本当のこと とは何か?

ある科学者は、物質とエネルギー[LM2T-2]の関係について次のように述べています。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない

時間は物理量ではなく、事の質です。エネルギーは時間を含むので時間を含まない運動と言い換えます。下線部分を言い換えると次になります。

  1. 物質も運動も一つの実体の異なる面に過ぎない。
  2. 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない。

2.の解釈は今年わかったことです。人の肉体に備わった感覚でわかるのは、です。まとめると運動は、事であり、事の質とは情報です。で、 本当のこと とは本当の情報ということになります。

では、情報とは何でしょうか。情報を蓄えるには必ずわずかばかりのエネルギー([LM2T-2]、あるいは運動)が必要です。そして情報には質による特性があります。情報の特性は次です。

  1. 情報には発信源がある。これを1次とする。
  2. 情報は拡散する。2次、3次と伝搬する。
  3. 情報は拡散するとともに価値は下がる。
  4. テレビ、新聞等に掲載される情報は3次、4次情報。
  5. 例えば、1次情報に接する内部関係者がこれを利用して金儲けをするとインサイダー取引として罪に問われることがある。

情報は時とともに拡散し、陳腐化し価値は下がります。で、 本当のこと とは、拡散しても価値が下がらない情報と云うことです。そのような事があるのでしょうか。どのような理論、仮に宇宙根源理論、あるいは量子重力理論、その他究極理論があったとします。そのような理論にかかる情報が拡散しても世の中何もかわりません。つまり、その理論は究極理論と云いながら、 本当のこと が含まれていないのです。

本当のこととは、拡散、伝搬しても価値が下がらない情報のことです。時事問題、経済、金融、政治等など、どんな重大事も時の経過とともに必ず風化していきます。拡散しても価値が変わらない情報とは、(たぶん)フリーエネルギー、あるいは重力制御に関する情報とか、人の心の仕組みと働きなどに関する情報だと感じます。逆に言えば、古今東西、太古より伝わり変わらない情報に 本当のこと が含まれているように思います。ただ、誰もその価値に気(キ)づかない状況です。皆、本当のことに興味がないのです。

 

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科学の元 ”わかる”の過程について

既出として、”わかる”には2つあります。

  1. わけることによりわかるとする還元主義
  2. 何となくその趣がわかる

人の五感でわかるのは、物や事です。そのわかり方には、2つのわかり方があるということです。

自然科学のわかり方は1.によります。しかし、科学の発達は2.によります。その2.によるわかり方の過程についてです。それが、前回の記事にある”気(キ)づく”です。

 

岡潔は「わからないものに関心を集め続ける」、「やがて努力感のない精神統一に至る」「情的にわかり」、「それを知的に言い表すことにより文化はできてくる」と述べています。

簡潔に書いていますが、若い頃からの積み重ねによって言い表せるようになったと感じます。その過程について春宵十話に出てきます。引用したサイト(生野学園2017年8月)がありますので、そこから引用します。

岡潔は、ある数学の分野で当時はまだ誰にも解けなかった難問にチャレンジすることを決意したのですが、さすがに難しく、毎日朝から晩まで考えても全く手がかりもつかめません。
そんな状態が3ヶ月も続き、もうどんな無茶な、荒唐無稽の試みも考えられなくなってしまい、それでも無理にやっているとはじめの十分ぐらいはなんとか集中できても、あとは眠くなってしまう状態になったそうです。

そんな時に友人に誘われて夏休みを北海道で過ごすことになったのですが、問題の方はあいかわらずで、夏の間は借りた部屋のソファーでほとんど寝て過ごしてしまったそうです。
岡潔はこの時のことを「(知人に)嗜眠性脳炎というあだ名をつけられてしまった。」と書いています。

ところが9月に入り、いよいよ帰らねばと思ったとき、朝食のあとふと考えが一つの方向に向いて内容がはっきりして、どうやって問題を解いたらよいかがすっかりわかってしまったそうです。

そしてその時の喜びを、
「このときはただうれしさでいっぱいで、発見の正しさには全く疑いを持たず、帰りの汽車の中でも数学のことなど何も考えずに、喜びにあふれた心で車窓の外に移り行く風景をながめているばかりだった。」 と書いています。

