方向に向けさせている、上手に組み立てた誤魔化しのプロェクトなのです。」という文でした。 特に後者は文中に時間という語句は出てきませんけれども、誤魔化しの本質が時間にあるのではないかという直観がありました。

その後に数学者岡潔の存在を知りました。 岡潔は次のように述べています。「自然科学は間違っている」より、【2】自然科学者の時間空間を引用します。

自然科学者は自然というものをどういうものだと考えているかということを代りに言ってやって、そして、それを検討するより仕方がない。

自然科学者は初めに時間、空間というものがあると思っています。絵を描く時、初めに画用紙があるようなものです。そう思ってます。時間、空間とはどういうものかと少しも考えてはいない。これ、空間の方はまだ良いんですが、わかりますから。時間の方はわかりませんから。

時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。空間とは大分違う。

人は時間の中なんかに住んでやしない。時の中に住んでいる。

時には現在、過去、未来があります。各々、全く性質が違うんです。それ以外、いろいろありますが、時について一番深く考えたのは道元禅師です。

が、その時の属性のうちに、時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。その一つの性質を取り出して、そうして観念化したものが時間です。非常に問題になる。

岡潔は大天才です。 合理的に考えて行き着く自明の事には触れませんし、簡単な語句しか用いません。どうも、岡潔から学ぼうとする人は文系の人が多いように感じます。理系の人で惹きつけられる人は、岡潔の数学による業績に目が行くようです。理系の人は随筆をさらっと読み飛ばしているのではないかと感じます。 本当にどちらの人たちも岡潔の言葉から深く読み取る人は少ないと感じてきました。

改めて、箇条書きにします。

  1. 自然科学者は自然を時間空間と言った。これは簡単な模型。自然そのものではない。
  2. 人は時(過去現在未来)の中に住む。
  3. 時間は時の過去の性質を取り出して観念化したもの。(観念としての時間)
  4. 時間は運動から作る。直接にはわからない。(物理的な時間)
  5. 自然科学者は運動が時間に比例して起こると決めてかかっている。
  6. そういう時間はあると思っている。
  7. そういう時間はわかると思っている。

岡潔は別のところで自然科学者の考えている自然のことを「物質的自然」と呼びました。

詳しくは、過去記事を「時間」で検索ください。直近の記事ほど詳しくなっています。最も古い記事は、ミヒャエル・エンデの「モモ」を引用しているあたりです。

自然科学は近似にならざるを得ないし、終わりがありません。 はっきり「自然科学は間違っている」とわかりました。 どんな理屈をこねたってダメです。

【1】このままでは人類は滅びる」において次のように述べています。

自然科学というものは、自然とはどういうものかということを言わないで、自然というのはわかり切っていると一人決めにしている。そして、これについて科学した結果を集めたものです。

だから、かようなものは学問とはいえません。これは単なる思想です。

一人決めにした部分を切り取って科学した結果寄せ集めたものだというのです。だから分野ごとに断裂していたのです。これが統合失調の原因です。 これらの寄せ集めは、単なる思想であって学問とはいえません。 各分野の間に置き去りにされた現象に大事なことがあるはずです。

E=mcについて。

物質はエネルギーに転換するし逆にもなるというが、本当は一つの実体の異なる面に過ぎない。

時間を用いずに自然を記述する以外に道はありません。

 

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