ヲシテ文献 「ヰクラムワタヲ ネコエワケ」と「ミヤビ(ナサケヱダ アワレエダ)」の関係について

ヲシテ文献 にある「ヰクラムワタ」と「ミヤビ(ナサケヱダ&アワレエダ)」の関係について、弧理論による解釈を示します。ただ、気づいた経緯については省略します。

日本語(大和言葉)の起源について考えたとき、最初に気になったのが、 ヲシテ文献 にある次でした。

  • ヰクラムワタ ヲ ネコエワケ フソヨニカヨイ ヨソヤコヱ

フソヨニカヨイ(24で折り返し)てヨソヤコヱ(48音:アワウタ)になります。

図1 出展:日本ヲシテ研究所

では、ヰクラとムワタとは何でしょうか。

  • ヰクラ・・・・5つのクラ。仏教の唯識に出てくる「クラ」には「蓄える」という意味があるとのこと。全体の意味からヰクラを「5つの(情報)の記憶」と解します。つまり、イクラは時の過去に属します。
  • ムワタ・・・・6つのワタ。G・アダムスキーは、「見る、聴く、味わう、臭う、触る」という5つある肉体に備わった器官の働きのうち、”触る”について「touchとfeel」にわけられるとしました。そして、5つの「わかる」を下支えしているのは「feel」であると説明しました。つまり、「わかる」のは5+1の6つあるのです。G・アダムスキーは、「touchとfeel」を「sense mindとsoul mind」と呼んでいます。全体の意味からムワタを6つの「わかる」と解します。soul mindは岡潔の””に等しいと解し、時の現在です。

ただし、ムワタ(6つの現在がわかる)の内、記憶できるのは「見る、聴く、味わう、臭う、触る(touch)」の5つだけです。feelにかかるsoul mindは、岡潔の情と同じく、記憶に関係しません。何故なら、岡潔が言う通り、心の本体(”わかる”の根源)だからです。以上を仏教のBuddhaと併せて整理したのが次図です。

図2 心の仕組みと働きは、(5+1=6)や(1+1=2)などと仕分けられる

ヰクラとムワタによって、5つの記憶6つの(時の現在がわかる ネコヱワケ」たのが「ヨソヤコヱ(図1)」です。

ただし、池田氏によれば、「ヲ」は「タマのヲ」としています。「ネコヱ」は「見えないものの構成要素」とされています。ホツマ日本の歴史物語-1-「アワウタ」の秘密p29より。

管理人は単純にヲを助詞の”を”と解し、ネコヱを根なる声と解しました。つまり、5つのクラと6つのワタ音素(母音と子音)にワケたと理解しました。確かにヲシテ文献を厳密に解するならば、ネコヱは「見えないものの構成要素」なのでしょうけれども、実際には音素(母音と子音)をに並べて、を配したのですから、ネコヱを音素と解して、何の問題もありません。サイト内を”音素”で検索ください。41件の記事があります。

岡潔は時の現在と過去について、【5】情の特色で次のように述べています。

情は分かつべからざる全体である。やはり部分として分かつべからざる全体である。無量のそういう部分がある。情の中には時間も空間もありません。時はありますが時間という計量的なものは無い。また、空間は量的に質的にありませんが、時については2種類、2つですね。過去と現在、それだけですが、新しい現在が古い現在に変わる。その古い現在が過去になっていくということは限りなく繰り返される。そういう意味で未来は無い。

下線は管理人による。新しい現在は古い現在に変わり、古い現在は過去になっていきます。その繰り返しです。

図3 新しい現在に対して、古い現在を記憶する必要がある

岡清は、触れていませんけれども、過去がわかるためには現在を記憶しておく必要があります。でなければ、新しい現在のみわかる訳で、肝心の「動き:過去」がわかりません。その意味で、運動は過去です。弧理論において、を運動と呼ぶ理由です。

ヰクラムワタについては、ここまで。

 

ミヤビは、心の本体であるタマに付随する心、随心とされます。「ホツマ辞典―漢字以前の世界へ 」より。ミヤビは、ナサケヱダとアワレエダよりなります。

ナサケヱダは岡潔の情に同じく、時の現在(静止画がわかる)です。アワレエダは、時の過去で、(動きがわかる:動画がわかる)です。サイト内を本居宣長で検索ください。10件の記事があります。

