矢張り 電磁気学 はどこかおかしい

相変わらず単極誘導の現象について考えています。2018年1月24日の記事「電磁気学 の発達は不自然 化学の発達との比較(トム・ベアデンの手紙を受けて)」を読み返してあらためて 電磁気学 はどこかおかしいと感じます。

次図は、乾電池と豆球を使った直列回路です。

R4B3A004C.jpg図1 出典:豆電球を、電池1個で光らすのと、電池2個を直列につないで光らすのでは、どちらが長持ちするか?

の電荷を持つ電子による電流は電池のプラスから出てマイナスに流れます。電子の流れは逆で、マイナスから出てプラスへ移動します。一見、普通に対称な現象に見えます。でも、どこか変だと感じます。 図1は、単に電流や電子の流れる方向を「プラス・マイナス」と名付けているだけで、そこに正の電荷は出てきません。 対称性に欠けると感じる点はここにあります。(陽子はずっと後から発見されたのですが。)

それは、例えば双胴・双発機を単発機だと言いくるめて片肺で飛行してるようなものです。とても奇妙です。

写真1 出典:P38ライトニング

 

その奇妙さの極みが単極誘導の現象だと感じてきました。あらためて実験で確かめたことを記します。最初は、電磁誘導における力の作用を調べます。

動画1 電磁誘導での作用と反作用

力学的には、磁石コイル(あるいは導体内を運動する電子)との間に関係が成り立っています。例えば直流で30Aほどの電流を流した場合、導線がびくんと跳ねることがあります。電流路である導線どうしや付近の磁石との間に力が生じるからです。その際の各々の向きは、「磁束電子の運動磁石の運動(あるいはコイルを動かしても同じ)」であり、それぞれ直交しています。

次に、単極誘導モーターではというと、力は電流路である導線において生じているようです。

動画2  単極誘導モーター

力は接点であるブラシと導体円板の間に生じており、その作用と反作用は接点にあるようです。その際の各々の向きは、「磁束電子の運動生じる力」であり、それぞれ直交しています。その点は電磁誘導と同じです。

動画2では、磁石は銅板の下に配置しました。次に2枚の磁石で銅板を挟んで実験します。

動画3 単極誘導モーター

銅円板とともに磁石も回りました。 つまり、磁石は力学的に孤立しているということです。当たり前ながら、動画2も3も磁石がなければ銅円板は回転しません。磁石は銅円板の付近にあればよいだけでなく、銅円板とともに回転してもよいのです。ですから、力は接点であるブラシと導体円板の間に生じていると断言してよいようです。(火花放電では接点が連続していると考えてよい気がしますが、現在までのところよくわかりません。注:下の動画5を参照ください。)

動画3では作用反作用がどこに生じているのかわかりませんので、2枚の磁石で銅板を挟んだ上で、力がどのように生じているかの動画をあげます。

動画4 単極誘導モーター

動画1の電磁誘導と動画2、3、4に示した単極誘導モーターとは、各々「磁束電子の運動力」という直交の関係にありますが、明らかに異なる点があります。その違いは「磁束密度が時間的に変化するか、変化しないか」などという違いではありません。現象において、磁石が原因でありながら、磁石は現象(起電力とか力が生じるということ)について、力学的に孤立しているということです。  これほどの特徴があるのにもかかわらず数式には一切表されていません。

冒頭ご紹介した過去記事にも書きましたように、電磁気学は物質が持つ磁気的性質と負の電荷を持つ電子との相互作用のみに絞ったのだと感じます。これは原子の構造が判明する以前のことですから、やむを得なかったのですが、原子核があり、正の電荷を持つ陽子が発見された時点で、電磁気学は修正を受けるべきだったと考えます。その修正点は単極誘導の現象です。

