電磁気現象と 岡潔 による「2つの心」

以下はいつも引用するある科学者の言葉です。

地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる

電子の粒子であることと波動性を持つことは、量子力学の基礎です。このことを実験事実として否定する訳ではありません。 研究を始めてから最近まで、下線部分の2点について、こだわりを持って考察してきました。

数学者 岡潔 は、彼の講演録で「2つの心」について述べています。第1の心と第2の心です。その特徴を箇条書きにします。注:管理人による考察を加えています。

  1. 第1の心。ヲシテ文献で言うところの”シヰ”。生命維持の欲求。そのわかり方は、”意識を通し、言葉で言える。”ものであって、「わけることによりわかる(はず)」という還元主義による。過ぎゆく運動の記憶に基づきわかるということ。いわゆる”動画がわかる”ということ。時の過去である。
  2. 第2の心。ヲシテ文献で言うところの”タマ”。人が持つ心の本体。そのわかり方は、”意識を通さず、言葉で言えないが、しかし、何となくその趣おもむきわかる”というもの。いわゆる”静止画がわかる”ということ。時の現在である。

時の現在、即ち”静止画がわかる”からこそ、運動Pの連なりを記憶(=情報)をもとに動画がわかるのです。情報とは、”意識を通し、言葉で言える。”ものですから、過去です。 余談ながら、情報と運動Pの間には深い関係があります。

図1 第1の心は過去かつ孤立系(循環)である

また、”意識を通し、言葉で言うことができる”時間”は、時の過去で現在を含みません。第1の心によります。

この 岡潔 の述べた2つの心の内、第2の心が無ければ第1の心は存在し得ないことがわかります。静止画がわからねば動画などわかるはずはありません。冒頭のある科学者の言葉において、管理人がこだわったのは、「量子力学の基礎は、第2の心で描けない状態」だということです。これについて説明します。

図2 出展:スピントロニクス材料研究でブレイクスルー

図2は誰の目にも(映像として)明らかです。ところが、物理学では、このような図で説明しません。電子は質点として扱われます。位置と質量を持つが大きさがありません。実験により測定した磁気モーメントを理論的に説明するに導入されたのがスピンです。電子が持つ磁気モーメントを説明するに「スピン」と呼ぶ量で理論化しています。しかし、スピンは何かがクルクル回っている訳ではないと説明されます。角運動量を表す演算子に過ぎないのです。(スピンとは何か

問題は、大きさの無い質点がスピンしているという描像です。既に述べたように心の本体は第2の心にあります。唯一、時の現在として映像がわからねば、「意識を通し、言葉で言える。動画が」わかりようありません。

突き詰めると、第1の心(シヰ)が第2の心(タマ)を押さえつけられる人のみ物理学者になるのです。

 

ある科学者は、地球の科学の持つ問題点を次のように指摘しています。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない

”物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式”とはE=mc2のことです。誤った解釈の元、物理学は100年以上進んでしまったということです。本当は一つの実体の異なる面に過ぎません。時間は物理量ではありませんので、エネルギーという言葉は使えません。当サイトでは時間を含んだエネルギーという用語は時間を含まない運動Pと呼んでいます。下線を運動Pに置き換えるのが正しいのです。正しくは以下です。

位置と質量を持つ物質も運動Pも一つの実体の異なる側面に過ぎない。

図3 別の次元軸を時間を含まない真のエネルギー(エネルギー面)と呼ぶ。

たとえば、電子の運動Pには、以下があります。

  • 速度(直流)、加速度(交流)、躍度(パルス)
  • 波(電磁波)、光子(ソリトン)
  • 電場、磁場
  • 確率的に現れる
  • 離散的に現れる ←4月20日追記:書き漏らし。

ある科学者の云った上の言葉を置き換えます。

電場も磁場も一つの実体の異なる面に過ぎない。

別のところで、ある科学者は、「運動する電子は周囲に磁場を持つ」と述べています。この説明は相対性理論と同じです。(特殊相対性理論:運度物体の電気力学について) しかし、ある科学者の述べていることは、相対論の結論と全く異なります。

詰まるところ、電子が粒子で波動性の二重性を持つのは、別の次元軸上にある一つの実体がM軸上に2つあるいはそれ以上の側面を持って(映像)として現れているということです。実験事実は認めるが、その仕組みは異なるということです。これがある科学者が述べた「心で描けない状態」の意味です。参考(10年以上におよぶ研究の末、電子の正確な形が明らかに)電子が真球に限りなく近いという結果は、単純に考えて物理学の前提が崩れていると思えるのです。

 

ところで、110年ほども前に何故このような行き違いが起きたのでしょうか。どうもその遠因は電磁気学の成立過程にあると思われます。何度も取り上げてきたように「回る」と「回す」は異なるのです。加速度には2種類あると考えます。ところが、数学上は「加速度がある」とのみ定義されます。これでは科学者たちは、その違いを理解できません。

電磁気現象において、同じ起電力を説明するに2つの異なる方法によって説明されるというのは実に不思議です。(電磁誘導と単極誘導) この疑問について、量子力学的にどのような理論を附しても無理があります。これまでの考察によれば、加速度には2種類あるから、起電力も2種に分かれているのです。それは「回す」と「回る」の違いです。空間に2種の(回転)運動があるからです。

図4

J・C・マクスウェルによる20の変数を持つ20の原方程式をベクトル表記に改める過程において、非対称性を削除したようです。関連する過去記事は「トム・ベアデン」でサイト内を検索ください。 また、「Tom Bearden’s Response to ARPA-E
ビールデン博士のエネルギー先端研究局への返答」が参考になります。

ここで述べたいのは、物理現象は「人の肉体に備わった五感でわかるものであって、第2の心でわかるものでなければならない」いうことです。(単純に、心の仕組みとして映像がわかるものでなければならないのです。)

ついでに云えば、 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎません。

運動Pの一種である時間を含むエネルギー情報の間には密接な関係があります。情報を蓄えるにわずかばかりのエネルギーが必要です。どうも運動Pの一形態が情報に関係するらしいです。図3は実に興味深いです。参考:二種のエントロピー

第2の心でわかるのは、どちらかというと”物”です。これが具体です。”事”はいくらでも複雑化し得ます。複雑化の行き着く先は抽象であって、あまりにも複雑化すると究極、第1の心もついて行けなくなります。そして、文明は崩壊へ向かいます。 科学は、心の仕組みと働きに関係します。これを無視した科学などあり得ません。【3】 西洋の唯物主義 どう考えても「わけることによりわかる」より前に、(何となくその趣がわかる)が来なければいけません。第1の心には、数学も含まれることは当然です。数学を使ういかなる理論も同じです。 第1の心は循環だからです。 ”循環”でサイト内を検索ください。

 

Φ について

2010年より研究しています。
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