さらに、この経験について 「全くわからないという状態が続いたこと、その後に眠ってばかりいるような一種の放心状態があったこと、これが発見にとって大切なことだったに違いない。」、「緊張と、それに続く一種のゆるみが必要」と述べています。

一言で言うと「弛緩と関心」です。管理人がこの言葉を知ったのは高校生の時でG・アダムスキーの本からです。一朝一夕に実践できるものではありませんけれど、岡潔が「計算も論理もない数学」と表現したのはこのことです。 真似て云うならば「計算も論理もない科学」です。 ほぼ理解してもらえない手法ながら、わかりやすく云うと「気(キ)づく」です。 数学ならば計算することで検証できますが、管理人の図形や文章で表現したものは検証できないので説得力がないです。 科学の元 は気(キ)づくです。

現状、一部の芸術家が実践していますけれど、一番遠いのが1.の手法を用いている自然科学者です。1.の緊張と集中により行き着くのは「抽象」です。そこには混沌しかありません。人は1.によりわかっているのではありません

補足として、1.は時の過去で、「動画がわかる」で、それには記憶が必要です。(身体性)そのわかり方は、意識を通し言葉で言えるもので、生命維持の欲求です。 2.は時の現在で、「静止画がわかる」ということです。そのわかり方は意識を通さず言葉で言えないもので、心の本体です。

図1

要するに、科学するとか数学する、あるいは芸術するというのは、心の本体による活性の発露ということです。どんなに精密、緻密な論理であっても抽象では無意味です。

それにしてもツルギ:物質科学の切っ掛けがありません。ヒントは出そろった感があるのに。難しいです。「もうどんな無茶な、荒唐無稽の試みも考えられなくなってしまい、それでも無理にやっているとはじめの十分ぐらいはなんとか集中できても、あとは眠くなってしまいます。」 発散トーラスを組み合わせる楕円磁場(双極)のアイディアをヲシテ文献のフトマニ(モトアケ)から得たのですが、さすがに荒唐無稽なので自身で受け入れがたく、戸惑っています。ほかのヒントとの整合性が問題です。物質 科学の元 です。

 

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人に気(キ)づくことを強制できない。

岡潔の「わからないものに関心を集め続ける」というのは、わからないから考え続けるのであって、わからないものがあるかどうかさえ考えが及ばないのは、どうしようもありません。

岡潔は「情・知・意」の順に働くと云いました。は、「意識を通し言葉で言える」ものですが、情は意識を通さず言葉で言えません。情がなければ、何事も始まりません。「わからないもの」の有無に考えが及ばないのでは、何も始まらないのです。

岡潔は「情・知・意」の順を云いましたが、人にを強制することはできません。どうもがいても意味をわかっていただけないのです。

 

面白いことに、日月神示には、該当する部分があります。一部引用します。ひふみ神示 第八巻 磐戸(一八十)の巻より。

第二帖(二三八)
つけてくれよ、がもとざぞ、から生れるのざぞ、心くばれと申してあろが、心のもとはざぞ、総てのもとはであるぞ、(よろこび)ざぞ、臣民みなにそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、うれしキは うれしキことうむぞ、かなしキは かなしキことうむぞ、おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災でも、臣民の心の中にうごくキのままになるのざぞ。この道理わかるであろがな。爆弾でもあたると思へばあたるのざぞ、おそれるとおそろしことになるのざぞ、ものはキから生れるのざ、キがもとぞ、くどくキづけておくぞ。ムのキ動けばムくるぞ、ウのキうごけばウ来るぞ、どんな九十(コト)でもキあれば出来るぞ、キからうまれるぞ、勇んで神の御用つとめて下されよ。十二月三十一日、の一つ九

 

強調は管理人による。 とは、ヲシテ文献の「キ(東)・ツ(西)・ヲ(中央)・サ(南)・ネ(北)」のキです。漢字で書くと(気)です。日の昇る東(キ)です。命でありパワーであり、エネルギーの源というです。

