Buddha は一神教 神&悪魔から悪魔を取り除くとBuddhaに等しい  

昨年後半から、 Buddha 如来の関係を考えてきました。そのうちに、 Buddha は、科学になり得ないと気づきました。

自己になるのは、自己以外のすべて」であって、これをお釈迦様は、Buddhaといったようです。これ以外に考えられません。現代の言い方で言うならば、「自己と対になるのは自然界」とでも言えばよいかと考えます。

人がわかる※物と事音韻に割り当てて意味づけしたのが言葉です。如来は、この言葉の仕組みから来ているようです。つまり、如来は仕組みであって、いわばBuddhaの下位にあたります。

※わかるの語源はわけるです。わからない何かをわけることによりわかる仕組みです。

そして、Buddhaは、そのままでは科学になりえません。科学とは物と事をわけることによりわかる仕組みです。ところがBuddhaはわけることができません

 

そこまで考えると、どうもBuddhaが一神教に見えてきました。一神教(God)の一つであるYHWHは、次のような順になります。

  1. 神※は、アダムとイブを創った ※神しんとは、超自然的な何かを指す
  2. アダムとイブは禁じられた果実(知恵の樹の実:善悪識の木の実)を食べた
  3. 神はアダムとイブを楽園から追放
  4. 人間は罪を負った(原罪
  5. ・・・・
  6. 神との契約(契約には、自他をわける必要がある→科学の萌芽)
  7. 原罪に対する救いが必要(キリスト)
  8. 善悪という意味での悪魔(敵対する者)二元論

ここで、一神教の神から悪魔と原罪を取り去ると残るのは、ほぼBuddhaだと考えられます。これは、管理人だけの感想ではありません。某動画にて、日蓮宗の妙法寺住職の高野誠鮮氏は「仏教は一神教」だとの趣旨を述べています。

 

写真1 浄土論 安楽国は極楽浄土の別名

そもそも浄土論の書き出しが世尊(イエス・キリスト)ですし、世尊布施論は、景教(ネストリウス派キリスト教)の聖書の福音書の漢訳です。

 

まとめると、地上と天国の対比は「神と原罪と悪魔」があるから意味があるのであって、悪魔を取り除くと原罪も無くなり、神=Buddhaとなります。ですから、浄土論や世尊布施論は、原罪がない人(日本人)にとって、よくわからないです。浄土といっても、今の生活が苦しいからといって、生活の苦と浄土はになりません。

そもそも、私たちは神※と契約したことはありません。逆に言えば、Buddhaからは科学の萌芽はありません。これは多神教でも同じです。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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