ノーベル物理学賞 ブラックホール研究 について

「2020年 ノーベル物理学賞 をブラックホール研究の3氏が受賞」というニュースが流れました。

イベント・ホライズン・テレスコープで撮影された、銀河M87中心の巨大ブラックホールシャドウ写真1 出展:EHT Collaboration

どうもダメです。管理人にはある疑念が常にあります。大体、次のような疑問です。

  1. 自然科学は量ではない時間を変数とした循環・ループ・ネットワークである。相対論は時間を光速度に置き換えたに過ぎない。
  2. 人が持つ2つの心の内、第1の心は、「意識を通し言葉で言える」というものである。そもそも言葉は、互いに規定し合うことにより成り立つ循環・ループ・ネットワークである。第1の心は「外のない内」である。従って、自然科学を含む如何なる科学も本質的に循環にならざるを得ない。これは第1の心の特性である。     過去記事および動画を参照のこと。:【6】数学の使えない世界より。岡潔が「自然数の1は決してわからない」と言ったのはこのこと。※↓動画2を参照。
  3. 数学は言葉と同じ、第1の心の表れであるから、数学もまた本質的に循環・外のない内である。
  4. 数学には級数がある。(発散、あるいは∞も「外のない内」であることに注意。) 級数の一つに再帰がある。その一つにフラクタルがある。
  5. つまりは、あらゆる物質的自然についての実験や観測も第1の心の内にあるとともに、自然科学の一分野である物理学理論(数学理論)もまた、第1の心の表れである。

宇宙を観測して得られる冒頭の写真も、ペンローズの理論も第1の心の特性に基づく結果です。どう考えてもそこには再帰的要素があるはずと考えざるを得ません。ということは、再帰に表れる発散や無限大、あるいは数学の特異点なども第1の心の特性によるということです。無限とは”有限でない”ことという程度の意味しかありません。発散や無限大、あるいは特異点も「外のない内」であることに気づいてください。

つまり、自然にある山並みや木々の様子、あるいはシダ類の葉、月面のクレーターに現れるフラクタルな要素は皆、第1の心の特性と関係し、自然を理解するに使っている数学もまた第1の心の特性を使ったものだから、理論に再帰・フラクタルが表れるのだと考えます。

写真1 出展:観葉植物のシダにはどんな特徴がある?

写真2 出展:月面拡大写真

「自然が何故か再帰的」なのではなくて、「自然は心があるために映写される映像に過ぎない」のです。「【3】西洋の唯物主義

事実、イタリアの理論物理学者カルロ・ロヴェッリは著書「時間は存在しない」P99~において次のように述べています。

量子場は、相互作用や出来事について語るための言語規範に過ぎないことがすでに明らかになっている。

言語規範とは、互いに規定し合うことにより成り立つという意味です。つまり、量子場から生じる素粒子群は互いに規定し合うことで説明されるということです。

これら天体の観測や日常あるいは極微の実験と理論の間にある奇妙な整合性はすべて第1の心の特性(互いに規定し合うことにより成り立つ循環・ループ・ネットワークであり、再帰的である。)からきているということです。

 

では、第1の心の特性の行き着く先は何処にあるのでしょうか。結論です。

大胆な言い方ですが、極小の領域も極大の領域もその行き着く先は「抽象」だということです。つまり、ブラックホールの観測と理論も、素粒子の観測と理論も複雑かつ精緻ではあるが人の持つ感覚でわかる物や事(具体)からはほど遠く、抽象だと考えます。

図1 人間社会のすべては抽象化へ向かっている。2つの心は乖離することで、社会は病む。これは善悪ではない。

 

もう少しわかりやすく表現します。

万華鏡の美しさは極めて高い対称性にあります。


動画1

しかし、その仕組みはとても簡単であると誰もが知っています。

写真3

  1. 見えるまま(観測や実験の結果)を元とする。
  2. 数学を使って対称性を持つ精密な理論を構築する。
  3. 以て、万華鏡の仕組みがわかる。

これが自然科学の現状です。一見、何の問題もなく「宇宙は精密で対称性が高く、理論の通りだ。」と言っている状態です。しかし、まったくの見当違いです。

 

ブラックホールは一般相対性理論の行き着いた先です。空間に対して不変のモノサシとして光速度不変の原理をおいて構築されていますが、角度から作った時間は量ではありませんし、時間を光速度に置き換えるには、その前に時間がわかっていなければなりません。時間は物質的自然の内にある天体や惑星あるいはセシウム原子の運動から作ります。これは循環であり堂々巡りです。(冒頭の図)

空間の特異点などを議論するには、その前に空間とは何か、それは何処にあるのかわからねばなりません。まして、相対性理論は、色々と疑義があります。参考:「七つの科学事件ファイル―科学論争の顛末 (日本語) 単行本 – 1997/2/1

これまでの考察については、右検索窓で「万華鏡、カルロ・ロヴェッリ、相対性理論、七つの科学事件」で検索ください。ここまで来て問題の本質は時間にあるのではないことがわかります。

空間に対して不変なモノサシを光速度に取るのではなく、別の次元軸方向にとるべきです。でないと理論の循環を回避することはできません

写真4 光速度を空間に対して不変なモノサシとする。これでは循環を回避できないし、物と事の区別がない。

写真5 時間を使わず、別の次元軸方向にモノサシをおくことで当面の間、循環を回避できるし、物と事の区別を付けられる。

別の次元軸(E軸上)にある実体の投影の結果として「場」ができると考えます。それが境界空間です。境界空間とは、エーテルはないがポテンシャルはあるという「」です。原因は別の次元軸にあります。2020年9月28日の記事『空間 とは境界であり、そのまま「場」である。

恐らく、ベクトルポテンシャルはその一つだろうと考えています。『電子波で見る電磁界分布 【 ベクトルポテンシャルを感じる電子波  】』 もしくは、ベクトルポテンシャルは、幾つかのポテンシャルの差分ではないかと考えています。

 

※↑ 参考動画

動画2

 

Φ について

2010年より研究しています。
カテゴリー: 解説 タグ: , , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA