神との契約 は「還元主義:わけることによりわかる」を促す

前回の続きです。前回記事の補足に『「わけることによりわかると思える」連中は、「わかった」のだから、全能感が半端ないのかも知れません。』と書きました。これまでの考察では、我々が存在する物質的自然は、外のない内に在って循環であることがわかっています。(いわゆる開放系です。) 重要なのは、数学を含む言葉も、それに伴う人の思考も循環の内に在るということです。 つまりは、還元主義「わけることによりわかる」により「わかる」、あるいは「わかり切る」ということはあり得ないということです。 「わかる」の本質は、岡潔の云った情じょう「何となくその物の趣おもむきがわかる=心の仕組みと働き」にあります。

おまけに、自然科学は物理量ではない時間を用いた循環になっています。

図1 運動から時間を作り、時間を用いて物質の運動と質量と距離を求める 光速度は時間を用いる

これでは、人の思考が「物や事の」本質に届くはずはありません。

 

人の五感の特性は非線形です。一方でお金は線形です。 2017年1月2日 『人の「五感」とお金と時間』を参照ください。  この不整合が人類文明の発達の行方を決めているようです。次第に抽象へと向かう傾向が強くなっています。

図2 多くの事が抽象へと向かっている

既に記事にしたことですけど、還元主義の大本は、3つの宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)の元となった 神との契約 にありそうです。 日本教は、聖書の「在りて在りたる者」の「在る」に似ている』を参照ください。

  1. 自己Aと他Bをわける
  2. 他をBとCにわける
  3. CをCとDにわける

「自己はA、Bを神、Cを仲間、Dをその他」とします。神(B)との契約を交わしたAとCは、その他であるDに布教しますし、仲間に入らなければ排除します。この宗教により「わけることによりわかる」わけです。どうも最初から孤立系です。

しかし、すべてが循環ですから、究極は何もわかりません。現代文明が統合失調により病んでいると感じる原因はこの点にありそうです。 それから、過去記事に明らかになっていることですが、ある傾向を代々続けることによって、「生まれながらに、より傾向を強くもって生まれてくる人が多くなる」ことがわかっています。管理人が考える人類の自滅への過程はおおよそ、以下です。

  1. 皆が豊かになることを目指す
  2. お金の仕組みができる
  3. 皆がお金に執着する
  4. 貧富の差が出来る
  5. 五感とお金の間に特性の不整合がある(インフレの方が顕著に表れる。為替や株の取引で、素人に空売りは困難)
  6. お金が量ではなくなる(バーチャル:ニクソンショック以後)
  7. 生まれながらにお金に執着する人の割合が増加する(エリートキツネ
  8. 科学が発達するに従い物理学を含む自然科学が抽象へ向かう
  9. 社会の成熟とともに、全体が抽象へ向かう(図2)
  10. 更に7.を繰り返す
  11. 人の脳が抽象を受け入れられる限界に達する
  12. 還元主義により「わかった」と勘違いした連中が主導する状態とほとんどの11.にある人々との乖離によって自滅する

以下は参考にした過去記事です。

参考までに、ある科学者(アラン)が云った言葉を掲載します。下線は管理人によります。

物質科学の進歩を止めることなどできやしない。それは進んだりもどったりはするにしてもだ。もどるとすると、それを支えている要素は退化のプログラムによってまず弱くなってきてそして崩壊することになる。

基礎的には地球の物質科学に悪い所はないんだ。もし、人々がそれを支えることができるような基礎を用意しないとそれは夢想だにしなかったほどに水平に広がって進歩してしまう。」

「もし、基礎がなかったら?」と私は言った。

「君たちの文明は終わるさ」とアランがゆっくり答えた。「ほんの少しの生き残りを残して全滅するんだ。生き残ったものは彼らの科学と技術を再建する能力はないだろう。数世代の間に、彼らの子孫はほとんど動物のレベルにまでもどるだろう。進化の過程はふたたび始まるだろう。一万から一万五千年で他の文明と技術が起こってくるだろう。そして彼らも同じ問題に直面し、それを解決する同じような機会をもつだろう。 もしそれに失敗したら、ふたたび同じ運命におちる。宇宙の不変の法則なんだ。君にはわかると思うが、人類の自由選択によってなされるものなんだ。

地球の人類と文明は絶滅を宣告されてはいないんだ。人類はこの危険を永久に自分たちの後ろに追いやるまで進歩の道を進み続けるだろう。 この選択は君たちのものさ」

科学の進歩は止められません。基礎を用意しなければ、「科学を支えている要素は退化のプログラムによってまず弱くなってきてそして崩壊する」と云います。 ずっと以前から退化プログラムという言葉は気にしていましたけれど、やっと意味がわかりました。退化プログラムとは「科学の抽象化」です。支える基礎とは、図2に示した社会科学(心の健全性を図る科学)によるだろうと考えます。具体的に云えば、別の次元軸に心の本質と働きの原因を求めて、(循環を脱して)理解をつづけるということです。

続けてある科学者は云っています。

彼らもまた、その進歩に従って社会的精神的価値の同様の発達をとげる絶対的な必要性を理解できなかったんだ。この時代の二つの主要な国家の間に政治的社会的な裂け目が生じた。最初の話のときに言ったが、二国間の摩擦は年々増大し戦争へと発展してしまった。勝敗は問題ではなく、単純にお互いを破壊したんだ。生き残りは少なく、地上の放射能レベルは人間の許容値を超えて上がった。

行き着くところ、勝敗は問題ではなく、お互いを破壊するに至るということです。このようなことにならないためには、ある科学者が云った基礎を用意しなければなりません。これが精神科学(別の次元軸に心の仕組みと働きを科学)と社会科学(心の健全性をはかる科学)が必要だと考えます。

3つの宗教(ユダヤ教、キリスト教・イスラム教)は、必要ではあっても十分ではありません。「わけることによりわかる」段階は終わりました。事ここに至って3つの宗教の役割は終わったとみてよいでしょう。

 

Φ について

2010年より研究しています。
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6 Responses to 神との契約 は「還元主義:わけることによりわかる」を促す

  1. Shinuchin のコメント:

    Φさんこんにちは。
    彼らにとっては「聖地はエルサレムしかない」それが契約だから?、でしょうか日本人には農業が出来る所は世界中どこでも聖地になってしまう。
    彼らには地球全体は見てはいるけど見えていない、鹿ばかり追いかけて森を見ていない?。

    この呪縛を解くためには、誰でも地球全体を見て地球を共通認識できる時代の到来が必要だった?Φさんの記事を読んでそんな風に思いました、テレビ見て、ネットで調べて旅をしている、もっと交流がさかんになればその事に気がつく人も多くなる?。

    でも、世界は好景気でそんな事は思っていない?。

    いつも有難うございます。

    • Φ のコメント:

      旧約聖書の舞台として、アラビア起源説があります。どこかの段階で書き換えられたかすり替えられたかも。「聖書アラビア起源説-カマール-サリービー著」この古本は高いです。

  2. shibuchin のコメント:

    Φさんこんにちは。

    3つの宗教(ユダヤ教、キリスト教・イスラム教)は、必要ではあっても十分ではありません。「わけることによりわかる」段階は終わりました。事ここに至って3つの宗教の役割は終わったとみてよいでしょう。

    旧約聖書の「伝導の書」は出だしからいきなり
    1-1、エルサレムの王ダビデの子、召集者の言葉
    2、「何とむなしいことか」、と召集者は言った、「何とむなしいことか!すべてはむなしい」。

    中略

    12-12 これら以外のことについては、わが子よ、「次の」警告を受け入れよ。多くの書物を作ることには終わりが無く(それに)余りに専念すると体が疲れる。
    13 すべてのことが聞かれたいま、事の結論はこうである。「まことの神」を恐れ、そのおきてを守れ。それが人の「勤めの」すべてだからである。
    14 「まことの」神はあらゆる業をすべての隠された事柄に関連して、それが良いか悪いかを裁かれるからである。

    キリスト教の人達がどのように解釈しているのかはよくわかりませんが、「まことの神は恐れの対象」であり知恵者も「むなしい」のです、そして「多くの書物=データの集積?」には終わりが無く疲れるのです。
    「還元主義の挑戦的な動機と限界」はここにも原因が有るのでは?と思ったりもします、聖書全てを読んだわけでもないので正しく解釈できている訳ではありませんが。
    聖書に随分と詳しい人でも「仮想敵(悪)」の存在を必要としています「相対的」な見方を通して組織化を進めています。

    「日月神示」や「ホツマツタエ」に興味を持ったのは「太神(究極神)は大歓喜である」事や「悪も役割」、「オロチ=妬みや嫉妬心の集合体=人の心が原因でやわす事で解決が出来る」「日本神話にはサタンがいない?」などなど、でも「古事記」では中途半端みたいな。

    春は花粉症と共にこんな妄想の時期がやってきます、田舎は過疎化が進んで耕作放棄の農地が目立ちます、ここだけ見れば「地球の人口問題」もバーチャルな感じです、これで農産物の価格が高ければ良いのでしょうが競争相手が「錬金術=借金」では市場原理すら働かない?。

    この背景は「多国籍な軍需産業」の影響が大きいのでは?、「軍事」は「一般的な市場原理」が働きません、聖書世界は「不信感=恐怖」に包まれている?。

    「核戦争」が起きなくても「自然災害や老朽化で放射能汚染は起きる」事が分かりました、お金持ちでも逃げ場は有りません、核シェルターも気休めです、贅沢な暮らしは「経済的波及効果の為に踊らされている、持っている物が失われる恐怖」感が有るのでしょうか。

    具体的に云えば、別の次元軸に心の本質と働きの原因を求めて、(循環を脱して)理解をつづけるということです。

    「空海は生きながら成仏できる」と、「新約聖書のイエスは死んでも蘇る」と言っています、「将棋の駒は取られて盤上から消えても必要な所へ復活できます、王と玉は敵と味方ではない?」。

    理解にはまだ続きが有る?。

    この社会の限界は「還元主義」の限界であって「全否定」ではない訳ですね。

    いつも有り難うございます。

    • Φ のコメント:

      >旧約聖書の「伝導の書」
      過去記事に聖書で人間を殺した数について、神と悪魔で比較した話を書きました。孫悟空の頭に付ける輪の話を例えにました。どうも原罪=言葉であるようです。しかし、言葉も思考も循環のようですから、聖書も単独で成り立っていると考えてはいけないです。
      言葉=思考ですから、使う言葉を選ばねばなりません。その点でヨソヤコヱは原罪にあたらないと考えます。聖書のように人を脅して従わせる必要がありません。輪っかは不要です。日本人にとって、神も仏も人間の都合によるという日本教はここから来ているはずです。
      どうも、社会問題や宗教など個別のあれこれについて考え出すと、どうしても善悪をジャッジしてどちらかに肩入れしたくなります。本当は保守も革新も、この宗教もあの宗教も闘牛士の持つマントの色の違いでしかありません。闘牛士は別にあります。そう考えるとニュースを見ても一つ引いて考えることができます。どうせ、循環ですから、いくらでも複雑にできます。本質は個別の事象にはありません。
      >「日月神示」や「ホツマツタエ」に興味
      記紀や万葉集などのロマンからヲシテに興味を持つ人が多いようです。私はロマンに興味ありません。登場人物が自然をどう捉えて、どのように生きていたのかに興味があります。それがヲシテ哲学を学ぶ理由です。G・アダムスキーやダニエル・フライの遺した資料で研究を始めましたが、岡潔の思想やホツマツタヱに書かれた哲学のそれぞれに共通点があることに気付きました。むしろ核心部分はすべて同一です。(それだから、外のない内にある循環だと気付き、抜け出すことに繋がりました。)偽コンタクトや偽書だとか世間の興味本位や嘲るお話しとしてでは無く、純粋に中身の話として考察を続けてきました。日月神示のほとんどは意味不明です。多くは予言などとして興味を持たれます。けれども、私は日月神示の幾つかは、研究してる内容と同じ部分があるから引用しています。早い話が「これは非科学的だから、考えるに値しない」とはしないだけです。「在る」には某かの意味があると考えます。最近はフェイクとしながらフェイク以外の何かを混ぜているかも知れません。
      例えば、ブラックホールを疑っています。相対論は矛盾しているからです。でも、何がしかの電波を受信し、それらデータから赤いリングの画像を作り出したのですから、遠くに何かがあることは確かです。でもそれが彼らの求めていたものかどうかわからないという立場です。画像の赤は処理の過程で人が決めたはずです。かつて火星の空がピンクだったのも処理によったと記憶しています。
      >「還元主義」の限界であって「全否定」ではない
      そうです。時間は物理量ではありませんが、古典物理を否定していません。五感でわかる運動から作った時間は五感でわかる運動にしか適用できないです。還元主義もある程度までは必要です。でも循環には終わりが無いことに気付いて研究の方向を転換すべきです。しかし、唯物主義だから気付けないのです。唯物主義=五感で分からないものはないとしか思えない。研究者には天才がいるのに何故気付けないのか不思議です。
      以下は過去に書いたことです。因みに、運動が時間に比例して起きるならば、素粒子の運動から時間を作ることができるはずです。素粒子時計を作ることができるかも知れません。素粒子は五感でわかるものにはならないようです。だから素粒子物理と古典物理は不連続です。自然科学は統合失調だと主張している理由です。「GeV/c^2」も「光年」も間違いです。

