人の時間感覚と五感でわかる範囲は重なる。それ以外はどうも怪しい。

これまでの考察により、人の感覚器官による五感でわかる範囲は、

表1

の赤い括弧で括った範囲だとわかっています。 では人が持つ時間感覚はどうかというと、「運動する物体の質量に依存している」ようです。 わかりにくい点もあるでしょうけれど、掘り下げてみます。

考察した結果を表1を元に図表にしたのが

表2

です。以下、箇条書きにします。

 

(1) 観測者である人が持つ感覚器官は物質である原子よりできています。ですから五感でわかる範囲は、原子の大きさにより概ね決まるはずです。 例えば、視覚は、

 

網膜の位置図1 出典:視力回復の研究ノート

網膜上にある視細胞を構成する原子電磁波である光を受けることにより、電気を生じます。 基本粒子である原子の大きさがどれほどかはっきり云えませんけれど、眼が受け取ることができる光(電磁波)の波長の範囲は、赤外線より短くて紫外線より長い訳ですが、これは基本粒子である原子の大きさから来ているはずです。

(2) 弧理論の考え方によれば、

図2

のように、観測者である人に対して光速度(運動P3の状態)にある質量mの物質は、M軸(3次元物理空間)に対して”次元”を失います。 即ち、我々からは見えなくなります。言い換えますと、質量mを測定できないと云うことです。 この発想は、ある科学者の言葉から来ています。

物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない。

彼は地球の科学者たちが「物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していない」とも述べています。

(3) 上記1の視覚の例によれば、視神経を構成する原子に光が当たることにより、原子から電子がはじき飛ばされて電気信号として神経へ伝わります。 注意すべきは、「光が電子に変換した」のではありません。波の性質はまだ十分に理解していませんが、文字通り「光の速さ」にある”電磁波”は、質量を持たないとされています。  光は原子に当たることによって、原子を構成する内の電子を弾くわけです。電子に運動を起こします。  視神経を構成する原子は(静止している)観測者そのものです。ですから五感の元となる電気信号は、2に示した理由により(静止している)物質の質量mに依存しているだろうと考えられます。 表2の「人(観測者)」が受け手である以上、そうなります。 運動する被観測物に対して観測者が持ち得るのは、五感です。 五感の根源が肉体を構成する原子に依っている以上、被観測物の運動連続性は人を構成する原子に依存しているはずです。 言い換えますと、被観測物の運動の連続性、つまり人の時間感覚は、運動する物体の質量に依存しているだろうと云うことです。

わかりにくい考え方ですが、別の表現をすると「五感でわかるのは、質量のみ」ということになります。 そして、質量は人(観測者)に対して運動するに従い”次元を失い”、やがて質量を測定できなくなります。 視覚と聴覚において、それを媒介するのが””ということです。 (注:極小の物質にかかる質量GeVについては、下記に記します。)

表2の極大(銀河系などの運動)と極小(素粒子などの運動)領域は、人(観測者)に対して、ほとんど光速域にあります。ですから、表2の両端において人の時間感覚は消失していると考えられます。

(4) 表2の極大(銀河系などの運動)と極小(素粒子などの運動)領域において、時間[t]と人の時間感覚の間にはズレがあると考えられます。

時間[t]は、人(観測者)が手元にある時計という運動機構を元に作り出した数字です。岡潔の云うように、時間は”過ぎ去った”運動を元(基準)に作り出した観念に過ぎません。手元にある時計という運動と、被測定物の運動を比較しているに過ぎません。 ですから、手元の運動と銀河系や素粒子の運動を比較することによって、極大の距離(光年)や極小の素粒子の質量(GeV/c2)を算出していることになります。 つまり、光年や質量(GeV/c2)は、手元にある運動に対する人の時間感覚を極大や極小にある運動に適用したものだということです。


これにて、運動が時間に比例して起きるという暗黙の前提が間違っているらしいことがわかりました。 繰り返します。 人の時間感覚は、運動する被測定物の質量mに依存してます。もう少しはっきり云えば、相対論も素粒子物理も時間[t]を用いている以上、正しいとは云えないようです。何せ五感じゃわかりません。これ以上の証拠はありません。でも、わからなくてよいというのではありません。限界があるということを意識すべきだということです。

 

そうは云っても”波”の性質がもう一つわかっていないのです。 余談です。波は、拡散し減衰します。 波は物質(質量)に運動を与えます

 

図3 出典:HFダイポールアンテナ(1/2波長)

例えば、電磁波はアンテナに高周波の電流を生じます。光と視神経の関係に似ています。 遠隔で運動を伝えるようです。縦波なら媒質がなければ伝わらないと理解できます。横波ならどうなのでしょうか?

もう一つ余談。 過去に相対論は循環論だと書いた覚えがあります。時間を用いているのですから最初から転けているということです。「光の速度を時間に置き換えて」ではどう考えても変です。光速度不変の原理てどうなんでしょう?

追記

これで要素は出そろった感があります。 物は(質量と運動)を持つ。複数の運動の比較により時間[t]を作れる。波とは運動のみで質量不定のこと。質量と運動を五感が拾う。これが時間感覚につながる。 物質の質量と運動は一つの実体の異なる側面。

変なこと。そういえば、原子時計は波を使うけれど、時間に質量はありません。音に質量はありません。 電磁気力を伝える光子に質量はありません。波は物質を励起(運動)させる。五感の視覚聴覚はそれのこと。遠隔で伝わるとは何だろう。(量子化とはちょっと違う)接するとは何だろう。

まとめてみると。自然科学は上記のことを何も考えていない。時間をパラメーターに使う学問は、場面によっては使えないだろうというのが結論。

 

Φ について

2010年より研究しています。
カテゴリー: 解説 タグ: , , , , , パーマリンク

1 Response to 人の時間感覚と五感でわかる範囲は重なる。それ以外はどうも怪しい。

  1. 千田 のコメント:

    時計の元祖である「日時計」は
    太陽の運動(太陽光)を
    地面にそのまま写した(次元低下させた)ものであって、
    運動と被測定物の運動の比較ではありません。
    それこそE軸→M軸への投影と本質的には同じです。

    それと、
    時間という概念無しに
    運動(波)の過程(プロセス)を
    どうやって分析・解析・説明するのでしょうか。
    投影も過程(プロセス)の一種ですから、
    仮にE-M平面を用いて
    時間を利用するのを回避しても、
    E軸→M軸への投影という過程(プロセス)が
    絶対に残るので、その過程(プロセス)を
    分析・解析・説明するのに
    時間という概念が必要です。

    お金と時間の問題は
    お金と時間という概念そのものが
    問題ではなくて、
    お金と時間を一部の人間が
    悪用するのが問題です。
    お金と時間に関しては
    「実際的なもの」と
    「心理的なもの」の
    二つがあると思います。
    問題は後者です。
    岡潔は後者を
    悪だとしたんだろうと思います。
    一部の学者が誤って
    後者に基づいて学問を
    組み立ててしまった。

コメントは停止中です。