管理人は主として単極誘導モーターに関して実験を行いました。単極誘導の現象は、その挙動を観察した結果、『単極誘導は磁石を構成する物質内の原子殻と磁石周囲に運動する電子との相互作用』ではないかという仮説を持っています。 磁石は超巨大な単原子と同じ挙動をし、単極誘導の現象は、マクロにそれを表しているのではないかと感じます。 何故なら、仮想的に原子核は磁石の重心位置にあって、回転に無関係だと考えられるからです。それだと動画2と3の違いは合理的に説明できます。とね日記に記された量子論的な意味不明な説明など不要です。電流路に生じなくて、接点に生じるという違いも何らかの合理的説明が可能になるかも知れません。むしろ違いがあっても当然です。

ついでながら、電磁気学の発達の経緯を示した年表を貼ります。

図2

上記のことは、既に整理済みです。実は管理人が注目している点はほかにあります。この件についての説明はまだできません。

動画5

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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矢張り 電磁気学 はどこかおかしい への2件のフィードバック

  1. 佐々木 のコメント:

    サーフィンの場合、サーファーは気体側の界面上です。
    波の背面を使って波乗りはできないものでしょうか。

    数式は静の記述で、完成するには動の事柄を追加する必要がありそう。
    >力学的に孤立
    やはり磁気の双極性、電気の単極性というものを誤解している可能性を考えます。
    金澤氏の「静電界は磁界を伴う」を改めて読むと、そう思う。
    divB=0の双極性である磁気は、何者にも影響を与えず、”だから”、力学的に孤立する。
    しかし、現に回転しているから、力学関係は成立しなければいけない。
    前提が間違っている。
    磁気も電気も、単極性と双極性の両方が無ければ相互作用できない、と考えると、
    そのうち静止状態が一般的に知られているだけのような気がします。
    マクスウェルまでの電磁気学が、静の状態をコマ送りにして動を描くものだとしたら、時間次元をパラメータとして使う必要が出てきます。
    静と動。風が吹いていることはわかっても、風は物質ではない。空気の総量も変わっていない。

    • Φ のコメント:

      ありがとうございます。いろいろ考えます。どうすればバランスを崩せるのか、あるいは関係位置を変えられるのかが課題です。裏サーフィンも一つのアイディアです。
      まず頭の中で時間を排除せねば。動きはあっても時間は量ではないので使えません。どうも物と事を区別するところから始めようとしてます。
      単極双極は随分前から違和感を持っています。どうも磁場は表と裏に分かれそうです。裏が正負の発散トーラスを組み合わせた楕円磁場です。これは電子の他にも中性子陽子にもありそうです。(それが紡錘図形) この裏がベクトルポテンシャルとして観測されているような感じがします。これがE軸との接点です。
      やはり回すではなくて回るが本質です。その区別が数式では出てきません。皆これにだまされる。
      >静の状態をコマ送り
      そうです。静が岡の云う情です。位置の変位が運動です。でも時間という量はありません。空気が物なら、風(運動)が事です。自然科学はこれを混同してます。時間は人が持つ観念ある以上、例え時間という数値に置き換えることができても量ではないので使わない方向に行くべきです。風という言葉以前に”その趣がわかる”のです。(動的にわかるのが”あはれ”です。)そこから出発せねば時間空間という自然科学でどんなに頑張ってもダメです。自然科学は古典の範囲にしか適用できません。
      物質的自然も言葉も数学も、それらに頼る思考もすべて「互いに規定し合う循環」です。この循環論法を抜けるには(物や事が投影による映像だという)別の次元軸を考える以外に方法は無いと断言できます。
      岡潔が「自然数の1は決してわからない(記号に意味づけるのは人です。)」と云った背景です。記事にしようか迷ってるのですが、岡は晩年数学への情熱が下がったのではないかと感じます。循環だと抽象の極致には何も無いことになります。どれだけ精緻で精密でときには美しいとしても、人の心が複雑さについて行けない。これでは熱意は下がります。数学の難問に挑むと心を病むのはそういった事情だとわかります。そういった複雑さを得意とするのは16の母音と29の子音を持つ英語。だから自然科学は英語圏で発達したと考えられます。でも終いには病む。対する日本語はあるところできっぱり切る。それが12の倍数だから物により現れる「事」の本質にあっているからです。余計な不協は切り捨てます。それができるのは日本語の元であるヨソヤコヱのおかげです。

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