      • shibuchin のコメント:

        Φ さんこんにちは。

        唯物主義だから気付けないのです。唯物主義=五感で分からないものはないとしか思えない。研究者には天才がいるのに何故気付けないのか不思議です。

        「知」は論文や数式、音声などで他人に伝えて検証してもらわなくては認めてもらえない「見えない物を見えるものとして伝えられることが条件」になっているから「情」はその手法が使えない」?。

        上手く説明できませんが、例えば人体の細胞の様に「隣の細胞と同じ様にみえても同じではない、人体(全体)にとっては絶対的に必要な場所にそれぞれ配置されて役割を果たしている、ただ「或る程度の余裕を持たせて準備されているのでそう見えない」みたいな、細胞は「代謝」され次々に「置換」される事によって「全体」が維持されている。
        「知」は科学的手法で「細胞の構造」はわかる、「意」は「観測」すれば「働き、機能」は分かる、この二つは比較的せまい範囲を調べればわかる、でも「情」「何故このタイミングでこの細胞がここに必要なのかは人体(全体)の必要性によって配置されている?。

        75億の人間が何故そこにいるのかは「人類(人体全体・自然・宇宙)の目的が分からないと説明できない」みたいな?、でも「情」は知っている?。

        「情-知-意」の関係は興味深いですね、

        「情」は「キリスト教=愛」「仏教=慈悲」、キリスト教では「愛」と訳すのに苦労した様です。

        「情=じょう=錠=大切なものを守っている」
        「情=なさけ=名裂け=心(神の働き)が分離する=陰=不快」
        「情=なさけ=名咲け=心が開いて(湧出)いる=陽=快」
        「情=じょう=場=空感=ウツホ=あ=⦿」
        「情=じょう=状=状態」
        「情=上=条=乗=城=譲=・・・」

        言葉遊びですみません。

        度々有り難うございます。

        • Φ のコメント:

          こちらこそ。
          >「情」はその手法が使えない
          そうですね。岡潔の「情知意」の「知と意」は意識を通し言葉で言えます。情はできません。自然科学は知と意でできています。私は岡の情を「知の元」あるいは気(キ)と呼んでいます。どうも「知の元」は生命力と関係がありそうです。(情報とエネルギーの関係を射影して考えています。)岡潔の思想の方が基礎です。ですから、自然科学者から見て、岡潔の述べたことがわからないです。自然科学者たちは自身(脳)がどのように新しい知見を得るのか、その過程を考えたことがありません。ただ「ヒントを得た・ひらめいた」としか説明できません。それは数学(言葉)以前です。岡潔は、思考の過程や中身・仕組みについて考えたのです。この点をほとんどわかってもらえません。
          >「全体」が維持
          そうですね。個々の細胞未満がなぜ統合されて人間になっているのか?自然科学ではまったくわかりません。岡潔を読むと痛烈に批判しています。
          >キリスト教では「愛」
          そのようです。3つの言葉を無理にまとめたようです。
          >言葉遊びですみません。
          お笑いをよく見ます。でも「面白がる・興味本位」などと岡潔の云う「関心を集める」のはまったく異なります。おそらく、現代人は心の仕組みと働きについて、本当に無知のままのようです。
          「心を優先すべき」というと、スピリチュアル系と思われるかも知れませんが違います。心の仕組みと働きを別の次元軸に求めて、別の次元軸から物や事を見ようとしてるということです。何が何だかわからぬままスピ系や宗教に嵌るということではありません。我々の思考を含めて物質的自然が循環である以上、別の次元軸以外に抜け出す方法はありません。過去記事に、「別の次元軸を考える訳」を列挙しました。現象を自然科学で説明できないと考えた末でのことです。今や、現象の説明の他に、心の仕組みと働きを別の次元軸に求めるようになってきました。自身、極めて論理的に進めているつもりです。ほぼご理解いただけない現状ですけれど。

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