宇宙哲学は縄文哲学に接続しなければならない

いつも引用するある科学者は、3つの科学が等しく発達する必要があると強調しています。3つの科学とは、「精神科学・社会科学・物質科学」です。 そして、「まず精神科学と社会科学が出てくる」と述べています。

G・アダムスキーが残した紡錘図形から物質科学を目指してきたのですけれど、紡錘図形の解釈から得られた弧理論(Ark Theory)の考え方が、縄文哲学の魂(タマ+シヰ)にそっくだと気付きました。  大変意外なことなのですけれど、紡錘図形について追求していった結果、唐突にも精神科学が「縄文哲学」として出てきのです。

偶然というか、必然というか、ある科学者が述べたとおりの結果でした。 やはりここは、物質科学の追求を一端置き、精神科学・社会科学を目指すべきとの結論に達しました。

どうも、縄文哲学の核心は、「トのヲシテ」にあるようです。 紡錘図形は、弧理論による原子模型です。 追求すれば精神科学が出てきます。 しかしながら、宇宙哲学より、縄文哲学の方がより日本人に馴染みやすく、かつ具体的です。

宇宙哲学を縄文哲学につなぐことによって、精神科学・社会科学を理解することができ、やがては紡錘図形の中から、目指す物質科学の芽が得られるだろうということです。

ただ、ある科学者は「3つの科学に明確な仕切り線はない」と述べています。  俄には受け入れがたいことなのですが、我々の精神活動の内、想念は物理現象の一種らしいです。※ 精神科学と物質科学が部分的に重なっているということです。

G・アダムスキーによる宇宙哲学(因とマインド)は、クニトコタチさんの縄文哲学(トのヲシテ)につながねばならないということです。

※ 想念は、時間を含まない真のエネルギーの一形態だと考えますと、M軸上の我々からは、想念が無始無終かつ無辺である訳です、「何処から何処へ」「どちらからどちらへ」ということはありません。 そして、真のエネルギーの一形態である想念が、身体に「生理学的電気」として、即ち電子やイオンの運動P_として現れると考えられます。 つまり、人体は想念のアンテナとしての機能を有しているというふうに考えられるのです。 当然、そうなれば「想念の増幅器が開発される可能性がでてくる」ということです。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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