ヲシテ文献の タマシヰ と物質との関係

ヲシテ文献にある タマシヰ について漸くわかりました。タマは(心の主体)であり、シヰは強いるのシヰで、欲しい欲しいのシヰ、つまり(生命維持の欲求)です。結論を言います。

タマシヰは、一つの実体の異なる面に過ぎない。

結論は出ていたのに今まで気(キ)づきませんでした。これまでの考察により、わかっていることを箇条書きにします。以下については、過去記事を参照ください。

  1. タマシヰは、一つの実体の異なる面に過ぎない。
  2. 第2の心(情)と第1の心は、一つの実体の異なる面に過ぎない。
  3. 人の感覚でわかるは、一つの実体の異なる面に過ぎない。(この春に気づいた。※↓)
  4. 物質運動は、一つの実体の異なる面に過ぎない。
  5. 時の現在過去は、一つの実体の異なる面に過ぎない。
  6. ヲシテ文献のナサケヱダアワレヱダは、一つの実体の異なる面に過ぎない。(併せてミヤビといい、他人を思いやる心。記憶も司っている。ホツマ辞典P226)
  7. 静止画動画は、一つの実体の異なる面に過ぎない。

7.について、例えば、次図をご覧ください。

写真1

岡潔が云ったように、人は第2の心によって、”猫は猫なりの趣がわかる”のであって、第1の心(わけることによりわかるとする還元主義:物の理とか理解)によってわかっているのではありません。写真1にある目の部分を”わけて”いくと画素に行き着きます。画素は、状態を変化させるだけで、画素に”猫”の基本的な素材は含まれていません。それでも人は、画素の集合に”猫”を見いだします。何故わかるのかというと第2の心によってわかっているからです。決してわけることによりわかっているのではありません

写真1は、静止画で、時の現在です。ですから、第2の心では動画としてわかるのではありません。動画としては第1の心(時の過去)によります。猫が動く様子は第1の心の特性によります。ですから、第2の心がなければ一切はありません。第1の心と記憶は密接な関係があります。情報の本質に関わります。

図1

 

3.で示した「人の感覚でわかるは、一つの実体の異なる面に過ぎない。」は、重要です。 自然科学はから生じる粒子により説明しています。物質粒子と力を伝える粒子です。(近接作用)

図2

勿論のこと、時間は物の量ではなくて、事の質にかかる”10進数による12の倍数”です。(時間とは事の「質」である) 時間を光速度に置き換えても自然科学が間違いであることに変わりありませんけれども、重要なのは、自然科学が物と事の区別が出来ていないということです。

 

事の発端は、ある科学者の言葉からでした。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない

岡潔の言葉より”時間は量ではない”ことがわかっていましたので、エネルギー[ML2T-2]という言葉を使えません。そこで、時間を含まない運動と言い換えています。すると下線部分を言い換えると次になります。

物質は運動に転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質も運動も一つの実体の異なる側面に過ぎない。

図にすると次になります。

図3 真のエネルギー値を持つ実体が投影され物質&運動として表れる。

上図の元となる図は、次です。

図4 G・アダムスキーの遺した紡錘図形に補助線を入れた

さらに、この図の全体は次です。

図5 弧理論(Ark)の本質は、心の仕組みと働きを別の次元軸上に求めるところにある。

大宇宙の中心は、別の次元軸上にあります。その中心は2つ(アとワ)あり、アからの投影による映像がです。もう一つの面がです。だから、ヲシテ文献にあるように「ヒトは ア のもの」なのです。 そこには生物や無生物の区別はありません。物と事、つまり物と運動があるだけです。物の性質として次にように説明してきました。

  • 静止し得ない。
  • 運動せざるを得ない。
  • 宇宙において、静止は例外中の例外。

古くは2015年10月5日の記事「弧理論によるE=mc^2の解釈と物体の運動」にあります。 ”運動”といえば、”外部から力が働く”というイメージを持ってしまいます。それでは間違ってしまいます。「力があるから運動がある」というのが間違いです。今までのところ「運動」としか言い表せません。何か適切な表現を探しています。

ついでながら、運動には、種類があります。本質的な回転運動とそれ以外の運動です。自然科学のもう一つの間違いがここです。重力は本質的な回転運動に起因する現象です。相対性理論によるものではありません。

 

※ 岡潔は「数は量のかげ」と云いました。同じく「時間という計量的なものはない。」とも云いました。では、時間はどういったなのかが長い間の疑問でした。 人の感覚でわかるのは物と事です。 つまり、岡潔が云わなかったのは、「数は質のかげ」なのです。正確には「数は事の質のかげ」です。事の質とは情報です。 熱力学的エントロピーと情報エントロピーが同じ数式で表される理由がここにあります。

動画1

 

私たちが生活する自然にある”物”や”事”のすべては、タマとシヰの表れだったのです。すべては別の次元軸からの投影による映像です。それはヲシテ文献に示されるカミの仕組みと働きによるという意味では、この解釈は正しいと考えられます。『カミ』の定義を示します。図5と見比べてお読みください。

「ア」と「ワ」は、つながり、「ウ」をもたらし、「ウ」よりヒトを生じさせる。「ヒトハ アノモノ」であり、「ヒトハ ウナリ」。

あらゆる物と事を「生じさせる」ところがミソです。ウとは、「ウズ:渦=本質的な回転運動→物質と出来事」を意味します。そして、岡潔が伝えた山崎弁栄上人の言葉とも整合します。【3】 西洋の唯物主義より。

大正9年に亡くなった山崎弁栄という上人がありますが、その人は心について大変詳しく云っていますが、その人の云うところによると、本当に実在しているのは心だけである。自然は心があるために映写されている映像にすぎない。そう云ってるんです。

タマシヰ を漢字の「魂」としたのではまったく意味をなしません。岡潔も凄いですし、引用された山崎弁栄上人も凄いですが、ヲシテ文献に登場する人たちはもっと凄いです。渡来系の人が多くなった神武天皇以降はダメです。

 

記事の中程で引用したある科学者は、どれだけの事を知っているのでしょうか。実は、管理人の研究目的は2つあります。2015年5月6日の記事「これまでの研究と目的」にあります。

  1. 地球人が欲しがっていることを宇宙人が知っていたという〝具体的な証拠〟。即ち、フリーエネルギーと重力制御に関する理論と基礎的な実験。
  2. 地球の古代文明の歴史やその文明の哲学のなかには、彼らの遊星上で知られていて、そこに住む人々によって保たれている歴史や哲学と一致するもの。

2.が管理人の主たる目的です。つまり、ヲシテ文献に示されるヲシテ哲学と異星人に知られていて、そこで保たれている哲学とが同一であることを証明することです。この目的は、ほぼ達し得たと考えています。ミクサタカラ(タマ:精神科学、カガミ:社会科学、ツルギ:物質科学)のうち、タマ:精神科学とカガミ:社会科学は手に入れたと考えてきましたけれども、目的の2.に達したのはうれしいです。

図6 ミクサタカラ(タマ:精神科学、カガミ:社会科学、ツルギ:物質科学)は互いにラップしている。

ある科学者次のように述べています。

君らの科学が進歩し続けるために必要なのは、君たがとまっている枝から枝との分岐点まで降りて、ふたたび登り始めることだ。

これで、分岐点に達したのではないかと考えます。上記2.の証明が分岐点だったということに、今、気(キ)づきました。 まだ、気(キ)づいてないことがあるかも知れませんが。

 

Φ について

2010年より研究しています。
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