図1

岡潔は「情」と云いましたが、ヲシテ文献ではトのヲシテですし、日月神示では気(キ)です。日月神示で最も力説しているのは、皆に気(キ)づくよう促しているのです。人から気(キ)づくよう強制することはできませんけど、日月神示ならOKです。

「気(キ)づく」ならば、現代人の誰でも意味がわかります。「がもとざぞ」ですから、日いずる我が国、ヒノモト(日本)に通じるのです。

図2 別の次元軸上にある中心が「ア」と「ワ」。「ア」は日月神示の「○+ゝ」に同じ。

は大宇宙の中心であるより来ます。岡潔のは、ヲシテ文献の心の隋心であるナサケヱダに同じです。情は「時の現在が(映像として意識を通さず言葉で言えないが)わかる」です。

人は、わけることによりわかっているのではありません。朝目覚めて、気(キ)づいてから漸く意識するのです。

 

「心の仕組みと働きを別の次元軸に求める」というのは、上記のことが事実だと認めることです。現在までのところ、そうとしか思えません。

 

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このまま 人類は滅びる が、防ぐ方法はある。

岡潔は、「世界は間違った思想の洪水である。このままでは 人類は滅びる 。」と述べました。岡潔は、何がどのように間違っているかを大雑把に述べています。

  • 自然とはこうだと決めて、これを科学したものの寄せ集め。
  • 人文科学・社会科学・自然科学の内、自然科学が怪しい。
  • 自然科学の時間・空間は簡単な模型。
  • 時間という計量的なものはない。

既に、時間は、物の量ではなくて事の質(情報)であるとわかっています。次に、各々が「自然とはこういうものだ」と決めつけて科学した「各々の科学」は、どのようであるかを整理しました。その上で、人類の文明はどの方向へ向かっているかを検討しました。それが次図です。

図1 ここで示す「ツルギ:社会科学」は「人文科学・社会科学・自然科学」の社会科学とは異なる。

訂正9/8 図1表題に誤りがありました。誤(ツルギ)正しくは(カガミ)です。

横軸に「具体~抽象」縦軸にその複雑さをとっています。岡潔の2つの心は、ヲシテ文献のタマシヰに同じです。心の主体であるタマが「わかる」のは映像として、その趣がわかるというものです。そのわかり方は意識を通さず言葉で言えません。 方やシヰの「わかる」は、「わけることによりわかるとする還元主義」と「五感でわからないものはないとしか思えない唯物主義」です。そのわかり方は、意識を通し言葉で言えるものです。

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自然科学 は何処でどう間違ったか?

これまでの考察により 自然科学 の間違いは概ねわかっています。

図1

電磁気学の成立過程において、電気磁気現象の非対称部分を意図的にそぎ落としたらしいことはわかっています。

 

一方で図1とは異なる観点から整理できます。何度も引用しているイタリアの理論物理学者カルロ・ロヴェッリの著書「すごい物理学講義」より引用します。

写真1 すごい物理学講義

図2 出展:上記書籍p191より図7-8

この図に加筆したのが下図です。 続きを読む

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皆、 本当のこと に興味はない。

近頃感じるのは、世の中の人たちは皆、 本当のこと に興味がないということです。2年ほど前に某会にてスピーチする機会を得ました。その会の方たちは、 本当のこと に興味を持って参加しておられると思っていました。ところ後で考えると、何にでも興味は持たれるが、本当かどうかに興味がないのだとわかりました。

最近は、専門家でも 本当のこと などどうでもよいという方ばかりだとわかってきました。真実を知って、事実を知って、皆に知ってもらおうと活動している歴史家、評論家、ジャーナリスト、科学者など一部を除いて、手段に過ぎないお金を目的に平気で嘘を言っているようです。

学者は、役に立つかどうかなどどうでもよくて、本当のことを知りたいという欲求により活動する人です。ところが、大学教授の9割方は、本当のことなどどうでもよいそうです。研究費の調達に汲々として、研究がおろそかだといいます。ほとんどの大学教授は科学者ではないのです。