上述のとおり、過去であるアワレエダには記憶が関係しています。ホツマ辞典によれば、ミヤビは、随心であるナサケヱダとアワレエダによって、ヒトに社会性がでてくるとし、記憶を司ると説明されています。整合性はばっちりです。

 

心の本体であるタマの随心であるミヤビ(アワレエダとナサケヱダ)は、「静止画と動画がわかる」という意味であって、「時の現在と過去(動き)がわかる」という意味です。つまり、心の本体であるタマが持つ働きをもって、ヒトは「時」の中に住むということがわかります。その内訳として、ヒトはヰクラムワタ(5つの記憶と6つのわかる)、つまり、(物と事がわかる)ことになります。この物と事をネコヱ(音素)にわけることによって、ヨソヤコヱ(48音韻:アワウタ)ができるということになります。

 

繰り返しになりますが、物の初めであり、事の終わりです。ヒトはアノモノです。しかし、は決してわかりません。アはぼやっとわからないのではなくて、論理の帰結として決してわからないのです。数学を含む言葉で決してわからないのです。言い換えますと、ヒトは物や事を言葉でわかっているのではないということです。物が現在で事(動き)は過去です。物と事は同時に決められません。(現在≠過去)だからです。

ですから、人々は宗教に入れ込んだり、主義主張により自己の正当性の主張に必死なのです。ただ、自己の存在()が自明であることを、どのように仕組みに組み込むかが問題となってきます。科学の出発点にある問題です。


余談です。

  • 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない。(映像である。)
  • 物と事は互いに規定しあって成り立つ繰り返し。
  • 物と事は同時に決められない。

面白いことに、数式と似ていることがわかります。このように考えると確率映像の仕組みによる結果だということになります。物と事の間にあるE=mc2や不確定性や伴って現れる量子もつれは、映像だと考えるとかなり納得します。

宇宙(空間:物質的自然:M軸と言う。)に中心はありません。別の次元軸上に2つあります。これがです。ここから弧理論に入ってきます。興味があれば、サイト内を境界空間で検索ください。43件の記事があります。

 

追記10/27 わかりやすくするため、ざっくりとした関係図をつくりました。

図4

岡潔の情と本居宣長の”もののあわれ”から類推して、ナサケヱダと情は、(物がわかる)映像、静止画がわかるであり、時の現在だとしました。これは図1と同様、善導大師の覚に同じです。岡潔の第2の心でもあります。 アワレエダは、(事がわかる)動き(動画)がわかるであり、時の過去です。岡潔の第1の心でもあります。(私心である生命維持の欲求もこちらについていると考えます。) 「現在は新しい現在に変わり、古い現在となる。これを繰り返す。」ことから、動きがわかるためには、現在を記憶しておく仕組みが必要です。心の本体であるタマにも、生命維持の欲求であるシヰにも記憶する働きはありませんので、処理系としての肉体が必要になります。

ナサケヱダは「何となくその趣がわかる」のだけれども、肉体に備わった器官でわかるのは、5つあります。それらを下支えしているのが、ナサケヱダですから、「わかる」には5+1の計6つあります。それがムワタで時の現在です。

そして、6つの「わかる」のうち、下支えしている「わかる」の本体は、記憶に係わりませんので、5つを記憶しておくことによって、その動きがわかります。それがアワレエダとヰクラです。

都合、ヰクラとムワタから「わかる」(現在)と(過去:動き)をネコエ(音素)である5つの母音と10の子音に配置することによって、ヨソヤコヱ(48音:アワウタ)ができます。

かなり複雑ですが、何とか整理できます。「わかる」には時制があって、現在としてわかるのは物であって、過去は「動き」としてしかわからないということです。動きがわかるには、記憶が必要です。

ただし、5つの母音に割り当てる物について、現代の化学に相当する元素という意味はありません。人の肉体に備わった器官でわかるというのは、「気体、冷たく降りる、温かく昇る、液体、固体」の5つです。また、動きがわかる」というのは、「はじめ、つなぐ、ひらく、なる、たす、かける、ちらす、とめる、はねる、おわる」の10です。

物の初めから事の終わりまでを(ヒトの心を含めて)説明するのが科学です。物と事の区分がない自然科学は間違っています。現在(物)≠過去(事:動き)だからです。

ex.時間は時の過去であって、現在を含みません。時間とは、過行く運動にかかる記憶に基づいて人が抱く観念です。時間は物の量にかかるではなくて、事の質にかかるです。ビッグバンで過去記事を検索ください。t=0で理論は破綻します。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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