書く意味があるのかわかりませんけれど、かなり以前から気づいていることをメモしておきます。
旧約聖書の「出エジプト記」には、モーセが神に自身が何者かを問うたとき、神は『わたしは有って有る者』と述べたとあります。(注:引用先と管理人は関係ありません。)
弧理論(Ark Theory)は、
の紡錘図形と
の宇宙図を解析することで出てきた考え方です。 紡錘図形(写真1の下部)を最も簡単に示したのが
です。 図2について、3次元物理空間(M軸)にある質量はエネルギー軸(E軸)上に存在する実体が「積分を伴う回転投影」されることによって現れます。 投影によって決まるのは、質量mと3次元空間での位置です。 実体が持つ「真のエネルギー値」が投影されることによって質量となります。また、位置と位置の間が距離Lです。
そして、観測者に対して運動する物体は実体がM軸とのなす角度θに応じた傾斜を持ち投影された線分が運動Pとして現れます。
自然科学において、運動は時間に比例して起きるとされます。これまで書いてきたように自然科学者たちは「運動は時間から求め、時間は運動から求めて」きました。 しかし、弧理論において「ある」のは物体の運動Pだけであり、「時間」は存在しません。 つまり、弧理論による考え方では、宇宙は「空間と質量を持つ物体があり、物体の相対的な運動がある」のです。
写真1及び図1からいえるのは、「ある」のは物体であって、その質量mと位置が「ある」だけです。「どこ」にあるかは、観測者との相対的な「位置」によって決まります。「いつからいつまで」という概念そのものが存在しないのです。 また、「宇宙の外」という概念も含まれないし、「なぜ存在する」のかも含まれていません。
冒頭のモーセの問いへの神の答えには「いつからいつまで」あるのか「どこ」にあるのか答えていません。勿論「宇宙の外」について答えていないし、「なぜ存在する」のかについても答えていないのです。
これを似ていないというにはあまりにも不自然です。
補足説明 図3について 運動Pする物体の真のエネルギー値は静止時よりΔE=(E2-E’)だけ減少します。運動Pする物体の持つ真のエネルギー値はΔEだけ減少するということです。すると弧理論の考え方によれば、重力は真のエネルギー値による表面張力のようなものですから、運動Pする物体は観測者から見て重力が減少することになります。しかし、東北大学の早坂氏の実験のように単に「回転する独楽の回転方向によって重さが異なる」というようなものではありません。このことについては、別途実験を試み、解説の見込みです。
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