新型コロナウイルスでの騒動や中国での集中豪雨被害の状況を見ていると気分が落ち込みます。指導者やマスコミは科学的な根拠などどうでもよくて、支持率、視聴率や販売部数にのみ関心があります。こんな事態でもなお権力闘争にあけくれています。

 

このような状況になった原因について考えるとどうも「科学が面白くない」ことに原因があるのではないかと思います。これまで調べてきたことを総合すると19世紀のある時点で、金融資本家により科学が歪められた結果ではないかと考えます。ボタンの掛け違いは現在まで続いているように思います。 続きを読む

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時間 とは事の「質」である。

時間 とは何かについて、これまで散々考えてきましたが、まだ気づくことがありました前回記事にて、ご紹介した動画の内容について、解説します。

動画1

人の五感でわかるのは、「物と事」です。最初に「」について気になりだしたのは、本居宣長の云う「もののあわれ」からです。(本居宣長研究ノート「輪間と心とは」本論第九回「もののあはれ」の巻

ホツマ事典p226によれば、タマの「隋心」としてミヤビ(ナサケヱダ、アワレヱダ)があります。岡潔の云う「情」は、ナサケヱダであり、本居宣長の”もののあわれ”がアワレヱダに対応すると感じました。ナサケヱダは、時の現在(静止画がわかる)であり、アワレヱダが時の過去(動画がわかる)だと判断しました。ホツマ事典にあるように、ミヤビは記憶が関係します。情報を記憶するには、わずかばかりのエネルギーが必要です。タマとシヰには、記憶の仕組みがありませんので、身体か必要だということです。

それらの仕分けを整理すると次になります。

図1

  1. 物質も運動(エネルギー)も一つの実体の異なる面。
  2. 物も事も一つの実体の異なる面。
  3. 時の現在も過去も一つの実体の異なる面。
  4. ナサケヱダもアワレヱダも一つの実体の異なる面。
  5. 静止画も動画も一つの実体の異なる面。

人の五感でわかるのは、物と事です。そのわかり方は、物は量がわかり、事は質がわかるのです。ですから、事は時の過去であり、事の質です。岡潔は「数は量のかげ」と云いましたが、同時に、「数は質のかげ」でもあるのです。正確に言えば、「数は事の質のかげ」なのです。 運動には質が対応するということです。

これまで 時間 とは、人が過ぎゆく運動に抱く意識であるとしました。 時間 は時の過去の観念に過ぎないのですが、同時に「時間は運動を数とした」だったのです。

これが、岡潔が「数は量のかげ」と云いながら、「 時間 という計量的なものはない。」と云ったことの意味がわからなかった理由です。ここまでモヤモヤ感がはれなかった訳がわかりました。でも、なぜ、岡潔は「数は質のかげ」と云わなかったのかは不明です。岡潔はいろいろと端折りすぎます。

 

写真1

今年の初め頃より度々、引用するカルロ・ロヴェッリによる著書「時間は存在しない」において、著者は次のように述べています。p99より。

かりにこの世界が物で出来ているとしたら、それはどのようなものなのか。原子なのだろうか。しかし、原子がもっと小さな粒子で構成されていることはすでにわかっている。だったら素粒子なのか。だが素粒子は、束の間の場の揺らぎでしかないことがすでにわかっている。それでは量子場なのか。しかし量子場は、相互作用や出来事について語るための言語規範に過ぎないことがすでに明らかになっている。物理世界が物、つまり実体で構成されているとは思えない。それではうまくいかないのだ。

ポイントは2つです。

  1. 量子場は言語規範に過ぎない。
  2. 物理世界が物で構成されているとは思えない。

1.は既に記事にしました。2.について、著者の疑問が「事」にあると(恐らくは半分)気づいています。別の箇所にあります。p131第九章「時とは無知なり」より。

この世界の基本原理に含まれず、何らかの形でただ「生じる」にすぎないものはたくさんある。

著者は、なぜか「生じる」ものはたくさんあるとして、例を次々と挙げています。物理世界は物ではなくて、出来事であると。

ただ、著者は、人には心が2つあることを知りません。だから、著者が例に挙げた「猫は存在しない」という著者の疑問は晴れないままです。

面白いことに、著者の思考はエントロピーへと向かっています。第十一章「特殊性から生じるもの」「エネルギーではなくエントロピーがこの世界を動かす」にあります。さらに別の著書「すごい物理学講義」の第4部第12章「情報--熱、時間、関係の網」に動画で取り上げたボルツマンの公式(S=k logW)が取り上げられています。

