聖徳太子はキリストになりえない。何故なら日本に 原罪 はないから

ずっと以前から、仏教とは何かわかりませんでした。考察を続けて、最近アワウタが仏教とユダヤ教・キリスト教の核となる部分を含んでいることがわかりました。その過程で、最大の疑問であったキリスト教の「天国と地獄」と仏教の「地獄と極楽」がなぜ同じなのかがだいたいわかりました。

ユダヤ教とキリスト教にある「天国と地獄」の関係と仏教の(上座仏教と大乗仏教における「地獄と極楽」の関係について、次のようにまとめました。

図1

説明は長くなりますので省略します。この図はブログに掲載する気はなかったのですが、田中英道氏の動画を見ていて、納得したので参考として挙げます。

動画1 田中英道「ネストリウス派蘇我氏の聖徳太子殺害を読み解く」日本国史学会 連続講義 令和4年7月9日 日本経済大学(2022/07/09)

結論だけ書きますと、『蘇我氏が目論んだ(だろう)「聖徳太子をキリストにする」という計画はうまく行かないはず。』です。理由は日本人には 原罪 がないからです。

つまり、ユダヤ人の為の(個別宗教である)ユダヤ教にある「天国と地獄」の考え方には、神から与えられた 原罪 が必須です。その後、ユダヤ人であるイエスが(万人の為の)教えを説き、ユダヤ人に磔刑に処せられて、パウロによってキリスト教に纏められました。

仏教で言えば、個人による悟りのための上座仏教がユダヤ人のためのユダヤ教に対応し、万人にあてた大乗仏教は万人のためのキリスト教に対応します。

しかし、日本人には、地獄極楽に必須となる原罪がありませんので、蘇我氏が聖徳太子をキリストにすべく(仮に)聖徳太子を磔刑に処すことができたとしても聖徳太子はキリストになりえなかったと考えます。それらをまとめたのが図1です。

戒律なき日本仏教の対極にあるのがイスラム教における戒律です。原罪と戒律は神から与えられたという意味では同じです。

動画2 橋爪教授の宗教講義 「宗教的対話 橋爪大三郎 × 小室直樹」

図1は、ピントがずれている点もあろうかと思いますが、どこで、いつ浄土教(浄土信仰)ができたのかわかりませんけれど、 原罪 に相当する部分がないならば、「地獄と極楽」という考え方は、根本的な部分において日本人に馴染まないと考えます。

ある方のお話しでは、「浄土論を読んでもわからない。」と言われました。この言葉を聞いて図1を作成しました。

参考の動画です。

動画 13アワウタは仏教、キリスト教、ユダヤ教を含む

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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