結局の所、情報は人の五感でわかる事の質であって、情報エントロピーも熱力学のエントロピーも運動の一形態だと気づいていないのだろうと思われます。それらのいずれも人の五感でわかるに過ぎません。

 

著者を含める自然科学者が(彼らが考える)自然(時間・空間)というものを数式で表すとき、入れ子になっていることをどう思っているのでしょうか? 自然の一部に過ぎない人が自然を表現しようとして表した数式は、当たり前ながら自然の一部です。ここで、彼らの思考は自然の外に置いている訳です。これは矛盾で、傲慢だと感じます。当サイトで何度でも指摘しているシヰ(第1の心)は、循環でネットワークであり、外のない内です。超えることなど、はなからあり得ません。著者は、言語規範だと気づいているのに入れ子に気づかないのは不思議です。それを回避するには別の次元軸からの投影による映像だと解釈する以外にこれを(当面の間)回避する方法を思いつきません。

量ではない時間を用いずに、かつ「物と事」を区別する科学を別の次元軸からの投影による映像として構築するしかないと確信します。

 

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動画「 自然 という映像の仕組み。熱力学エントロピーと情報エントロピーは同じ事」を掲載しました。

動画サイトに「#06 自然 という映像の仕組み。熱力学エントロピーと情報エントロピーは同じ事」を掲載しました。

動画1

ここのところ、当サイトの過去記事を元に、まとめを動画にしてきたのですが、漸く一山越えたようです。岡潔が「時間という計量的なものはない。」と云います。では時間はどういう「数」なのかがわからない状況が続いてきました。今回、やっと整理が付きました。詳しくは、動画をご覧ください。

まだまだわからないことダラケなのですが、どうもフリーエネルギーのカギは「情報の質」にありそうです。(動画には入れていません。)

 

先日観た動画についてメモしておきます。科学者の 武田邦彦 氏は、わかりやすく解説されるのでよく観ています。(たまに得心できないものもありますが。)たまたま、虎ノ門ニュースを観ていたら12進数について言及されていました。

動画1 DHC】2020/7/10(金) 武田邦彦×須田慎一郎×居島一平【虎ノ門ニュース】

有名な方が12進数について発言されたのは初めてのはずです。

 

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唯物主義と還元主義 の末路は”人類の滅亡”

5月26日の記事「唯物主義と共産主義」にて、感じたことの続きです。

岡潔は、「五感でわからないものはないとしか思えない。これを唯物主義という。」と述べました。その行き着く先が「共産主義:非宗教という宗教」なわけです。はなから自己矛盾を抱えています。

管理人は、自然科学の間違っている点を追求してきました。自然科学の進め方は、上記の唯物主義ともう一つ、還元主義です。還元主義は「わかるの語源はわける」だから、「わけることによりわかる」というものです。

岡潔の言い方を真似ると次になります。

わけることによりわからないものはないとしか思えない

わからないものを「わける」ことによりわかりきり切るということです。一方で、これまの考察により、還元主義には終端があるとわかっています。量子場理論は、(たぶん)還元主義の終端です。それは循環であり、ネットワークであり、外のない内です。それは、岡潔の云った第1の心の特性からきています。

しかし、唯物主義と相まって、還元主義者は「わけて考えられない人なんて人に非ず」と言い切ることになります。唯物主義の「非宗教という宗教」に対応した言葉を思いつかないのですけれど、とにかく人類全てを「そうあらねばならない」と断罪するということです。(うまく言い表せませんw。)

 

これまでの考察により、還元主義の行き着く先は、すべての抽象化でした。どうせ第1の心は、循環でネットワークであり、外のない内だから、答えなどありません。

図1

最後は、何が何だかわからない状態に陥ります。間違いなく。問題は、2つの心(ヲシテ文献のタマとシヰ)の乖離です。第2の心、即ちヲシテ文献のタマは、ごく具体的な物と事について「何となく趣おもむきが直にわかる」働きしかありません。第1の心(シヰ)の特性として抽象化する過程において、次のことが考えられます。

 

最近、動画にてMMT(現代貨幣理論)を観ています。お金の仕組みは、昔いろいろ調べたのと動画”money as debt”でわかっていました。

動画1 money as debt

MMTは、三橋貴明氏のがわかりやすいです。

動画2

図1のように、お金は抽象化の最たるものです。で、どうも、唯物主義かつ還元主義である連中は、上記の通り、極限まで突っ走るようです。そして、彼らは「お金を究極の目的」にします。 お金は人々の生活を満たす手段に過ぎません彼らは、手段を目的にしているのです。

財政破綻論は、理論的にも現実としても破綻しています。

図2 出展:【日本政府の長期債務残高(左軸)と長期金利(右軸)】

財政破綻論者は、手段を目的に替えた財政破綻主義者です。ただのカルトです。理屈なんてどうでもよいのです。自己矛盾を抱えているのです。もう云っていること、やっていることが無茶苦茶です。しかし、彼らもタマとシヰを持っています。たぶん心の奥底は誤魔化せません。

唯物主義と還元主義の行き着く先は滅亡です。岡潔は、「現代は間違った思想の洪水」と云ったのは、上記の「抽象化へ向かう思想群」のことです。

 

2つの心(タマとシヰ)の乖離は不健康です。弧理論におけるガガミ(社会科学:図1)のキモはここにあります。 自然科学の間違っている点と正しい方向を示せば、向かう方向は変えられると思います。でなきゃやってられません。事の本質は、お金の話でも、金融でも産業でも科学技術でもありません。

因みに、数学を用いて究極の理論を打ち立てようと努力されている方。無駄です。数学を含む言葉は、第1の心によります。外のない内です。 自然 > 第1の心。 予め規定することはできません。(当面)回避するには”別の次元軸からの投影による映像の仕組み”を科学する以外に方法はありません。だからこそ未来があり得るとも云えます。

 

動画による解説に鋭意集中しています。うまく表現できないまま進んでいますけれども、何とかなりそうです。最近感じるのは、全体をわからねば、わかった気になれないようです。弧理論の概要を説明しようとすると全体を説明せねばわかってもらえないということです。つまらない導入部が続くのは観る方としては苦痛ですね。

日本人は、自らの頭で考える力が衰えてきています。たぶん、何もかもが抽象化しているせいです。ほんの一握りの人たち(超専門家)にしか(理解し進められない世界。ほとんどの人が理解ではない世界)なんて、知れています。 中学生にもわかる内容でなければ先に進める訳がないです。

 


追記7/10 第1の心(ヲシテ文献のシヰ)、つまり生命維持の欲求は、「意識を通し、言葉で言える。」というものでした。言葉には数学も含みます。言葉は、互いに規定し合うことにより成り立つ循環でネットワークであり、閉じた「外のない内」でした。人は、物や事をわけることによりわかっている訳ではありません。循環だから、そこに答えなどありません。だから、際限なく求め続けるのです。シヰ(生命維持の欲求)により循環に陥るということです。行き着く先は抽象の極地です。何も得るものはありません。こんな簡単なこと、誰も指摘しないのは不思議です。

 

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動画「二つの心(後編)その2」を掲載しました。

岡潔による「2つの心」について、第2の心を解説した動画を掲載しました。

動画1

実は、簡単すぎて誰も考えないから説明されてもいまいちわからないのです。 これで2つの心の仕組みと働きについて、「別の次元軸からの投影による映像」だという仕組みについて、まとめられそうです。

いろいろ考察してきましたが、どう考えても別の次元軸はありそうです。時間は物理量ではありませんから除外して、空間(M軸、物質的自然)に人の心があるというのは無理があります。

前回、記事にてお伝えしたように「情報エントロピーと熱力学エントロピー」について解説するとともに、別の次元軸からの投影の仕組みと併せて解説しようと考えています。

自然科学はどう考えても間違っています。

 

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